歴史のかけら
100その手紙には、松寿丸を殺さねばならなくなった事情がごく簡潔に綴られていた。 (なんちゅうことや・・・・)
小一郎としても暗然とした気持ちにならざるを得ない。 (どの面(つら)下げて宗円殿に会いにゆけというんじゃ・・・・)
小一郎は正直、途方に暮れるような気分であった。 「官兵衛殿や宗円殿の信義に、不義をもって応えることになります。いかに安土さまのお下知 とはいえ、このことばかりは承服できません」 その語気の強さに小一郎はかえって驚いた。 「いや、それはそうですが――」
気持ちは小一郎だって同じである。 「官兵衛殿の一人子を殺すなど、させません」 京に上って信長に直言し、その命令を撤回させるとまで言い出したから、小一郎は仰天し た。 (いかに半兵衛殿でも、そればかりは――)
あの信長が、諫言なぞ聞くはずがないではないか・・・・。 「小一郎殿」 小一郎の煮え切らない態度を見た半兵衛は、さらに語気を強めた。 「義を見てせざるは勇なきなり――という古(いにしえ)の聖賢の言葉があります。為すべ き時、為すべき事をしておかねば、後に必ず悔いることになりましょう。この事は私に任せ てください」
半兵衛は大儀そうに立ち上がると、姫路へゆくと言い残して去った。 人前では努めて普通に振舞っている半兵衛だが、実はすでに一度喀血している。それ以来微 熱が去らず、全身の倦怠感がひどい。実際は平井山の登り下りも難渋しているくらいで、四肢 の関節がだるく力が入らないから馬に乗ることさえできそうにない。やむを得ず家来に板輿を 担がせ、それに乗って姫路へ向かった。
話を聞いて悲憤したのは、姫路の宗円入道である。 「いったい安土さまは、我らにどうせよと申されるのか・・・・!」 毛利方へ奔れと促されているようなものではないか。 「お怒りはごもっともです。ですが、松寿殿のお命はこの半兵衛が誓ってお守り致します。決 して軽挙をなされてはなりません」 「守ると半兵衛殿は申されるが、安土さまが殺せとお命じになったものを、どうなさると言わ れるのか」 「安土さまに思い止まって頂くよう、これからお願いにあがります」 「思い止まって頂けぬ時は・・・・?」 「その時は、松寿殿を殺したことにし、私の一存で事を運ぶつもりです」 宗円はさすがに驚いたように目を見開いた。 「有岡城が落ちれば、官兵衛殿に罪がなかったと必ず明らかとなりましょう。その日まで、松 寿殿を隠します」 「安土さまを謀(たばか)ると申されるのか・・・・!」 半端な覚悟でできることではない。信長を騙したなどということが知れれば、半兵 衛の首が飛ぶことはもちろん、竹中氏の一族郎党にまで累が及ぶであろう。 (半兵衛殿は、そこまで我らのことを・・・・) という感動が、宗円の目を潤ませた。 「安土さまへは揺るがぬ忠節をお示しになりつつ、しばし時節が移るのをお待ちくだされ。決 して悪いようには致しませぬ」 宗円は、半兵衛の熱意に誠実さを見た。信長のやることは信じられないが、半兵衛の言葉なら 信じられると思った。 「・・・・半兵衛殿のお言葉に従いましょう」 御着にある黒田氏の屋敷を焼き、人質としてそこに住まわせている妻子を取り返す――と宗円 は言った。小寺氏と決別する態度を明確にし、織田方を貫くことをあらためて天下に示そうとい うのである。このことを知れば、信長も黒田氏の誠意を察し、松寿丸に憐れみを掛ける気になっ てくれるかもしれないという多少の期待もあったであろう。
半兵衛は平井山へ戻り、小一郎に経緯を説明し、再び重い身体を板輿に乗せた。
伊丹の羽柴軍の陣屋に現れた半兵衛を見た時、藤吉朗はほとんど絶句した。 「姫路の事についてはご心配には及びません。この件につき、安土さまにどうしてもお願いし たき儀がありますので、拝謁が叶うようお取り計らい願えますか」 半兵衛は気力を振り絞るようにして薄く笑ったが、すでに様子が尋常ではない。 「そんなことは後じゃ! えぇい、何をしておる、半兵衛殿をわしの宿舎へお移しせよ。床 を延べよ。すぐに医者を呼べ! 走れ!」 藤吉朗は左右の者に大声で命じた。 「お悪いのは胸ですな」
診察を終えた医僧は、別室で待っていた藤吉朗にそう断を下した。 「まことに申し上げにくいことですが――この病に効く薬はございませぬ。滋養のつくもの を採り、身体をなるべく動かさず、ご静養に努められるがよろしいかと・・・・」 「まさか・・・・」 労咳(ろうがい)――? 藤吉朗の無言の問いに、 「おそらく――」
