歴史のかけら


王佐の才

105

 その生の長短に関わらず、人の人生にそれぞれ春夏秋冬があるとすれば、半兵衛の人生 の冬は、ごく短かった。
 しかし、それが寂しさに満ちたものだったかと言えば、必ずしもそうではない。
 比呂木村の半兵衛の病間には、日に数人は必ず見舞い客が訪れた。女気がまったくないとい う意味でその彩りには欠けるものの、客はいずれも半兵衛を敬する羽柴軍の武将たちであり、 半兵衛と共に戦雲の中を駆けて来た男たちであるから、それぞれと思い出話をしているだけで も半兵衛は退屈しなかった。

 半兵衛の身の回りの世話をしている伊藤半次郎という近侍が、病人と見舞い客の物語を常に 目を輝かせながら聞いている。
 半次郎は半兵衛の故郷・菩提山城の留守を預かる伊藤半左衛門の次男坊で、年はまだ十六。 四年ほど前に元服し、小姓として半兵衛に仕えていた。

「お前の父御(ててご)は武の道一筋であったが、お前はよう学ぶ」

 と、半兵衛はこの少年をよく褒めた。
 半次郎は主君(あるじ)の影響からか読書を好み、半兵衛が持っている漢籍を借りては空い た時間に寝る間も惜しむようにして読んでいた。訳や解釈に困ると、半兵衛にそれを尋ねに来 る。
 人を教育するというようなことが好きな半兵衛は、面倒がりもせず、この少年の師の役を務 めてやっていた。ことに戦陣の激務を離れ、京で療養生活を送るようになってからは、それが 半兵衛の無聊と寂しさを紛らわせることにもなった。

「私は殿のようになりたいのです」

 というのが、半次郎の口癖である。

「謀事(はかりごと)を帷幄のなかにめぐらし、千里の外に勝利を決す――高祖・劉邦の覇業 を知略で佐けた張良に、殿はよう似ておられます」

「私にはとても張良ほどの知恵はない」

 半兵衛は苦笑してそれをいなすが、その知略をもって主君の異数の出世を佐け、自身の栄達に はいっさい拘らないという半兵衛の人間像を、少年は尊敬し切っていた。

 六月初旬のある夜、小一郎が半兵衛を見舞った時も、半次郎が半兵衛の夜具の脇に控え、主 君が身体を起こすのを手伝った。

 この頃にもなると、半兵衛の衰えはもはや隠しようもない。秀麗だったその容姿は見る影も なく、頬の肉は削げ落ち、肌は枯れたように艶を失い、切れ長の目の下には重そうな隈が浮い ている。死相がありありと出ていることは、素人目にも一目瞭然であった。

(余命いくばくもない・・・・)

 ということが解るだけに、お加減は――などと空々しく聞く気にもなれない。
 小一郎は努めて心を平静にし、柔和な笑みを浮かべながら来意を告げた。

「実は、またしばらく播磨を離れることになりました。発つ前に、半兵衛殿にお会いしておこ うと思いまして――」

 半兵衛は微笑し、静かに頷いた。

「此度はどちらへ行かれるのですか?」

「また丹波です。但馬の方から兵を入れよ、という上様のお下知で・・・・」

 信長がそう命じてきたのである。
 明智光秀の丹波攻略戦は現在も続いている。落城寸前という波多野氏の八上城はともかく、 丹波西部には豪族たちの小城がまだ多く残っており、これをいちいち落とすか降伏させるかせ ぬことには丹波攻略は終わらない。
 小一郎はいったん但馬の竹田城に帰り、但馬衆を率いて西から丹波に攻め入ることになった。

「なるほど・・・・。それでは当分お帰りにはなれぬでしょう。小一郎殿とこうして話ができ るのは、今宵が最後になるやもしれませんね」

 半兵衛の際どい台詞は、小一郎の胸を波立たせた。

「あの墨俣の砦で初めてお会いしてより――かれこれ十五年になりますか・・・・。これまで 長きにわたり、大きにお世話になりました。生きてあるうちに、あらためて礼を申すことがで きて、よかった」

