歴史のかけら


合戦師

37

 武田勝頼に包囲された長篠城は、善戦していた。

 城将 奥平信昌は、まだ20歳そこそこの青年武将である。
 「山家三方衆」の奥平氏の一族だが、 勝頼から寝返って家康に仕えることにした奥平貞能の長男で、後年 家康の長女 亀姫を娶り、 家康の娘婿になる男である。この頃まだ「貞昌」と名乗っていたのだが、この長篠城での奮戦 を認められ、信長から「信」の字を貰って「信昌」と改名することになるので、この稿では 「信昌」で通したい。

 信昌の長篠城での働きというのは凄まじく、3百の鉄砲を5段に配して雨あられのように 武田勢に銃弾を浴びせかけ、ときに城門を打って出て突撃し、1万5千という圧倒的兵力を 擁する武田勢を、たった5百の手勢でさんざんに悩ませた。
 信昌には、一族が武田から徳川に寝返ったとき、武田の人質になっていた弟を、勝頼に磔 (はりつけ)にされて殺されたという経緯があった。信昌は、その肉を食いちぎってやりたい ほどに勝頼という男を憎んでおり、決死の覚悟で阿修羅のように奮戦したのである。

「しばらく支えておれば、必ず殿さまが後詰め(救援)に来てくださるぞ! 皆みな、気張れ や!」

 信昌は、自ら櫓に登っては太鼓を乱打し、手の皮が破れ、血が流れるのも構わずに叩き 続け、味方の士気を必死で鼓舞し続けた。このときの“血染めの太鼓”は、現在、長篠城址史 跡保存館に保管されている。

 武田勢に長篠城が包囲される寸前、信昌は家康へ救援を要請していた。長篠城の戦略的価 値を考えれば、家康は絶対にこれを見捨てることはしないであろう。
 しかし、3日支え、5日待っても、後詰めの軍勢はいっこうに姿を見せなかった。

(殿さまは、我らを捨てなさるおつもりか・・・?)

 さすがの信昌にも焦りが募る。
 信昌には、憎い勝頼に降る気は毛ほどもなかった。家康が救援に来ると言うならできる限 り時間を稼ぐ戦い方もするが、救援に来ないならば、兵が疲弊する前に自ら敵に突撃し、華 々しく玉砕してやるくらいの覚悟でいたのである。
 だからこそ、家康にそもそも救援の意図があるのかないのか、これは是非とも確認してお かなければならない。

「なんとかして、殿さまと繋ぎ(連絡)を取らねばならぬ・・・」

 しかし、1万5千の大軍勢によって、アリの這い出る隙間もないほど厳重に包囲されてし まっている長篠城から、抜け出すなどは容易なことではない。
 躊躇しているうちにも武田勢の猛攻は続き、13日の夜半、名将 馬場信春の夜襲によって 城の一部が切り崩され、食料庫までが奪い取られてしまった。

(もはや、一刻の猶予もない!)

 信昌は城内の兵士に、決死の使者を募った。

「わしが、参りましょう」

 名乗り出たのは、鳥居 強右衛門(すねえもん)という雑兵だった。

「このままでは、城は幾日も保ちますまい。わしが必ず殿さまに急を伝え、後詰め(援軍)を 連れてまいりまする!」

 長篠城は、豊川(寒狭川)と大野川の合流点に作られた城で、この二筋の川が天然の 堀になるよう設計されていた。強右衛門は14日の夜、闇に紛れて豊川へ滑り込み、潜り泳いで 武田勢の包囲を突破した。途中、雁峰峠で狼煙をあげ、脱出に成功したことを城内に知らせる と、駆けに駆けて15日の夕刻、ついに岡崎へと辿り着いたのである。

 この15日、ちょうど信長が岡崎へと到着している。
 疲労でふらふらになっていた強右衛門は、石川数正に付き添われ、家康と信長たちが軍議し ていた本陣に伺候し、篭城の様子を詳しく伝えた。

「もはや数日分の糧食さえなく、城将 奥平信昌殿は、もし後詰めが願えないのならば、城か ら最期の突撃をし、三河者の怖ろしさを勝頼めに思い知らせてやりたし、と申されております る! なにとぞ、疾(と)く疾く後詰め致してくだされまするよう、伏してお願い申しあげま する!」

 力尽きたように、強右衛門はその場でがっくりと土下座した。

「強右衛門、安心せい!」

 家康は力強く頷いた。

「もはや、織田殿の加勢(援軍)も来てくだされた。明日にも長篠城へ押し出し、必ず武田勢 を打ち砕き、皆を救うてくれようぞ!」

「命懸けの使者、大儀。必ず後詰め致すによって、安堵せい」

 信長も快く請合ってくれた。

「・・おぉ・・・嬉しや・・!」

 強右衛門は号泣していた。自分の苦労も、長篠城に篭る将兵たちの死を賭した努力も、一 時に救われたような気になった。

「さればそれがし、すぐさま長篠城へ馳せ帰り、この悦びを皆みなに伝えとうござる!」

「強右衛門、我らは明日にも岡崎を発つ。長篠へは、そのときに共に行けばよい」

 家康は慰留した。再び長篠城へと出向けば、今度こそ武田勢に捕まって殺されてしまわぬ とも限らないのである。家康は、この勇士を殺すに忍びなかった。

「殿さまのお言葉、ありがたくは存じまするが、今、この時も必死で城を守っておる仲間た ちのことを思いますれば、わし一人が安穏としておるわけには参りませぬ。必ず長篠城に帰 り着き、皆と共に城にて防戦し、殿さまの後詰めを待ちとうござりまする!」