医僧は気の毒そうに視線を落とした。 「・・・・間違いない――のか?」 藤吉朗は尻から魂が抜けてゆくような気がした。 「いずれ戦陣では満足に療養というわけにも参りませぬ。京あたりにお身をお移しになり、名の ある医師に診せることをお勧め致します」
半兵衛はそのまま眠ってしまったという。 「ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です」 夜具から半身を起こした半兵衛は、弱々しく笑った。 「何が大丈夫なものか。半兵衛殿の病には気をつけよと念を押しておいたに、小一郎め、何 をしておったか・・・・」 「寒くなると体調を崩すのは私にとって常のことです。そうお気遣いくださいますな」 「いいや。本復するまで京で静養を申し付けるぞ。これはわしの命じゃ」 藤吉朗は怖い顔で言ったが、半兵衛は気に掛ける風もなく、 「私のことより、今は松寿殿のことです」 さらりと話題を変えた。 「せめて有岡城が落ち、官兵衛殿が本当に裏切ったのかどうか事の実相が分明するまでは処 置をお待ちくださるよう、安土さまにお考えを変えて頂かねばなりません。私はそのつもり で摂津へ参りました。安土さまに拝謁できるようお取次ぎをお願いします」 「ううむ・・・・」 藤吉朗は、できればこの問題には触れたくない。信長は言い出したら聞かない性格だから諫 言するだけ無駄だと思っていたし、自らの保身のために官兵衛を切り捨てたと言えなくもない 藤吉朗にすれば、この点を他人からつつかれることは不快でもあった。 「いや、半兵衛殿、気持ちは解るが・・・・」
渋い顔でなんとなく言葉を濁した。 「殿は、官兵衛殿が荒木殿に同心したとお考えなのですか?」
声音に、詰(なじ)るような響きがわずかに混じった。 「いやいや、官兵衛に限ってそんなことはあるまい。すでに死んだか、生きておるとすれば有 岡城で囚われとると思うんやが・・・・」 「私もそう思います。もしここで松寿殿を殺せば、後々取り返しのつかぬことになる。これは 自明のことです」 「そうかもしれん。じゃが、上様はあのようなお人柄じゃ。今さら何を申し上げてもご翻意は してくださるまい。それどころか、下手に官兵衛を庇い立てすれば火の粉がこちらに降り掛か って来んとも限らん・・・・」 思わず出た本音に、 「事の成否は天に預けましょう」 と半兵衛は強く言った。 「官兵衛殿や宗円殿の信義に、我らが誠心をもって応えねば、彼らに会わせる顔がないではあ りませんか。ともかく我らは、為すべきことを為さねばならぬはずです」 (気軽に言いやがる・・・・) という腹立ちが、藤吉朗にないでもない。捨てるもののない身軽な半兵衛と、「大名」で ある藤吉朗とでは、立場が違うのである。
藤吉朗は織田家の重臣であり、信長のもっとも忠良な家来であると自認している。個人的な
義理や情誼などと「信長の命令」を秤に掛ければ、当然ながら「信長の命令」の方が重い。今
度の官兵衛の問題は「情」で処理するような課題ではなく、優先されるべきは「主君の意」で
あると、藤吉朗は己に対して言い訳することができた。
が、半兵衛が吐いたのはまさしく正論であり、そのことは藤吉朗も認めざるを得ない。 「それでも上様がお聞き届けくださらず、重ねて松寿を殺せとお命じになったら、何 とするつもりじゃ・・・・?」 「その時は致し方ありません。お任せくだされば、私が一切の始末をつけます」 声は気怠げだが、半兵衛の眼の光は強い。 (こいつ、その時は上様を謀(たばか)り、松寿を匿(かくま)う気か・・・・)
と、藤吉朗は察した。 (半兵衛殿はすでに己が死期を悟っておるのではないか・・・・)
ふとそう思った。 (何もかもお見通しの男じゃ・・・・)
己の死期だけ見通せないということはないであろう。 「よう解った」 持ち前の大声で言った。 「この事は、わしはもう口を挟まぬ。半兵衛殿にすべてお任せするで、気の済むようになさっ てくだされ」 藤吉朗はことさら気軽な調子で続けた。 「ただし、事が済んだら、病が本復するまで京でゆるりと静養してもらいますぞ。半兵衛殿に はこれからもまだまだ佐(たす)けてもらわねばならんで、早いとこ病を治してもらわねば、 わしが迷惑する。よろしいな?」 ニヤリと笑う藤吉朗に、半兵衛も微笑を返した。
