歴史のかけら


合戦師

76

 秀吉が「長久手」の敗報――正確にはこの日の早朝に起こった白山林における秀次隊の壊滅 の一報――に接したのは、4月9日の正午ごろであったらしい。

「あの無能者めが・・・・!」

 秀吉は、その場にいない秀次に対して凄まじい怒声を放ったが、その思考は一瞬後にはまった く別の天地を飛翔していた。

(この負けを、勝ちを得るための転機にする!)

 ということである。

 この時期の秀吉という男は、神のごとき「先見の明」を持っている。
 秀吉は、「中入れ」部隊が家康に攻撃され、三河奇襲が失敗に終わるかもしれぬということ は、当然のように頭の片隅で意識していた。
 「中入れ」作戦そのものを止めることができない以上、そこまではやむを得ないのだが、しか し、「中入れ」隊を攻撃することは、家康にとっても巨大なリスクを伴う行動であるということ も、秀吉は見越している。状況はどのように推移してゆくか解らないが、家康が動くなら、その 時は徳川勢の崩れに付け入って対応し、一気にこれを破滅に追い込んでしまおうと狙っていたの である。「中入れ」作戦の失敗を、痛烈な「勝ち」への序章ということにしてしまえば、局地戦 での負けなどはなんでもない。

 成功を収める秘訣とは、災いを、福へと転じる好機と捉えることであり、かつその好機 を確実に生かすということであろう。
 秀吉ほどの男である。
 当然、この「好機」を生かそうとした。

「馬ひけぇぇいっ!!」

 “天下三声”と言われた凄まじいその大声が、魔猿の咆哮のように秀吉軍の本陣を鳴動させ た。

 秀吉がこのとき発した鋭気がいかに凄まじかったというのは、敗報に接した次の瞬間には本営 を飛び出し、直属軍の2万を直ちに動かしたことでも解る。秀吉自らが馬を駆り、兵を置き去り にするほどの勢いで出陣した。
 戦機と見るや、総大将その人が真っ先に立ってすぐさま出陣する――これは、信長譲りの神 速の用兵とでも言うべきであろう。
 諸将は、慌てふためいて秀吉の後を追わざるを得ない。このため、尾張の山野で凄まじい人間 の大移動が起こった。秀吉率いる本軍はおいおい3万余にまで膨れ上がり、後続の部隊を含める と実に6万近い人間が走りに走っていたことになる。

(とにかく、急ぐことだ・・・)

 と秀吉は思った。
 秀吉の耳には、次々と敗報が届けれられている。森長可に続き、池田恒興の討ち死にの報が 届くに及んでさすがに絶句し、その凄まじい負けっぷりに呆然とし、敵将である家康の周到さと 用兵の巧みさに舌を巻く思いであったが、それでも秀吉を内心で喜ばせたのは、家康その人が 小牧山の野戦陣地を飛び出して機動軍の総大将になっているという情報を得たことであった。

 秀吉には、この時点で、2つの選択肢があった。
 ひとつは、「家康不在の小牧山の陣地にこのまま全軍で総攻撃をかける」という選択であり、 もうひとつは、「敵の機動軍を補足し、野戦で家康を討ち取ってしまう」ということである。
 秀吉の決断は、一瞬だった。

(この機に家康を決戦に引きずり込み、野戦で一気に勝敗をつける!)

 小牧山の陣地攻めは、秀吉にとって面白みが薄かった。強固な陣地に篭る屈強な三河軍団を 攻撃すれば味方にどれほどの損害がでるか解ったものではない上、この陣地攻めに1日、2日と 手間取れば、その間に家康が清洲城まで撤収してしまうであろうことは間違いがない。そうな れば家康の主力部隊と信雄の連合軍が小牧山を攻める秀吉軍の後方を脅かすに違いなく、陣地 攻め自体の成功さえ覚束なくなってしまうだろう。
 それよりは、今まさに野を漂っている家康の機動軍を叩いてしまう方が早い。

 秀吉には、自信があった。
 秀吉自らが率いるこの大軍勢で家康の機動軍を補足することさえできれば、勝利は絶対に間 違いがない。明智光秀も柴田勝家も、秀吉のこの機を見て敏に応ずる正確無比な眼力と、常識 を越えるほどの素早い用兵によって滅び去っていったのである。

 家康とて、その例外ではないであろう。


 小牧山に詰める平八郎の眼前で、もっとも怖れていたことが現実になりつつあった。秀吉が、 凄まじいばかりの大軍を率いて陣地から飛び出し、南東へと移動し始めたのである。
 ばら撒いてあった諜者が次々と駆け戻ってきて敵の意図を平八郎へと報告した。秀吉は、小牧 の陣地を素通りして家康の機動軍へと向かうつもりであるらしい。

 裸の野戦をする場合、常識として倍以上の敵とは戦えない。まして家康が率いるのは早 朝からの合戦で疲労した1万にも満たない兵であり、秀吉が率いるのは無傷の兵6万である。ひ とたび戦端が開いてしまえば、これは勝負にさえならないであろう。

(・・・殿が危ない!!)

