歴史のかけら
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この敗戦は、領国の南部を失う結果になった浅井氏にとっては大怪我ではあったが、それでも小
谷城を中心とする北部地域にはまだ十分な余力を残しており、致命傷と言うには遠い。朝倉氏にす
れば、油断していて向こう脛をぶつけたという程度のかすり傷に過ぎず、この敗戦によってようや
く「目が覚めた」といったところであったかもしれない。 いずれにしても、織田と浅井・朝倉の対立の構図が明瞭になったことで、諸国の反織田勢力を大 いに力づけ、その活動を活性化させた、ということは確かであった。
まず反抗の狼煙を上げたのは、四国で力を回復させた三好三人衆である。
その頃の摂津は、織田方の「三守護」によって分割統治がなされている。 和田惟政は、元は近江国甲賀郡の豪族で、先代将軍 義輝が殺されたとき、還俗して三好氏の包囲 から逃れて来た足利義昭を匿い、そのまま諸国を放浪する義昭に付き従い、明智光秀と共に織田家 との橋渡しを務めるなど、義昭の将軍就任に多大な貢献をした男である。幕臣の中では細川藤孝と 共に政戦の能力があり、信長に信頼されて特に摂津の守護と京の治安行政の一部を任された。「三 守護」の筆頭格と言っていい。
池田勝正と伊丹親興は、共に摂津の有力豪族である。
永禄11年に信長が上洛し、摂津に兵を進めたとき、伊丹親興はいち早く織田に寝返り、三好氏に
反抗したのだが、池田勝正の方は三好方として池田城に篭り、圧倒的大軍の織田勢に包囲されなが
ら最後まで抵抗して戦っている。
三好氏は、この池田氏に目をつけた。
このクーデターが、信長が浅井討伐のために北近江に出陣したのと同日の6月19日。
義昭にしてみれば、信長も憎いが、それ以上に三好三人衆が憎い。
足利義輝を殺した三好氏は、義輝の実弟である義昭とは別の将軍候補 足利義栄を擁し、義昭が
まだ諸国を流浪していた頃、これを第14代将軍に即位させた。義昭にとっては幸いなことにこ
の14代 義栄は即位後半年ほどで病死し、結果として将軍が空位になっていたからこそこれをその
まま継ぐことができたのだが、その後の三好氏は義栄の弟を次の将軍に立てようとしており、義昭
を殺すために宿舎の本國寺を襲ったことさえある。
この頃、まだ室町幕府が現実に存在し続けている、ということは先にも述べた。
摂津に赴いた幕府軍は、吹田城(大阪府吹田市西の庄町)を包囲・攻撃中だった三好氏の先遣隊
を破り、一時は敵を追い払った。 7月の下旬――「姉川」から1ヶ月後――になると、ついに三好氏の本隊が摂津に乗り込んでき た。室町管領 細川家の最後の当主である細川昭元や、美濃を追われた斉藤竜興らの残党をも伴い、 その数1万数千という大軍である。本願寺の石山御坊にほど近い淀川河畔の野田、福島にそれぞれ 砦を築き、幕府軍を圧倒する形勢になった。
京から岐阜に戻った信長は、兵馬を休ませつつ、京の村井貞勝などを使って本願寺と水面下の交 渉をさせていた。
言うまでもないことながら、すでに信長は――半兵衛が樋口三郎左衛門から得た情報なども含
めて――複数のルートから「本願寺が挙兵の準備を始めている」という容易ならざる報告を得て
いる。 準備が整ったと見た信長は、 「三好の奴輩(やつばら)を、浪花の海に追い沈めてくれる!」 自ら1万5千の兵を率い、8月20日に岐阜を出陣した。
今度の出陣の行き先や意図、およその旅程などは、すでに前日に早馬によって触れが来ている。
信長がこの夜と翌日、横山城に滞在するということもあらかじめ知らされていたから、小一郎は御
殿を掃き清めさせ、信長やその重臣たちの食事、軍兵たちの弁当なども整え、横山丘陵が燃えるほ
