歴史のかけら
96これは突き詰めれば、「敵城への物資の補給をいかに遮るか」という戦いであると言って いい。
三木城に篭る別所氏にとって最も重要な補給線は、海路であった。 軍議において、 「一刻も早く高砂城を奪い、海からの糧道を断たねばなりません」 と小寺官兵衛が指摘したのも当然で、藤吉朗や半兵衛もこれに深く頷いた。
高砂城は、別所氏の重臣・梶原景行という男が守っている。 「高砂城は要害ですが、これに篭りおる兵はわずか五百ばかりでござりましょう。毛利の援軍 さえ来なければ、怖るるに足りません」
と官兵衛は続けた。 「水軍とは厄介なもんじゃな・・・・」
小一郎はつくづくそう思う。 「高砂の梶原氏にしてもそうですが、英賀の三木氏や明石の魚住氏のように海辺に城を構える連 中は、瀬戸内の海賊衆を通じて毛利との繋がりが深いのです。彼らが織田に靡こうとせぬのは、 要するに毛利水軍が怖ろしいからでもありましょうな」 官兵衛が解説してくれた。 「じゃが、来るか来んかも解らんものに怯えておるわけにもいくまい。敵の糧道を虱潰しにせぬ 限り、いつまで経っても三木城は枯れんのじゃ」
藤吉朗がまばらに伸びた顎鬚をひねりながら言った。
藤吉朗は、加古川河口からわずかに北――今津という入り江に軍船を配して加古川を封鎖す
るよう命じ、十月中旬、大塩正貞、中村一氏、木下昌利らに千余の兵を授けて高砂城攻略に派
遣した。
城将・梶原景行は武勇で鳴った男である。羽柴軍の猛攻を楽々と引き受け、機を見て自ら三
百の兵を率いて城を出戦し、逆にこれを追い散らすほどの奮戦を見せた。
ところで、高砂城の外郭の海側には、これに隣接するように高砂神社がある。牛頭天王を
祭神とする小社で、その境内には枝ぶり見事な松の巨木がとぐろを巻いた龍のような姿で蹲っ
ていた。
羽柴軍の火攻の火の粉は当然ながらこの高砂神社をも襲い、拝殿や社殿はやがて火を発し、
名高い霊松をも焼き尽くすという結果を招いた。 「ご神木を焼くとは何と無道な!」 「神敵を許すな!」 羽柴軍の暴挙に、梶原勢の軍兵たちは怒り狂った。
この事件が象徴するように、播州人たちにとって羽柴軍はまさに侵略軍であった。彼らの敵対
意識は、突き詰めれば生まれ育った故郷を外敵から守るという素朴な郷土愛に根差している。 (織田の軍門になど死んでも降れるか)
という播州人たちの想いは、信長を仏敵と憎み、織田家を嫌悪する一向門徒たちの感情と匂い
が極めて近い。「織田」という共通の敵を持つ彼らが連帯意識を持ち、その敵意を高め合い、集
団心理を形成してゆくのは成り行きとして当然であったろう。
城将・梶原景行は、羽柴軍出陣の報を受けるや、すぐに早舟で毛利氏に援軍を求めている。 「当家に頼る者の難儀を見捨てたとなれば、今後当家へ随身する者もなくなるであろう。三木 で戦う別所を援ける意味でも、これを捨て置くわけにはいかぬ」 援軍派遣を即決し、その二日後には人馬を満載した二百余隻の軍船が播磨灘に漕ぎ着けた。
播磨の政情を探知し抜いている毛利軍はすぐには加古川河口へは入らず、軍勢を二手に割
り、一軍を高砂から西へ一キロばかり離れた伊保の浦に上陸させ、一軍はそのまま舳先を連ね
て海路東進し、高砂へと進んだ。
高砂城を攻めていた羽柴軍は、不覚にも毛利軍の動きを探知できていなかったらしい。気付い
た時には海上は無数の軍船によって埋め尽くされていた。
無論、高砂城の梶原景行もこの機を逃さない。 「ご神木を焼いた罪人どもを一人も生かすな!」
と叫ぶや自ら五百の全軍を率いて城門を打って出、羽柴軍の中央を突き崩した。 「寄手(羽柴軍)は中に取り篭められ、うろたえ廻るを爰(ここ)ぞと切付、かしこに薙伏 せ、多く海中に突込んで首を取ること限りなし」
と『播州太平記』にあるように、まったく一方的にやられてしまったらしい。
ここで、不思議なことが起こった。 羽柴軍の大敗を知った藤吉朗は当然驚き、また怒りもした。 「同じ過ちを二度繰り返すわけにはいかん・・・・」
毛利水軍対策に本腰を入れることを決め、国中の船という船を掻き集め、それでもまったく足
