歴史のかけら
95
戦略は、兵糧攻めである。
藤吉朗は、三木城から北東へ半里離れた平井山に本陣を置いた。小高い平井山は包囲陣を見
渡せる格好の位置にある。 簡単な陣地や付け城は播磨を去った織田信忠らが築いていってくれたが、これを長期の滞陣 と敵の攻撃に耐えうる本格的な陣城に作り変えねばならない。羽柴軍の軍兵と人夫たちは、そ のための普請に連日汗を流している。特に平井山の本陣は、半兵衛が新たに縄張りをし直し、 空堀を掘り、曲輪を切り、土塁を築き、櫓を建て、砦どころか城と呼んで差し支えないほどの 本格的な改修が加えられることになった。
包囲されている別所軍の動きは、さほど活発でなかった。 連日どこかで小競り合いは行われているものの、包囲陣の構築に忙しい羽柴軍が三木城に積 極攻勢を加えるということがないために、三木城合戦の序盤は驚くほどの静けさの中で日が過 ぎてゆき、気付けば秋もよほど深まっていた。 ちょうどこの頃、藤吉朗は小寺官兵衛と義兄弟の契りを結んでいる。
こと播州の経略において、官兵衛がいかに大きな役割を果たしてきたかというのは、今さら
言うまでもないであろう。その人脈を利用して織田軍の播磨入りの下工作することはもちろん、
藤吉朗が播磨に入った後も諸勢力との橋渡しをし、自ら汗をかいて調略を請け負い、あるいは
福原城攻め、上月城攻めで顕著な軍功を挙げるなど、その功績はいちいち列挙できないほどな
のだが、官兵衛がどれほど功績を積んでも、羽柴家の家来でないために藤吉朗は禄をもって
これに酬いることができなかったのである。
藤吉朗の立場から官兵衛に報土を与えるには、小寺氏当主の小寺政職(まさもと)にまず
それを与え、官兵衛に下賜してもらうという手続きを取るしかない。武士にとっては俸禄を
与えてくれる者こそが「主君」であり、いかに藤吉朗が「信長の代官」であっても、小寺政
職の許可なく勝手に官兵衛に土地を与えるわけにはいかないし、官兵衛の側もそれを受け取
るわけにはいかないのである。 肝心の小寺政職は、藤吉朗が播磨に入った昨年の十月以来、一度も挨拶にさえ出向いて来ず、 軍事的にも織田家にほとんど協力しようとしていない。確かに官兵衛は小寺氏を背負った代表 者ではあったが、実質は己の手兵のみを率いて単独で動いているような状態で、小寺家はまる で官兵衛を無視しているかのような按配であった。 (いかに官兵衛の主君(あるじ)とはいえ、わしが信長さまの代官として播磨におる以上、そ れなりの会釈がなければならん。そんなことは当たり前ではないか・・・・)
という不満と憤りが藤吉朗には常にあり、小寺政職に褒美を出すような気にはとてもなれ
ないし、出そうにも出向いても来ない者にはそもそも与えようがないのだが、しかし、官兵衛
の真摯で勤勉な働きに対して何か酬いてやりたいという気持ちを抱いていることも事実で、こ
の矛盾を解消するには官兵衛個人に対して報土に代わる格別な処遇を与えるしか手がなかった
のである。 しかしこのことは、官兵衛を好まぬ者たちにとっては面白くなかったであろう。
主君の傍近くに仕える者、主君の寵が格別に厚い者というのは、どれほど身を高潔に保とう
とも人から必ず嫉視され、悪感情を持たれ、その足を引っ張られるものである。古今の多くの
実例を引くまでもなく、藤吉朗が播磨にやって来てからというもの、そういう人間たちのドロ
ドロした感情を、官兵衛はイヤというほどその身に受け、痛感させられていた。
官兵衛のこれまでの行動をいちいち悪意をもって解釈すれば、自己の栄達のために播州を織
田に売った裏切り者であり、いち早く主家を見限って織田家に投じた不忠者であり、織田家の
