歴史のかけら
31浜松に逃げ帰った家康は、 「それにしても山県という者、怖ろしき武将じゃ。殺されるところであった・・」
と、感嘆したと『三河物語』にある。
敗走する徳川勢をもっとも苛烈に追い回したのは、山県昌景の『赤備え』と馬場信春の『白
備え』の両部隊であった。 千人近くまで膨れ上がった平八郎の壊走部隊というのは、だからかえって狙われにくい。 武田の士卒にとって、味方の大勝利の中で討ち死にするほど馬鹿げたことはなく、攻撃力を 維持している大部隊にわざわざ小勢で挑みかかるよりも、ばらばらに逃げていく敵を狩るほ うがはるかに易しく被害も少なくて済むのである。しかし、大部隊であるがゆえに、敵の目 に付くということも、また間違いがない。結果として平八郎たちは、山県、馬場という信玄自 慢の名将たちの組織だった攻撃にさらされることになった。
これほど困難な殿戦もないであろう。 「叔父御! これではどうしようもないぞ!」
平八郎にとって、この殿戦ほど辛かったことは生涯なかった。平八郎自身の
武勇がいかに優れていようとも、この広い三方ヶ原で四方から雲霞のように群がり襲ってく
る武田勢をどうこうできるものではない。しかも先刻からみぞれ混じりの雨さえ降り始めて
おり、凍えた身体に真冬の風までが吹きつけ、平八郎たちの体力を削ぎ落とすようにして
奪ってゆくのである。 「気張れや平八郎! わしより20も若いお前が、先に音を上げることは許さぬ!」 忠真はすでに体力を消耗し切っていたが、それでも懸命に気力を振り絞って声を出し続け、 まわりの将士を励まし続けていた。 「いま少しじゃ! 三方ヶ原さえ降りてしまえば、森もあり、林もあり、防ぐ場所も隠れる場 所もある! いま少し辛抱せい!」
大所帯になってしまっている壊走部隊では、家康がしたように道なき道を一直線に駆けて
ゆくわけにもいかない。どうしても街道付近を移動していかざるを得ず、そのことがさらに
武田勢の追撃を容易にしていた。 「叔父御! もうすぐ坂じゃ! 三方ヶ原が尽きるぞ!」 平八郎は懸命に馬を駆けさせながら叫んだ。 「平八郎! お前はお味方の真っ先に立って駆け下り、あたりの敵を蹴散らせ!」 「心得た! 叔父御はなんとする?」 「わしは踏み止まって、追っ手を防ぐわい!」 「馬鹿な!!」 平八郎は愕然とした。この消耗し切った状況で、猛然と突きかかってくる武田勢を防ぎ止 められるものではない。 「殿(しんがり)にはわしが立つ! この平八郎が、見事武田勢を止めてみせるわ!」 「馬鹿をぬかすな、平八郎! お前は殿さまを守らねばならぬ! 忘れたか!」 忠真は一喝した。 「本多の“平八郎”が命を張るは、三河の殿さまのためぞ! こんなところで武田の葉武者 と命を賭けて争うてなんになる!」
歴代の“平八郎”――平八郎 忠勝の父も祖父も、家康の父 広忠のために常に
命を張って働いてきた男たちであった。祖父 忠豊にいたっては、広忠を守るためにその影
武者になり、奮戦の末に壮絶な討ち死にをさえ遂げており、平八郎は、そういう父祖の死に
働きを子守唄のようにして育てられてきたのである。忠真の言うことは、もちろん頭
では理解できていた。 「叔父御! 死ぬ気か!?」 師であり親代わりでもあった忠真を、平八郎は死なせることはできなかった。そんなこと は、平八郎の感情が許さない。 「議論しておる暇はないわ! 坂はもう目の前ぞ! 早う行け!」 「叔父御!!」
忠真は、壊走部隊から自分の本多隊だけを引き抜き、馬の足を止めた。 「浜松まで一気に駆け抜けるぞ!! 皆みな、我に続け!!」 溢れ出る涙は、すぐさま落ちかかる氷雨が洗ってくれた。平八郎は壊走部隊の先頭に立ち、 群がる武田勢を突き破って一散に浜松への道を駆け抜けたのだった。
平八郎は独り、忠真たちが踏み止まった三方ヶ原の坂へと赴いた。 「・・・・・・お・・叔父御っ・・!」
平八郎は呆然とその光景を見詰めた。
平八郎は、忠真だったものを抱きかかえ、生まれて初めて、声を上げて泣いた。 |