歴史のかけら
30木下勢が新たな本陣としている将軍御所に近い稲荷社の本殿へ、岐阜から軍令書が届けられた。 「伊勢へ大討ち込みじゃ!」 諸将を前に、藤吉朗が飛び上がるようにして叫んだ。 行き先は南伊勢――伊勢の国司である北畠氏を攻め滅ぼす戦である。 「わしらにも出陣のお声掛かりか!?」 傍らに居た小一郎が思わず尋ねると、 「言わずもがなじゃわ!」 早くも顔に血を昇らせた藤吉朗が怒鳴るように言った。 「一益のヤツの手伝い戦っちゅうのは癪じゃが、此度の戦こそ、我が武名を世に顕わす千載の機 じゃ! こりゃぬかれんぞ! 皆も、手に唾して働いてくれい!」 年明けに起こった「六条合戦」で手柄を挙げ損ね、それ以来合戦から遠ざかっていた藤吉朗である。 久々の武功のチャンスに勇躍した。
織田家の中でそれなりの地位にまで登ったとはいえ、藤吉朗にとっての変わらぬ泣き所は、過去にこ
れといった武功がない、ということに尽きた。 (ここらでなんとしても武功を挙げねば・・・・!)
と、藤吉朗は想いを決している。 「此度は、我が勢の半分を引き連れてわしが自ら出向く。小一郎、京の守りは、お前に任せるぞ」 鼻息も荒く、藤吉朗は言った。 (わしゃまた留守番か・・・)
小一郎は不満であった。決して戦が好きであるわけではないが、主君である藤吉朗が武運を拓くと意
気込む戦である。自分だけが京でのうのうとしているのにはやはり抵抗がある。 「解った。こっちの心配はいらんで、心置きのう働いてきてくれ」 小一郎は自分の役割を藤吉朗の黒子であると思い定めているから、でしゃばることも自己を主張する こともしなかった。 「半兵衛殿にも、京に残ってもらうとしよう。小一郎だけでは、どうにも心もとないでな。堺を押さえ てある以上、敵がいきなりこの京まで迫るようなことはないとは思うが、京が手薄と知れればいかなる 不測の事態が出来(しゅったい)せんとも限らん。万一のときの兵の寡少は、半兵衛殿の知略で補ってく だされ」
京は、必ずしも安全であるわけではない。「六条合戦」以来、三好三人衆は静かにしてはいるが、信
長が伊勢で戦を始めたと知ればいかなる動きがあるかも解らないし、京の守備と将軍 義昭の守護は織田
家にとっての最重要課題であることに変わりはないから、京の守りを疎かにすることは断じてできないの
である。 そういう藤吉朗の気持ちは解っていながらも、小一郎は反論した。 「いやいや、そりゃいかん。半兵衛殿は、兄者について行ってもらわねば」 半兵衛の知略と軍略は戦場でこそ光るものであり、武功を渇望する藤吉朗にとってそれがどれほど有 用であるか解らない。京が危険にさらされる可能性は普通に考えればごく低いわけで、ここはやはり伊 勢へ連れて行って役に立ってもらうべきであろう。 「ええんじゃ。此度は、このわしの采配に任せよ」 藤吉朗はいつもの調子で屈託なく笑った。
藤吉朗にとって、今度の第三次伊勢征伐は、もはや勝つか負けるか、というような戦ではない。信長
の性格を考えれば、すでに伊勢での下ごしらえは十分に済んでいると見るべきで、出陣する以上、勝
つことが九分九厘間違いのない状態にまでなっているに違いない。あとはこの戦のどこに活躍の場を見
出すか、というだけの問題で、武功を挙げられるかどうかはどんな部署を割り振られるか、という点に
懸かっている。つまり、軍議の席ででしゃばって、どれだけ自分を売り込めるかが鍵になるわけで、こ
れこそまさに藤吉朗の得意分野なのである。半兵衛の出る幕などは、そこにはないのだ。 (一度は己の手で武功を挙げて見せねば、誰もわしを認めようとせん) ということが藤吉朗には痛いほど解っており、今度の伊勢征伐はその格好の機会と言えるで あろう。 小一郎には、そこまでの藤吉朗の心中は見抜けない。なおも半兵衛を同道するよう言い募ったが、 藤吉朗は頑として己の説を曲げなかった。 「半兵衛殿、小一郎の仕事を援けてやってくだされ」 「承知しました」 半兵衛は常と変わらぬ穏やかな表情のまま、素直に藤吉朗の言いつけに従った。 藤吉朗は軍勢をすぐさま編成すると、翌日には将軍 義昭や幕府の面々に挨拶を済ませ、京を発った。 「木下殿のお気持ちは解らぬでもないですが、少し気負いが過ぎるようですね。無理をなさらねば良 いのですが・・・」 出立を見送るときの半兵衛の言葉が、妙に小一郎の心に引っかかった。