總持寺は高野山を本山とする真言宗の寺で、巨大な大門、脇門を備え、四囲を練塀で囲った城
郭寺院である。広大な境内には五重塔と多宝塔が聳(そび)え、金堂、講堂、食堂、鐘楼などの
伽藍と数多の僧坊が甍(いらか)を並べており、大軍の駐屯にも適している。越前衆の前田利家、
佐々成政、不破光治、金森長近らの軍勢がここに陣を据え、信長の警護をしていたという。
高山右近に続き、中川清秀の調略が成功したことによって、摂津北部の支配権は織田方に戻っ
たと言っていい。混沌としていた摂津の政情は趨勢が徐々に定まりつつあり、その意味で信長は
少しばかり余裕を取り戻していたであろう。
半兵衛が總持寺に赴いたのは、ちょうどこのあたりの時期である。 「播磨から竹中半兵衛が上って参りましたゆえ、中国筋の話をお聞き願いたいと思い、連れて 参りました」 上座に座った信長はわずかに目元を和らげ、 「聞こう」
とだけ言った。
半兵衛は手土産代わりにまず播磨とその隣国に関する最新の情勢を報告した。 「三木城にはいかほど掛かるか」 といったように短く質問を挟む。 「まず半年から一年ほどはお待ち頂くことになりましょう」
そのたびに半兵衛は明確に返答した。 「――黒田氏は信義を守って上様に忠を尽くし、我らに合力しております。この人質(ち)を 殺したのでは、御当家の信義が疑われることになりましょう。処罰を行うのは、有岡城が開き、 黒田官兵衛が真実、裏切ったのかどうか実相が分明してからでも決して遅うはありませぬ。何 とぞしばしお待ち頂きたく、この事、伏してお願い申し上げまする」 「・・・・・・」 信長にすれば、「裏切り者」である官兵衛を当主に戴く黒田氏が、相変わらず織田家に忠節を 尽くしているという情景がどうにも訝(いぶか)しい。この事は裏返せば、黒田氏の家来たちが 保身のために官兵衛を捨てたということになるわけで、信長も人の主君(あるじ)である以上、 そういう不忠者の集団自体が愉快でなく、黒田氏に対する心象が悪くなっていた。いっそ黒田氏 が、損得利害を超えて小寺氏と共に織田家に叛いた、という方が情景として理解しやすく、信長 の好みにも適(あ)っていたであろう。 「摂津守(荒木村重)の謀反は官兵衛の策謀によるもの――という世上の噂がある」 信長は静かな声で言った。 「かの者は、いち早く毛利に通じ、摂津守と御着の小寺を毛利に奔らしめ、自ら有岡城に入っ たのだ。姫路の黒田がわしに忠を尽くすというのも口先だけのことであろう」 そんな噂が流布しているのか――と藤吉朗は驚いたが、 「口さがない者は、ありもせぬことを無責任に囀(さえず)るものです。噂はしょせん噂に 過ぎません」 半兵衛は言下に言った。 「官兵衛は、織田と毛利の狭間にある播磨でもっとも早く御当家に誼(よし)みを通じたる 者。その官兵衛がどうして今さら毛利に加担しましょう」 「あれは舌数が多い。織田が壮(さか)んと見て織田に媚び、毛利が壮んと見て毛利に尾を 振った。それだけのことであろう」 舌数が多いというのは、策士という程度の意味である。 「いや、あの官兵衛に限って二心を抱くようなことはありません」
半兵衛は咳をこらえつつ断言した。 「有岡城で捕らえられておるか、あるいはすでに殺されておるのでしょう」 「官兵衛は無実。ゆえに小倅(こせがれ)を助けよ、と申すのか」 「私には、官兵衛が裏切ったとはまったく思えません。生きておるのか死んでおるのか――そ れは解りませんが、いずれ有岡城が落ちれば事情ははっきり致しましょう。その時、官兵衛に 罪がなかったと判明すれば、その息子を殺した上様は天下に恥を晒すことになりまする」 「ふむ・・・・」
信長にとって、官兵衛の息子の命のことなど、はっきり言ってどうでもいい。いや、どうで
もいいというか、正確に言えば半兵衛がそれを持ち出すまですっかり忘れていた。信長の日常
は常に忙しく、殊にこの一ヶ月ほどは荒木村重の謀反に対する手当てで寝る間もないほど多忙
であり、播磨あたりの小豪族の家老の人質の話など、腹立ち紛れに処刑を命じた後は脳裏から
まったく消え失せていたのである。 (このまま半兵衛の言を容れてやるのも何やら癪じゃな・・・・)
