歴史のかけら
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上月城を奪った藤吉朗が、山中鹿之介率いる尼子遺臣団をその城番に入れた、ということはすで
に触れた。
この隙を、宇喜多氏に衝かれた。 間者を放つなどして宇喜多氏の動静には注意していた小一郎だったが、 「上月が敵に奪われました!」
の報には仰天させられた。 (兄者不在のこの時に、何ちゅう不手際を・・・・!) 藤吉朗が播磨を去って以来、そうでなくとも播磨の国衆の間で織田の信用が低下している。毛利 傘下の宇喜多氏にこうも鮮やかに城を奪われては、織田の武威がさらに見くびらることになるであ ろう。
上月城陥落の悪影響は、すぐに現れた。 「ただちに上月に兵を出し、宇喜多を討って城を奪い返しましょう!」
蜂須賀小六や浅野弥兵衛は、今にも駆け出さんばかりの勢いで息巻いた。 「今は、軽々に動いてはなりません」
半兵衛の危惧は、播磨の豪族たちの動静であった。 「上月はいずれまた奪い返せば済むこと。宇喜多が上月からさらに東へ出て来るなら別ですが、上 月で満足しておるうちは、我らが迂闊に動くべきではありません。殿が播磨にお入りになるまで、 ここは辛抱すべきです」 と釘を刺した。 (半兵衛殿の申される通りじゃ・・・・) もともと播磨の西部は毛利氏の影響力が強い。今はとりあえず静まってはいるものの、たとえ ば飾磨郡の宇野氏や英賀の三木氏などは当主も領民たちも本願寺の熱烈なシンパで、織田に心から 服従してないことは周知の事実なのである。 (羽柴なぞ怖れるに足らん)
と彼らが思えば、たちまち毛利側に寝返ってしまうであろう。 小一郎は宇喜多との合戦を避け、蜂須賀小六と浅野弥兵衛に千余の兵を預けて龍野城に入れ、西 方の押さえとすると共に、揖穂郡と赤穂郡の豪族たちに宇喜多氏に対する警戒を呼びかけ、小寺官 兵衛には播磨西部の諜報を活発化するよう命じた。
驚いたのは、尼子勝久と共に京から戻った山中鹿之介であったろう。 「この汚名は、自らの手で雪(すす)ぎます。上月攻めをお許し願いたい!」
姫路に入った鹿之介は、噛み付くような勢いで小一郎に懇請した。 「羽柴の軍を動かせぬ事情はよう解りました。なれば、我ら尼子の者だけで城を奪い返してみせます る。それならば、そちら様のご迷惑にはなりますまい」 織田家の中国征伐を機に鹿之介が諸国の尼子遺臣に主家再興を呼びかけたため、二百ほどだった 尼子党は五百を越えるまでに増えていた。さらに京から主君を迎えたこともあり、その士気は沸き 立つように膨れ上がっている。上月奪還の鹿之介の意気込みは相当なもので、これを無理に押しと どめれば、勝手に出陣してしまいかねない剣幕であった。 「止めて聞くご仁ではないようですね」 半兵衛が苦笑し、目配せしたので、小一郎も渋々これを許可することにした。 「上月にどれほどの敵勢がおるのかさえよう解りません。くれぐれもお身を大事に、無理と思えば 兵を退いてお戻りくだされ。進むを知って退くを知らぬは、葉武者の心得。将たる者の取るべき道 ではありませんよ」
半兵衛の忠告を耳に入れたものかどうか――
この尼子勢による上月攻めは、小一郎が予想もしなかった展開を見せた。 尼子勢に付けた軍監から上月城奪還の詳細を聞いたとき、半兵衛すら驚きを隠さなかった。 「この中国筋においては、鹿之介殿の武名は、我らの想像を絶するほどの威があるのでしょう ね・・・・」
山中鹿之介は、余勢を駆ってさらに利神城まで攻め、尼子勢の独力でこれを見事に陥落させた。 小一郎はほとんど呆れるような気分で、 (あの鹿之介という男の価値を、わしはまったく計り間違えておったらしい・・・・) と痛烈に思った。
二月に入っても毛利方に大きな動きは見られなかった。
長浜に帰国している藤吉朗から再出陣の報せがあったのは、そろそろ桜がほころび始めた二月の
中旬である。
