歴史のかけら
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信長自身は決まり事や慣習に縛られることを極度に嫌う男であり、嫌うあまりにそれをことごとく否定し、自
分の合理性に任せてまったく新しいものに作り変えてしまうようなところがあって、だからこそそれを理解でき
ない周囲から若い頃は“うつけ”と蔑まれるほどであったのだが、この同じ信長が織田家の大将になるや自分の
部下たちには実直さと勤勉さと律儀さとを求め、同時に粛然とした遵法精神をも求めた。
ともあれ、時代は、力で簡単に道理が引っ込んでしまう戦国乱世である。 これらはすべて理想主義者でありかつ完璧主義者でもある信長の性格に根ざしたもので、信長にとってみれ ばとりわけ意識して何かをしたというようなことではなく、呼吸をするようなごく自然な感覚から発したもので あったのだろうが、絶対王政の臭いが強い織田家のこの家風と、規律に従順な兵たちの行儀の良さが、結果とし て占領した京の治安維持と近畿地方の支配に重大な影響を与えるようになるということまでは、さしもの信長も 想像していなかったであろう。
というのも、京に住む人々は、織田家などという耳慣れない新興勢力の知識はほとんど持ってなかったし、そ の大将である信長がどういう男かということもまったく知らなかったから、この新しい京の支配者に対して極度 の怖れを抱いていたのである。
一般的に言ってこの時代に京に住む人々の多くは、美濃の「不破の関」以東は「未開の東国」だと思っていて、
そのような近畿から遠く離れた大田舎に住んでいるのは教養も礼も持たない野卑な蛮族たちであるというような
いびつな印象を持っていた。 ところが、京に住む誰にとっても意外であったのは、あれほどの強勢を誇った三好、松永の軍勢を一瞬 にして追い散らし、悪鬼のごとき強さを示した織田家の軍兵たちが、非常に厳粛な規律を保ち、誰一人として 無法を働くような者がなかったことであった。
織田家の軍政の特徴は、武士を農業から切り離した専業兵にしていることである。
この中世という時代には、江戸期のように武士と農民の間に明確な境がない。 しかし、この兵農分離は、利点ばかりがあったわけでもない。
一般的に言って、軍兵は農兵が強い。
これに比べ織田家の兵は、そのほとんどが銭で雇われただけの傭兵である。 つまり、織田家の雑兵たちというのは、平素は素行が悪い上にいざ合戦となれば命を惜しんで粘りがまったく なく、兵の質としては極めて悪かった。 こういう田舎者たちの集団が、占領軍という増長しがちな立場で千年の王城の土を踏み、その煌びやかで華や かな文化の匂いが酒の香のように甘く漂う中で、極めて厳粛な軍紀を保つことができたというこの一事をみて も、信長というカリスマの威令がいかに行き届いていたかが解るであろう。
信長は、この劣弱な兵を率いて四方の敵と戦い続け、ついには日本の過半を征服し、天下を取る寸
前まで登りつめた。
(織田さまというのは鬼のように怖ろしき方かと思うたが、存外にお優しい・・・)
そういう感想を、誰しもが持ったわけである。 織田軍上洛の噂を聞いた京者の中には家財道具などを持ち出して田舎に疎開するような者までいたのだが、 信長の占領政策が穏健だったためか京はさしたる混乱もなく数日で平穏を取り戻し、人々はそれまでと変ら ぬ日常生活を送ることができるようになっていた。
