歴史のかけら
104播磨の桜はすでにほとんどが散り落ち、平井山は輝くような新緑に包まれていた。 「暖かくなりましたし、身体の方もすっかり良くなりましたので――」
平井山に戻った半兵衛は、驚く藤吉朗らに短くそう説明した。 「よう戻ってくれた・・・・!」
藤吉朗は感情の量が多く、感動すればすぐに泣く。この時も半兵衛の両手を握り、溢れて来
る涙の始末に困っているようであった。小一郎ら藤吉朗の幕僚たちも目を赤くし、感動と喜び
をもって半兵衛を迎えてくれた。 人間は、他人との関係の中にこそ己の価値を見出すことができる。誰をも必要とせず、誰か らも必要とされない生き方に、どんな意味や価値があるというのか―― (私を必要としてくれる人々が、ここには居る) それが、人が生きるということであると――半兵衛はあらためて思った。 藤吉朗は、平井山山麓の与呂木村の農家を一軒空けさせ、そこを半兵衛の宿舎にあててくれ た。 「まずは身体を第一に考えてくれねば困る。無理に出仕する必要はないでな。半兵衛殿の知恵 を借りとうなった時は、わしらがここに出向いてくりゃ済むことやで」 藤吉朗はそう言って気遣ってくれたが、半兵衛は、小具足姿に身を固めて毎日のように平井 山を登り、羽柴軍の帷幕に加わった。 播磨に戻って数日で、半兵衛は三木城包囲戦の現状をほぼ把握した。 (私が播磨を離れた時とほとんど変わっていない・・・・)
変化らしい変化といえば、摂津の有馬を取り、三木城東方の別所方の拠点を圧迫したことと、
平井山合戦が行われたことくらいである。 (これではおちおち死んでもおれんな・・・・) 昨年の十一月に信長に拝謁した時、半兵衛は「半年から一年ほどで三木城は落ちる」と明言 してしまっているのである。信長はそうでなくとも気の短い男であり、藤吉朗がいつまでも結 果を出せないようなら、これを更迭して代わりの者に中国征伐を任せるということだってあり 得ない話ではない。 (ともかく糧道を断ち、三木城を封じ、城内を干上がらせる) このことは絶対の急務であった。 「そのためには、包囲の環をさらに狭めねばなりません」
半兵衛は藤吉朗に献策し、羽柴軍に三木城を攻撃させた。 こうして別所軍を城内に封じ込めると、半兵衛は三木城から半里四方をぐるりと囲い込むよ うに陣城を築くよう献策した。柵を植え、土塁をかき上げ、野戦陣地を構築するのである。あ らゆる道を関所をもって封鎖し、山中の樵道には番所を置き、美嚢川には逆茂木を沈め、鳴子 をつけた縄を張るなどして通行不能にする。さらに毛利水軍の襲来に備えるため、三木城南方 の高地や街道筋に砦を築かせ、兵を置いて警戒態勢を取らせる。 半兵衛は、夜ごと絵図を睨んで砦を置くべき場所を決め、日ごとに実地に足を運んで地勢を 見、高所の要害や交通の要地を選んで砦の縄張りをした。毎日、毎日、三木城南方の丘や山を 歩き回り、その構想実現のために汗をかき続けた。 (私の身体がどうにか動くうちに――)
最後の命を燃やすように、半兵衛は三木城包囲陣の構築に没頭した。
この頃、信長は再び摂津に出向いて有岡城の城攻めを監督していた。 それを見届けた半兵衛は、 (たとえ私が死んでも、この備えさえ済ませておけば、もはや大局は動くまい) そう確信した。
もう何をする必要もない。羽柴軍は陣城を堅固に守っているだけで良く、時間が経過すれば
三木城は勝手に干上がり、やがては落城となるであろう。城内の別所軍にはすでに反撃の余地
はなく、毛利軍が救援に来たとしても、三木城への防衛線を短期間で突破することはまず不可
能である。
張り詰めていた気が緩んだのか、連日の激務が身体の限界を超えたのか――
播磨に援軍にやって来た織田信忠らの軍団は、手伝い普請を終えるとそのまま馬を西に向
け、毛利側に寝返った御着の小寺氏を攻めた。 この軍団は返す刀でさらに三木城の東方へと兵を進め、美嚢(みの)郡 淡河(おうご)の別 所方の拠点に対して付け城の普請などを行い、これを殲滅に掛かった。
先述したが、淡河には別所方の有力武将・淡河定範が淡河城で頑張っており、また丹生山一
帯の山々には別所方の砦が多数築かれ、一向門徒や一揆勢がこれを守っていた。
織田信忠を主将とする織田軍は、豊富な兵力にものを言わせてまず明要寺を力攻めに攻めた。