りないと見るや近隣から大工や樵(そま)を呼び集め、さらに人夫までつぎ込んでどんどんと船
を建造させ、室津、砂越、網干、飾磨といった海浜に軍船を並べて封鎖し、城がない海辺には砦
を築いて毛利軍の上陸を警戒する態勢を作るよう命じた。
すでに高砂城は外郭である三の丸を焼き落とされており、防戦能力が激減している。梶原景行
がいかに奮戦したところで大兵力の羽柴軍を跳ね返せるはずもなく、再び毛利氏に援軍を頼んだ
が二度目であるために即応してもらえなかった。
高砂城は結局、孤立無援のまま落ちる。
(毛利っちゅうのは不思議な戦をする。強いのか弱いのかよう解らんな・・・・) などと不遜な感想を持った。 毛利軍は戦術レベルの戦いにおいては確かに強い。兵は精強だし将の質も高く、兵力という 点でも羽柴軍を大いに上回っている。しかし、戦略レベルの用兵がいかにも中途半端で、上月 城にせよ高砂城にせよ、ひとつの合戦の勝利をその後の大勝に繋げようという執念とか執着と かいった部分に欠けるように思えた。 (何ゆえ毛利は我らに攻め掛かって来なんだのであろう・・・・)
毛利軍が三木城の付近まで迫り、城を囲む羽柴軍を後巻き(逆包囲)していれば、羽柴軍は
よほどの窮地に追い込まれたに違いないのである。
たとえば小一郎が毛利氏の立場なら、すぐさま三木城へ兵を進めるという決断をするかどうか
は別にしても、とりあえず高砂城を改修補強してそこに軍を留め、播磨の陸海の拠点にしただろ
う。 (もし毛利軍がそのまま高砂に陣取っておれば、これは一大事やったはずじゃ・・・・)
と、小一郎は思うのである。 その程度のことを、まさか毛利氏が解っていなかったということはないであろう。
実は少し前にも同じようなことがあった。
毛利軍の阿閉城攻めが四月一日、織田信忠らの援軍が播磨に入ったのは五月上旬――この間、
実に一ヶ月以上の時間がある。しかも、あの時ならば播磨には別所系列の豪族がまだほとんど無
傷の状態で残っていた。神吉氏、櫛橋氏など有力豪族はもちろん健在で、西からは毛利氏の大軍
が陸路で上月へ向けて進軍中でもあり、播磨の政情がもっとも危険だった時期と言っていい。 それほどの好機を見逃して、あの時も毛利軍はあっさりと播磨を去ったのだ。
今回の高砂城の場合にしてもそうだし、その前の上月城の場合にしてもそうだが、毛利氏が本
気で播磨を取る気なら――本気で織田と戦う気なら――撤退よりもっと効果的な選択肢はいくら
でもあったはずなのである。
ある日の軍議で、小一郎は舌足らずな言葉でそのことを指摘してみた。 「そもそも毛利は、天下を取るつもりで織田と争うておるわけではありますまい。織田家 が大きくなり、それに飲み込まれぬために戦わざるを得なくなったというのが正直なところで しょう。本音を言えば、毛利家の領国さえ侵されぬならば、織田と手を結んでも良いとさえ思 っておったやもしれません」 つまり毛利は、播磨への領土的野心から動いているわけではない――と官兵衛は言う。 「要するに毛利は、播磨で織田の中国侵攻を阻み、出来る限り時間を稼ぎたいと思うておるだ けなのです。そのために、別所や摂津の本願寺に奮戦してもらいたい。しかし一方で、備前の宇 喜多の様子も怪しい。宇喜多が敵に回れば毛利の領国は剥き身になるわけで、これは一大事で す。領国から大兵力を動かすわけにはいかなくなる。毛利の動きに不自然さが匂うのは、その あたりに理由があると私は勘考します。上月に大挙して押し寄せた時のような――本国を空に するような大動員はもはや難しい。しかし、織田と戦うておる別所や本願寺を見捨てたと思わ れるわけにもいかない。そんなことになれば、毛利は反織田の盟主としての信を失い、これに 頼る者がいなくなる。だから結局、水軍を使って兵力を小出しにするような戦になってしまう のでしょう」 まさに立て板に水である。官兵衛はさらに言葉を継ぐ。 「毛利は、このように織田と戦い、織田と戦う者を応援しておると、世の人々に見せたいだけ なのです。そのくせ、播磨に大挙乗り込んで織田と決戦するような度胸はない。