中国征伐に乗じて一旗上げようとする山師ということになろう。 どれだけ誠実に働いてもそれが正当に評価されず、どれほど私心を捨てて尽くしても欲心か ら動いているように周囲に邪推されてしまう――それがこの時期の官兵衛の苦悩であったろう。 (誰も自分を理解してくれない) という不遇感ほど人間を腐らせるものはないが、官兵衛が辛うじてそこに陥らずに済んでい たのは、藤吉朗という良き理解者が常に官兵衛を励ましていたからに違いない。 人の本質を見抜くことに鋭い藤吉朗は、自分に極めて似た匂いを持つ官兵衛という人間の誠 実さ、その人の良さを誰よりも理解していたし、たとえば人材好きな信長が藤吉朗の才気を愛 したのと同じ意味で、藤吉朗も官兵衛の器量と奇才とを愛し切っていた。だからこそ「お前の ことは我が弟・小一郎同然に思っている」などといった手紙を書いたり、今回、新たに義兄弟 の契りを結んだりもしたのである。 その藤吉朗の信頼に、官兵衛は全霊で応えたいと思っている。
官兵衛の日常は忙しい。
が、余暇がまったくないわけではなく、たとえば夜、飯を食うような時は、よく半兵衛
と話をした。
官兵衛は、半兵衛の恬淡(てんたん)とした風姿が好きであった。 (この仁にあやかりたいものだ・・・・) と、官兵衛は常々思っていた。 半兵衛の方も、官兵衛に好意を持ってくれているらしい。羽柴家にも小寺家にも義理を欠け ない官兵衛の苦しい立場をよく察してくれ、 「足下(そっか)の事について色々と取り沙汰する者もあると聞き及びますが、お気になさる ことはない。筑前殿もよう解ってくれておりますよ」
などと励ましてくれたりした。
ところで、羽柴軍の本陣である平井山の西山麓に平岩村という集落がある。
昼間すれ違いになって半兵衛と顔を合わす機会がなかった日の夜など、官兵衛はたびたびそ
の宿舎を訪ねた。
天正六年(1578)九月某日のその夜も、そうした経緯で官兵衛は平岩村の鎮守の社を訪れ、
一刻(二時間)ばかり半兵衛と話し込んだ。 「そうそう、足下は筑前殿の義弟となられたそうですね」
ふと思い出したという風情で半兵衛がまた話題を変えた。 「おめでとうございました」 半兵衛は笑顔でそれを寿いでくれた。 「すでにお聞き及びでしたか」 官兵衛は少し照れたように頭を掻いた。 「私なぞには分不相応なお話とは思いましたが――」 「いやいや、筑前殿はそれだけ足下の器量を買うておられるのですよ」 官兵衛は懐から大き目の守り袋のようなものを取り出し、それを頭上に捧げた。 「この誓紙は、私の宝です」 藤吉朗と兄弟の契りを誓った神文である。官兵衛はそれを小さく畳んで守り袋に入れ、常に 肌身離さず携帯していた。
官兵衛はすでに主君の小寺政職から半ば捨てられたようになっている。その官兵衛にとって、
藤吉朗は己の価値をもっとも高く評価してくれる最大の理解者であり、この世で唯一の庇護者
であり、その意味で官兵衛の新たな主君とも言える存在なのだが、しかし、一方で官兵衛は未
だ歴とした小寺家の臣であるという現実があり、藤吉朗の家来というわけではない。 「誓紙を持ち歩いておられるのか・・・・」 官兵衛の仕草を眺めていた半兵衛は、わずかに表情を曇らせている。 「拝見させてもらってもよろしいか?」 「どうぞ――」 官兵衛は守り袋から油紙の包みを取り出し、それを開き、畳まれた熊野誓紙の神文を差し 出した。
誓紙を受け取った半兵衛は、それを開いてゆっくりと目を通し、読み終えると無言のまま
四つに畳んだ。 「!?」 呆気に取られる官兵衛の目の前で、半兵衛は破った誓紙に傍らの灯明から火を移し、十分に 火を大きくしてからそれを囲炉裏の灰の中に放り込んだ。 「なんということをなさる!」 いかに敬愛する半兵衛の行為とはいえ、官兵衛にとればこれは暴挙以外の何ものでもない。 忘我の衝撃が去ると怒りが勃然と沸き上がり、顔面がみるみる紅潮し、唇がわなわなと震え た。 「は、半兵衛殿、これはどうした理由(わけ)でござるか。返答次第によっては、いかに半兵 衛殿とて許せるものではありませんぞ・・・・!」