しかし、別所方の抵抗は予想以上に激しく、丹生山の天嶮もあってどうにも攻め倦んだ。
この数日後の五月初旬、信長から新たな軍令書が平井山に届けられた。 「小一郎、丹波へ行ってくれんか」 と言った。 「丹波――ですか?」 「日州殿(明智光秀)がいよいよ丹波攻めの仕上げに掛かるらしい。上様は、大軍をこぞっ て一気に丹波を平らげてしまうおつもりじゃ。わしらには、南から丹波に兵を入れよとのご 命令よ」
明智軍は、京方面――つまり東から丹波を攻めている。丹波の南方と西方から別働軍を入れ、
敵を挟撃しようというのであろう。先に摂津に帰陣した丹羽長秀らは、摂津有馬から兵を北上
させて丹波に攻め入る手はずになっているらしい。三木から北上して丹波に入る羽柴軍とは並
走してゆく形になる。 「播磨も片付かんうちに、また余所の手伝い戦ですか・・・・」 小一郎が苦笑すると、 「阿呆。こりゃわしらの別所攻めにも大いに験(げん)があることやぞ」 藤吉朗は真顔で窘(たしな)めた。
現在、毛利氏の矢面に立って織田軍と戦っている勢力は四つある。摂津石山の本願寺、同じ
く摂津の荒木村重、播磨の別所氏、丹波の波多野氏がそれで、四者は互いに援け合い、励まし
合いながら織田と戦い続けている。この中で、丹波という国は内陸にあるため毛利水軍の支援
を直接に受けられず、波多野氏は非常に苦しい立場に立たされていた。 (四つの敵のうち、もっとも弱っている波多野をまず潰し、丹波を取る)
と、信長は戦略変更したわけである。 「波多野が滅んだとなりゃぁ、三木城に篭りおる者どもも大いに気落ちするやろ」
波多野氏は別所長治の妻の実家であり、織田家に敵対する者同士ということもあって両者は
固い同盟関係にある。その波多野氏が滅びれば、別所氏としても動揺せずにはおれないだろう。 (なるほど・・・・) 小一郎は、信長の戦略眼の鋭さにあらためて感心した。 「お前に兵を三千つける。弥兵衛(浅野長政)と将右衛門も連れてゆけ」 「心得た」
小一郎は大きく頷いた。 「お前(みゃぁ)にもぼちぼち貫禄めいたモンがついてきたのぉ。近頃は一軍を預けても不安 にならんで済む」
と笑いながら言った。 「家中の他の者に負けてはおられんで、気張って働いて来い。頼んだぞ」 藤吉朗は、そういう言葉で弟を激励し、送り出した。
小一郎は勇んで三木を出陣した。率いる三千の軍兵と共に美嚢川に沿って七里ばかり北上
し、翌日には山を越えて丹波に入る。丹波南西部で敵対していた綾部城、氷上城、玉巻城な
どを攻め、わずか半月ばかりの間に次々と陥落させた。 「おぉおぉ、小一郎め、やりおるわ!」 その報告書を読んだ藤吉朗が大喜びしたことは言うまでもないが、丹波攻略戦の様子を安土 から眺めている信長も、機嫌が悪かろうはずがない。それまでほとんど名も聞かなかった羽柴 小一郎という藤吉朗の弟が、意外に器量があるということを知り、驚いていたかもしれない。
小一郎が意気揚々と三木に戻って来たのは、五月中旬である。 (この勢いで、ついでに淡河も取ってやろう) と小一郎が考えたのは、その雰囲気に引きずられた部分もあったであろう。
小一郎は藤吉朗の了解を取り、三千の兵でそのまま三木城東方の淡河に入り、丹生山山麓の
付け城に陣を敷いた。明要寺に降伏を勧告し、これが拒否されるや全軍を丹生山に攻めのぼら
せた。 (な・・・・なんちゅうことや・・・・)
報告される被害の凄まじさに、小一郎はほとんど呆然とした。 (わしゃ大たわけじゃ。知らんうちに驕っておった・・・・!) と、痛烈に思った。 あらためて振り返ってみると、いつもいつも、小一郎は場当たり的に戦をやっていた気がす る。但馬では信長の威光によって、あるいは彼我の兵力差によって、丹波では敵が疲弊し切っ ていたために、たまたま何度か勝ち戦が続いていただけだったのに、いつしか「自分は戦えば 勝てる」というようなとんでもない勘違いをしていたのではないか―― 「勝兵はまず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかる後に勝ちを求む」 「名将は、あらかじめ必勝の態勢を築いてから戦を始め、凡将は戦を始めてしまってから勝と うとする、というような意味ですね」 「――これは、簡単なようでいて、なかなかに難しいことなのですよ」
