歴史のかけら
30今川義元にその保護を求めて以来、三河武士たちというのは、常にもっとも苛烈な戦場に 放り込まれ、何度も絶望的な戦いを強いられてきたという奇妙な歴史を持っている。今川義 元が死んでからは同盟者である信長から使い倒され、越前では敵中に置き去りにされ、姉川 では倍近い朝倉勢を一手で引き受け、この数年は天下最強といわれる武田信玄の重圧を支え 続けて戦ってきた。 家康が誇る三河武士団の強さの秘密というのは、ひとつにはもっとも悲惨な戦場を何度も 経験し、常に絶望の中のわずかな希望にすがって生き抜いてきたということにもあったの かもしれない。
武田信玄の罠にまんまと引き出され、その強大な軍勢よって完膚なきまでに叩きのめされ
た三河武士たちの凄さというのは、指揮系統を無茶苦茶に寸断され、大混乱し、全軍壊走す
るその中で、それぞれが勝手に5人10人と群れ集まり、誰に指示されたわけでもないのに
手近な侍大将の元に集結し、なんとか組織を作ろうとしたところであったろう。
徳川勢の最後尾で退却を始めた平八郎の手勢には、榊原康政隊や石川数正隊からはぐれた
将兵や、各部隊の逃げ遅れた足軽や武者などが勝手に集まってきて、いつしか崩壊してしま
った徳川勢の中では唯一といっていい“部隊”の姿になっていた。 「走れ! 走れ! 脇目も振らずに駆けよ!」 味方を追撃して走る武田の大軍勢の中で、大津波に翻弄される小船のように滅茶苦茶に揉 まれながら、平八郎は、忠真は、戦っては走り、走っては踏み止まって敵の追撃を退け、 陽の沈んでしまった三方ヶ原を駆けに駆けた。
徳川勢にとって唯一の幸運は、戦闘の開始が夕闇迫る時刻であり、壊走を始めたころには
その陽も暮れ、次第に降りてくる夜の帳(とばり)の中に紛れることができたことであろう。 「追え!」 信玄は全軍に命じ、手元で出番を待っていた本隊の残り半軍をも解き放った。彼らは功名 手柄の機会が与えられたことに勇躍し、獲物を求める猛獣のようになって戦場を駆け抜け、 一散に逃げ散る徳川勢に襲い掛かり、浜松城まで突き崩すような勢いで追撃した。 (この際、三河の小僧の首が欲しい・・・)
信玄は思ったであろう。 「・・・寒いな・・」 信玄は真冬の風に吹かれながら、残るわずかな旗本と後方に待機する戦闘力のない部隊に、 浜松へ向けて進軍するよう命じた。
(・・負けた!)
腸(はらわた)の底からそれを思った。 (甲斐の入道(信玄)殿の怖ろしさよ・・・)
勝ち目もあると思っていたところが、すべて見透かされ、裏を取られ、これだけの大敗北
を喫してしまったのである。家康のプライドと自信というのは、これ以上ないほどに粉々に
粉砕されていた。 (なぜわしが逃げねばならんのだ・・・・!)
家康は何度も自問したであろう。あの三方ヶ原の戦場で、斬り死にしてしまった方がよほ
ど武士として美しいではないか――! 「殿がおわさねば、三河はまた闇になり申す!」 三河武士たちは、他国の属領になることの辛さを骨身に沁みて味わっていた。10年の暗黒 時代、三河者たちは収穫を簒奪され、犬猫のように差別され、捨石のように戦場に放り込ま れてきた。しかも、どれだけ戦場で奮戦しても、褒美ひとつ、感謝の言葉ひとつ貰うことが できず、常に頭を踏みつけにされるような屈辱を強いられ続けた。三河武士の誰もが、二度 とあんな想いをしたくはない。そのためには、彼らの棟梁である家康を、なんとしても死な せるわけにはいかなかったのである。 「いまはともかく浜松へ!」
彼らは、家康を引きずるように戦場から離脱させた。家康を落とすためなら、彼らは喜ん
で自ら犠牲にさえなった。 「わしが殿の身代わりになりまする! 早う落ちてくだされ!」
と叫ぶや、手勢を引き連れてとって返し、たちまち武田勢の槍玉にあがり、何本もの槍先で
空中まで突き上げられ、無残な死を遂げた。
三方ヶ原の台地を駆け下り、犀ヶ崖を駆け過ぎたとき、ようやく家康にも多少の精神的な
余裕ができてきた。ただ一騎で走っていたはずの家康のまわりには、いつの間にか動物のよ
うな嗅覚を発揮して十数人の三河武士たちが駆け集まってきており、家康はその連中に声を
掛けてさえやれるほどになっていた。 「殿! ご無事でござったか!」
夏目正吉は、このとき54歳。入道して宗円。家康の祖父の代から徳川家に仕えていたのだ
が、三河一向一揆では一揆方の将として最期まで家康に抵抗した。それも、この男の強すぎ
る忠誠心からのことで、それを知る家康は、忠誠の対象を阿弥陀如来に変えてしまった正吉
を罰さず、すべて許し、元の知行を与えて復さしめた。正吉はこのことに感激し、いつかは
家康のために命を捨てようと固く心に誓っていた。 「正吉! 正吉!」 武田の軍勢から命からがら逃れてきた家康は、浜松にいたはずの父親のような年齢の老臣 の顔を見て、張り詰めていた緊張の糸がついに切れてしまった。今さらながらに自分の情け なさと惨めさ、家臣に対する申し訳なさが全身からこみ上げてしまい、馬の足を止めるやが っくりと頭を垂れ、大粒の涙を止め処もなく流した。 「わしは負けたぞ! 負けたぞ、正吉・・・!」 相手が、家康がその顔も知らない祖父 清康の代からの忠臣である。家康ほどの男が、つい やくたいもないことを口走り、心の痙攣を止められなくなってしまった。 「皆、死んだ! 皆わしが殺してしもうた! ・・わしも死ぬ・・・わしも死ぬるぞ!」 「何を仰せある! しっかりなされよ!」 家康が、この極限状態で自分に甘えてくれているということに、この老臣は激しく感動し てしまっていた。震えるような感激の中で、夏目正吉は、家康のために自分の老いた命 を使うのは今をおいてないと確信した。 「殿のそのお命は、殿だけのものではござるまい! 殿が死ぬると申されるなら、それがし が代わりたてまつる! 今はともかく、浜松へ早う!」
新たな追っ手の気配を敏感に察した正吉は、家康の馬の尻を刀の峰で激しく叩き、これを
疾走させた。 「わしが徳川家康ぞ!」 と絶叫し、迫り来る武田の武者たちを防ぎ止め、壮絶に戦って討ち死にした。 「人間50年」と言われた時代の老兵にとって、これ以上ない死に様であったろう。
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