歴史のかけら


合戦師

53

「梅雪殿、そこもとも我らにご同道なされよ」

 家康は、当然のように梅雪を誘った。

「徳川と穴山、心を一つにしてこの艱難に向かえば、必ず運も拓けましょう」

 心からそれを勧めたのだが、しかし、梅雪の顔色は優れない。

「・・・・いや、ご好意はありがたいが、別に存念もござれば・・・」

 かたくなに家康の誘いを断わってしまった。
 梅雪には、恐怖がある。

(家康は、このどさくさに乗じてわしを殺し、甲斐を手に入れようとするに違いない)

 ということであった。

 この恐怖には、一理ある。
 武田氏の領国であった甲斐(山梨県)と信濃(長野県)は、織田家によって征服され、名義 上 信長のものになっている。しかし、信長が突然に横死してしまったため、この二国が統 治者不在になって宙に浮いているのである。信濃はまだしも多くの豪族が本領を安堵されて いるが、甲斐は現在、梅雪の巨摩郡を除けばその大半が信長の直轄領になっており、信長が この世から消滅してしまった以上、露骨なまでに所属が不明であった。先に拾った者の取り 得だと言っていい。
 知恵者の梅雪は、この一行の中で誰よりも早くこの奇妙な政治現象に気が付いた。

(わしが家康の立場なら、すぐさま甲斐と信濃を取る・・・)

 だから、家康は邪魔な自分を殺すに違いない、と確信した。
 梅雪は、疑心暗鬼になっていた。「本能寺の変」を自分に対して秘密にされたこともあり、 三河者という連中を信用する気をまったく失ってしまっていたのである。

 家康は、この段階ではそのことにまで思い至っていなかった。
 今の家康は、せいぜい三河に帰りつくことだけを想い定めているだけであったし、なによ り家康は信玄の血に連なる梅雪を敬愛していた。もし梅雪がこのとき家康と行動を共にして いれば、おそらく梅雪は徳川家において厚遇され、家康の最有力の重臣になり、巨封を得て 江戸期を迎えたであろうし、家運が良ければ、穴山家は大名として幕末まで続いていたかも しれない。
 しかし梅雪は、家康の手を振りほどくようにして三河者たちとの別行動を選んだ。
 この選択が、梅雪の身を滅ぼすことになる。


 梅雪らと別れた家康一行は、それでも百人を越える大所帯である。徳川家の重臣団と家康 の小姓だけで優に50人を越える上、これに荷運びの人夫と長谷川秀一付きの護衛の雑兵が50人 近く加わっているからであった。
 長谷川秀一は、まず近郷の豪族 十市氏に急使を発し、一行に家康がいることは明かさない まま護衛と道案内のための人数を借り受け、さしあたって山城(京都府南部)の宇治田原へ向か うよう一行に指示した。宇治田原一帯を治める山口秀康が、懇意でもあり、信用の置ける人 物だったからである。

 家康が休息したあたり――現在の交野市付近から宇治田原までは、山越えの難路である 上、直線にしてざっと20kmもの距離がある。一行は田園のあぜを突っ切り、真っ直ぐに東を 目指して駆けた。
 やがて、道が山間に入る。馬を曳きながら獣道を辿り、樵道を駆け、山坂を登り下って走 るうちに日が暮れ、視界が利かなくなってきた。

(落ち武者の心境とは、こういうものか・・・)

 と、家康は何度も思った。
 逃避行というのは、なにより精神的に辛い。
 明智光秀の捜索隊にいつ遭遇するかと恐怖し、どこから襲い掛かってくるかもしれない 土民たちに怯える一行は、風に揺れる草の影、梢の音にさえ、

(すわ! 敵か!?)

 と、冷や汗を流さねばならず、片時も休むことなく削ぎ立った竹のように神経を過敏にし ておかねばならず、これまでどの戦場でも経験したことのない重い疲労を覚えていた。家康 の重臣というのはどれも歴戦の勇者たちなのだが、蒸し暑い真夏に不眠不休で歩き続けて いる上、ろくに食事も取れないということもあって、どの顔にも名状しがたい暗い影が浮い ていた。

 この一行の中で、まったく精気を失わなかったのが、平八郎である。

(この難所に自分がおることができて、幸いであった)

 とさえ、平八郎は本気で思っていた。
 もしこの堺行きに、自分が同行できていなかったとしたらどうであろう。家康の安危が気 がかりで、気も狂わんばかりになっていたに違いない。

(しかし、わしがここにおる以上、なんとかなる)

 平八郎には奇妙としか言いようのない確信があった。
 平八郎は、50回近くも戦場に出向き、かすり傷一つ負うことなく帰って来た。戦国最強 と呼ばれた武田信玄の武者たちが操る刀槍、矢弾さえ、まるで平八郎の身体を避けるように 常に空を薙ぎ、虚しく素通りしていったのである。平八郎自身、奇跡としか言いようのない 現象を何度も間近で目にし、体験していた。
 たとえば「三方ヶ原」では、目前の敵が振り上げた避けられぬ太刀を、流れ弾が打ち砕く ということがあった。
 たとえば「設楽ヶ原」では、土塁の上に仁王立ちする平八郎に向けて集中的に浴びせられ る矢弾がことごとく逸れ、鎧をかすめることはあっても1つとして直撃することはなかった。
 敵と格闘し、体を入れ替えた瞬間、敵が流れ弾に顔を打ち抜かれたということもあった。 自分に向けて放たれた矢に、敵が割り込んでくれたこともあった。敵城の石垣を這い登る 平八郎に向けて落とされた巨石が、頭上で跳ねて逸れたこともあった。こういう奇跡は、数 え上げればキリがない。
 それらは、もちろんすべて偶然であるのであろう。しかし、それを実際に体感する平八郎 自身は、