 平八郎は、すぐさま馬を飛ばして酒井忠次の陣屋へと駆け込んだ。とにかくも、この一大事を 他のニ将と協議すべきであった。
 もう一人の家老である石川数正も、すでに忠次の陣屋へと到着していた。

「羽柴が動き申したぞ!」

「そんなことは、見れば解る!」

 石川数正が不愉快そうに唸った。

「殿さまを、救援にゆきましょう!」

 平八郎は、すでに血相が変わってしまっている。

「少し落ち着け、平八郎!」

 徳川家の二人の家老が、声を揃えて怒鳴り返した。

「殿さまを救いにゆくほどの兵力が、一体どこにある!?」

 平八郎は、口を噤まざるを得ない。
 事実、そんな兵力はどこを探してもありはしなかった。
 平八郎たちが家康から預けられた兵力は、わずか5千余であった。同盟軍の信雄から2千弱の 兵を借り、総勢7千ほどで小牧陣地を守備しているのだが、この長大な陣地を守るためにはそれ でもなお兵力が絶対的に不足している。家康の加勢に行けるほどの余裕など、あろうはずがない のである。

「我らには、この陣地を守る責務がある。ここは、様子を見るほかない」

 酒井忠次が言った。
 それは、どこまでも正論であった。

 もし平八郎たちが小牧陣地を放棄して全軍で家康の救援に向かうようなことをすれば、秀吉は 喜んでこの陣地を拾ってしまうであろう。そうなれば家康は帰る場所を失い、つまるところ強大 な秀吉軍に野戦で捻り潰されてしまわざるを得ない。小牧陣地の維持というのは全軍の崩壊を防 ぐための絶対条件であり、それが解っているからこそ家康は、もっとも信頼する男たちに陣地の 守備を任せたのである。

 しかし――

「殿が生きておわせばこその陣地でござろう! 殿が死んで陣地だけを守っておって何になり ましょうや!」

 平八郎には、それ以外のいかなる思案も浮かばなかった。
 いま、家康に危機が迫っている。その現実を前にしてしまっては、自分が将であることも、野 戦陣地を維持せねばならないことも、平八郎の念頭からは消え去っていた。

 家康のために働き、家康のために死ぬ――それが、平八郎のすべてであった。
 家康に死に遅れるなど、平八郎に耐えられるものではない。

「いい加減にせよ、平八郎! まだ殿が死ぬと決まったわけではないわ! 殿が羽柴の軍勢から 逃れたとき、この小牧の陣地がなくなっておれば、どうなる!」

「たとえ我らが全軍を率いて殿の加勢に向こうたとて、敵はあの雲霞のような大軍じゃ。わずか 5千やそこらの兵でどうこうできるものではない。ここは、動けぬ!」

 二人の家老は、頑として譲らなかった。
 論としては、あくまで二人の意見が正しいであろう。そんなことは、平八郎も理性では 解っている。しかし、いまの平八郎を突き動かしているのは家康を想う情念であった。理も非 もあったものではない。

 平八郎は、議論の無駄を悟った。

「されば!」

 決然と言った。

「ご両所は、この陣をお守りくだされ。わしは、手勢のみを率いてゆく」

 二人の家老も、さすがに言葉を失った。
 手勢というのは自らの扶持で養っている私兵であり、陣地の守備のために家康が授けた兵とは 法的な立場が違う。これをどう使おうと、確かに平八郎の勝手であった。しかし、平八郎の手勢 といえば、わずか5百ほどの人数に過ぎないのである。その百倍以上ある敵に対して、一体どう しようというのであろう。

「・・・それで、何ができると言うのだ。ゆくだけ無駄ではないか」

 石川数正が、呆然とした表情で尋ねた。

「我が手勢、ことごとく討ち死にするまで戦って敵の足を止め、わずかでも時を稼ぐことがで きれば、それで良いのです」

 平八郎は、静かに答えた。

「戦うにせよ、逃ぐるせよ、その時間で殿の働きがいくぶんなりと楽になりましょう。さすれ ば、無駄ではない」

 これ以外に、平八郎が家康のためにできることはない。

 侍には、自らの死に場所を決める権利がある。こう言われてしまえば、二人の家老といえど も平八郎を止めることはできなかった。

「・・・好きにせい」

 酒井忠次が言った。武士の決意に、もはや口出しは不要であろう。


 平八郎は、自らの手勢のみを率い、小牧の陣地を静かに出陣していった。




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