歴史のかけら
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荒木村重の謀反によって摂津が混乱の極みにあった十一月六日――
毛利氏の戦略では、荒木村重の謀反によって織田の支配が及ばなくなった摂津に大軍を駐
屯させ、本願寺勢、荒木勢、紀州雑賀党などと共にこの地域を封鎖し、織田軍の侵攻を食い
止めるつもりであったのだろう。 しかし、そこにこそ大きな誤算があった。
信長は、まさにこの日のために、新たな織田水軍を創設していたのである。
「第二次木津川河口の戦い」とでも呼ぶべきこの海戦は、午前八時に始まり、二刻(四時
間)ほどで織田水軍の完勝に終わった。
これ以後、毛利水軍は二度と木津川河口へは現れなくなった。
この戦勝を知った信長は、毛利軍の反抗の出鼻を挫いたと判断し、この機を逃さず自ら軍
を率いて摂津に乗り込んだ。
京を南下し、摂津北部に進軍した信長は、まず荒木方の高山右近を調略で寝返らせた。 こうして幸先よく高槻を手に入れた信長は、摂津北部に次々と城や砦を築き、伊丹に軍を 乱入させるなどして荒木方を圧迫すると共に、調略でさらに茨木城の中川清秀を寝返らせた。
高槻城の高山右近と茨木城の中川清秀は、村重にとって両腕ともいうべき存在である。こ
れが味方についたことで摂津北部は織田方に戻ったと言ってよく、安土・京と摂津を結ぶ大
動脈――淀川の水運――を確保できることとなった。信長は摂津北部の山手を突き通すよう
にして播磨への通路も確保したから、織田方の各戦線を分断するという毛利方の狙いはまっ
たく瓦解した。 当然だが、織田軍の津波のような進撃にさらされた荒木傘下の小豪族たちは深刻に動揺した。 (荒木殿の縁戚である高山、中川までが寝返っておる。我らのような者が荒木殿の滅びに殉ぜ ねばならぬ義理はあるまい) と織田方に奔る者が続出し、荒木方は有岡城、尼崎城、花隈城などの拠点に封じ込められ る形となった。
村重の謀反という驚愕すべき新局面から、ここまでわずか一月ほどである。信長はこの短
い期間で危機的状況を見事に脱し、圧倒的に織田優位な情勢を再び構築してのけた。
ついでながら触れておくと―― 「我らは毛利氏と同盟し、多年その芳志を受けているから、単独講和には応じられない。毛 利氏に了解を取り、毛利氏と共にということならば受ける用意がある」
と返答すると、信長は毛利氏との講和をも了承し、十一月下旬に毛利氏の本拠である安芸
国(広島県)吉田へ勅使を下向させる手はずを整えているのである。 このあたり、信長の周到さと抜け目なさが垣間見えて面白い。
「木津川河口」の大勝の報せは、その翌日には藤吉朗から飛脚をもって平井山に伝えられ ている。
中国地方でその猛威を知らぬ者のない毛利水軍が、織田水軍によって壊滅的打撃を受けた
という事実は、織田の興隆と毛利の衰亡を予感させるという意味でこれ以上ない宣伝材料で
あろう。去就に迷っている者はもちろん、毛利方に属している者も将来に不安を持つに違い
なく、織田方に寝返ろうとする者さえ出るかもしれない。
実際、毛利水軍の大敗は畿内の小豪族たちに大きな心理的影響を与えていた。たとえば中
川清秀の寝返りはこれが決断の大きな要素になったに違いなく、その後、小豪族たちが次々
に織田方に転んだのも、ようするに織田の勝ちを予感したからにほかならない。 しかし、それで播磨に平穏が訪れたというわけではない。
小一郎にとってこの時期の最大の懸念は、毛利方に転んだという小寺氏の動静であり、行
方不明となっている小寺官兵衛の消息であった。 官兵衛が消えて以来、小寺氏は織田方の使者を門前払いするようになった。つまり織田方 と断交したわけで、これは「敵対」の意思表示と同義であり、この時代の常識においては事 実上の「戦争状態」に入っている。 (困った・・・・) 小一郎はこれまで小寺氏との交渉を官兵衛に任せ切っていただけに、肝心の官兵衛が消え てしまったことに当惑せざるを得ない。 「わしらに何の繋ぎも入らんというのはどういうこっちゃ・・・・」 官兵衛は村重の有岡城に入ったきり消息を絶った。疑いたくはないが、主家の小寺氏に従 って毛利方に寝返ったと取れぬこともないのである。 その点、半兵衛は官兵衛に対してまったく疑義を抱いていないようであった。 「官兵衛殿に限って毛利方に転ぶというようなことはありますまい」
