歴史のかけら
26京の六条にある本國寺は、数多の篝火によって闇中に浮かび上がるようであった。 忙しげに歩き回る人影たちが発するわずかな甲冑の音や、足利家の紋章である「二つ引両」が染め抜 かれた幔幕の中で交わされる男たちの声音なども、降り積もった雪の中に吸い込まれてしまうようで、 小一郎は不自然なほどの静寂の中に居る自分を発見し、目が覚めたような驚きを覚えた。 厚い雪雲に覆われた空は漆黒としか表現のしようがない闇色で、月もなければ星もない。しかし、視 界の中の雪景色は篝火を反射してかやわらかな光を発しているようで、闇に慣れた目には不思議なほど 明るかった。
木下勢がたむろする山門のあたりへと歩きながら、小一郎はふと夜空を見上げた。 「小一郎殿・・・・」 傍らを歩いていた半兵衛が、立ち止まった小一郎の耳元で囁くように言った。 「明日のことですが――」 幻想の世界から現実に引き戻されたような気分で、小一郎は振り返った。 「なにか?」 「この戦、我らが働き過ぎるのは禁物です。ほどほどになされるがよろしいかと・・・」 「ほどほど、ですか・・・」
とっさにはその真意を測りかねた。 「木下殿が京におられたなら、この戦はかの人の武名を世にあらわす好機。我らはそれこそ刀の鍔が割 れるほどに働かねばなりませんが、この場にいらっしゃらぬ以上、我らが人目を惹くほどの武功を挙げ るのは、いささか――」 憚るところが多い、という意味が言外に込められていると、小一郎は察した。 軍隊が人間の集団であり、人間が感情の動物である以上、主将が不在の状況で隊が大きな活躍をする のは、必ずしも好ましいこととは言えないであろう。 小一郎や半兵衛が木下勢を率い、この戦で華々しい活躍でもしようものなら、士卒の心が、その場に いなかった藤吉朗から小一郎や半兵衛に向いてしまうというようなことに繋がるかもしれないし、ある いは何の役にも立たなかった藤吉朗に対して侮りや軽蔑といった感情を持ってしまうかもしれない。ま た、共に戦って武功を挙げた者たちとその場にいなかった藤吉朗とは、同じ矢弾をくぐり、艱難を共に し、その上で成果を得たという軍隊組織の一体感にとってもっとも重要な気分や雰囲気が共有できない わけで、そういうことをことさら口に出す者はいないにせよ、今後の木下勢の統制に何かしらの悪 影響が出ないとも限らない。
そういう気分は、藤吉朗にとっても変わらないだろう。己が不在の木下勢が華々しい武功を挙げたと
聞けば、それを無邪気に喜ぶような気持ちにはなれないに違いなく、その場にいられなかったという慙
愧の想いが自分の内に向けば、武名をあらわすチャンスを逃した己の見通しの甘さを呪うかもしれず、
自分の外に向けば、出すぎた小一郎や半兵衛に対して嫉妬に似たような感情を抱くというようなことに
もなりかねず、あるいは功を誇る寄騎の将たちとの間に感情的なわだかまりができるかもしれない。 もちろん、藤吉朗の陽気な個性と度量の広さ、その桁外れの人心収攬の能力を考えれば、ことさら小 一郎あたりが細々した配慮をするには及ばないのかもしれないが、いずれにしても、ここで木下勢が大働 きに働いて武功を挙げるということは、木下勢の人間関係にとってはマイナスばかりが多く、プラスが少 ないというのは間違いがないのである。 しかし―― 「しかし、我らの働きが鈍ければ、そのことで兄者が信長さまからお叱りを受けるっちゅうことにもな りゃしませぬか? それに、わしらに付いてくれておる寄騎の方々にすれば、戦場にあれば武功を挙げた いと当然思うでありましょうから、手を抜いて働けと命じるわけには・・・」 「ご懸念は、ごもっともです。ですから――」 小一郎が辿りつく程度の疑問には、半兵衛は当然のように回答を用意してあるらしい。 「我らは戦以外のところで、大いに働くことにすれば如何でしょう?」 「と、申しますと?」 半兵衛はその先を語らず、一拍おいて逆に小一郎に問うた。 「小一郎殿はこの戦、公方さまを守り抜けば我らの勝ちと、そうお思いですか?」
半兵衛がこういう話し方をするときは、必ずその先に、元の話題を納得させるための答えが用意され