どに篝火を大いに焚かせると、藤吉朗や幕僚らと共に本丸の櫓門の前に並んでその到着を待った。 「猿、大儀じゃ」 近侍と重臣を引き連れて足早に横山を登って来た信長は、叫ぶようにそう言って藤吉朗を短く慰 労した。 「ご無事のご光来、大慶至極に存じ上げまする」
藤吉朗は笑顔で先に立ち、何やかやと賑やかに喋りながら信長を先導して御殿に入った。 (これはこれは・・・・) 目の切れは長く、鼻筋が通り、形の良い薄い唇が真一文字に結ばれている。顎が尖り、その尖 った顎の先に髭がわずかに蓄えられている。細身だが痩せぎすというわけではなく、肩が張り、 腕などもしなやかで、引き締まった肉体、という印象である。純白の小袖の上から漆黒に金を散ら した伊達な羽織をはおっているのだが、篝火に照らされた小袖が夜の闇の中で柔らかく光り、漆黒 の羽織が身動きするたびにキラキラと輝き、神秘的なほどの美しさである。心持ち顔を上げ、胸を 張って歩くその様には自然の威が備わり、正直なところ、これほど威厳に満ちた人間というものを 小一郎は見たことがない。 (信長さまを、摩利支天の化身と言う者もあるというが、なるほど・・・) 摩利支天(まりしてん)は、陽炎(かげろう)を神格化した神であるとされ、「陽炎は実体が存 在せず、傷つかない」というところから、武士の間では武運の神として尊崇されていた。日蓮宗で は特にこの神を護法神として重視しているのだが、織田家は日蓮宗をもって宗旨としているから、 信長に神が憑いているとすれば――現に織田家の大成長というのは神懸かったものであるのだ が――この軍神 摩利支天を措いてないであろう。 (どっちにしても、神々しいほどの美男にまします・・・・) ため息をつくような気分でそのことを思った。 その後、大広間に主立つ者が集められ、信長の謁を賜った。
藤吉朗はもちろん、半兵衛や蜂須賀小六ら、織田家直参の者たちは、「お目見え」といって主
君に直接顔を合わせることができる特権があるのだが、陪臣(家来の家来)である小一郎には、そ
の権利がない。 「汝(われ)も来い。特別に信長さまのお顔を拝ませてやるで」 と言って、「木下家の家老(おとな)筆頭」という資格で特に広間に入ることを許してくれた。 一段上がった上座の背後に織田家の旗――赤地に白抜きの5葉の木瓜(もっこう)紋――が掲げ られ、その前に信長が腰を据えた。向かって右側に織田家の重臣が居並び、左側に藤吉朗と木下勢 の寄騎の将たちが連なった。小一郎はその列の末席――信長から遥か離れた広間の隅に席をもらい、 小さくなって座った。 見慣れぬ者が座に混じっていることに、信長はすぐさま気付いたらしい。 「先ほどわしの顔を見たヤツだな」
調子外れとしか思えぬ大声で突然そう言った。 「お前は誰だ?」と問うたつもりが小一郎に返事がなく、無視されたような格好になった信長は、 早くも額のあたりにイライラと癇が立った。信長にとって自分の言葉を理解できない者はすなわち 無能であり、無能者ほど信長が嫌いなものはない。 「我が弟の小一郎でござりまする。木下家の家老筆頭(おとながしら)を務めておる者でござりま して、お屋形さまに謁を賜りますれば、末代までの身の誉れになると思い、特に末席に座らせ ておりました」 ほとんど反射的と言えるほどの速さで、藤吉朗が声を上げた。難解な信長の言動の意味を的確に 看取するということにおいて、家中に藤吉朗ほどの巧者はいない。 「猿も、老臣(おとな)を持つほどになったか」
信長は、そのことに奇妙な可笑しみを感じたらしい。 「面(つら)を見せろ」
広間の隅で平伏している小一郎に向け、改めて信長が言った。 「二度言わすな」
自分の命令が速やかに実行されないことの方が問題であり、不快なのである。 「お屋形さまがこう申してくだされておるんじゃ。お言葉を賜り、ご尊顔を拝するなぞ、陪 臣(またもの)にとっては望外の幸せぞ。早う顔を上げんかい」 藤吉朗が急かすように言った。 「はっ」 慌てた小一郎はもうどうして良いか解らなくなり、平伏した格好のまま首だけで上を向いた。 「わりゃぁ、タァケか。顔だけ上げてどうするんじゃ。背を立てよ、背を」