「そのような・・・・。お気の弱いことを言わんでくだされ。わしが戻って参る頃には、また 元のように元気なお姿を見せてくれねば・・・・」

 小一郎の言葉に、半兵衛は微笑のまま首を振った。

「自分の身体のことは、不思議と解ってしまうもののようです。私が生きておれるのも、せい ぜいあと十日ほどでしょう」

 遠からずそういう日が来る――と、覚悟してはいたが、半兵衛の口からそれを直に聞かされ ると、胸をかきむしられるような悲痛さと居ても立ってもいられないような焦燥感、そして、 この病人に何もしてやれないという無力感にあらためて苛(さいな)まれざるを得ない。

(これほど世話になっておきながら、わしはこの恩人に何ひとつ借りを返すことができ ん・・・・)

 思い返せば、あの墨俣の砦で初めて顔を会わせて以来、百姓あがりの小一郎に武士のいろは を授けてくれたのも、合戦の何たるかを教えてくれたのも、すべて半兵衛であった。藤吉朗に 対しては、戦場においては常に不敗の軍略を授け、平時においては領主としての仕事を支え、 その知略をもって政戦共によく補佐してくれた。

(今の羽柴家があるのは、半兵衛殿の助力があればこそ)

 とさえ、小一郎は思う。
 半兵衛と過ごしたこの十五年――いちいち挙げればキリがないほどの思い出が、走馬灯のよ うに小一郎の脳裏に浮かんでは消えた。
 小一郎にとって、半兵衛は、喩えるなら闇夜の灯火のような存在であった。半兵衛の智謀の 光は、常に小一郎の足元を照らし、常に進むべき道を指し示してくれていた。その灯火を失う ことは無明の闇の中を手探りで歩むことと同義であり、この心細さの実感は、小一郎がこれま でいかに半兵衛という存在に甘えていたかということの裏返しと言えるであろう。

 灯明の柔らかい光がゆらりと揺れた。
 血の気が失せきった半兵衛の白い肌は、消えゆく雪のような儚さがある。

「これが最後と思えば――あらためて申し置きたいことがあります。遺言と思うてお聞きくだ されますか」

 小一郎は居住まいを正した。

「なんでしょう? なんなりと・・・・」

「唐土(もろこし)の言葉に、『王佐』というものがあります。主君を補翼し、その覇業を佐 (たす)ける者のことです。王を佐けると書く」

「主君を佐ける――まさしく半兵衛殿のような方のことですな」

 小一郎の言葉に、しかし、半兵衛は静かに首を振った。

「私は――これまで至らぬなりに、軍師の真似事をして参ったつもりです。兵法の才、軍略の 才を言うなら、私にも少しはそれがあったやもしれません。しかし、そんなものは片々たるも のです。たとえば神子田(みこだ)殿あたりなら、私の代わりなどは立派に務まりましょう」

「半右衛門殿が・・・・?」

 その名が挙がったことが小一郎には意外だった。
 神子田 半右衛門 正治は、藤吉朗の親衛隊「黄母衣衆(きほろしゅう)」に属し、その四天 王に数えられる侍大将である。家中では珍しく漢籍に通じた人物で、戦術眼に優れ、小部隊戦 闘が上手く、それなりの存在感を持った武将だが、性格的に己を恃む気持ちが強く、でしゃば りで功名心が激しく、倣岸不遜なところもあって、藤吉朗も小一郎もその男をあまり好いてい ない。

「軍師というのは、煎じ詰めれば『策を献ずる者』です。知恵ある者なら、いくらでもその 代わりは利く。それに殿も、横山城で浅井と戦っておった昔とはすでに違う。百戦を経て武将 として見事に大成なされました。もはや私なぞおらずとも、十分に中国を取りさばいてゆけ る――」

 そこで半兵衛は懐紙で口元を隠し、激しく咳き込んだ。辛そうに眉をひそめ、半身を上下 させて咳き続ける半兵衛の背を、半次郎が必死にさする。
 小一郎はその身体を気遣ったが、しばらくしてどうにか落ちついた半兵衛は、話をやめよう としなかった。

「――唐土(あちら)の歴史を綴った書物には、主君を佐けて歴史に名を残した王佐や名軍師 が多く出てきます。幼い頃の私は、それらを読んでは胸を躍らせておりました。いつか私も、 そのような者になりたいと――」

