歴史のかけら


合戦師

30

 三河が、10年にも渡って今川家の属領になっていたということはこれまでも何度か述べて きた。
 今川義元にその保護を求めて以来、三河武士たちというのは、常にもっとも苛烈な戦場に 放り込まれ、何度も絶望的な戦いを強いられてきたという奇妙な歴史を持っている。今川義 元が死んでからは同盟者である信長から使い倒され、越前では敵中に置き去りにされ、姉川 では倍近い朝倉勢を一手で引き受け、この数年は天下最強といわれる武田信玄の重圧を支え 続けて戦ってきた。
 家康が誇る三河武士団の強さの秘密というのは、ひとつにはもっとも悲惨な戦場を何度も 経験し、常に絶望の中のわずかな希望にすがって生き抜いてきたということにもあったの かもしれない。

 武田信玄の罠にまんまと引き出され、その強大な軍勢よって完膚なきまでに叩きのめされ た三河武士たちの凄さというのは、指揮系統を無茶苦茶に寸断され、大混乱し、全軍壊走す るその中で、それぞれが勝手に5人10人と群れ集まり、誰に指示されたわけでもないのに 手近な侍大将の元に集結し、なんとか組織を作ろうとしたところであったろう。
 長年に渡る敗戦と壊走の経験から、彼らは教えられるまでもなく、固まって退却することが 自分たちを守ることになるということを熟知していた。

 徳川勢の最後尾で退却を始めた平八郎の手勢には、榊原康政隊や石川数正隊からはぐれた 将兵や、各部隊の逃げ遅れた足軽や武者などが勝手に集まってきて、いつしか崩壊してしま った徳川勢の中では唯一といっていい“部隊”の姿になっていた。
 平八郎は声を限りに味方を励ましてこれを円陣に組織し、怪我人や老兵を中心に置いて四 方を固めさせ、自らその最後尾を受け持って全軍を撤退させた。

「走れ! 走れ! 脇目も振らずに駆けよ!」

 味方を追撃して走る武田の大軍勢の中で、大津波に翻弄される小船のように滅茶苦茶に揉 まれながら、平八郎は、忠真は、戦っては走り、走っては踏み止まって敵の追撃を退け、 陽の沈んでしまった三方ヶ原を駆けに駆けた。

 徳川勢にとって唯一の幸運は、戦闘の開始が夕闇迫る時刻であり、壊走を始めたころには その陽も暮れ、次第に降りてくる夜の帳(とばり)の中に紛れることができたことであろう。
 しかし、信玄の追撃は執拗だった。

「追え!」

 信玄は全軍に命じ、手元で出番を待っていた本隊の残り半軍をも解き放った。彼らは功名 手柄の機会が与えられたことに勇躍し、獲物を求める猛獣のようになって戦場を駆け抜け、 一散に逃げ散る徳川勢に襲い掛かり、浜松城まで突き崩すような勢いで追撃した。

(この際、三河の小僧の首が欲しい・・・)

 信玄は思ったであろう。
 上洛という大目的を掲げる信玄にとって、浜松に篭った徳川勢というのは、言ってみれば 歯に挟まったカスのように不快な存在であった。それをそのままにして西上せねばならないと 覚悟した矢先、家康が何を思ったのか自分から城を出て、わざわざ討たれに来てくれたのであ る。この瞬間をおいて家康を討つ機会はおそらく暫くはないであろうし、討てねば討てぬで 信玄は明日からでも西進を再開させるつもりでいる。
 しかし、この対徳川戦というのは信玄の西上作戦の大事な緒戦であり、緒戦における宣伝 効果というのがいかに政治的に巨大であるかということを信玄は知り抜いていた。勝つ以上は 大いに大勝し、できれば家康の首を獲り、信長に対抗して戦っている連中はもちろん、日和見 を決めている諸侯や織田家に従っている連中にまでもこれを大いに宣伝し、信長をさらに追 い詰めてやらねばならない。

「・・・寒いな・・」

 信玄は真冬の風に吹かれながら、残るわずかな旗本と後方に待機する戦闘力のない部隊に、 浜松へ向けて進軍するよう命じた。


 三方ヶ原で武田勢と徳川勢が戦った主戦場から浜松までは、実に10kmほどの距離がある。
 家康は街道を離れ、道なき道を疾風のように駆け抜けて浜松へと敗走していた。

(・・負けた!)

 腸(はらわた)の底からそれを思った。
 家康は怒りに任せて半ば勝手に信玄に挑みかかったのだが、自分が信玄に巧妙に誘い出さ れ、信玄の策に見事に嵌り、信玄の思惑通りに弄ばれ、完膚なきまでに叩きのめされたのだ と信じた。

(甲斐の入道(信玄)殿の怖ろしさよ・・・)

 勝ち目もあると思っていたところが、すべて見透かされ、裏を取られ、これだけの大敗北 を喫してしまったのである。家康のプライドと自信というのは、これ以上ないほどに粉々に 粉砕されていた。
 これから先のことを考えると、家康は気が狂いそうであった。
 たとえ無事に浜松まで帰りついたところで信玄が城を攻め始めるかもしれず、攻 めずに西へ向かったとしても本拠である岡崎を脅かされることは間違いがなく、しかもこの 敗戦を聞いた遠江や三河の豪族たちは雪崩をうったように信玄に寝返るであろう。そうな れば、生きていたところで、もはや「三河の徳川家康」は死んだも同然であった。
 ときにみぞれ混じりの雨までが降り始め、家康の心境は、すでに絶望さえ通り越してい る。

(なぜわしが逃げねばならんのだ・・・・!)