加古川は、古くは加古とか賀古とか呼ばれていたようだが、いつしか川の名が地名になったらし
い。姫路から海岸に沿って東に五里ほど進んだところにあり、印南野を潤す加古川が海へそそぐあ
たりに開けた集落である。印南野の美しさは『万葉集』の昔からたびたび和歌の主題になり、たと
えば清少納言は『枕草子』で野の美しさについて嵯峨野に次いで二番目にこの印南野を挙げている
ほどだから、文学作品を通じて都人の心象風景にまでその美の素晴らしさは根付いていたものらし
い。
もっとも、藤吉朗が軍議の場に姫路でなく加古川を選んだのは、何も風光明媚なその景観を楽し
もうと思ったからではない。
羽柴勢が腰を据えている姫路はそもそも小寺氏の領地で、姫路城は小寺氏の属城である。別所氏
と小寺氏はこの五十年ほど争いを繰り返している因縁の間柄だから、その小寺氏が領する姫路まで
出向いて来いなぞと命じれば、そうでなくとも小寺氏の下風に立つことを嫌う別所氏はさらにヘソ
を曲げるに違いない。 (何とか、小三郎(別所長治)に出て来てもらいたい)
というのが、藤吉朗の本音なのである。
という命令を別所に伝えたのは、別所重棟であった。 「今さら申すまでもなきことながら、筑前殿は安土様の御代官にて、この中国筋の総大将でござる。 筑前殿を蔑(ないがし)ろになさるは、安土様を蔑ろにすると同じにて、向後、いかなる災厄 がお家に降りかからぬとも限りませぬ。ここはお家のため、是非ぜひ殿御自らが加古川まで足をお 運びにならねばなりませぬ」
と、重棟は誠心をもって甥の長治を説いた。 そういう弟の態度が、兄の吉親には余計に腹立たしい。
別所吉親は、この時もう五十代の半ばである。身の丈は高くないが恰幅が良く、重心が低
いからどっしりと重々しい印象を人に抱かせる。顔はいかにも精力漢といった風に色黒で、眉が太
く、やや吊り気味の目も、鼻も口も大きく、顎がよく張っている。月代を剃る必要がないほどに禿
げ上がった額は脂性なのか鈍く光り、その上に白髪が多く混じった小さな髷がちょこんと乗ってい
た。 (孫右衛門めはすでにお家を裏切り、羽柴に尾を振る犬になりおったわ)
と思えば、今すぐ掴み掛かって殴り倒してやりたいほどの気分であった。 「殿は、加古川まで足をお運びくださるだけで結構でござる。殿のお顔さえ見れば筑前殿のご不審 も解け、国衆どもも安堵して筑前殿に従いましょう。後はそれがしにお任せくだされよ。必ず筑前 殿の手前を繕い、国衆どもを取り纏め、播磨の旗頭として別所の顔が立つようにしてみせまする」
長治に向かって説得の言葉を吐きながら、重棟は針の筵に座らされているような気持ちであった
ろう。暑くもないのにやたらと汗が噴き出し、何度もそれを懐紙で押さえねばならなかった。 (誰がおのれの言うことなぞ聞くものか・・・・!) 理屈でなく、腹に渦巻く感情が吉親にそう命じていた。 吉親は、「孫右衛門めの口車にうかと乗ってはなりませぬぞ」と長治にあらかじめ釘を刺してい る。 「そのこと、よう考えておこう」 と言ったのみで、長治はついに重棟に確約を与えることはしなかった。
重棟が去ると、吉親は家中の重臣を集め、長治を前に評定を開いた。 「例の羽柴が、また播磨に来よるらしい。加古川に集まれと触れがあった」 と、まず吉親が言った。 「毛利征伐、毛利征伐と口ばかり威勢が良いが、備前の宇喜多にせっかく取った上月を奪われるよ うな体たらくでは、お題目通りに事が運ぶとはとても思えんな」