「それなら、その幼き頃の夢はすべて果たされておりますぞ。兄者にとって半兵衛殿はま さしく王佐でありました!」

 病人を励ますように小一郎は強く言ったが、半兵衛は微笑し、再び首を振った。

「王佐とはいかなる者か――私は幼い頃からずっとそれを考えていた。軍師と王佐はどう違う のか――若き日の私は、そこがどうしても解らなかった。しかし、この十五年を殿の元で過ご し、ようやく少し解ったような気になった」

「それは・・・・?」

 小一郎はその先を聞いてみたかったが、しかし、半兵衛の方は、己の腹の中の想いをすべて 言葉に変えて説明するだけの根気と体力がすでになかったらしい。
 大きく息をつき、

「私はせいぜい軍師の器です。しかし、小一郎殿、あなたなら、殿の王佐になれる」

 とだけ言った。

「とんでもない。わしなんぞに半兵衛殿の代わりはとても務まりません・・・・!」

 それは偽らざる小一郎の本音である。自分の才など、半兵衛の爪の先ほどもないと、小一郎 は本気で思っている。
 しかし、半兵衛の方はそう考えてはいないらしい。

「逆ですよ」

 柔和な瞳が、小一郎をまっすぐに見つめていた。

「私の代わりはいくらでもいる。しかし、殿にとって小一郎殿の代わりになれる者などおりま せん」

 浅く荒い息をしつつ、半兵衛は声に力を込めた。

「これは僭越な言い方になりますが――小一郎殿、あなたはとても良いご性質をお持ちです。 裏方を厭わず、功を誇らず、それを他人と競うこともせず、ただ殿の仕事を佐けることを自ら の喜びとなされてきた。これからも、決して驕ることなく、変わることなく、そのままで居て ください」

 そうすれば、たとえ小一郎が派手な武功なぞひとつも挙げずとも、その知略をもって優れた 業績を残すようなことをせずとも、後の世の人は必ず小一郎という人間を知ってくれるだろう、 と半兵衛は続けた。

「殿は、すでに立志伝中の人です」

 古来、百姓が大名になり、数万の軍勢を指揮したなどという例は本邦にはひとつもないが、 藤吉朗はその常識を破り、信長の草履取りから異数の立身を遂げ、毛利討伐の総大将にまでな っている。「羽柴秀吉」の名は、おそらく百世の後まで歴史に刻まれるであろう。

「小一郎殿がこれまで通り影となって殿を支え続ければ、『羽柴秀吉の比類ない働きは、羽柴 小一郎があってこそ』と、後の世の人は必ずあなたをも讃えるでしょう。そこのところを想い、 現世(うつしよ)での欲はすべてお捨てなされ」

 欲心を捨て、この世での功名も利益も追うな――と、半兵衛は擦れる声で繰り返した。

「あなたが名利を追えば、羽柴の家中は必ず乱れます。羽柴家を伸ばすも潰すも、すべてはあ なたの心持ち次第。羽柴小一郎こそが、羽柴家の柱石なのです。殿は、その礎(いしずえ)が あればこそ、世に立つことができる。そのことを、どうか忘れないでください」

 小一郎は、もはやこみ上げて来るものを抑えられなかった。我慢するつもりであったのに、 鼻の奥が痛くなり、視界が涙で歪んだ。

(半兵衛殿・・・・!)

 自分の事を、こうも高く評価してくれる。
 死の床にありながら、これほど親身に羽柴家の将来を想ってくれる。

(こんなありがたい仁が、他におるか――!)

