歴史のかけら


合戦師

 ある夏の暑い日のことである。
 小夜は鍋之助の手を引いて、岡崎の大平川のほとりを歩いていた。
 平地の少ない三河だが、水手がある場所では田園が拓かれている。焼けるような日差しの 中、笠を被った人々が泥田に並んで田植えをしていた。田植え歌が、どこまでも高い空に 吸い込まれていく。

「母さま、どこへ行くのじゃ?」

 衣服をまとめた風呂敷を肩から身体に縛りつけ、小さな網代笠を被った鍋之助は、傍らの 母親に問うた。

「欠(かけ)のお城です。鍋之助どの、今日からそなたは、そのお城で暮らすのです」

 岡崎の欠城は、城ともいえない砦である。
 生前、鍋の父親である本多忠高が城主として任されていた城で、現在、忠高の実弟―― つまり鍋之助の叔父にあたる本多忠真(ただまさ)が、城代としてこの砦を守っていた。 小夜は、鍋之助を武士として教育するために、義弟である忠真に鍋之助を預けることにし たのである。

「女子の手のみでは、立派な武士を育てることはできませぬ。鍋之助どのを立派な武士にい たさねば、亡き父上に顔向けできず、また駿河におわす竹千代さまへの不忠ともなりましょう」

 小夜は鍋之助を見つめ、毅然として言った。

「今日より鍋之助どのは、叔父御を親とも師とも思わねばなりませぬ。一人前の男になるまで、 この母に逢うことは許しませぬ」

 鍋之助は4歳で、母との別離を経験した。


 叔父である本多忠真は、この頃まだ21歳の青年武将であった。

「鍋、よう来た!」

 鍋之助を抱き上げると自らその肩の上に乗せ、

「兄者を越える男になれ。わしが一から鍛えてやる」

 と言って笑った。
 忠真は明るく快活な人柄で、年若いわりに武勇は早くから知られ、亡き忠高とともに戦場 を往来しては武功を樹てていた。忠高亡き後も、分家の当主として本多党をよくまとめ、 本多党の戦場での評価を下げさせることはなかった。

 鍋之助は6年間、この叔父の元で育てられることになる。
 身体の鍛錬はいうに及ばず、読み書きや馬の世話などといった武士としての心得や、行儀 作法、また松平家臣としての心得等、本多宗家の後継ぎとして必要な知識を、鍋之助はこの 叔父から学んだのである。


 鍋之助10歳の冬。
 忠真の薫陶の甲斐もあって、鍋之助は同年代の少年たちからは抜きん出て頭角を現しつつ あった。
 動作の機敏さは尋常でなく、馬の扱いは大人よりも上手い。身体は少年とは思え ぬほどに大きくなり、膂力も体力も子供のレベルをはるかに超えていた。
 しかし、師であり養父である忠真をなにより喜ばせたのは、鍋之助が非常に注意深い少年 であるということであった。

「良き侍とは・・・」

 忠真はことあるごとに鍋之助に説いた。

「主人の意を汲み、主人のために働き、主人のために死ぬ侍である」

 忠真は、この言葉の中で、「主人の意を汲む」とういうことをもっとも大切にせよと言い 続けた。主人が今何を望み、何を考え、何を欲し、何をしようとしているのかを、察する男で あれというのである。
 そのためにもっとも必要な資質は、「観察力」であるだろう。
 物心付いた頃から、鍋之助は些細なことにもよく気が付く少年であった。
 例えばあるとき、鍋之助が世話をしていた馬が、厩舎の中で膝を折り、動かなくなるとい う事件が起きた。馬は寝たり起きたりを繰り返しているものの、どうしても歩こうとしない。 呼吸が落ち着かず、前足であがく。
 原因がわからず、「これは風邪でございましょう」などと断を下す大人たちを尻目に、 鍋之助は何時間もその馬の身体を調べ、ついに馬の後ろ足の蹄の裏側の温度の異常を発見し てのけたのである。
 これは蹄葉炎といわれる症状で、過度の運動や体重増加などによる脚部への負担から蹄骨と 蹄の結合が悪くなることで起こる。気づかぬまま無理に運動を続けさせると、やがて馬が歩 くことができなくなり、立てなくなり、つまるところ死ぬしかなくなるのだが、鍋之助の注 意深さは、馬の蹄の普段の温度を知っており、その僅かの異常を感知できたという一事でも 知れるであろう。

「鍋は、必ず本多の家を興す男になる」

 と、忠真はこの甥が自慢の種であった。


 この年、鍋之助の環境に劇的な変化が起こった。
 竹千代がいる駿河へ、行くことになったのである。

 松平党では、駿河で人質生活を送る竹千代の身のまわりの世話や遊び相手を努めさせるた めに、常に数人の小姓を駿河へと派遣していたのだが、今回新たに駿河へ交替の小姓を送る にあたり、何百人といる家中の少年の中から鍋之助が選ばれたのだった。

「鍋どのは果報者じゃ」

 本多党の人々は、鍋之助が得た幸運を我がことのように喜んだ。
 殿様の小姓といえば、常に殿様の傍にあり、その目に触れる機会が多い。自然巧名手柄の 機会も多く、殿様に気に入ってもらえれば、その後の出世にも繋がっていくことになるであろ う。

「鍋、常に戦場におると思うて片時も気を抜かず、殿さまのために死ぬ気で励め」

 忠真からの激励を受け、岡崎中の人々に見送られながら、鍋之助は駿河へと赴いて 行った。




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