歴史のかけら
38これを伝え聞いた三河者たちは、凄まじいまでに反応した。 「それで勝頼は、磔にした強右衛門を、城兵の前で殺したと申すのか!?」 (・・馬鹿な・・・!)
平八郎は怒りで身体が震えだすのを抑えることができなかった。 「信玄入道が生きておれば、このような仕打ちは決してせなんだであろう・・・」 信長の岡崎到着の以前までは、徳川家中には武田に寝返ってしまえと極論する者さえあ ったのだが、そういう家中の親武田の雰囲気までがこの勝頼の暴挙によって消し飛び、 「勝頼許すまじ」という敵愾心が、猛烈な勢いで全軍に膨れ上がった。 家康は怒りに青ざめた顔で、吐き捨てた。 「勝頼という男は、勇士の遇し方というものを知らぬのか!! 武田の武略もいよいよ末じゃ! 自分の主君に対して忠義を尽くす侍を、憎しと言って殺すなど、一軍を率いる大将のする ことか!!」 家康はこのとき、武田勝頼という男を、同じ武門の棟梁として本気で軽蔑した。 「強右衛門のような忠烈の者は、敵であっても命を助け、その志を賞してやるのが大将の道 というものじゃ。そうしてはじめて、自分の家臣たちに忠義とはどういうものかが解り、忠義 の者ならば敵でさえこれを愛するということで、主君の慈愛というものが下々にまで伝わる のじゃ!」 強右衛門の自分に対する健気さを思い、家康の巨大な瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落 ちた。 「いまに見ていよ! 勝頼が武運尽きるとき、武田家の侍どもは、譜代恩顧の士といえど必 ず心変わりし、ことごとく勝頼の敵となるであろう・・・!」 家康のこの予言は、後年、すべてその言葉通り実現されることになる。
(信長はなんのつもりじゃ・・・?)
勝頼は判断に迷った。 「敵の数はおよそ4万。お味方の倍以上の大軍と見受けまする」 織田の大軍勢に徳川勢が加わったのだから、そのくらいの数は覚悟の上だったが、物見に 行った者たちの報告は、別の部分で勝頼を驚かせた。 「敵は、設楽ヶ原の南北半里(2km)にわたって長大な柵を植えておりまする」 (柵だと・・・?) 城の救援に来ていながら、こちらに打ちかかることもなく、自陣の前に柵を植えるとはど ういうことであろう。 勝頼自身も、わずかな手回りの旗本を連れて敵情を視察に出た。 (・・・なんじゃ、これは!?) 織田勢が、徳川勢が、にわか人足にでもなったように必死になって穴を掘り、その土をか き上げて土塁を築き、出来上がった空堀の手前に運んできた木材で馬防ぎの柵を植えている。 その規模たるや、とても夜襲を警戒するときのような一時的なものではなく、南北に見渡す 限りという長大さであり、柵も空堀も土塁も、二重三重といった呆れるほどの厳重さである。 (信長は、よほどわしの軍勢が怖ろしいらしいな・・) 勝頼としては、そう思わざるを得ない。 (信長の心胆、いよいよ知れたわ) 勝頼は、本陣に帰ると諸将を集め、さっそく軍議を開くことにした。
勝頼自身が真っ先に口を開いた。 「皆も、あの備えを見たであろう。あれは我らを怖れるのあまり、如何に怪我をせぬように 戦うか、という工夫じゃ。信長は、長篠城を救う気もなければ、我らと戦う気もないと見 た!」 「ごもっともでござりまするな」 山県昌景が、珍しく勝頼に同意した。 「わしも、あれほどの陣城は見たことも聞いたこともござりませぬ。4万もの敵に、あの 陣城に篭られては、戦になりませぬな」
信長は、設楽ヶ原に長大堅固な要塞を作ろうとしていた。これこそが、信長が擁していた
「策」であった。
天下最強と言われる武田軍団の野戦の強さというのは、何度も自軍を破られた経験を持つ
信長は、嫌というほど知っていた。信玄に訓練し尽くされた甲州勢は戦国のどの軍
勢よりも駆け引きが巧みであり、歴戦の武将たちは名うての合戦巧者ばかりであり、これと