 と思えば、とめどもなく溢れてくる涙をどうすることもできなかった。
 両手を床につき、小一郎は深く頭を下げた。

「かたじけない・・・・!」

 零れ落ちた涙の粒が、床板に染みを作った。

「今のお言葉、わしゃ死ぬまで忘れません・・・・!」

「・・・・お手をお上げください」

 半兵衛は小一郎の手を取り、頭をあげさせた。
 その手に重なった半兵衛の指は、哀れなほど細く、冷たかった。

「これで、私も肩から荷がひとつ下りたような心持ちです」

 このとき見た半兵衛の透き通るような微笑を、小一郎は生涯忘れぬと誓った。

 半兵衛はさすがに疲れたのか、小一郎に断りを入れて再び床に就いた。
 名残惜しくはあったが、病人にそれ以上無理をさせるわけにもいかない。小一郎はそれを機 に、病間を辞去した。

 主人に代わり、小姓の半次郎が門前まで小一郎を送ってくれた。

「半兵衛さまは、やはり身罷(みまか)られるのでしょうか・・・・」

 少年が俯いたまま呟いた。
 小一郎は、それを痛ましげな目で眺めた。

「そなたの主君(あるじ)の言葉は、これまで外れたことがない」

 半兵衛が「あと十日ほどで死ぬ」と言うなら、それはそうなるのであろう。

「武士が戦場で討たれて死ぬというなら兎も角、なぜあのような好(い)い方が病で死なねば ならぬのでしょう・・・・」

 肩を震わす半次郎の頬に、どこにぶつけようもない憤りの涙がある。

「神仏はいったい何を見ておられるのか・・・・!」

 心の底から敬愛し、生涯を賭けて仕えると決めた主君を亡くすというのは、どういう心境な のであろう。百姓から武士に転身し、兄以外の主君に仕えたことのない小一郎にその気持ちは 解らないが、それでもこの少年の胸を裂くような悲哀は、十分に察することができた。

 小一郎は長嘆息し、闇色の天を仰いだ。

「人はいつかは死ぬと決まっとるもんやが――」

 それは、半兵衛がかつて小一郎に語った台詞である。

「半兵衛殿はわしより五つも若い・・・・!」

 小一郎の言葉にも、天に対する呪詛めいた響きが混じった。

 小一郎が半兵衛を見たのは、この夜が最後である。
 この翌日、小一郎は二千の羽柴軍を率い、三木を発った。


 半兵衛の容態がいよいよ悪いということを聞き、藤吉朗がその病間を訪れたのは、六月十日 の夜である。

「これは――」

 主君の姿を見、半兵衛は動かぬ身体をなんとか動かして夜具から身を起こそうとした。
 が、藤吉朗は半兵衛の肩口を押さえ、それを陽気に制した。

「ええんじゃ。そのままそのまま」

 半兵衛の枕元にどっかりと腰を下ろした。

「このようなお見苦しい姿で――」

 半兵衛は恐縮したが、

「何を申すか。見苦しいというなら、戦塵と垢に汚れ、無精髭さえ伸び放題に伸びておるわし の方こそ、よほど見苦しいわ。わしに気など使うてくれるな」

 心中の愛惜を隠すように、藤吉朗はにっこりと笑った。

(あぁ――痩せてしもうたのぉ・・・・)

 痩せ細り、くっきりと死相の浮いた半兵衛の顔を見てしまえば、もうそれだけで涙が溢れてく る。半兵衛には会いたかったし、話もしたかったが、藤吉朗はこの死相を見たくないがために、 近頃は半兵衛の病間を訪ねることを恐れ、それを避けていたようなところがあった。

 半兵衛の病は肺病であり、その意識は死の直前までしっかりしていたらしい。この時も、声は かすれ気味であったが明晰な言葉を吐いた。

「三木城の方は、如何あいなりましたか?」

「相変わらずじゃ。別所は城に篭って動かん。じゃが、この兵糧攻めには困っておろうな。も はや城には一粒の米も運び込めんようになったはずやでの」

「こうなれば、別所の恃(たの)みは毛利水軍による救援のみ。毛利も別所をこのまま見捨て るようなことはしますまい。必ず後詰め(援軍)があるものと考え、油断なく、抜かりのうお 備えくだされ」

 この半兵衛の予見は当たる。この三ヵ月後、毛利軍は三木城へ兵糧を運び入れるべく軍を発 し、水軍を使って魚住の浦へ軍勢と補給部隊を送り、夜の闇に乗じて羽柴軍の陣城を急襲した のである。毛利軍の兵糧運搬を支援すべく別所軍も城から出戦し、深夜から明け方に掛けて激 戦となった。
 羽柴方は陣城の守将であった谷大膳が討ち死にし、一時は防衛線が崩壊するかと思えるほど の苦戦を喫したが、重厚な防御陣地があったお陰で羽柴本軍の来援までどうにか持ちこたえ、 辛うじて敵を撃退することができた。
 これも、半兵衛の遺産と言わねばならぬであろう。