ずっと以前に半兵衛から聞いた言葉である。 (凡将のくせに――分もわきまえず、舞い上がっておった・・・・) 己の愚かさと不甲斐なさに、悔し涙が溢れた。 全軍を山麓の砦に収容して守備の態勢を整え、浅野弥兵衛らにその堅守を命じた小一郎は、 その夕刻、わずかな供を連れて馬を飛ばし、志染川の土手を西へと駆けた。
淡河から平井山までは、わずか三里――急げば半刻(一時間)も掛からない。 「あぁ、小一郎殿――」
半兵衛は夜具から半身を起こし、いつもより少しだけ弱々しい微笑で小一郎を迎えてくれた。 (半兵衛殿・・・・)
小一郎は胸がつまった。
半兵衛はすでに病間から出ることはほとんどない。それでも、小一郎の淡河攻めについては
耳に入っていたようで、余計な説明をすることなく話はすぐに通じた。 「勝った負けたは武門の常(つね)――勝つ日があれば、負ける日も当然ある。いちいち気に 病まれることはありません。今後の糧(かて)となさればよろしいのです」 と優しい言葉を掛けてくれた。 「負けを知らぬ者は、いつか必ず大きく躓きます。ここで負け戦の味を知ったことは、小一郎 殿のこの先にとって、必ず大きな宝になりますよ」 半兵衛は近侍に白湯を持って来させ、それを小一郎にも勧めた。 「丹生山のことは、私も気になってはおりました。三木城包囲の備えが出来たとはいえ、織田 に歯向かう者たちが集まる敵方の砦を、そのまま放っておくわけにもいきませんからね」 半兵衛は半身をひねって背後にある書籍の山の上に置いてあった絵図を取り、 「これは――手の者に調べさせた明要寺と丹生山の絵図です」
と言いながら夜具の上にそれを広げた。 「丹生山はまさに天嶮の要害――明要寺をまともに攻めれば、少なくとも数百、あるいは千、 二千の手負い・人死にが出るのではないか――と、考えておったところです。小一郎殿がこ れを落としに向かったともう少し早う耳にしておれば、用心を促すこともできたのです が――申しわけありませんでした」 それが自分の落ち度でもあるかのように半兵衛は謝った。 「とんでもない。此度のことは――すべて、わしの浅慮が招いたものです」 半兵衛はわずかに微笑し、話題を移した。 「二万、三万という兵があるならともかく、我らだけの力で明要寺を一気に抜くことは難しい と思います。しかし、これを囲うて兵糧攻めにしたところで、敵の糧食の貯蔵は十分――夏と 秋は山の実りも採れますし――おそらく一年は降参しますまい。丹生山ひとつにそれほどの手 間と時間(ひま)を掛けるわけにもいきません・・・・」 そう言うと半兵衛は湯で喉を湿らせ、大きく一息ついた。 「色々と考えてはみましたが――丹生山を日数を掛けずに落とすとすれば、奇策を弄するより ないと思います」 「奇策――ですか・・・・?」
半兵衛は再び近侍に声を掛け、ある家来の名を挙げ、それを呼ぶよう言いつけた。 「開けよ」
半兵衛の声に応じて中から襖が開かれる。 「あれらは私の目となり耳となっておる者たちです。この絵図を描き上げたのもこの者たち で――丹生山の山々についてもよう知っています」 忍びの類なのであろう。一味の頭格か――もっとも前に座る年長の男がわずかに頭を下げた。 小一郎とは目を合わせようとせず、床板を眺めている。よく日焼けした顔は百姓のように篤実 そうで、壮年のようにも中年のようにも見える。取り立てて特徴のない茫洋とした雰囲気だが、 そのことがかえってある種の怖さを小一郎に感じさせた。 「この者たちを夜陰に紛れて明要寺に忍び込ませ、寺の主立つ建物に火を放たせます。それを 合図に、山麓から兵を攻めのぼらせる。敵が火災で混乱するに乗じ、一息に山腹まで攻め寄せ、 山ごと寺を焼く。さすれば一揆の者たちは拠るべき城砦を失い、おのずと山から逃げ散りまし ょう」 「・・・・・・・・・・」
小一郎は言葉を失った。 「明要寺を焼けと・・・・」 呟くように言うと、半兵衛はわずかに視線を落とした。 「好むものではないですが、他に手がありません」 「それは――そうなのかもしれませんが・・・・」 「明要寺を残しておけば、仮に一揆の者たちを退散させたとしても、彼らは蝿のように戻って きて再び我らの背後を騒がせるでしょう」
