歴史のかけら
65琵琶湖畔の田園はすでに稲の刈り入れを終え、秋蒔きの麦が青々と芽吹いている。 秋色に染まった伊吹の山々と、よく澄んだ秋晴れの高い空。 陽光に輝く琵琶湖を背に、今浜の丘に立ってそれらを眺めていると、 (これが見渡す限り、ぜんぶ兄者のモンになったんやなぁ・・・・) という感慨が、改めて小一郎の心を満たした。 今浜の、羽柴家の新たな城を築いている普請現場である。絶え間なく響く鑿(のみ)や 槌(つち)の音、大工や人夫たちの威勢の良い掛け声や怒声さえもが、今は妙に耳に心地良い。
今浜には遠い昔、北近江を治めた京極氏の城があった。その城跡に目を付けた藤吉朗は、ここに羽
柴家の新たな本拠を置くことを決めた。今浜は陸上・湖上交通の要衝であり、周囲は広やかな平野で
水源も豊富ときている。城下町を開くにうってつけの場所と言えるだろう。 (兄者も晴れて、一国一城の主や・・・・)
墨俣や虎御前山のような臨時の砦ではなく、横山城のような使い古しの借り物でもなければ小谷城
のようなもらい物でもない。 (とはいえ、まだ出来上がるには一年は掛かるか・・・・)
小一郎は一人笑いした。 「あぁ、義兄上、こちらでしたか」 忙しそうに働く人夫たちの間を縫うように義弟の浅野弥兵衛が小走りに寄って来た。 「普請場ちゅうても広いですからな。えらい探しましたぞ」
弥兵衛は健康そうに笑った。 「こちらが、先日お話しました増田仁右衛門(ました にえもん)殿でござる」 「あぁ――」 羽柴家に仕官を希望する人間が、日に二、三人はこうして小一郎の前に現れる。旧浅井家の重臣 や相当に世間に名が売れた名士なら直接に藤吉朗が応接するが、世間的にあまり知られてない有象 無象の一次面接をするのは小一郎の役目になっている。その人柄を見、履歴を聞き、これはと思う 者は藤吉朗に推薦し、あるいは自分の家来として召抱えもする。 「増田長盛と申しまする」
青年は人見知りするタチなのかややぎこちなく、それでも丁寧に頭を下げた。 (おやおや・・・・)
顔を上げた青年は、ちょっと珍しいほどの斜視であった。無精髭が目立つことを割り引けば顔立ち
そのものはなかなか端正なのだが、その目が三白眼で、しかも近視でもあるのか常に眉間に深い縦皺
が走り、本人にその気はなくとも向かい合った小一郎は睨みつけられているような気分である。 「お話は、弥兵衛の方から聞いております。羽柴家のために、お力をお貸し願えるとか・・・・」
と、慇懃に応じた。 ところがこの青年は、 「いや、まだ、その・・・・」 と困惑したようにどもり、助け舟でも求めてか弥兵衛にさかんに視線を飛ばしている。 (ん? 本人はさほど仕官に乗り気でもないのか・・・・?) 小一郎が表情だけでわずかに訝(いぶか)ると、 「この増田殿は、算盤と帳付けの達人でございましてな。箕浦の市(いち)で、その速さと確かさに おいて増田殿の右に出る者なしと評判でござったゆえ、是非にもと引っ張って参りましたわ」
弥兵衛が明るく種明かしをしてくれた。
ちなみにここで言う「帳付け」というのは、以前、小一郎が半兵衛から習った帳面付けの技術のこ
とで、現代でいう複式簿記の原型になったものと思えばいい。 (箕浦の市で、右に出る者なし、か。そりゃ大したもんや・・・・)
小一郎はその技能に素直に感心した。 「こりゃ御見それしました。それほどの業(わざ)をお持ちとなれば、こちらから辞を低うしてお誘 いせにゃならんとこでしたなぁ」
小一郎がいろいろと話題を振り、質問をすると、青年は短い言葉でボソボソと、しかし過不足なく
それに応えた。やたら汗をかいているところを見ると極度に緊張しているらしいが、その顔にあまり
表情はなく、愛想笑いすら浮かべてくれない。何よりひどい斜視のため、目を合わせて話している
感じさえしなかった。 (頭は切れるんじゃろうが、何とのう雰囲気が暗いのぉ)
お世辞にも、積極的に好きになれそうなタイプではない。 「是非ぜひ我が殿にお会いくだされ。増田殿のようなご仁のお力が、新しき羽柴家には大いに必要で ござるゆえな」 小一郎は、藤吉朗に強く推挙することを約束し、後日、この若者を小谷城に招くことにした。 増田長盛は、藤吉朗からその技能と几帳面な性格を買われ、即日、召抱えられた。戦場で敵を討 ったり捕虜にしたという類の功名は生涯で一度もなかったが、兵糧・荷駄の計算や 管理、その輸送業務などをやらせると仕事が実に迅速、かつ正確で、まったく疎漏がなかった。ほど なく羽柴家の財政や経理までを任されるようになり、その数学的素養を遺憾なく発揮し、藤吉朗の中 国遠征などを陰で支える重要な存在になってゆく。やがて藤吉朗が豊臣秀吉となって天下を取ると、 「刀狩り」や「太閤検地」などといった天下行政に大きな功績を立て、さらに小一郎の死後、豊臣家 の内政・財政面を統括する五奉行の一人にまで登り、大和郡山で二十万石の大名になるのである。