「三月先か半年先かは解りませんが、城内の兵糧が尽きれば、いずれ別所は降参致しましょう。 しかし、戦には落とし所というものがあります。そのことは、すでにお考えですか?」

「開城の条件のことか・・・・」

 藤吉朗は己の膝に両手を置き、首を捻って黙した。

「この播州は、いずれ殿のものになります。されば、人心を得ることこそ肝要。人を殺せば殺 すほど、地の者の間に恨みが残りましょう」

 半兵衛の言葉で、藤吉朗の脳裏にある考えが閃いた。

「上月城でのことはわしにとって苦い思い出じゃが、毛利はよい先例を作ってくれた。あの流 儀でやればどうであろうな?」

 毛利氏は上月城を開城させるに当たり、城主の尼子勝久と重臣数名のみを切腹させ、篭城の 将士やその家族の血を一切流さず、それを放免した。城主が城兵のために切腹するというのは 戦国の常識にない異例の措置だが、事情を知った藤吉朗がそこに一種の美しさを見たのも事実 であった。
 あれを先例として、別所長治とその親族の数名にだけ腹を切らせて勝敗のケジメとし、その 美しい犠牲をもって別所に属して織田に逆らった者たちの罪をすべて許し、その命を助けてや ればどうであろう。最後まで見事に戦った播州武士たちの誇りまでは奪わず、そのまま羽柴家 に組み込むことができれば、その後の内治はよほどやりやすくなるのではないか――

「播州武士の武勇と忠義、そのしぶとさのほどは、わしもほとほと骨身に沁みとるでな。でき るなら、あれらをそのままわしの家来にしたい」

 藤吉朗が言うと、

「それでこそ我が殿です。ようお気づきになられた」

 半兵衛は満足げに微笑した。

「戦にも、格に位(くらい)があります。別所は、昨年の夏よりすでに一年――節を曲げず、 敵ながら見事に戦って参りました。どうか、侍従殿(長治)を武士(もののふ)として遇する 道をつけてやってくだされ。それが、武士の情けと申すものです」

「あぁ、必ずそうする」

 半兵衛の声に力がない。痰が絡むのか、呼吸のたびに喉がひゅうひゅうと鳴った。

(あとの懸念といえば、黒田官兵衛のことだが――)

 こればかりは、自分の命があるうちに解決できる問題ではない、ということを半兵衛は知っ ていた。官兵衛は、消息はおろか、その生死さえまだ判然としないのである。それがはっきり せぬ以上、松寿丸の扱いについても保留せざるを得ない。
 しかし、

(あれについても、やれるだけのことはやった・・・・)

 という想いが、半兵衛にはある。

「三木での戦がすべて終わったら、この播州でも、北近江でなされたように、困窮する地の者 たちに憐れみをお掛けくだされ・・・・。播州を無事に治めねば――中国征伐などは・・・・と てもおぼつきませぬ・・・・」

「半兵衛殿よ――」

 藤吉朗は半兵衛の手を取り、それを強く握った。

「お前(みゃぁ)は最後の最後まで・・・・!」

 そこまで言って、後は言葉にならなかった。藤吉朗の両の目から、涙がぼろぼろと零れた。
 半兵衛はしばらく優しげな目で藤吉朗を見詰めていたが、

「申し置くべきことは――これですべて申しました・・・・」

 弱々しく微笑し、静かに目を閉じた。

 この夜から、半兵衛は長い昏睡と短い覚醒とを繰り返すようになった。
 息を引き取ったのは、三日後。天正七年(1579)六月十三日である。
 この稀代の軍略家は、生前もらった手紙類をすべて焼き捨て、それを後世に一切残さなかっ たと伝えられている。それがいかに徹底されていたかというのは、自ら世を去るにあたり、辞 世さえ残さなかったことでも解るであろう。
 その享年は、数えでわずか三十六でしかない。