ある夜、宿舎に帰ってきた藤吉朗が興奮気にまくし立てた。 「清水寺のご本陣は、門前市をなすほどの賑わいぶりじゃ。京はおろか、奈良や堺からも続々と人が詰め掛けて おってのぉ。公卿、門跡、高僧、神主なんぞは言うにおよばず、富商、医者、連歌師、果ては職人大工の類ま で群れ集まって連日行列を作っておるわ。もったいなくも信長さまがそれらの者たちにすべて面晤(会って話を すること)を許し、上々のご機嫌で応接なされておるものじゃから、京での信長さまの人気はうなぎ昇りぞ」 ほんの数年前まで田舎の新興大名であったことを思えば、京の人々から熱烈に歓迎される信長の姿というの は織田家の誰にとっても誇らしいものであったろう。 「ほぉほぉ、信長さまのご評判は、それほどのもんかぁ・・・」 小一郎が素直に感心すると、 「上洛軍の大将たる者は、まさにそうあるべきでありましょう」 蜂須賀小六、前野将右衛門などと共にその場に同席していた半兵衛が言った。 「古来、京を押さえた者で、京の諸人に憎まれて天下を長く保ちえた例はありませんからね。京は天下の噂の市 が立つ場所でありますし、京者たちは口さがないと言いますから、良きにつけ悪しきにつけその評判は瞬く間に 諸国に伝わります。ですから、この王城の地で人心を掴んでおくというのは、これはこれで大切なことなのです よ」 「ははぁ・・・噂の市とは上手いことを申されますなぁ」 小一郎はその表現の巧みさに関心した。なるほど京は、ちょうど市のように諸国から情報を持った人が群れ集 まり、京で醸造された噂はそれらの人々によって諸国へと伝えられてゆく。信長の京での振る舞いや占領軍である 織田勢の噂も、やがては日本の津々浦々まで喧伝されるであろう。 「世に満ちる声というのは、何の力もないようにも思えますが、その実、怖いものです。天下を望むほどの者な らば、むしろその声を己の思惑に合わせて作り、広め、世の評判を傀儡のように操るほどでなければなりませ ん」 「世の評判を、傀儡のように操ると・・・!」 藤吉朗が目を輝かせた。 「いやはや、さすがは信長さまじゃぁ。天下に織田家の評判を広めるために、ことさらあのように賑々しく振舞 っておられるっちゅうわけじゃな」 感心する藤吉朗を見て、半兵衛は苦笑した。 「世人の機微ということで言えば、岐阜さまなどよりも木下殿がこそ、よくご存知でありましょう」 「わしがでござるか?」 藤吉朗は驚いたように自分を指差した。 「ありゃありゃ、こりゃぁ参ったぞ小一郎。半兵衛殿は、わしなんぞのことを、またどえりゃぁ買いかぶってお られるようじゃわ」 ペシリと首筋の辺りを叩いて、さも嬉しそうに笑っている。 「世の武士と言えば、我が我がととかく自分を誇りたがるものですが、そうやって韜晦し、智を愚で包まれるあ たりが、木下殿の偉さと言うべきでありましょうな・・・」 半兵衛は静かに笑いながら続けた。 「あの『美濃盗り』の折り、斉藤家の家中の者は皆、美濃の半国ほどの国力しか持たぬ織田家の武威を誇大に 怖れ、野良で働く百姓さえもが斉藤竜興殿の暗愚さを呪い、その先行きを半ば見捨てておりました。斉藤家は戦 で負ける以前にほとんど自壊しておったわけですが、あれらはすべて、木下殿の裏のお計らいでしょう。世間 の機微というものを底の底まで知り尽くした者でなければ、あのように緻密にして周到な根回しは、できたも のではありませんよ」 「・・・・・・」 さしもの藤吉朗も、こう理路整然と指摘されては返す言葉もなかったらしい。 「斉藤竜興殿ではのうて、半兵衛殿がもし美濃の太守であられたならば、我らは上洛どころか、美濃を盗ること さえまだできておらぬやもしれませぬなぁ」 気を利かせた小一郎が助け舟を入れると、 「いや、まったくじゃ。斉藤竜興殿に罪があるとすれば、半兵衛殿ほどの人物が家中におるにも関わらず、それ を使うことができなんだその器量の狭さじゃな。そこへゆくと信長さまは、武勇であれ才覚であれ、能ある者で あれば出自も門地も問わずに召抱えてくださり、働く場を与えてくださる。このようなありがたい大将は、本邦 はおろか、唐天竺にもおりゃぁせんじゃろ」