信長は、昨年の第二次伊勢征伐以来、滝川一益に命じて北畠氏の重臣に対する調略を続けていたの
だが、この8月、ついに木造(こつくり)城(久居市)の木造一族を寝返らせることに成功していたので
ある。
北畠氏としては、裏切った木造氏を放置するわけにはいかない。当主の北畠具教(とものり)自ら8千
の兵を率いて木造城へ攻め寄せた。これに対し、伊勢の織田勢は木造城に兵力を集中し、敵を防ぎつつ
信長に援軍を要請する。
信長が率いた軍勢は、尾張、岐阜、南近江の兵約3万。これに徳川家の援軍と伊勢の織田勢力が加わっ
たから、その総数は4万5千ほどにまで膨れ上がった。
8月20日に岐阜を出陣した信長は、その日のうちに桑名まで至り、さらに軍を南下させて23日に木
造(こつくり)に着陣した。 大河内城は、小高い丘陵の先端に築かれた平山城で、東に坂内川、北に矢津川がそれぞれ流れて堀の役 目を果たし、丘陵の南と西は急峻な崖という天然の要害である。本丸に二の丸、西の丸という郭(くる わ)を持ち、西の丸と本丸の間には「まむし谷」と呼ばれる深い谷までが横たわっており、要所に配され た空堀と土塁、木柵なども厳重で、防御要塞としてはかなり堅い。
さらに、大河内城のすぐ北には前線基地とも言うべき阿坂城がある。
木造では、雨に降り込められた。
信長の腹は、すでに決まっている。阿坂城を圧倒的な兵力で突き崩し、伊勢に散らばる他の小城に
は目もくれず、北畠具教が篭る大河内城を直撃してやるつもりなのである。 「誰ぞ、言え」
とだけ、信長は言う。 席上、真っ先に発言したのは藤吉朗であった。 「そもそも此度の伊勢討ち入りは――!」 と持ち前の大声で弁じ始めたから、並み居る諸将は露骨にイヤな顔をした。 (あの猿ずれが、何を偉そうに・・・!)
という腹立ちが、織田家に古くから仕える諸将にはある。 「是非ともそれがしに、此度の先陣をお申し付けくだされ!」 などと言い出したから、伊勢方面の軍団長である滝川一益や譜代家老の柴田勝家などは見開いた目か ら血を噴き出さんばかりに激怒した。 「伊勢の先陣なら、このわしが承るが筋と言うもの!」 と滝川一益が叫び、 「ご当家の先例に従えば、このあたりの伊勢衆に先手(先鋒)を勤めさせるが常道じゃ。藤吉朗、う ろたえたか!」 と柴田勝家が怒鳴った。 「いやさ!」 当然ながら、その程度のことでは藤吉朗は引き下がらない。 「此度の戦は、敵の大将が篭る大河内の城こそが要でござる。阿坂の城なぞは大事の前の些事。この 些事に、お歴々がそのように血相を変えては戦の大事を失いますぞ。阿坂の城なぞはこの藤吉朗が一息 に攻め潰してみせましょうほどに、お歴々は余力を残し、大河内攻めにこそ死力を振るわれれば如何 でござろうか?」
と、正論を巧みに織り交ぜて諸将を沈黙させた。 案の定、 「猿、よう言うた!」
と、信長は言ってくれた。 「それほどの広言を吐いたからには、一息に攻め落とせぬときはその素っ首打ち落とすぞ!」
と、信長までが怒気を発してしまったのである。 「お聞き入れくださり、有難き幸せにござりまする! されば、ご当家の慣例に従いまして伊勢の 者どもを率き連れ、ただちにまかりまする!」
本来、滝川一益に付属するはずの伊勢衆を寄騎としてもらい受けることを勝手に宣言し、そそくさと
軍議の席から出てしまった。 (こりゃ窮地とちゃうぞ! 好機じゃ!) 疾駆する馬につかまりながら、藤吉朗は何度も心中で叫んだであろう。 (ここで武功を挙げてこそ、わしのその先があるっちゅうもんじゃ。それもできんほどの男なら、いっ そこの戦で死ね!) この時代の多くの武士たちと同様、藤吉朗も「運」というものの信奉者であった。己が背負っている 運が小さければ、どれほど膂力や才覚に優れていようとも、どれだけ懸命に働いても、ついには没落し てゆかざるを得ないというのが、この乱世の冷徹な掟なのである。 (武運――!)