 才子薄命――

 羽柴軍の将士で、この早すぎる死を惜しまぬ者はなかった。


 その訃報を平井山の本陣で聞いた藤吉朗は、不思議と涙が出なかった。
 顔を真っ赤にしてしばし押し黙り、

「お先真っ暗っちゅうのは、こういう心持ちのことか・・・・」

 と怒ったように呟いた。


 西丹波の戦陣に居る小一郎の元へその訃報が届けられたのは、六月十六日の夜である。
 その書状を読んだ小一郎は、肩を震わせて書状を握り潰し、声をあげて号泣した。

「半兵衛殿・・・・!」

 小一郎の側近たちは、これほど取り乱す主君を初めて目の当たりにし、何が起こったのかと 大いに慌てた。


 『信長公記』によると、この訃報は安土の信長の元へも六月二十二日に伝えられている。

「半兵衛が死んだか・・・・」

 安土城の広間でそれを聞いた信長は、さほど表情を動かさなかった。

「あれは、いくつであったか?」

 左右の者に尋ねた。

「確か三十五、六であったかと――」

「夭(わか)いわ・・・・」

 不機嫌そうに吐き捨てた。

「子は?」

「まだ元服前と思いまするが、嫡男がおると聞いた憶えがございます」

「幼童(わらべ)に采配は振れまい・・・・」

 半兵衛の家来が宙に浮くことになる。
 信長は一瞬だけ思案し、半兵衛の弟の久作を自分の馬廻り(親衛隊)から外し、藤吉朗の寄 騎にすることを決めた。半兵衛が死んだ以上、久作は名実共に竹中氏の総領であり、半兵衛の 家来を自分の家中に組み込むなどして事後処理をするであろう。

「久作に、すぐ播磨へゆけと伝えよ」

 とだけ、信長は言った。

 『信長公記』には、半兵衛の死に対する信長のいかなる感想も綴られていない。



 その日、目を覚ました半兵衛は、珍しく身体が軽いことに気がついた。

「この二、三日、雨音を聞かぬな・・・・」

 枕元に侍る半次郎に声を掛けると、

「梅雨は明けましたように思われまする」

 少年は明るく答えた。

「久方ぶりに陽を浴びたい。半次郎、肩を貸してくれんか」

 半兵衛はすでに独りでは歩けない。少年に支えられて床を抜け、鴨居をくぐり、濡れ縁に腰 を下ろした。
 中天を少し過ぎたあたりにある太陽からそそがれる日差しは、すでに夏のものである。初夏 の蒼い空にはたくましい雲が立ち、緑に輝く比呂木山、平井山を背景に、長らく放置された畑 と籾干し場、納屋などが見える。

「夏だな――」

 柱に背を預け、半兵衛は高い天を仰いだ。
 痛いほどの日差しが、半兵衛の白い肌を輝かせている。

「殿、瓜を召されませぬか!」

 半次郎が名案を思いついたという風情で言った。

「先日、筑前守さまがお見舞いに参られました折、この播州で採れる林田瓜とか申す瓜を土産 に頂いたのです。井戸の水で冷やして持って参りますゆえ、是非――」

 この三日の間、半兵衛は水以外の物を口に入れていない。それを知っている半次郎は、半兵 衛の気分が良さそうなことを見て、少しでも物を食べてもらいたかったのだろう。

「あぁ――ならば、頼むかな・・・・」

 別に食欲などないが、少年の気持ちには応えてやりたかった。
 半兵衛が生返事をすると、半次郎は喜び勇んで用意をしに水屋へ駆けて行った。

「眩しい・・・・」

 目を細めて少年の後姿を眺め、静かに微笑した半兵衛は、そう呟いた。

 半次郎が半兵衛の傍を離れたのは、ほんの四半刻である。
 少年が桶を抱えて濡れ縁に戻った時、半兵衛は柱に背を持たせかけた姿のまま、すでに息を しなくなっていた。

「殿――?」

 口の端から一筋、血が流れていることを除けば、まるで眠っているとしか見えない。

「殿っ!」

 桶を取り落とした少年の悲痛な叫びが、比呂木村の空へ高く抜けていった。

 天正七年六月十三日。
 梅雨明けの蒼い空にたくましい雲が立った日の午後であった。





― 第一部 竹中半兵衛編 ―



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