ほとんど皆がこれに同意するように頷いた。 「我らは確かに大将を一人遣わせと右府(右大臣=信長)に申したが、大将には人を選ばねばなら ん。あの羽柴なる猿冠者はそもそも武士でさえなく、先頃まで右府の馬の口取りであったと聞く ぞ。そんな下賤あがりの者の下知を、この別所が膝を屈して受けられようか」 「そんな者に頭(こうべ)を垂れるようでは、播州の国人どもが我らに従わぬようになるのではな いか」 「この別所が従うに足る大将とすれば、右府の子の城介 信忠か、少将 信雄か、三七 信孝か、そ れでなければ柴田修理(勝家)か惟住(丹羽)長秀か――いずれ織田家譜代の長臣でなければなら ぬ。それをわざわざ羽柴なんぞというどこの馬の骨とも知れぬ者を差し下して来たは、右府に何か 魂胆あってのことではないのか」 「そもそも信長という人は、表裏ある大将である。毛利攻めに我らを利用するだけ利用し、ゆくゆ くは我らを滅ぼし、播磨をあの猿冠者めにくれてやろうという算段であろう」
議論というより、ほとんど藤吉朗と信長に対する悪口である。 「信長公の人物を云々してもはじまるまい。また、羽柴がいかなる素性の者であるかなぞ、どうで も良いことじゃ。要は、織田が勝つか、毛利が勝つか――ご当家がどちらにつかれるが良いか、と いうことでござろう」 この淡河定範という男は別所家中では割りあい物の見える人物で、知略もあり、胆力もあり、 戦も上手い。生没年は不明だが、このとき四十の前後であったかと思われる。 「差し当たり、いま考えねばならぬのは、加古川へ出向くか、出向かぬか――」 「我が殿は侍従、あの羽柴なる者は筑前守に過ぎぬではないか。殿が辞を低うして自ら出向かれる ということがあって良いはずがない」
吉親が切り捨てるように言った。 (天下の別所が、土百姓に頭を下げられるか)
というのが吉親の気分なのである。 (面子や体面なぞ、この際どうでも良いではないか) と淡河定範だけは思っているが、吉親は別所の執権であり、家中で最大の権勢家だからそれを口 に出すわけにもいかず、 「殿が出向かれぬとすれば、家中のしかるべき者を名代として遣わすのが良かろうと存ずる。来月 の中頃には、毛利と越後の上杉が共に動くという。ともかくもそれまでは、我らは態度をどちらと も決するべきではない。ご当家が生き残る道は、勝つ方を見極め、勝つ方につくことじゃ」 苦り切った顔でそう言った。 「それは――その通りじゃが・・・・。まぁ、勝つのは毛利で間違いあるまいよ」
この観測は、吉親にとって動かない。 「毛利が山陰・山陽の兵を挙って播磨へ出てくれば、羽柴なぞは戦わず上方へ逃げ帰るのではな いか。我らが織田のために毛利と戦うてやらねばならぬ義理はあるまい」 吉親にすれば、毛利につくのが当然で、このことに議論の余地はない。毛利が勝てば己の実利に も繋がるのである。 「まして、織田なぞにつけば、家中の門徒が黙っておるまい。お家は潰れるぞ」
と、吉親は言葉を重ねた。 「叔父御の申されることはいちいち道理ではあるが――」 ずっと議論の成り行きに聞き入っていた別所長治が、初めて口を開いた。 「事を急(せ)いては破れの端(はし)と成るが世の習い――とも聞く。別所の命運を決するに、 間違いがあってはならぬ」
長治は、個人の感情としては信長を嫌ってはいない。京で逢った信長は常に温顔をもって接して
くれたし、播磨の旗頭として格別に遇してもらいもした。この若者は先の紀州征伐で織田家の動員
力の凄まじさを我が目で見て実感しており、信長に敵対すればどうなるかということが解らぬほど
馬鹿ではなかった。確かに信長は評判が悪く、その悪評を裏付けるだけの悪辣な所業を数々やって
きた男だが、別所に対する信長の態度と言葉に嘘がないなら、これに従う方が良いのではないかと
密かに思っていたのである。 「毛利が動く、上杉が動くと言うても、口先だけのことやもしれぬ。右府公が信用ならぬ大将じゃ と叔父御は申されるが、まずは羽柴のやり方をよく見、織田の心底を見極めることこそが肝要であ ろう。織田か毛利かを決めるのは、その後でも遅くはあるまい」 「なるほど・・・・。殿の申されることこそ道理――」
長治の一言で、とりあえず家中の意見は静観で固まった。 吉親は、長治の意を受け、その名代となって加古川へ出向くことになった。
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