藤吉朗は、己のそれを信じている。
先日来の雨は、この夜から小降りになり、空が白む頃には上がってしまっていた。 (見よ、わしにはやはり運があるわ!)
藤吉朗は思ったであろう。
阿坂城には、大宮含忍斎という入道武将が率いる大宮党が1千ほど篭っている。 そういう意味合いから言えば、この戦は、敵を殲滅することが目的ではなかった。城さえ取れれば、 極端に言えば敵の首などは1つも挙げられなくても構わないのである。藤吉朗は、特に城の囲みの搦め 手側の一角だけは、意識的に開けておいた。逃げたい者は、そこからどんどんと逃げてくれれば良い。 「掛かれや!」 朝日が昇ると同時に、藤吉朗は徒歩立ちになり、槍と采配を両手に握り締め、懸命に急勾配の山道 を駆けた。
このときの藤吉朗の覚悟と意気込みがいかに凄まじかったかというのは、大将である藤吉朗自身が最
前線に立ち、山頂の敵城の塀際まで寄せに寄せ、敵の矢によって負傷してしまったことでも解るであろ
う。肩口の鎧の隙間に深々と矢が突き刺さり、藤吉朗はそのあまりの痛さに思わず転げまわるほどであ
った。
寄騎の伊勢衆の戦意は決して高くはなかったが、大手門攻めに配された木下勢の奮戦振りは藤吉朗の気
迫が乗り移ったかのように凄まじく、阿坂城は結局、1日で落ちる。
藤吉朗から報告を受け、全軍を引き連れて阿坂城まで進んできた信長は、先日の怒気を忘れたかのよ
うに藤吉朗を機嫌良く褒めてくれ、たまたま傍にあった蜜柑を3つほど掴み、投げ与えてくれた。 「有難き幸せ! これしきの働きで、もったいないことでござりまする!」 藤吉朗は満面の笑みでそれを頂戴したが、内心はさほど喜んでいるわけでもなかった。 藤吉朗を暗澹たる気分にさせていたのは、木下勢の損耗の甚大さだった。もっとも苛烈な大手門攻め を受け持った木下勢は、手負い、人死に数知れず、といった状態で、敵より遥かに凄まじい被害を受け ていたのである。
古来、城攻めは守備側の10倍の兵力が必要と言われ、鉄砲が普及してきた昨今においてもやはり
4、5倍の兵力は必要だとされている。城攻めに損耗はつきもので、これは当然のことなのだが、それ
にしても敵が意気盛んな状態で力攻めを掛けたときの被害の凄まじさを実感するのは、藤吉朗にとって
もこれが初めての経験であった。 (一度はええが、こんな無理な戦を続けておっては、そのうち誰もわしについて来んようにな る・・・)
ということを、底冷えするような気分で藤吉朗は思った。 (城攻めには、工夫が要る・・・。力攻めなどは下の下策じゃ・・・) ということを、肩口の矢傷の痛みをもって実感として学んだ場所こそが、この阿坂城であったに違い ない。
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