歴史のかけら


合戦師

42

 天正3年5月21日の天が、真上に昇る頃のことである。
 中休みに入っていた武田方の陣城で、突然 押し太鼓が乱打され、法螺貝の音が響き渡り、 武田勢の南端から山県昌景隊が、北端から馬場信春隊が、敵陣に向けて一斉に飛び出した。
 両隊は連子川の目前まで突出し、前面の防御柵に篭る敵に向かってつるべ打ちに矢を放 ち、散発ながら鉄砲も撃ちかけ、これまで通りの飛び道具での攻撃を行った。

「また来たぞ! 追い返せ!」

 織田-徳川連合軍の将士は、土塁から半身だけを出し、慣れた調子で矢を放ち、鉄砲を浴 びせかけ、これに応戦した。早朝から何度も繰り返された小競り合いであり、敵がそれ以上 接近して来ないことを男たちは知っていたから、このときはまだ、軽口をきく余裕さえあっ た。

「こんな楽な戦もないわ!」

「まったくじゃ!」

「お屋形さまの偉さよ! 天下の武田勢が、近づいても来られぬわ!」

 やがて潮が引くように敵勢が下がり始め、男たちは安堵の息をついた。

 すべて、武田勢にとって、予定の軍事行動であった。


 すぐさま次の陣太鼓が鳴り響き、武田勢がおめき声を上げながら、全線に渡って怒涛のよ うに押し寄せてきた。

(・・・今度は、来る!)

 平八郎は直感した。
 敵勢から迸る鬼気が、これまでのような緩んだものではまるでない。 足軽の端々までどの顔も死を決した必死の形相であり、圧倒されるほどの猛気を噴き出して いた。

「鉄砲組、備えよ!」

 装填を終えた鉄砲隊を土塁に折敷かせ、平八郎は敵の猛進を直視していた。


 織田-徳川連合軍が雨のように浴びせかける矢弾をものともせず、雄叫びを上げながら連 子川を押し渡った武田勢は、面も上げずに空堀に飛び込み、一斉に土を掴んで斜面を登り始 めた。

「よう狙え! 一発で撃って取れ!」

 土塁の上の足軽たちにとって、これほど簡単な殺人もなかったであろう。ほんの10数m先 にいる抵抗のできない相手に向かって矢と鉄砲を浴びせかけるだけで、最強といわれる 武田の武者どもがばたばたと死んでいくのである。矢も鉛玉も、面白いように敵に命中し、 柵の外はたちまち阿鼻叫喚の地獄絵となった。
 武田勢も、撃たれてばかりではない。
 柵に取り付く部隊を援護するように、後方から石が、矢が、鉛玉が、敵陣に向かって次々 と放たれ、土塁の上の将士をバタバタと打ち倒してゆく。

 こういう形の消耗戦になれば、柵と土塁で守られ、敵の三倍以上の兵力を誇る織田方が、や はり圧倒的に有利であった。織田勢も徳川勢も、土塁の上から味方の頭越しに敵を至近距離 から狙撃できるため、狙いが正確で外れがほとんどない。しかし攻める武田勢は、味方が 邪魔になるために思うように飛び道具さえ使えないのである。
 しかし、武田勢は引かない。

(・・・・・強い!)

 平八郎は思った。
 信玄が鍛えた武田勢の、この驚異的な勇猛さというのはどうであろう。撃たれても撃たれて も、彼らは戦慄すべき粘り強さをもって執拗に柵へと群がり、柵を切り崩そうと、あるいは 引き倒そうとし、ある者は自ら柵をよじ登り、ある者は柵から槍を突き出してまで攻撃して くる。
 平八郎は自ら強弓を引き絞り、柵にへばり付く敵勢を次々と射落としながら、槍隊を柵際 まで引き出して必死に防戦させる一方、土塁の上でめまぐるしく隊列を入れ替えて、鉄砲と 弓で後方から槍隊の援護をさせた。


 信長は、極楽寺山の本陣が前線から遠すぎると感じたのか、今朝の小競り合いが始まるや 軍勢を率いて前進し、自分の本陣を、家康が本陣を据える前線間近の高松山と名づけられた 小高い丘陵へと移していた。