半兵衛は無言である。 「あのようなものは、ない方が御身のためです」 「何を申される! これは半兵衛殿のお言葉とも思えぬ――!」 官兵衛は早口でまくし立てた。 「口約束は消えても、書き付けがあればこそ証拠(あかし)は末代までも残る。それを――!」 半兵衛は手を上げ、官兵衛の興奮を制した。 「そういうお考えでおることが、身を誤る元だと申し上げています」 「・・・・?」 官兵衛は大きく息を吐いて無理やり怒気を収め、上げかけた腰を下ろすと、話を聴く姿勢 を取った。 「筑前殿が、その約定を交わした時のお気持ちを後々まで変えぬとするなら、あのような書き 付けはそもそも不要。しかし、もし筑前殿がどこかでお気持ちを変えたとすれば、あの紙切れ は官兵衛殿にとっても小寺家にとっても災いの種にしかならない――」 世に存在させておいてもプラスはなく、ただマイナスだけがある、と半兵衛は言うのである。 官兵衛は一を聞いて十を知ることが出来るような男で、誰よりも頭の回転が早い。半兵衛 の短い言葉で、その言わんとするところをすべて領解(りょうげ)した。
藤吉朗は、遠からず播州の王となり、中国征伐を無事に終えた暁には数ヶ国を統べる大大名
へと出世するであろう。官兵衛は今でこそ藤吉朗にとってかけがえのない男だが、たとえば中
国の経略が終わった頃にはその利用価値は大いに減じているに違いない。そういう将来、藤吉
朗が官兵衛を義弟にするという誓いを忘れてしまったとしても、官兵衛の立場からはこれをど
うすることもできないのである。そのことに腹を立てれば藤吉朗に対して不満も生じるであろ
うし、畏れながらと古い証文を振りかざして出たところで気持ちを変えてしまった藤吉朗は不
快に思うだけで、かえって官兵衛に悪意を持つようなことになりかねない。約束だ誓いだと言
ったところで、官兵衛の側からは藤吉朗を縛ることはできないのだ。 そこまで思い至った時、官兵衛の怒気は水を掛けたように消えていた。 「筑前殿が足下を自分の弟のように思うてくださるという、そのお気持ちとお志だけを頂戴し ておけば、それで十分ではありませんか」 灯明のやわらかい光を半顔に受け、半兵衛は微笑のままそう言った。 「足るということを知らねば、我らのような者はいずれ必ず身を滅ぼします。ご自戒なさるが よろしかろうと――老婆心ですが・・・・」 「我らのような者・・・・」 官兵衛は惚けたような顔で、その頭脳を猛烈に回転させていた。
教養人でもある官兵衛は、謀臣と呼ばれる存在がいかに危ういものであるかを知っている。
たとえば官兵衛が暗記するほど読んだ『三略』という中国の兵法書に「高鳥死して良弓蔵(し
ま)われ、敵国滅びて謀臣亡ぶ」という言葉があるが、「事が成ってしまえば、それまで役に
立っていたものも必要なくなる」という冷徹な方程式は、古今東西を問わず人類の歴史に共通
するひとつの真理であろう。 いずれにしても―― (つまり半兵衛殿は足りておるわけか・・・・) 官兵衛はあらためて半兵衛を見た。 功を誇らず財を貪らず――むしろそれを避けるようにして――常に現状に満足して不満を一 切漏らさず、ただ淡々と誠実に職務を遂行し続けて来た結果として今の半兵衛の評価があり、 人々の信頼があるのだとすれば、半兵衛のようになることが、官兵衛のような人間にとって己 の身を守る唯一の方策と言えるのではないか―― (いや、真実、半兵衛殿が足りておるかどうかは問題ではない。半兵衛殿は足りておると、周 りが思うておること――裏返せば、周りがそう思うように半兵衛殿が仕向けてきたということ でもある・・・・) それがそもそもの半兵衛の人柄なのか、あるいは深謀遠慮の結果であるのか――それは官兵 衛にも解らないが、どちらでも良いのかもしれないし、あるいはそれは同じことであるかもし れない。