この増田長盛が象徴するように、古くから経済が発達した近江の出身者というのは、理財に明る
い者が多い。羽柴家が大きくなればなるほど、治政の才、経理の才がある文吏型の者は重宝され、
重用されるようになるわけだが、藤吉朗に気に入られて文吏派の筆頭にまで登り詰め、小一郎亡き
後の豊臣家に巨大な影響力を持つようになる近江者の代表が、高名な石田三成である。
羽柴家の財布は小身の頃から今日までもっぱら小一郎が握り、寧々の伯父である木下七朗左衛門な
どがこれを補佐して切り盛りして来た。北近江の内治に関しても多忙な藤吉朗に代わって小一郎が見
ることが多かったが、羽柴家が組織として大きくなれば、これまで混然としていた兵站・輜重(しち
ょう)、経理、財政、民政などの分野でもそれぞれ専任者が出来、自然の流れとしてその中で能力の
ある者が責任ある地位に就き始める。 (わしの仕事も、今までとは変わっていかなならんちゅうことやなぁ)
と、小一郎は思う。 (兄者のために・・・・・)
という想いだけは、不思議と小一郎の中でブレることがない。
この天正二年の冬、信長から、全領国の道を整備するよう触れがあった。
信長の指示は、常に具体的で実に細かい。
中世以来、この国にはいたるところに関所が置かれ、土地土地の支配者によって通行税が掛けら
れ、それが人とモノの往来を阻害し、経済の成長と発展を妨げてきた、ということはこの物語で何
度か触れたが、織田領では信長の政策によって軍事目的のもの以外の関所はすべて取り払われてい
る。この上で信長は、悪路をならし、道幅を広げ、川という川に橋を作り、琵琶湖南端の瀬田には
浮き橋まで架け、東山道の番場から佐和山方面へと山を開鑿(かいさく)してショートカットする
新たな街道を通すなど、全国のどの戦国大名よりも領国の街道整備に力を入れていた。軍勢や物資
の移動、情報伝達の速度などが上がることはもちろん、関税の撤廃によって物価が下落し、人とモ
ノの移動も活性化し、物流が加速することで領民たちの生産性と生活レベルまでが向上し、結果と
して大きな経済効果を上げている。
ただし、信長と同時代に生き、彼に追い使われる家来たちにとっては、そう嬉しいことではなかっ
たかもしれない。 (浅井が領主であった頃の方が、暮らしが楽やった――なぞと怨みに思われてはかなわんなぁ)
と、小一郎は思う。 (十二万石はもろうたが、羽柴家の台所は火の車じゃわ・・・・)
疲弊した領民たちの生活を救済し、さらに新領主に対して親しみをもってもらう意図もあって、藤
吉朗は百姓たちの今年の年貢をかなり減免している。さらに今浜の城下町に転居する者に関しては地
子銭(宅地税)と諸役(雑税)も免除する旨、すでに通知しているから、この善政に対しては、庶民
の評判はすこぶる良い。 「また堺の宗易殿にでも泣きつかなならんのぉ・・・・」 小一郎は執務室になっている小谷城の居室で呟いた。経理状況をまとめた報告書を見るにつけ、た め息をつきたくなる。 「せめて二年、戦をせんと国作りに専念させてもらえりゃぁなぁ・・・・」
しかし、織田家の武将にそんな安閑とした時間が与えられるはずもない。安閑どころか、藤吉朗の
この時期の多忙は哀れなばかりであった。 (便利使いするにも、ほどっちゅうもんがあるわ・・・・)
やむを得ず、敦賀の守備は前野将右衛門を将にして二千の兵を預け、生駒親正、御子田正治らの物
頭を付け、残りの兵は築城と城下町作りに振り向け、半兵衛と浅野弥兵衛にその指揮を任せている。
堀家の騒動で、有能な樋口三郎左衛門を失ったのも痛かった。 (新たに召抱えた近江の利口者たちがおらなんだらと思うと、ぞっとするな・・・・)
これに加えて敦賀への兵站事務と財務経理までやっていたら、寝る間もなかったに違いない。 「在所在所の名主、大百姓の方々が揃われましてござりまする」
最近小姓として召抱えた大谷紀之介という少年が、小一郎を呼びに来た。 「そうかそうか。茶菓を――いや、酒を出して皆に存分に飲ませてやってくれ」 小一郎は重いため息をつき、冷え切って水になった白湯で喉を湿らせると、広間へと足早に歩き出 した。
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