ているということを、日々の付き合いの中で何度も経験している小一郎は知っていた。 「・・・そりゃぁ、公方さまをお守りし、敵を退ければ我らの勝ちでしょう。違うのですか?」 それは、少々お考えが浅い――と、半兵衛は首を振った。 「この本國寺は、あの立派な水堀と練塀で四方を囲まれておりますし、先日来の雪で火矢も役に立たぬ でしょうから、これを守るにさほどの困難はありません。ここに4千からの兵が篭って待ち構えておる 以上、いかなる戦上手がこれを攻めようとも1日2日で落とすことはまず無理です。ですから、純粋に 戦ということだけで言えば、三好三人衆の奇襲の日取りを知り、それを一時防ぐ術(すべ)をととのえた 時点で、我らはすでに勝っておるのです。朝からの戦況がどう転んでゆくか――それが三好三人衆にと って有利であろうが不利であろうが――それは大きな問題ではありません。なぜなら彼らは、背後に松 永勢が現れたという報に接すれば、どういう状況であっても諦めていったん兵を引かざるを得ぬからで す」
半兵衛が現代人ならば、さしずめ、戦略レベルで勝利の条件を整えてある以上、戦術レベルで三好勢
がどれほど奮戦しても織田家の勝利をひっくり返すことはできないのだ、とでも言ったであろう。 「しかし、戦に勝つだけでは駄目なのです」 半兵衛は小一郎を見据えて言った。 「この点がまさに肝要なのですが――たとえ公方さまを守り抜き、敵を退け得たとしても、京の町を焼 かれてしまえば、これは我らの負けです。なぜなら、京が焼ければ岐阜さまは京を守れなかったことに なり、その声望は地に落ち、岐阜さまに好意を抱いていた都人の人心も離れ、織田家が来ねば町は焼か れずに済んだはずだと、我らに対する怨嗟の声が天下に満ち満ちるでしょう。天子さまやお公家衆も迷 惑なさるに違いなく、公方さまも岐阜さまを頼るに足りぬと不安がるかもしれず、そこから飛躍して他 の大名との結びつきを強めようとなされるかもしれません。つまりは――」 この京を守ることこそが、我らのまことの役儀と心得るべきなのです、と半兵衛は続けた。 「三好勢は、兵を引くまさにそのとき、この辺り一帯の町屋に必ず火を放ちます」 退却する三好勢とすれば、織田方の目をくらまし、追撃を邪魔するために――あるいは退却の腹立ち まぎれに――付近の建物に手当たり次第に放火して回るに違いない。 「京を守るためには、その火の延焼を防ぎ、災禍が洛中に及ばぬようにせねばなりません。これに木下 勢をして働かせれば、武功にはならずともその働きは、岐阜さまと木下殿、さらには京の人々までを、 必ず喜ばせることになると思うのです」 「ははぁ〜〜なるほど・・・」
先ほどの話がここに繋がってくるのかと、小一郎はようやく合点した。 (これ以上ない、一石四鳥の働きということか――!) 小一郎は、半兵衛の深い知恵の働きに心の底から感心した。 「追い討ちの武功なぞは、明智殿や新参の京畿の諸将に譲っておやりなされば良い。そんなところで首 の数を競い、小さな功を誇らずとも、我らが武名を挙げる機会はこの先いくらでも巡って参りますよ」 半兵衛は微笑した。 「お考え、胃の腑に落ちました。寄騎の方々にもそのように申し伝えましょう」 小一郎は納得して深く頷き、半兵衛と共に再び歩き出した。
これは、織田家に降った三好義継から得た情報で、半兵衛は昨年のうちに、畿内の地理を調べるつい
でに義継が領する河内(大阪府中部)まで赴き、直接、三好家の主立つ武将の名、その性格や嗜好、戦術
癖などを聞き込んでいたのだが、その成果であると言えた。 小一郎にとって多少意外だったのは、敵が奇襲部隊であるにも関わらず手に手に松明を持ち、本國寺 の櫓からその接近の様子がまる解りであったことと、戦を始める前に本國寺門前の町屋を焼き払い始め たことだった。この寒さだから、あるいは暖を取りたかったのかもしれない。 そのように小一郎が言うと、 「いや、あの大将は、もう少し上の武将であるようですよ」 と、半兵衛は息を白くたなびかせながら応えた。 「恐らく昨夜のうちに何度も物見を出し、この本國寺に篝火が多いことを知り、すでに我らが敵の朝駆 けに備えておると見て取ったのでしょう。奇襲にならぬと解った以上、火を使わずに隠れ寄せることに も、寒さに耐えることにもそれほど意味はないですからね。あのように町屋を焼き立てておるのは、そ こに織田方の伏兵が潜んでいる危険を怖れたためだと思います。なかなか、物に古りた仁と見受けます」 小一郎は自分の浅慮が情けなかった。