息を吹き返したように藤吉朗が信長を褒め上げた。
中世の臭いを色濃く残しているこの時代、人々の間にはまだ血統に対する信仰のようなものがあり、
人を見るにしてもその能力、才能で見ず、生れ落ちた場所――門閥や血縁で見るような気分が根強く
残っている。つまり、武士として世に立とうと思えばまず侍の子として生まれる必要があり、小さな地
侍や豪族よりは筋目の良い門閥の出であることがより望ましく、藤吉朗のような百姓の倅などはどれほ
どの能力があってもせいぜい足軽にしかなれぬ、というのが世間の常識だったのである。
信長は、人を見るにまずその才能を見た。
もしこの信長という型破りな男が世にいなければ、藤吉朗などはせいぜい織田家の小者頭か、あるいは蜂
須賀小六のような男の子分として為すこともなく世を終わっていたかもしれない。 半兵衛も、そういうことはよく解っているらしい。 「確かに岐阜さまは、千年万年に一人の天稟を持っておられるやに見受けます」 と、藤吉朗に逆らおうとせず、 「私の知る限り、今も昔も、本邦ではあのような人物の型を求めることはできませんね。岐阜さまは、この乱れ 切った戦国の世を鎮めるという役割を、天から与えられたご仁であられるのやもしれませぬ」 と、何やら哲学めいたことを言った。 「天から、ですか・・・」 「唐土(もろこし)の歴史などを見ておりますと、そういう人物というのは、何百年かに1人、世に現れるものの ようなのですよ。たとえば本邦では――岐阜さまとはまったく毛色が違いますが――律令の世を壊し、武士の世 を拓かれた鎌倉の右大将殿(源頼朝)などがそれでありましょう。新しきものを創るというのは、古きものを壊す ということです。考え合わせてみれば、古びきった室町の世を壊し、この乱世に新しき秩序を敷くというような 荒仕事は、岐阜さまのような果断なご気性の方でなければとても務まりますまい」 (あぁ・・・そうだ・・・) 半兵衛の言葉で、小一郎は岐阜の町で抱いた感慨をありありと思い出していた。
信長は、兵農を分離して百姓を戦から開放し、関所を撤廃して人の通行と物流を活性化させ、それまであっ
た「座」の商業的な特権を一方的に廃止して楽市楽座を敷き、商売に自由競争を導入した。これらは、どれ1つ
とっても「中世」では考えられないような大改革なのだが、信長は既得権益にしがみつこうとする勢力の声を無視
して政策を果断に断行した。 信長さまの支配がこのまま日本の隅々にまで及べば、それだけで古い世が消え去り、戦が絶え、乱世とはまっ たく違った新しい世が招来されるのではないか――
「信長」という名には、亡霊のような「中世」の呪縛を徹底的に破壊し、新しい秩序を創造するというような、
これまでの大名同士の勢力争いとはまったく次元が違う輝かしい響きがあるようにさえ思えてしまうのである。 「ところで岐阜さまは、今後、この京をどうなされるおつもりなのでしょう?」 半兵衛が藤吉朗に尋ねた。 「長々と美濃を空け、京に居座り続けるわけにも参りますまい。何か申されておりませなんだか?」 「そのことよ・・・・・」 藤吉朗が難しい顔を作った。 「明後日の22日、朝廷から足利義昭さまに対し、将軍宣下がある」 「おぉ、では、いよいよ・・・」
信長は、三好氏の軍勢を京から追うや足利義昭を新将軍にするよう公卿などを使って朝廷に
工作していた。 「信長さまは、義昭さまの将軍就任を見届けた上で暇を乞い、岐阜へ帰ると申されておった」 「なんと・・・・せっかく取った京を、もう手放されるんか?」
小一郎は意外であった。 「いや、これは岐阜さまのご英断ですよ」 やんわりと小一郎を制して半兵衛が言った。 「半兵衛殿が信長さまの立場でも、やはり京を離れなさるか?」 なぜそれが英断なのかまるで解らん、という表情で、蜂須賀小六が尋ねた。 「はい。京に長居は無用と思います」