(どうもわしは、何ものかに守られておるような・・・)

 という気持ちにならざるを得ない。そして、その気持ちはそういう経験を重ねるごとに確 信に変わり、戦場を重ねるごとに信仰に変わっていった。

(このわしが、土民の錆槍などで傷つくはずがなく、わしが死なぬ以上、殿さまが死ぬこと もありえぬ)

 だから平八郎の顔は、この難所でもいささかも暗くなることはなかった。

 平八郎は、猟犬のようにこの一行の先頭に立って先駆け、経路の確保と哨戒に当たった。 “蜻蛉切”を右手に茶屋四郎次郎を伴って一行から先行し、里に入るたびに民家に押し入り、 村人を脅しすかして徴発しては次の里まで案内させるという方法で地元民しか通らないよう な最短ルートを確保した。もちろん、協力してくれた村人には厚く礼を言い、茶屋四郎次郎 から礼金をはずませたのだが、村人たちはむしろ、平八郎の気迫と右手に輝く“蜻蛉切”に 恐れおののき、ほとんど脅迫されるようにして道案内を請け負わされたのだった。

 一行が普賢寺谷あたりを通過するころ、すでに深夜も過ぎていた。
 この先に、木津川がある。
 木津川は、伊賀の柘植川、服部川、名張川などを合わせてできた山城(京都府南部)を貫通 する大河で、やがて京の宇治川と合流し、淀川になって大阪湾へと注ぎ込む。これを渡るに は、船が必要であった。
 家康は、里の民家を借りて一行に休息を与え、食料の調達を命じると、平八郎を木津川へ と先行させた。

 道案内の村人を引きずるようにして駆けた平八郎は、木津川の草内(くさじ)という渡し場 に辿り着いた。
 しかし、まだ夜明け前である。辺りには人影さえなく、むろん船などは見当たらない。
 川辺を走り回った平八郎は、ずいぶん上流までいったところで柴を満載した船2艘を目 ざとく見つけ、近くに小屋を発見した。

 この小屋に住んでいた柴売りの親子こそ哀れであった。
 板をぶち破るような勢いで乱打される戸の音で早朝に叩き起こされただけでも迷惑なのに、 恐る恐る戸を開けてみると、仁王のような大男が槍を握って立っているのである。
 殺されると思ったとしても無理はないであろう。

「すまぬが、表の船を買い取りたい」

 平八郎が頼んでも、動転してしまったのか交渉にさえならない。

「あの船は柴を運ぶ船でありまするゆえ、人を渡すための船ではござりませぬ。なにとぞ ご勘弁くださいまし」

 と、土下座して泣き出す始末で、無駄に時間ばかりが経ってゆく。そのうち、平八郎の 方がキレてしまった。

「四の五のぬかさず、早うあの柴を棄てよ!」

 “蜻蛉切”の石突で地面を叩き、一喝した。
 柴売りの親子は大慌てて小屋を飛び出し、泣く泣く柴を棄てた。

 船を得た家康は、無事に木津川を越えた。
 平八郎は、一行が渡り終わるや船の底を“蜻蛉切”の石突で突き砕き、ニ艘とも川に沈め てしまった。追っ手を考えての用心であったが、柴売りの親子にとっては悪夢のような 出来事であったろう。茶屋四郎次郎に頼んで十分過ぎるほどの銭を与えてやりはしたが、彼 らはまるで天災にでもあったように呆然としていた。

 家康たちが木津川を渡ったのは、6月3日の午前6時ごろのことである。
 ちょうどそこに、長谷川秀一からの急使を受けた山口秀康が派遣した重臣2人と70人ほど の雑兵が到着した。ここからは、この人数が一行の護衛と道案内を務めることになった。
 京都の南郊の宇治は茶の産地で、この辺りも茶畑が多い。一行は濃厚な茶葉の香りを嗅ぎ ながら、宇治田原の山口城へと急いだ。

「三河守殿、よう参ってくだされた。ここまでお来しなされた以上、1人も狼藉などさせ申 さぬゆえ、安堵してくだされよ」

 山口秀康は、家康一行を歓迎し、直ちに食事を提供して休息させ、城の門を厳重に警備す るよう家臣に命じた。

「糧食、馬、路銀その他、御入用のものがあれば、なんなりとお申し付けくだされよ」

 家康はこの山口秀康の厚意に甘え、強行軍で弱っている馬を何頭か元気なものと取り替え てもらった。
 一行は、山口城で2時間ほど休息し、3日の正午頃にここを出発する。
 家康はこの休息の間に、伊賀の地侍らに対する根回しを服部半蔵に命じ、半蔵と配下の伊 賀者たちを伊賀へと先行させた。




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