寒気が厳しくなるにつれ、半兵衛は再び体調を悪くしている。血の気が失せたその顔色は
幽鬼のように青白く、辛そうに咳き込むことも多い。 「繋ぎを取ろうにも取れぬような事になっておるのでしょう」 「というと・・・・?」 「考えられるのは、荒木殿に捕らえられたか、あるいは――」 殺されたか――という言葉は、さすがに口にしなかった。 あの官兵衛が殺されたとは小一郎も考えたくはない。しかし、もし官兵衛が有岡城で 虜囚になっているのだとすれば、それは殺されているよりもよほど厄介な事態ということ になる。 (もし官兵衛殿が有岡城で生きておるとすれば・・・・)
姫路の黒田氏はどうするであろう。 純粋に官兵衛の安否を心配する気持ちはもちろんある。あるが、羽柴軍を預かる立場の 小一郎にすれば、官兵衛の生死がどうなっているかという事より、黒田氏という有力豪族の 去就の方がよほどに重大な問題なのである。 (官兵衛殿がおらぬとなれば、黒田家の舵は宗円殿が握るということになるか・・・・)
何度も姫路城に滞在している小一郎は、官兵衛の父である宗円入道とももちろん面識があ
る。 「いずれにしても、黒田氏が今後も変わらず安土さまに忠を尽くすという立場をはっきりさ せておかねば、このような状況では小寺氏に従って毛利方についたものと見做されてしまい ましょう。気の短い安土さまの事です。もたもたしていては、いつ姫路を攻めよと命ぜられ ぬとも限りません」
その通りだ――と、小一郎は思った。 「事は急を要します。私がこれから姫路へ参りましょう」 「いや、しかし――それは危なくないですか・・・・?」
官兵衛が消えてしまっている以上、黒田氏がすでに毛利方に寝返っている可能性もないわ
けではないのである。 「小一郎殿は、たとえ敵であっても使者を害するようなことは決してせぬ人であると――私 は思っています。それと同じですよ。宗円殿は智者です。仁徳の人でもある。その信義に厚 いことは、子の官兵衛殿を見ても判る。無道なことを為す人ではありません」
半兵衛は病躯を押し、黒田氏が拠(よ)る姫路城へと一人で赴いた。 半兵衛が官兵衛の安否について尋ねると、 「実は――つい昨日、摂津守殿からこのような書状が参りました」
そう言って宗円は村重の私信を半兵衛に手渡した。 「官兵衛殿は伊丹にてお預かり申しあげている。ご高察くださるよう」
といった内容であった。 文面を信じるなら、官兵衛は生きてはいるのだろう。村重は、つまり黒田氏に対して毛利 加担を強要してきたと言える。もし毛利方につかぬようなら、官兵衛を殺すぞ――とい う無言の「脅し」なのである。 「我らも、正直、困(こう)じ果てました。このような紙切れ一枚では、愚息が本当に生 きておるのやら死んでおるのやら――それさえ判らぬ・・・・」
宗円は苦しそうに言った。 「ご心痛、お察し申します・・・・」 半兵衛は目を伏せた。
宗円の悲痛さは、毛利方の村重に官兵衛を捕らえられたことで、織田にも毛利にも人質を
取られた格好になったことであろう。黒田氏の正当な後継者である官兵衛の一人息子――つ
まり宗円の孫――である松寿丸は、織田家に預けられている。たとえば官兵衛を救うために
黒田氏が毛利方に寝返ったとすると、信長は当然、松寿丸を殺す。一方、このまま黒田氏が
織田方を貫けば、有岡城で官兵衛が殺されることになる。 が、宗円はすでに肚を決めていた。 (いざという時は官兵衛を捨てる)
ということである。この事は官兵衛とも無言のうちに確認し合っている。 (代われるものなら、我が身に代えてもらいたい・・・・) と痛切に思ったに違いない。