せいぜい、本 願寺に兵糧を運び入れるような――自らは血を流さぬ援け方しかしようとしない。不遜な言い 方ながら、そんな性根の者が右府さま(信長)と天下を争うこと自体が誤りであると――私は 思います」 官兵衛は――自身が中国者であるにも関わらず――毛利氏への評価が辛い。播磨の諸豪が毛 利に靡く中、一人で織田加担を叫び続けたほどの男だから、それも当然なのかもしれないが、 もしかしたらこの男なりの天下取りの美学のようなものがあって、それが毛利氏のやり方に合 致しないのかもしれない。 「半兵衛殿も、同じお考えですか?」 小一郎が訊くと、 「そうですね。官兵衛殿の申されたことは大筋で間違ってないと思います」 半兵衛は静かに頷き、 「毛利には毛利の事情があるということですよ。今回の事は、官兵衛殿のお働きが効いておるの でしょう」 官兵衛に微笑を送った。 「官兵衛殿の働きというと――」 (宇喜多か――)
小一郎はすぐに察した。 「ですが、宇喜多直家はまだ織田についたわけではないでしょう。しかと返事を寄越さぬま まと――」 小一郎はそう聞いている。宇喜多直家は慎重で、返事を曖昧にしたままなかなか内応の確約 はくれないのだという。織田と毛利を両天秤に掛け、勝つ方を見極めようとしているのだろう。 「疑心、暗鬼を生ず――と申します。宇喜多が実際に寝返るというようなことはしばらくはな いでしょうが、それを知っておるのは我らのみ。毛利の側が『宇喜多はいつ寝返るかもしれぬ』と の疑いを抱いておるだけで、十分に効き目は出るのですよ」 「安芸では百姓までが『宇喜多はすでに織田に通じておる』と思うておりましょう」
と、官兵衛がしたり顔で言った。 「宇喜多直家殿といえば、こういう話がある」 すでにお聞き及びかもしれませんが――と言いながら半兵衛は続けた。 「先の上月城の戦――宇喜多殿は、病気と称してご自身は出張って来なかったでしょう? お そらく宇喜多殿は、上様が織田家の主力を率いて上月に来援し、織田と毛利の決戦となり、結 果、織田が勝つ――と見ておったのだと思います。しかし、実際は、我らは上月を捨て、戦は 毛利が勝った。目算が外れた宇喜多殿は、慌てたでしょうね。再び毛利に礼を尽くさねばなら なくなった・・・・」 宇喜多直家は、上月城合戦が終わるや、病は小康を得たとして上月までのこのこ出て来、毛 利軍の戦勝を寿ぎ、祝宴を張って戦陣の苦労を労(ねぎら)いたいから、帰路に自分の城(岡 山城)へ寄ってくれと、毛利の両川(吉川元春・小早川隆景)を招いたのだという。 「ところが、『宇喜多殿は両川を暗殺し、その首を手土産に織田に寝返る腹である』というよ うな風評が立った――」 その話を再び官兵衛が受けた。 「毒を盛るのは宇喜多直家お得意の謀略ですからな。それを聞いてしまえば、いかに毛利の両 川とて寝覚めが悪い。吉川元春殿は美作から山陰へと、小早川隆景殿は播磨から船で備後へと、 わざわざ備前を避け、逃げるように帰国したということです」 「噂の出元を私は知りませんが――」 半兵衛は意味ありげな微笑のまま官兵衛をわずかに見た。 「いずれ火のないところに煙を立てた者があったのでしょうね」 官兵衛はその視線を静かに受け流している。
疑心暗鬼―― 「すると――毛利はもう播磨には出て来れない、ということになるのでしょうか? 毛利は別 所を見捨てると?」 備前の宇喜多を疑うなら、毛利は播磨に大軍を送ることはできまい。 「それなら我らは楽ですが――そう上手くはいかないでしょうね。毛利にとって別所や本願寺 は、まさに盾なのです。盾がなくなれば、我が身で織田の攻めを受けねばならなくなる。そう ならぬために、打てる限りの手を打って来るはずです。毛利は何といっても中国十ヶ国を切り 靡かせた西国の雄――侮っていい相手ではありません」 安易な楽観を諌めるように、半兵衛がぴしゃりと言った。
その毛利氏は、驚天動地の巻き返し策を持っていた。 荒木村重が、毛利氏に通じて織田家に叛いたのである。
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