歴史のかけら


合戦師

31

 三方ヶ原で家康の本隊を決定的に突き崩したのは、戦線に復帰した山県昌景率いる『赤備 え』部隊であった。家康が本隊から繰り出す三河勢を槍で布でも突き通すように次々と撃破 し、ついには家康の本隊を中央から突き破り、家康を丸裸にして単騎敗走を余儀なくさせた のである。
 浜松に逃げ帰った家康は、

「それにしても山県という者、怖ろしき武将じゃ。殺されるところであった・・」

 と、感嘆したと『三河物語』にある。
 家康はこの山県昌景の武勇と『赤備え』の恐怖を生涯忘れず、本多信俊という剛勇の武者の 息子に本多山県と名乗るよう命じたり、後に武田家を滅ぼし、その遺臣を大量に迎え入れたと き、これをお気に入りの井伊直政にまとめて預け、その軍装を赤色で統一させ、「井伊の赤備 え」という最強部隊を作ったりしている。


 さて、平八郎の殿戦(しんがりいくさ)へと話を戻したい。

 敗走する徳川勢をもっとも苛烈に追い回したのは、山県昌景の『赤備え』と馬場信春の『白 備え』の両部隊であった。
 徳川勢はこの三方ヶ原の大敗北で、名のある将校級の人物も含めて実に1200人もが首を 獲られ、その数倍の負傷者を出し、回復するまでに相当の時間を要する大損害を受けるに至 るのだが、その大半が、武田勢の迅速にして執拗な追撃戦によって広げられた傷であった。
 逃げ惑う敵を後ろから突き殺すのは、猟師が弓で獲物を狩るよりもはるかに容易である。 この追撃戦での武田勢というのは、足軽まですべてが、まさに血に飢えた猟師であった。

 千人近くまで膨れ上がった平八郎の壊走部隊というのは、だからかえって狙われにくい。 武田の士卒にとって、味方の大勝利の中で討ち死にするほど馬鹿げたことはなく、攻撃力を 維持している大部隊にわざわざ小勢で挑みかかるよりも、ばらばらに逃げていく敵を狩るほ うがはるかに易しく被害も少なくて済むのである。しかし、大部隊であるがゆえに、敵の目 に付くということも、また間違いがない。結果として平八郎たちは、山県、馬場という信玄自 慢の名将たちの組織だった攻撃にさらされることになった。

 これほど困難な殿戦もないであろう。
 場所が地理を知り尽くした三方ヶ原であり、辺りが夕闇に溶けはじめているとはいっても、 多数の怪我人を抱えた壊走部隊の移動速度は、どうしても武田勢に劣る。平八郎や忠真がい かに戦上手であっても、一隊を率いて踏み止まって敵を防いでいる間に本隊の方が多数の敵 に横撃されたり、敵の別働隊に先回りを許してしまったりしては防ぎ切れるものではなかっ た。
 壊走部隊は、鉋(カンナ)で削り取られるようにして脱落者を出していった。

「叔父御! これではどうしようもないぞ!」

 平八郎にとって、この殿戦ほど辛かったことは生涯なかった。平八郎自身の 武勇がいかに優れていようとも、この広い三方ヶ原で四方から雲霞のように群がり襲ってく る武田勢をどうこうできるものではない。しかも先刻からみぞれ混じりの雨さえ降り始めて おり、凍えた身体に真冬の風までが吹きつけ、平八郎たちの体力を削ぎ落とすようにして 奪ってゆくのである。
 敵の返り血で真っ赤に染まった平八郎は、片時も休まず“蜻蛉切”を振り回しているの だが、気力の限界は、体力の消耗と共に確実に迫っていた。

「気張れや平八郎! わしより20も若いお前が、先に音を上げることは許さぬ!」

 忠真はすでに体力を消耗し切っていたが、それでも懸命に気力を振り絞って声を出し続け、 まわりの将士を励まし続けていた。

「いま少しじゃ! 三方ヶ原さえ降りてしまえば、森もあり、林もあり、防ぐ場所も隠れる場 所もある! いま少し辛抱せい!」

 大所帯になってしまっている壊走部隊では、家康がしたように道なき道を一直線に駆けて ゆくわけにもいかない。どうしても街道付近を移動していかざるを得ず、そのことがさらに 武田勢の追撃を容易にしていた。
 しかし、防ぎどころがないわけでもない。
 三方ヶ原は盛立った台地であり、その周囲は切り立った崖のようになっている難所さえあ るくらいで、軍勢が登り降りできる地点は限られている。つまり、壊走部隊を三 方ヶ原が尽きるところまでもってこられれば、敵を防ぎとめつつ味方を逃がすことができる 場所もあるのである。そして、それはそう遠いところではなかった。

「叔父御! もうすぐ坂じゃ! 三方ヶ原が尽きるぞ!」

 平八郎は懸命に馬を駆けさせながら叫んだ。

「平八郎! お前はお味方の真っ先に立って駆け下り、あたりの敵を蹴散らせ!」

「心得た! 叔父御はなんとする?」

「わしは踏み止まって、追っ手を防ぐわい!」

「馬鹿な!!」

 平八郎は愕然とした。この消耗し切った状況で、猛然と突きかかってくる武田勢を防ぎ止 められるものではない。

「殿(しんがり)にはわしが立つ! この平八郎が、見事武田勢を止めてみせるわ!」

「馬鹿をぬかすな、平八郎! お前は殿さまを守らねばならぬ! 忘れたか!」

 忠真は一喝した。

「本多の“平八郎”が命を張るは、三河の殿さまのためぞ! こんなところで武田の葉武者 と命を賭けて争うてなんになる!」

 歴代の“平八郎”――平八郎 忠勝の父も祖父も、家康の父 広忠のために常に 命を張って働いてきた男たちであった。祖父 忠豊にいたっては、広忠を守るためにその影 武者になり、奮戦の末に壮絶な討ち死にをさえ遂げており、平八郎は、そういう父祖の死に 働きを子守唄のようにして育てられてきたのである。忠真の言うことは、もちろん頭 では理解できていた。
 しかし――

「叔父御! 死ぬ気か!?」

 師であり親代わりでもあった忠真を、平八郎は死なせることはできなかった。そんなこと は、平八郎の感情が許さない。

「議論しておる暇はないわ! 坂はもう目の前ぞ! 早う行け!」

「叔父御!!」

 忠真は、壊走部隊から自分の本多隊だけを引き抜き、馬の足を止めた。
 見る間に、平八郎たちとの距離が離れて行く。
 馬上からその後姿を見やった平八朗の目には、大粒の涙が零れていた。

「浜松まで一気に駆け抜けるぞ!! 皆みな、我に続け!!」

 溢れ出る涙は、すぐさま落ちかかる氷雨が洗ってくれた。平八郎は壊走部隊の先頭に立ち、 群がる武田勢を突き破って一散に浜松への道を駆け抜けたのだった。


 この翌日、武田信玄は浜松城を囲むこともなく、整然と西へ去った。

 平八郎は独り、忠真たちが踏み止まった三方ヶ原の坂へと赴いた。
 そこには、幼い頃から平八郎を可愛がってくれた本多隊の人々の無残な死骸が、累々と 横たわっていた。

「・・・・・・お・・叔父御っ・・!」

 平八郎は呆然とその光景を見詰めた。
 身体中に矢を浴び、何創も槍で貫かれ、首を掻き獲られてしまった漆黒の武者の遺体が、 坂の下へ足を向け、うつ伏せになって倒れていたのである。

 平八郎は、忠真だったものを抱きかかえ、生まれて初めて、声を上げて泣いた。



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