 家康は何度も自問したであろう。あの三方ヶ原の戦場で、斬り死にしてしまった方がよほ ど武士として美しいではないか――!
 しかし、家康の側近たちは、そんなことは許さなかった。

「殿がおわさねば、三河はまた闇になり申す!」

 三河武士たちは、他国の属領になることの辛さを骨身に沁みて味わっていた。10年の暗黒 時代、三河者たちは収穫を簒奪され、犬猫のように差別され、捨石のように戦場に放り込ま れてきた。しかも、どれだけ戦場で奮戦しても、褒美ひとつ、感謝の言葉ひとつ貰うことが できず、常に頭を踏みつけにされるような屈辱を強いられ続けた。三河武士の誰もが、二度 とあんな想いをしたくはない。そのためには、彼らの棟梁である家康を、なんとしても死な せるわけにはいかなかったのである。

「いまはともかく浜松へ!」

 彼らは、家康を引きずるように戦場から離脱させた。家康を落とすためなら、彼らは喜ん で自ら犠牲にさえなった。
 たとえば、鈴木久三郎という男は、家康の采配を奪い、

「わしが殿の身代わりになりまする! 早う落ちてくだされ!」

 と叫ぶや、手勢を引き連れてとって返し、たちまち武田勢の槍玉にあがり、何本もの槍先で 空中まで突き上げられ、無残な死を遂げた。
 たとえば松井忠次という男は、自分の鎧を家康の換えの鎧と取替え、家康の影武者とな って武田勢を引きつけ、逃げに逃げた。
 三河者という人間たちは、大なり小なり一人残らずこういう気持ちを持って家康と共にあ ったのである。そういう人間たちの命を張った好意と信頼を、むげに踏みにじれるような家 康ではなかった。

 三方ヶ原の台地を駆け下り、犀ヶ崖を駆け過ぎたとき、ようやく家康にも多少の精神的な 余裕ができてきた。ただ一騎で走っていたはずの家康のまわりには、いつの間にか動物のよ うな嗅覚を発揮して十数人の三河武士たちが駆け集まってきており、家康はその連中に声を 掛けてさえやれるほどになっていた。
 このとき、前方――浜松の方から一隊の軍勢が駆け近づいて来た。浜松を守備していたは ずの夏目正吉であった。

「殿! ご無事でござったか!」

 夏目正吉は、このとき54歳。入道して宗円。家康の祖父の代から徳川家に仕えていたのだ が、三河一向一揆では一揆方の将として最期まで家康に抵抗した。それも、この男の強すぎ る忠誠心からのことで、それを知る家康は、忠誠の対象を阿弥陀如来に変えてしまった正吉 を罰さず、すべて許し、元の知行を与えて復さしめた。正吉はこのことに感激し、いつかは 家康のために命を捨てようと固く心に誓っていた。
 三方ヶ原での敗報に接した夏目正吉は、居てもたってもいられなくなり、わずかな手勢を 引き連れて家康を迎えに出てきたのである。

「正吉! 正吉!」

 武田の軍勢から命からがら逃れてきた家康は、浜松にいたはずの父親のような年齢の老臣 の顔を見て、張り詰めていた緊張の糸がついに切れてしまった。今さらながらに自分の情け なさと惨めさ、家臣に対する申し訳なさが全身からこみ上げてしまい、馬の足を止めるやが っくりと頭を垂れ、大粒の涙を止め処もなく流した。

「わしは負けたぞ! 負けたぞ、正吉・・・!」

 相手が、家康がその顔も知らない祖父 清康の代からの忠臣である。家康ほどの男が、つい やくたいもないことを口走り、心の痙攣を止められなくなってしまった。

「皆、死んだ! 皆わしが殺してしもうた! ・・わしも死ぬ・・・わしも死ぬるぞ!」

「何を仰せある! しっかりなされよ!」

 家康が、この極限状態で自分に甘えてくれているということに、この老臣は激しく感動し てしまっていた。震えるような感激の中で、夏目正吉は、家康のために自分の老いた命 を使うのは今をおいてないと確信した。

「殿のそのお命は、殿だけのものではござるまい! 殿が死ぬると申されるなら、それがし が代わりたてまつる! 今はともかく、浜松へ早う!」

 新たな追っ手の気配を敏感に察した正吉は、家康の馬の尻を刀の峰で激しく叩き、これを 疾走させた。
 家康が闇に紛れてしまうのと、武田方の一隊が殺到してくるのとはほぼ同時だった。家康 が見えなくなるまでその後姿を見送った夏目正吉は、わずか20数人という手勢を率いてその 場に踏み止まり、

「わしが徳川家康ぞ!」

 と絶叫し、迫り来る武田の武者たちを防ぎ止め、壮絶に戦って討ち死にした。

 「人間50年」と言われた時代の老兵にとって、これ以上ない死に様であったろう。




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