そうならないよう、拠点そのものを消滅させておかねばならぬ、というのが半兵衛の意見で
あるらしい。 「明要寺は、千年の古刹。ましてあそこには近在の領民も多く篭っておるやに聞きます。一向 門徒や僧兵どもはともかく、淡河の百姓たちを寺と共に焼けば――我らに対する恨みがかの地 に長く残り、その後の仕置き(政治)にも障りとなるのでは・・・・?」 「そうですね・・・・」 半兵衛はその点には反論しなかった。 「ですが、一向門徒とそれ以外の領民を見分けるすべなどありません。明要寺にあくまで篭り おる者は、敵に合力する者と看做して討つほかありますまい」 その表情は、水のように淡々としている。 (半兵衛殿・・・・)
小一郎は、なぜだか無性にもの哀しい気分になった。 (生あるうちになんとか別所討伐に目鼻をつけておかねば・・・・) という焦りが、半兵衛の視野を狭めているのではないか―― 「小一郎殿は、ご気性がお優しい・・・・。それはそれでとても良いことだと思いますが――こ の役は、お辛いかもしれませんね・・・・」
半兵衛の言葉で小一郎は我に返り、慌てた。 「いえ。わしがやります。お知恵、ありがたく拝借します」 きっぱりとそう明言し、半兵衛に頭を下げた。 半兵衛の家来たちを借り受け、小一郎はその夜のうちに丹生山に駆け戻った。
付け城で陣を張り、丹生山系の山々を睨みつつ雨が止むのを待った。 「今宵、明要寺に夜討ちを掛ける!」 決行は、五月二十二日の夜と決まった。
羽柴軍は丹生山山系の山々に火を掛け、砦を焼き討ちにし、山頂の明要寺と山中に散らばる
百余の僧坊、塔頭を焼き滅ぼした。堂塔伽藍を焼き尽くし、僧俗を問わず皆殺しにまでしたと
いうのは、これまで人を無用に殺すことを嫌ってきた羽柴軍にしては、異例と言うしかない。
ましてその指揮を執ったのは、元が百姓の小一郎である。性格として戦に無辜の民を巻き込む
ことを好まないし、その恨みを買うことも嫌う。 丹生山の敵の拠点を焼き払った小一郎は、軍を反転させて一里北方の淡河城へと攻め寄せた。 淡河城は淡河川支流の河岸段丘に築かれた丘城で、本丸、二の丸、三の丸と曲輪が切られた 城域はなかなか広い。丘の比高は二十メートルほどでそう高くはないが、城の東西北が切り立 った断崖となっており、織田信忠らが攻め倦んだことでも解る通り要害は決して悪くない。別 所随一の合戦上手として名高い淡河 弾正 定範がここに拠り、五百ほどの兵と共に防備を整え て待ち構えていた。
今回は、小一郎に油断も慢心もない。
序盤は射撃戦である。激烈な矢弾の交換が行われたが、これは羽柴軍が火力で圧倒した。
この機を、淡河定範は逃さない。 (戦にこんな法があるのか・・・・!)
小一郎は愕然とせざるを得ない。 「なんじゃ!? どうした!?」
城内に裏切り者でも出たのかと思ったが、内通する者があるなどという話は小一郎は聞いて
もいない。呆然とそれを見守っていたが、火勢は明け方までまったく衰えず、ついには城があ
った丘の全域をほとんど焼き尽くした。
淡河定範は、夜陰に紛れて鮮やかに城から軍勢を退去させていた。
地元の地理を知り尽くす淡河勢は夜の闇の中を間道伝いに北へと駆け、羽柴軍の警戒線を大
きく迂回する形で北方から三木城へ向かった。
藤吉朗も仰天したであろう。 「なんじゃぁ!? 何が起こった!? なんで淡河弾正が湧いて出る!?」 鼻先の闇の中で起こっている事態が、まったく信じられなかったに違いない。 「えぇい! 何をしておる! 敵を追わんか! 陣貝(かい)を吹け!」
藤吉朗は叫んだが、羽柴軍が大慌てで出陣の支度をしている間に淡河勢は美嚢川を渡河し、
悠々と三木城へ入った。わずかに駆け出した者たちも淡河勢の足に追いつけず、虚しく引き上
げて来ざるを得なかった。 「花も実もある武将というのは、あの淡河弾正のような男のことやぞ。その武略といい主家に 対する忠節といい――敵ながら天晴れ、見事と言うほかないわ」 藤吉朗にすれば、敵将を褒めることでわずかに自尊心を保つしか手がなかった。
淡河定範が三木城に入ったことで三木城東方の敵はいなくなり、ともかくも淡河掃討戦は終
わった。
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