とも信長は思った。 「半兵衛、そちの申すことは筋が違う」 信長は顎を上げて昂然と言った。 「官兵衛の小倅はそもそも小寺の随身の証しに預かったものじゃ。小寺が叛いた以上、これを 殺すのは当然ではないか」 形式論としては、自分の言い分に一分の隙もないことを信長は知っている。しかし、実際問 題、松寿丸は官兵衛の息子であり、黒田氏が小寺氏から離れるという決断をした以上、黒田氏 の人質として扱ってやるべきであることも、信長はよく解っている。 つまり、信長は解っていて意地悪を言った。 (わしが重ねて人質を殺せと命じれば、半兵衛め、どうするか・・・・。わしの命に背いても 小倅を庇うかな・・・・)
信長の悪戯心と言っていい。 (半兵衛にそこまでの覚悟があるなら、まぁ、助けてやらぬでもない)
とまで信長の気持ちは軟化し始めていたわけだが、さすがの半兵衛もこの複雑な信長の心の
仕組みまでは見抜けなかった。 「君子とは――」 と擦れる声で吼えた。 「君子とは、『以って六尺(りくせき)の弧(こ)を託すべく、以って百里の命を寄すべく、 大節に臨みて奪うべからず』――古(いにしえ)の唐土の聖賢がそう申しております」 孔子は、幼い孤児を託すことができ、広大な国家の政治を任せることができ、難しい局面 に臨んでも志を変えさせることができない者を、「君子」と規定した――という意味である。 「上様は、その胸に抱かれた天下布武の志をどのような難局にあっても決してお曲げになら ず、今日まで貫き通して参られました。まこと、日の本・六十余州の命を寄すべき見事な天 下人であられまする。なればこそ、この上は『六尺の弧』を安堵して託せる広き度量を天下 にお示しになられませ。さすれば上様は『覇者』にして『君子』――古今未曾有の名将と人 から讃えられましょう。御家中の者は上様の器量の大きさをあらためて知り、天下諸侯の中 にはそのご威徳の前にひれ伏す者も出て参るやもしれません」 松寿丸は、形式論を厳格に当て嵌めるなら確かに殺さねばならない。しかし、その命をあ えて救うことで、為政者としての温もり、優しさ、思いやりを世に示すことができる。その ことを世間が知れば、悪評に塗れた信長の印象も多少は良くなるに違いない。信長の好きな 利害計算で言ってもその方が「得」であるはずだ――と半兵衛は言ったわけである。
織田家が大を成すまでの期間なら、冷酷、残虐、無理無道も必要であったと半兵衛は考え
ているし、その点で信長を批判する気はない。全国に群雄が割拠した戦国という時代はよう
するに諸勢力の力が紙一重で均衡していたわけだから、この諸侯の中からいち早く抜け出し、
大を成すには、どんな手を使ってもまずは勝つことであった。「悪」と判っていてもあえて
それをせねばならぬこともあったであろう。 が、信長の扱いにくさは、 (わしに物を教えるつもりか・・・・!)
と、軟化しかけていた気持ちを再び硬化させたことであった。 「小癪なことを申すな! 裏切った小寺の人質(ち)を生かしておいては軍律が立たぬわ。 筑前、しかと申し付けたぞ!」 慌てて平伏する藤吉朗には目もくれず、信長は端然と座る半兵衛を睨みつけていたが、 (こいつ、何やら影が薄うなったような・・・・)
ということにふと気がついた。 (死病に憑かれておるのではないか・・・・) 信長の裡(なか)で、不意に情が動いた。 「小倅の首級(しるし)は実検するに及ばぬ」 信長は謎のような言葉を吐きつつ立ち上がり、 「半兵衛、身体を厭(いと)え」 とだけ言い残して上座を去った。 冷血にして残忍、酷薄にして暴虐――というのが世の信長像だが、信長が決してそれだけの 男でないことを、藤吉朗は誰よりも知っている。 (表向き処罰したことにし、松寿を生かしておけ、という意味か・・・・)
そう解釈した。 「長浜へ行ってくださるか」 と藤吉朗が言い、 「お任せください」 と半兵衛が応えただけである。 「川舟を用意させる」 總持寺の境内を連れ立って歩きつつ、藤吉朗が提案した。 「京へは淀川で上られよ。大津にはわしの船があるで、使うてくだされ。湖上は冷えるで、夜具 にでも包まって寝ておるとよい」 京から長浜は陸路なら二日がかりになるが、琵琶湖を横断すれば半日で済む。藤吉朗のせ めてもの気遣いであった。 「あとの事は、よしなに、な・・・・」 藤吉朗と半兵衛は、互いの目を見詰め、頷き合った。
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