歴史のかけら
41
午前5時―― 「今から敵を攻める」 勝頼は宣言するように言った。 「先鋒は馬場、山県の両将。この軍勢を皮切りに、全軍が前面の敵陣に向かって攻めかけよ。 ただし、敵陣に接近しすぎてはならぬ。あくまで弓、鉄砲での小競り合いに終始し、時機を 見て退却し、敵を柵の中から誘い出すよう努めよ」 勝頼は、敵陣への勝手な突撃を厳しく戒めた。
勝頼に言われるまでもなく、この本陣に集められた歴戦の猛者たちは、信長が篭った野戦
要塞の厄介さと怖さというものを解りすぎるほどに理解していた。 もっとも当人に言わせれば、信長は合戦をする気がそもそもなかった。 (勝頼が諦めて帰ってくれるなら、普請をする方が合戦をするより安い) という純粋な損得勘定からこの堅固な野戦要塞を築いており、要塞を堅固にすればするほ ど勝頼のやる気が殺がれ、武田勢の戦意が殺がれるであろうことを見越し、合戦そのものより もむしろ、この要塞が持つ戦争抑止力にこそ信長は期待を懸けていたのである。 それほどの野戦要塞に、何の策もなく正面から力攻めをするというのでは、集団自殺をす るのとなんら変わりがないであろう。
「決して柵から出てはならぬ! 弓と鉄砲でのみ戦をし、柵にとりつこうとする敵は槍で 突き殺し、柵を死守することのみ考えよ! 抜け駆けの功名は一切認めぬ! 必ず我が下知に 従って進退せよ!」 信長は、全軍にこの指示を徹底していた。
掛け声と共に、轟然と鉄砲が火を噴き、20本の火線が霧の設楽ヶ原に吸い込まれた。 「二番組、前ぇっ!」 発射を終えた組を後方へ下げ、ただちに新手の鉄砲足軽を土塁の上に折敷かせ、再び敵に 向かって斉射させる。 「次! 弓勢っ!」 平八郎は、今度は隊列を弓隊と入れ替え、次々と矢継ぎ早に矢を放たせた。
先込め式の火縄銃は、弾丸の装填動作にひどく手間がかかる。一発の射撃に必要な
時間で、早弓なら楽々と10本は放つことができてしまうだろう。火砲装備が充実している
織田勢でさえ、飛び道具の主力はあくまで弓でなのである。
防御陣の最前列に配備された織田勢も徳川勢も、土塁から半身だけを出し、迫り来る武田
勢に向かって轟然と鉄砲を放ち、次々に矢を撃ち込んだ。 (やはり、信長は出て来ぬか・・・)
開戦3時間、小競り合いにのみ終始する戦況を見て、勝頼は満足していた。数日は、こう
して長篠城を陥落させるための時を稼ぎ、同時に信長が「武田勢は愚直に柵へ向けて攻撃し
てくる」という意識を持つように仕向け、要塞に篭る敵の将士を油断させ、迂回攻撃の秘策
を悟らせないようにし続けねばならない。
酒井隊が長篠城に駆け込み、包囲部隊を壊走させ、その陣屋に火を放って焼き払ったの
が午前10時ごろのことである。 「なんじゃあの煙は!?」 最初は、長篠城が燃えているのかと思った。むしろ、常識的な判断であったであろう。し かし、壊走した攻城部隊の一部が勝頼の陣地に逃げ込んで来たために、事態が明瞭となっ た。 「では、すでに鳶ノ巣山が陥ち、長篠城を囲んでおった部隊が壊走し、敵の大部隊が城に 入ったと申すのか!?」 勝頼は、このとき初めて蒼白な顔になった。 (・・・・一生の不覚!)
悔いてもすでに遅すぎた。
勝頼は、なにがなんでも長篠城をまず陥とし、そこに足場を確保してから設楽ヶ原に出る
べきであった。そうすれば、少なくとも別働隊を各個撃破されることはなく、後方を遮断さ
れることもなく、堂々と織田-徳川連合軍と渡り合うことができたであろう。 (・・・・・・・・・・やってやろうではないか!)
勝頼の目が据わっていた。 (あの陣城を抜き、信長と家康の首を獲り、わしが勝つ!) 勝頼はただちに使番を走らせ、諸将を本陣に集めた。 「鳶ノ巣山が陥ち、長篠城に敵の大部隊が入った!」 勝頼は正直にすべてを話し、諸将に決死の覚悟を固めさせようとした。前面の信長の野戦 要塞を撃砕し、敵を叩きのめして大壊走させる以外、もはや武田勢が生き残る道はないと説 いた。 「これよりただちに総攻めを行い、信長と家康の首を引きちぎり、敵を突破して甲府へ凱旋 いたす!」 「馬鹿な!!」 逍遙軒 武田信廉が怒鳴った。 「長篠城を陥とすことがことが叶わなかった以上、もはやこの三河討ち入りは目当て(目的) さえ失っておりまする! 事ここに至れば、殿(しんがり)にこの陣城を任せ、全軍をもって 後方の敵を突き破り、信濃へと退却するが上策!」 勝頼は激怒した。 「決戦致すは、この勝頼がすでに“楯無しの鎧”に誓いを立てたこと! 叔父上、臆された か!」 「このわしを、臆病者呼ばわり致すか!」 勝頼の暴言に激昂した武田信廉が太刀に手を掛け、周りの重臣たちが慌ててその身体を押さ えつけた。 「勝頼! 兄 信玄が生涯を賭けて育てた武田家を、貴様の代で潰す気か!?」 信廉は、凄まじい目つきで甥を睨みつけた。 「言葉に気をつけられよ、叔父上! 我が子 信勝が成人致すまでは、わしがこの武田の 大将ぞ! 我が父 信玄の言葉をお忘れか!」
勝頼の決戦の決意は固く、もはや、議論することは何も残されていなかった。
|