誰も半兵衛の言葉の意図が解らず、座が沈黙で包まれた。 「・・・・さっぱり解らんですのぉ。なにゆえですか?」 「世に、男の嫉妬ほど面倒なものはない、ということですよ」 半兵衛はおだやかに微笑しながら続けた。 「確かにいま京を離れるのは、近畿を押さえ続けるという面から言えば難しいところです。京に居座り、 近畿での織田家の地盤を磐石なものにするという小六殿や小一郎殿のお考えも、確かに一案ではある」 半兵衛は、他人がどんな意見を持っていても頭ごなしに否定したりくさしたりはしない。 「しかし、此度の上洛は、そもそも足利将軍家を援けるための出兵。で、あればこそ、朝倉、武田、上杉 などの天下の強豪も、我らの動きを黙視してくれたのです。このまま我らが長々と京に居座れば、織田は天 下に野心がある、と諸国の大名たちが必ず思い、先を越されてはならぬと焦り、いち早く京を制したことを 妬み、躍起になって我らを潰しに掛かるでありましょう。それが怖い――」 将軍を擁し、京を押さえた信長は、なるほど天下取りには絶好の位置にいる。しかし反面、信長の勢力が 伸びれば伸びるほど、それを快く思わない諸大名の不満と嫉妬を買うことになる。 「物事には、順序というものがあります」
織田家の地力が十分に育ち、諸大名の力を圧倒できほどの軍事力を手にするまでは、外交で
それらの勢力をなだめすかして時間を稼いでゆくほか手はないであろう。 「京に大軍勢を置いたままで美濃や尾張を攻められれば、今の織田家の力では防ぎようがありま せん。つまり我らにとっての当面の大敵は、東の武田。少なくとも数年は、かの武田信玄をどう にかして騙し、すかし、虎を穴から引き出さないようできる限りの気配りを重ねていかねばなら ぬということです」 そうしておいて、一方では近畿の実効支配を強めていけば良い。 「いま、近畿の大名小名たちは、将軍家と織田家との間で所属が曖昧になっております」 これらは柿が熟れて木から落ちてくるように、二、三数年のうちには自然と信長を主と仰ぐ ようになるだろう、と半兵衛は言った。 「なぜなら将軍家には一片の土地も1人の軍兵もなく、三好党が再び京に攻め上って来るようなことがあっ てもこれと戦うことができぬからです。近畿の大名小名たちは、結局のところ岐阜さま以外に頼るべき相手 がおりませんから、何度かそういう危機を迎え、岐阜さまが彼らをお救いになり、京をお守りになれば、彼 らとしても岐阜さまこそが自分たちの頼るべき主であるという現実に気付かざるを得ません。そうなれば、 近畿はなし崩しに織田家のものとなりましょう」 だから、近畿には防衛のための必要最小限の軍事力を留めるだけにし、主力は美濃に戻し、南伊勢の北畠氏 や南近江で抵抗を続けている反織田勢力の殲滅を急ぎ、織田家の力を培うべきである、というのが半兵衛の意 見であった。 「京に留まることは、天下に野心を顕すようなもの。今は国許に戻り、伊勢と近江をしっかりと固めること が先でありましょう」 「信長さまは何もおっしゃられぬが、おそらくは半兵衛殿と同じお考えなのであろう・・・」 話を引き取るように藤吉朗が言った。 「わしも、三好などよりも武田が怖い。信長さまのお考えの底の底までは窺い知れんが、岐阜に帰ること については同じ考えじゃ。それは良いのじゃが・・・・」
今夜は珍しく、藤吉朗の顔が冴えない。 「なんじゃぁ? 腹でも痛むか、兄者?」 「腹なんぞより頭が痛いわい」 藤吉朗は苦笑し、 「実はこのたび、信長さまより京奉行の大役を仰せつかってしもうたのよ」 と言った。
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