藤吉朗が絶妙のタイミングで大笑いしながら突っ込みを入れたから、周囲の者たちが釣り込まれ
るように声を立てて笑った。 「戦陣のこととてろくなお持て成しもできませず、紅顔の至りでござりまするが、ともあれ夕餉を 整えましたので――」 頃も良し、と見たのであろう。藤吉朗が持ち前の大声で言い、自ら一時中座して膳を運んで来、 それを恭しく信長の前に据えた。藤吉朗に続いて小姓が膳を持ってぞろぞろと現れ、各人の前にそ れぞれ膳部を運ぶ。
無論、この膳部は小一郎が宰相して整えさせたものである。 信長はそれらを面白くもなさそうな顔で食いながら、半兵衛に顎を向け、 「猿は怠けておらぬか?」 と聞いた。 「懈怠(けたい)なく、日夜忠勤に励んでおられまする」 箸を置いた半兵衛は、常と変わらぬ口調でゆったりと応えた。
半兵衛は信長から派遣された公式の木下勢の目付け(軍監)で、藤吉朗と木下勢の働き振りを信
長に報告することをその本来の役目としている。事あるごとに信長に報告書を送り、これまで何度と
なく藤吉朗と共に信長の前に伺候していたし、あるいは単独で呼びつけられるようなことも多かっ
たから、信長と話をすることに関してはすでに慣れている。 「お前はいつも猿に甘い」 信長は無表情に顎を振り、 「悪口を言え」
と言った。 「これは難題――」 半兵衛は少し考え、 「木下殿に取り立てた傷などはござりませんが、あえて申しますならば――」 「もったいぶるな。早く言え」 「木下殿はご当家のために日夜働き過ぎるのあまり、女房孝行を致すヒマがなく、未だお世継ぎを 得ることが叶いませず、また女房殿も、岐阜で毎夜のように袖を濡らしておるやに聞いております。 これが、傷と言えば傷でござりましょう。女房孝行に精を出し、家を継がせる子ができれば、自 然、功名の励みにもなり、働きにもなお一層の張りが出るかと思われますが――」 悪びれもせず微笑した。 「この猿に人の子なぞできてたまるか」 話をはぐらかされたと知った信長は鋭く悪態を吐いたが、その顔は笑っている。カラリとした笑 顔で、どこか悪戯でもする悪童のような無邪気な匂いがあり、ひどく人間臭い。それまで信長を覆 っていた氷のような威厳が霧消したかのように、小一郎には思えた。 「わしが猿を働かせ過ぎると言うか」 「とりも直さず、それはお屋形さまが木下殿を寵愛なされておる、ということの証拠ということに 相成りましょう。士にとって、その忠心と力とを認められ、働く場を与えられること――これに優 る喜びはございません。ひるがえって言えば、木下殿が寝る間すら人並みに取ることをせず、日に 夜に身を粉にしておりまするは、ご当家のお役に立ち、お屋形さまのお役に立つことを、自らの喜び としておるからでござりましょう。ご存分にお使いなさることが、木下殿のお為にもなると存じま す」 「口の減らぬヤツじゃ。もうよいわ」 信長は苦笑し、吐き捨てるように言ったが、その表情はさほど不快そうでもなかった。 食事が済むと、信長は人々を散会させ、その日は早々に床に就いた。岐阜から横山城まで は直線でも30km以上の距離があり、途中、峠越えの難所もあるから、さすがに疲れていたのだ ろう。
が、小一郎ら木下家の人々には寝る間はない。
翌日は、終日軍議である。
もう一晩、横山城に泊まった信長は、22日の朝、日の出と共に城を発った。 怒涛のような2日間を終えた小一郎は、戦場で働くよりもぐったりと疲れている自分を発見し て驚いた。 (信長さまのお側近くに長年仕えておる兄者には、頭が下がるな・・・・) 藤吉朗が常日頃、いかに心身をすり減らしているかということが、小一郎にも初めて実感でき たのだった。
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