空が白み始めると共に、三好勢の先鋒が鬨(とき)の声を上げ、本國寺に向かって矢を射掛け始めた。 守備側の織田勢にとって幸いだったのは、連日降り続いた雪によって本國寺にある屋根という屋根 に20p近くも重い雪が積もっており、桧皮葺の屋根はたっぷりと水気を含んでいて、敵の火矢がほとんど 役に立たなかったことだろう。結局、建物は一棟も燃えず、多少の火がついてもすぐさま織田勢の兵に よって消し止められ、火災による混乱に悩まされるということがなかった。 本國寺に篭っているのは、木下勢と明智勢を主力とする織田勢と、義昭の直臣である幕臣たちの手勢、 合わせて4千数百といったところである。幕臣には細川藤孝と和田惟政をのぞけば武将としての能力が ある者はほとんどいないが、この本國寺にある者ではかろうじて細川藤孝の兄である三淵藤英と、室町 管領 細川家の当主 細川藤賢が少なからぬ合戦経験を持っており、他には義昭が流浪時代からこれに付 き従っている若狭(福井県)の武士たちが数十人いて、これらは多少の戦力になりそうだった。
すでに述べたが、本國寺の敷地は正方形ではなく、南北に654mと長く、東西は218mと狭い。 練塀の内側は、光秀の指示によってすでに足場が組まれており、塀越しに敵を狙撃できる態勢が作られ ている。7mもの水堀と2m近いこの塀が敵を遮り、塀の上からは矢弾が霰のように浴びせかけられる わけだから、そうやすやすと敵の侵入を許すことはないであろう。事実、三好勢は侵入どころか本國寺 に近づくことさえろくにできず、結局、1人の敵兵の突破も許さなかったのである。
早朝は、もっぱら山門の周囲が騒がしかった。
この時代の鉄砲は先込め式のいわゆる火縄銃で、1発撃つたびに銃身を掃除し、銃口から火薬と鉛弾
を転がし入れ、それをさく丈をもって突き固め、ようやく射撃できる。掛かりすぎるこの手間が鉄砲と
いう武器の最大の弱点なのだが、光秀は2百人の鉄砲足軽を3人1組に組織し、腕の良い1人を射撃手
と決め、残る2人を装填作業に専念させ、3挺の鉄砲を順繰りに回すようにして間段なく轟発させ続け
た。
辺りが明るくなり、銃声が喧しくなり始めると、本國寺周辺の大路小路に家財道具を抱えて逃げ惑う
都人の姿が目立つようになった。彼らの多くは長く京を支配していた三好勢の旗印を見慣れていたから、
誰が何処を攻めているのかといったことは瞬時に悟り、本國寺に近づこうとはしなかったが、気が動転
して前後を忘れたものか戦場付近に紛れ込んでしまった慌て者も中にはいて、流れ矢に当たって死んだ
り、三好家の足軽たちに殺され、持ち物を奪われたりする不幸な者も出た。
日が高くなるにつれ、三好勢の数はいよいよ増え始め、小一郎たちも防戦の指揮に忙しくなった。 (結局は、半兵衛殿の読みの通りじゃな・・・・) 小一郎は引き始めた敵を見て思った。
光秀はこの機を逃さず、全軍に追撃を命じた。
あらかじめ光秀に断りを入れていた小一郎は木下勢を追撃戦には参加させず、六条、七条あたりの消
化活動に駆け回らせた。消化活動といっても、火そのものを消し止めることはほとんど不可能だから、
火の手が延焼していかないよう、その家と付近の家屋を取り壊すのである。
丹羽長秀に率いられた南近江勢が京の東方に現れたのは、ちょうど三好勢が退却を始めた頃だった。
この軍勢は、勝ち馬に乗るような格好になったと言っていい。本國寺勢と共に猟犬のようになって敵を
追い、敵の殿(しんがり)部隊を追い散らし、淀川と桂川に三好勢を蹴落とした。 日が暮れてからは銃声も絶え、この日の合戦はほぼ終わった。夜の城攻めはしないのが原則になって いるから、東寺に篭った三好勢の掃討は翌日まで掛かかったが、幸いにも東寺そのものが焼失すること は避けられた。三好勢は松永久秀と争ったときに東大寺の大仏殿を焼き、天下に悪評を撒いたという 苦い経験を持っているから、有名な大寺院を焼くことは躊躇したのかもしれない。 いずれにせよ、世に「六条合戦」とか「本國寺事件」とか呼ばれるこの騒乱は、こうしてわずか2日 で幕を閉じたのだった。
ただ、ひとつだけ確かなことは、「六条合戦」の後も藤吉朗が信長の信頼を変わることなく得続けた
ということである。少なくとも、この騒乱が藤吉朗にとって出世のマイナスになったというような形跡
は、どこを探しても見当たらない。
いずれにしても、各種の史書を見る限りでは、この合戦に竹中半兵衛の名は1行たりとも出てこな
い。
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