広大な戦場で正面から決戦するほど馬鹿げたことはなく、それではいかに信長が敵に倍する
兵力を持っていても安心して戦えたものではない。 三千挺もの鉄砲を擁し、敵に倍する兵力を持ってこの要塞に篭る限り、たとえ相手が神で あろうと、信長は絶対に負けない自信があった。信長はむしろ、勝頼が打ちかかってきてくれ るのを待ってさえいたのである。 (勝頼が、よほどの馬鹿でない限り、兵を引くであろう) というのが信長の観測であり、それで十分な戦略的勝利であると言えた。先にも述べたが、 信長にとってこの局面では、武田勢を追い返しさえすればそれでよかったのである。
開戦に先立ち、自軍の野戦陣地を構築するというこのアイデアは、近代の戦争でこそ常識
になっているが、ごく小規模のものを除けば、これ以前の本邦の戦争史において皆無であっ
た。この規模の雄大さこそが信長の独創であり、「桶狭間」における機動部隊による奇襲
作戦と共に、信長の天才性を長く後世に伝える証拠になった。
馬場信春が言った。 「ただで兵を引くのがお嫌ならば、長篠城だけでも陥とし、これを手土産にして捲土重来を 期しては如何か?」 当然の意見であったであろう。並居る武将たちが、この信春の発言に同意した。 「美濃(馬場信春)よ、何を申しておる?」 勝頼は、不思議なものでも見るように馬場信春を見た。 「あの逃げ回っておった信長が、ようやく我らの目の前に出てきておるのだぞ? 信長に決 戦を強いる、またとない好機ではないか」 「な・・・! あの陣城に篭った敵に、戦を仕掛けると言われるのか!?」 諸将が騒然となった。 「陣代殿、それはなりませぬぞ!!」 亡き信玄の弟であり、信玄の側近中の側近であった逍遙軒 武田信廉が、床几を蹴って立ち 上がり、力説した。 「陣代殿は、武田家を滅ぼすおつもりか! ここで勝ち目の薄い戦を仕掛けてなんになりま しょう!」 「では叔父上に伺いましょう・・・」 勝頼はゆっくりと立ち上がり、背後――上座に恭しく据え置かれた武田家の家宝 “楯無しの鎧”を撫でた。 「我らが信長に戦いを挑むたびに、信長が陣城を築き、そこに篭ればなんと致します? 叔父上はそのたびに、信長に尻尾を向けて逃げまするのか?」 「・・・そ・・それは・・・!」 「我らは遠く甲府から、わざわざ三河や美濃まで出向き、そのたびに戦もせずにおめおめと 引き返さねばならなくなる、ということでござるが、それでも良いと申されるか?」
一同に、声はなかった。これは、勝頼の言う通りなのである。 「・・・いや、まだ他にやりようはござる。此度は出直し、信長の援軍が来ぬうちに三河勢 を叩き、遠江と三河を押さえるというのは如何か。五ヶ国の兵を結集すれば、織田勢ともまた 違った戦ができましょう」 馬場信春が声を励まし、勝頼を諌めた。 「美濃ともあろう者が、耄碌したか!」 勝頼は、決して暗愚な男ではなかった。馬場信春の議論は、すでに時期を逸してしまって いることが解っていた。 「浅井、朝倉が健在であれば、あるいはそちの言うことも通るであろう。しかし、近江、若 狭、越前ともに信長のものとなった今日、信長は日を与えれば、長島の一揆勢を殺し尽くし たように六角の残党どもを滅ぼし、阿波の三好三人衆を滅ぼし、ついには石山の本願寺をも 滅ぼすぞ。そうなってしまってから、遠江はともかく、三河なぞ手に入れられると思うて か!」 場に、深沈とした空気が流れた。誰もが、勝頼に反論できるだけの言葉を持たなかった。 「ひとたび我らが守勢に回れば、領国を固め終わった信長が、逆に信濃へと攻め入って参ろ うぞ。この信長を叩くは、今をおいてない! わしはこの“楯無しの鎧”に誓うぞ! もは や決戦をするに議論は不要! 我が祖先の霊に逆らう者あれば、今この場で武田家を去れ!」 勝頼は決然と、設楽ヶ原での決戦を決めた。
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