 強右衛門は聞かず、疲れきった身体をおして、長篠城へととって返した。


 強右衛門には運がなかった。
 強右衛門は、寄せ手の武田勢の足軽に扮装し、城まであと一歩というところまで近付いた ものの、ついに露見し、斬り抜けようとしたが果たせず、無念にも捕縛されてしまったので ある。

 医王寺山の武田の本陣には、信玄以来の重臣たちがびっしりと居並んでいた。
 中央で床几に腰掛けていた勝頼は、引き出されてきた密使――強右衛門を見て思った。

(殺すは易いが、それもつまらぬな・・・)

 とっさに計略を思いついたのである。

「間者よ、命が惜しくはないか?」

「くだらぬことをぬかすな! 早う殺せ!」

 元より死は覚悟の強右衛門である。捕まった以上、命乞いする気は毛頭なかった。

「三河者は頑固よな・・・」

 勝頼は冷笑した。

「まぁ、聞け。おぬしが、城に向かって、『援軍は来ぬ』と叫ぶのじゃ。さすれば命を助け、 大禄を与え、わしが使うてやる。どうじゃ?」

「陣代殿、御無用になされよ!」

 話を聞いていた山県昌景が口を挟んだ。

「間者は斬ればそれで済む話でござる。そのようなことをせずとも、今日明日には城は陥ち まする」

「黙れや、昌景!」

 勝頼には焦りがあった。強右衛門を捕らえるまでもなく、織田の大軍が岡崎城まで来てい るという情報が、ばら撒いてある諜者からすでに入っているのである。この上は一刻も早く 城を陥とし、後詰めに来る敵に備え、これを返り討ちにしたい。

「無理攻めなどして兵を損ぜずとも、援軍が来ぬと城方が絶望すれば、士気も落ち、すぐさ ま降伏し、城を開けるかもしれぬではないか!」

(我が知略を見よ!)

 と、勝頼は誇りたかったであろう。
 しかし、名将と謳われたほどの武田の重臣たち――山県昌景や馬場信春らは、この若造の 浅知恵に呆れる思いだった。

「無用どころか、かえって悪しゅうござる。早う総攻めの下知を出されよ」

 馬場信春が、山県昌景に和した。
 勝頼は、何かというと自分に反抗する信玄子飼いの小姑たちが不快でたまらなかった。 これまでの軍歴と軍功を鼻にかけ、信玄から武田家を任された自分をないがしろにし、子供 扱いし、軽蔑さえしている臭いがある。

「うぬらに意見など聞いておらぬ!」

 勝頼は強右衛門に近付き、その顎を捻り上げた。

「どうじゃ? 家康に何石貰うておるかは知らぬが、わしの言うことを聞けば、いまの禄の 倍を与えてやってもよいぞ?」

 強右衛門は考えていた。
 ここで勝頼の顔に唾を吐きかけ、殺されてしまうのは簡単である。しかし、それでは肝心 の援軍の情報が、城に篭っている味方に伝わらなくなってしまう。
 同じ死ぬなら――

「・・・・百石、お約束頂けましたなら、そのように仕りまする」

「おぉ! よう料簡した。百石、確かに約したぞ!」

 勝頼は、強右衛門を磔柱に縛りつけるよう命じ、それを城方からよく見えるところまで運 ばせた。


 奥平信昌は、早朝から行われていた城攻めの防戦で疲れきっていた。
 敵がいったん中休みに入ったのか、寄せ手の声が遠ざかり、ようやく人心地ついたときに、 その報告が来た。

 櫓門に駆け登った信昌が見たものは、磔柱に縛りつけられ、高々と掲げ上げられた強右衛 門の姿であった。

「鳥居 強右衛門じゃ!」

「おぉ、強右衛門に間違いないぞ!」

 すべての城兵たちが、この瞬間の光景を固唾を飲んで見守っていた。槍を持った雑兵たち に取り囲まれた強右衛門は、驚くべきことに、まだ生きているのである。褌一丁の素裸で両 手両足を大の字に縛り付けられ、巨大な目を見開いた強右衛門は、櫓門に群がる自分たちを まっすぐに見詰めている。

「早う致せ。『後詰めは来ぬ。城を明け渡した方が良い』と叫ぶのじゃ」

 組頭らしい兜を被った男が、槍の先で強右衛門の脇腹を突いた。

「城の衆っ!!」

 強右衛門は声を限りに叫んだ。

「殿さまは大軍を率い、すぐそこまで来ておるぞっ!! もうしばらくの辛抱じゃ!! 頑張 れぇっ!!」

「貴様っ!?」

 雑兵たちは激怒した。一斉に十数本の槍が、強右衛門の身体を貫いた。
 奥平信昌は、城兵たちは、この一部始終を見ていた。強右衛門の身体が文字通り串刺しに され、全身から血が噴き出した。強右衛門は大量の血を吐きながら、巨大な眼でまっすぐに 城兵たちを見つめ、やがて力尽きたようにがっくりと頭を垂れた。

「強右衛門っ!!」

 城兵たちは怒りと憎悪で、疲れも死の恐怖も忘れ去った。

 鳥居 強右衛門のこの英雄的な死のおかげか、長篠城が陥ちることはついになかった。




38 へ

戻る


他の本を見る

カウンターへ行く


e-mail : nesty@dp.u-netsurf.ne.jp