そこで官兵衛は、不思議なほど清浄な心持ちでいる自分に気が付いた。 「・・・・半兵衛殿は、これまでどうされたのですか、その・・・・たとえば頂いた書状な どは・・・・?」 官兵衛が尋ねると、半兵衛は微笑のまま答えた。 「筑前殿から頂いたものにせよ安土なる上様からのものにせよ、書状、書き付けの類は、後 日どうしても必要になる物を除き、そのつどすべて燃やしています」 「なるほど・・・・」
半兵衛は、自分に伝えようとしてくれたのだ――と、官兵衛は悟った。 そうすることでしか伝えられない心を伝えるために―― 上手く言葉で表現できない感情が、官兵衛の胸を満たしている。それは感謝であり尊敬であ り敬愛であったが、それだけではない。喩えるならわざと悪戯をした生徒が大好きな教師に叱 ってもらった時のような――ほろ苦さやむず痒さや嬉しさや気恥ずかしさを伴っていた。 「ご教示、身に沁みました」 官兵衛は居住まいを正し、あらためて半兵衛に頭を下げた。 「私なぞは、まだとても半兵衛殿の心事には到りません。足るどころか、常に目先の小事に囚 われ、煩悩に腸(はらわた)を焼かれておるようなものです。どうすれば半兵衛殿のように恬 淡(てんたん)にして澄明(ちょうめい)な心を持ち続けることができるのか・・・・」 「私とて凡人です。官兵衛殿が言われるほど悟った人間ではない」 半兵衛は苦笑してわずかに首を振った。 「あぁ、悟るといえば――この中国陣が終われば、世俗を離れて出家でもし、どこぞ日当た りの良い山裾にでも閑居して日を送りたいと思うておるのですよ。まだ当分は先のことです が――」 「世を捨てる、と――?」 官兵衛は目だけで驚いた。 「毛利の事さえ済めば、織田家の天下はもはや動きますまい。四国、九州、関東、東北と、上 様に靡いておらぬ者はまだ残ってはおりますが、いったん峠さえ越えてしまえば、あとは下り 坂のみにて、転がるに任せておるだけで天下布武は成りましょう」 その時には自分が藤吉朗のために果たすべき役割は終わっているはずだ――という意味のこ とを半兵衛は言った。 「情けない話ですが――私は生来多病でどうにも身体が弱いですから、どの道そう長う生きら れるとは思えません。残りの生を、花鳥に戯れ風月を友とし、気ままに暮らすのも悪くないと 思いましてね」 「それで出家を――」 「もう号も考えてあります」 語っている半兵衛の表情はどこか楽しげですらある。 「水徹――と付けてみました。水に徹すると書く」 「水のような心に徹する、と・・・・」 「水とは不思議なものだと思われませんか――」 詠うように言った。 「水は、それを容れる器により様々にその形状(かたち)を変えますが、水そのものには些か の変わりもない。静かな水面(みなも)は鏡のようにものを映し、斬ることも砕くこともでき ず、どこまでも滑らかでしなやかでありながら、滴となって落ち続ければ石に穴を穿ち、濁流 となって流れれば地を削り岩をも砕く。常に高きから低きへと動くことを止めず、何ものにも 囚われない。それを無理に矯(た)めぬ限り、濁ることも澱むこともない――」 「水――ですか・・・・」 「心も、常にそのようでなければならぬと――そう思います」 「水徹――」 官兵衛は口の中で何度もそれを呟いた。
一般に、この号の由来は、「水は方円の器にしたがう(荀子)」、「身は褒貶毀誉の間にあ
るといえども、心は水のごとく清し」という中国の古語によったものとされている。 如水――水のように この「水」とは、半兵衛のことではなかったかと思うのである。
|
この作品は、 「ネット小説ランキング」さんに登録させて頂いております。
投票していただけると励みになります。(月1回)