この場合、宗円も辛いが、半兵衛の役も辛い。 宗円は思慮深い男である。半兵衛の来訪の意図は、もちろん察している。黒田氏が織田に 従う決意である以上、信長からあらぬ疑いを掛けられぬようにするために、心を鬼にせねば ならない。戦国人らしく迷いを振り切った。 「これは我が家の老臣(おとな)とも諮ったことですが――」 目を赤らめつつ、宗円は決然と言った。 「我らは、たとえ官兵衛が殺されることになろうとも、安土さまを恃(たの)み、これにど こまでも従う所存でござる。信義を守って一命を惜しまぬのは武門のならいゆえ、愚息もか ねてその覚悟はしておりました。この事、筑前守さまにはくれぐれもよろしく申し伝えて頂 きたい」 これを聞いた半兵衛は、静かに頷いた。 「まことにご立派なお覚悟と思います。筑前殿も安土なる上様も、黒田家の方々の誠忠をお 知りになれば、必ずお喜びになられましょう」 親友ともいうべき官兵衛のことを想えば半兵衛の心中も複雑だったに違いないが、黒田氏 の決断に対して胸を撫で下ろすような気持ちもなかったとは言えないであろう。 「我らは、官兵衛殿が二心を持ったとは露ほども考えておりません。此度のことは、使者を 捕らえた荒木殿の無道――官兵衛殿は有岡城で必ず生きておりましょう。上様はすでに御自 ら摂津にご出陣なされ、荒木一党の退治を始めておられます。遠からず、有岡城も落城とあ いなりましょう。城が開けば、きっと官兵衛殿は救い出されるものと思います。お辛いとこ ろでしょうが、どうかそれまでお気持ちを落とさず、吉報をお待ちくだされ」 多分に希望的観測だが、半兵衛はそう言ってこの哀れな父親を励ました。
半兵衛から報告を受けた小一郎は、ただちに早馬を走らせ、その内容を摂津の藤吉朗に伝
えた。 「竹中半兵衛からの報告は聞いた。そちら(黒田氏)のお覚悟が揺るがぬということ、非常 に結構なことと思う。その旨、私から上様へも申し上げておいた」 といったことが書かれており、この時点で黒田氏が小寺氏から離れ、独自に織田方に留ま ったこと。その説得が半兵衛によって行われたらしいこと。黒田氏の去就の情報が信長にま で伝わっていたこと、などが窺い知れる。
ところが、信長はこの直後、黒田氏の人質である松寿丸を殺すよう命じたらしい。 信長は村重に手ひどく裏切られたばかりであり、そうでなくとも猜疑深いこの男は、さ らなる味方の裏切りに対してひどくナーバスになっていた。そういう信長の目から見れば、 官兵衛の行動はいかにも疑わしい。官兵衛は策士と評されるほど切れ者であり、村重の元 にのこのこ出向いて無様に捕らえられるというような間抜けさは、印象として似合わない のである。小寺氏や村重を唆(そそのか)して毛利方に奔らせ、有岡城に自ら入って村重 の軍師になったという方が、まだ似つかわしい。
信長は愛憎の情が深い男で、いったん愛したり信じたりした者に裏切られると、異常なま
でに感情が激し、受けた屈辱以上の報復を行わねば気が済まないようなところがある。信長
は官兵衛が気に入っており、愛刀を手づから与えるほど厚遇し、陪臣ながら気に掛けてやっ
ていたつもりであったから、その「裏切り」がなおさら許せなかったのであろう。
しかし、それでも松寿丸の処刑は理不尽と言わねばならない。
松寿丸は、藤吉朗の長浜城に預けられている。 「それは・・・・!」
藤吉朗は当惑したであろう。 (松寿を殺してまえば、後々取り返しのつかぬことになるんとちゃうか・・・・)
という懸念が、藤吉朗の面貌から陽気さと明朗さを消した。 「筑前、わしが下知が不服か・・・・」
と言った。 (ここで下手に官兵衛を庇えば、わしと官兵衛が通じておると疑われかねん・・・・)
藤吉朗は窮した。 「・・・・承りましてござりまする」 藤吉朗は大声で言い、蜘蛛のように平伏した。
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