「三河殿、どう見る?」

 信長が武田勢の猛進を凝視しながら言った。

「鳶の巣山の陥落を、敵が知ったのでありましょう。本気で総攻めを始めたようでござりま すな。しかし・・・敵ながら怖ろしいほどの勇猛さと言わねばなりませぬ」

「・・・うむ。さすがは信玄の武者どもじゃ」

「しかし、織田殿のこの陣城の堅さには、さしもの武田の武者どもも難儀致しておるようで ござりまするな」

「それよ。・・・いつまでも、阿呆のように正面から攻めてはくるまい」

 信長の言葉の通りであった。
 最初に退却したはずの馬場信春隊と山県昌景隊が、味方の総攻撃に隠れて引き下がりつつ 迂回運動を始めていたのである。

「掛かれ掛かれ!」

 囮となる武田の侍大将たちは、全戦線にわたって、命を捨てて柵へと猛進してきた。
 武田勢の勇敢さと命令に対する忠実さはというのは、恐るべきものがあった。味方の屍を踏 み越えて遮二無二柵に取り付こうとし、柵を乗り越えようとし、織田-徳川連合軍にとって これ以上ない恰好の的になった。
 敵が柵に取り付くや、土塁の上からすかさず槍隊が突出し、柵に張り付いている武者どもを 虫でも殺すように突き殺し、土塁の上からは狙い澄ました狙撃が行われ、血がしぶき、肉が 跳ね飛び、凄まじい勢いで屍の山が築かれていった。

 そのころ山県昌景は、戦場を大きく南にそれ、街道を使って軍勢を猛進させていた。
 一面の水田と湿地が広がるこの設楽ヶ原では、正面攻撃をする部隊は馬がほとんど使えな い。勝頼はあらかじめ全軍から武勇の騎馬武者を引き抜き、機動力と突撃力に富む特殊な部 隊を編成して山県昌景に預けていたのである。
 設楽ヶ原の南側には、連子川の橋へと向かう街道が一本通っている。内藤昌豊、原昌胤ら と入れ替わって前線から一時退却した山県隊は、待機していたこの特殊部隊と合流し、街道 を利用して怒涛の如く防御柵の南側へと殺到した。

「それ、来おったぞ!」

 徳川勢の最右翼――野戦要塞の南端に配置されていたのは、大久保忠世、忠佐兄弟が率い る三河岡崎衆であった。いち早くこの新手に対応して要塞から南進し、橋を封鎖するよ うに展開して山県昌景隊を迎え撃った。

「放てぇぇっ!」

 大久保忠世は鉄砲隊を斉射させ、繰り変わった弓隊に矢を射掛けさせ、隊伍を乱した敵に 向けて槍を揃えて突きかかった。

「止まるな! 突き抜けよ! 駆け抜けよ!」

 山県昌景は自ら馬を駆り、大久保隊に波状攻撃を掛けつつ、一隊をさらに迂回させ、これ に連子川を渡河させ、大久保隊の側面から突きかからせた。
 逆に半包囲を受けた大久保隊は、ここでも三河者の粘り強さを発揮し、懸命に踏み止まっ て防戦した。

「あの大久保という者、武勇抜群であるな。良き武者は、膏薬のように敵にべったりと張り付 いて離れぬものじゃ。我が家中には、あれほどの者はおらぬ」

 その奮戦振りは、戦場を遠望している信長をさえ驚嘆させるほどであった。
 しかし、『赤備え』の勇猛さは比類ないものであり、いかに大久保忠世が奮戦しても一手で 支えきれるものではない。しかも、あの山県昌景に防衛ラインを突破されては、味方にどれだ け被害がでるか解ったものではなく、背後に敵を受けた前線の部隊がうろたえて崩壊してしま う怖れさえある。
 家康は手元に置いていた虎の子の鉄砲隊3百を急派し、さらに予備隊にしていた長男 の松平信康隊を右翼に急行させ、全力でこの迂回部隊を押さえにかかった。

 大乱戦になった。
 山県昌景の働きは凄まじく、馬上で采配を口に挟み、自ら槍を取って敵を突き伏せ、手勢を 手足のように進退させては突撃を繰り返し、驚異的なことだが九度までも敵に打ちかかり、 圧倒的な兵力と火力を誇るはずの徳川勢に悲鳴を上げさせた。

「大将を討ち取れ! 狙い撃て!」

 大久保忠世は鉄砲隊に命じ、馬上で阿修羅のように奮戦する山県昌景に向け、筒先を揃え て一斉射撃させた。山県昌景は銃弾を身体中に浴び、馬上から数mも跳ね飛ばされ、その まま絶命した。
 大将の山県昌景を失った南側の迂回部隊は、しかし逃げることも散ることもなく、全員 が死兵となって戦い、その後1時間以上にわたって徳川勢を大いに苦しめた。

 ようやく敵を壊走させた後、大久保忠世が見たものは、すでに味方によって首を持ち去られ ている山県昌景の遺体と、その周りで折り重なるようにして死んでいる何十人もの侍のたち の骸であった。
 名将と呼ばれたこの男が、生前どれほど士卒から慕われていたかということの、これ以上 ない証拠であったろう。




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