歴史のかけら


合戦師

21

 平八郎隊が再び天竜川を渡り、駆けに駆けて徳川軍の先鋒部隊に追いついたとき、元亀 3年(1572)10月13日の陽は、すでに傾きかけていた。

 大久保忠世、内藤信成に率いられていたはずの先鋒隊は、隊伍を乱して凄まじい勢いで引 き返してきているところだった。
 瞬間、平八郎は事態を悟った。

(武田に気付かれ、はや戦が始まったか!)

 平八郎が戻る前に、戦端が開いてしまったことは明白であった。

 信玄というのは、家康に輪をかけて慎重な男であった。常に神経質なほどに戦場諜報に気 を配り、行軍中でも戦闘中でも四方に多数の偵察者を放ち、自軍の周辺を掌で指すほどに知 り尽くさなければ安心できない。
 たとえば今回の西上作戦についても、信玄は、遠江、三河の浪人者を大量に雇い入れ、これ を徳川領に派遣して何ヶ月もかけて徹底的に地理や地形などを調べ尽くしている。この念の 入れようは、『甲陽軍鑑』によれば、

「遠州、三河の絵図を作って、両国の険難の地、あるいは大河、小河の流れよう、一村、一 里あたり渡河できる場所がいくつあるかなどを調べ、また深田や溜まり池など注意すべきも のがどこにあるかということを、この絵図に細かく書き入れた」

 と、いうことになる。
 これほどの信玄である。徳川軍の大物見(威力偵察隊)が接近していることに気付かぬは ずはなかった。
 しかし、2千や3千の軍勢などは、信玄にとって巨象の周りを飛び回る蜂にも等しい。 信玄は、これを無視して軍を進めることにした。ところがしばらくするうちに、大久保、内藤 両隊が不用意に接近しすぎ、その姿を武田軍の前にさらしてしまったのである。こうなると、 武田の士卒のほうも黙ってはいない。

「我らが、一揉みに揉み潰して参りましょうか?」

 先鋒大将である馬場 美濃守 信春が、信玄に戦闘許可を求めてきた。
 馬場信春はこのとき58歳。信玄の父の代からの重臣で、武田四名臣に数えられ、信玄から 「一国一城の太守となっても人後に落ちぬ」と評されたほどの人物である。40年以上に渡って 数え切れないほどの戦場に赴き、1度も傷を負わなかったところから“不死身の鬼美濃”と いう異名さえ持つ猛将であった。

「三河の小僧に、甲州勢の槍の鋭さを見せてやるのも一興か・・・」

 信玄は、これを許した。
 たちまち馬場隊3千が猛反転し、怒涛の勢いで徳川勢に挑みかかってきた。

「信成、こんなところでお味方の人数を減らしてはつまらぬ。わしが踏みとどまって殿(し んがり)仕るゆえ、皆々を早う逃がせ!」

 大久保忠世は決死の覚悟を固め、自分の手勢を辺りに展開させた。
 忠世はこのとき41歳。徳川家の中核を担って戦い続けた歴戦の勇士で、後に徳川16神将に も数えられ、家康への忠誠とその無私な人柄は三河で知らぬものがなかった。ちなみに『三 河物語』を記し、後に講談などで“天下のご意見番”と囃された大久保彦左衛門の兄でも ある。

 忠世は自らの1隊で敵の突進を防ぎ止めようとし、先鋒隊を総退却させはしたのだが、か つてこれほど怖いと思ったこともなかったであろう。馬蹄を高らかに轟かせ、猛獣の群れの ような武田の騎馬武者が、津波のような迫力で自分に向かって突撃してくるのである。

(・・わしもいよいよ死んだか・・・)

 氷雨に打たれるような感覚が、忠世の全身の肌を粟立たせた。
 そのとき――

 そのときである。
 襲い掛かる馬場隊に向かって身構える大久保隊の後方――三河勢が駆け去った方向から、 不意にもうもうと白煙が立ち上り、風に乗ってたちまちあたりに充満し、武田勢の視界を奪 い去った。

「・・・・・・・な、なにごとじゃ?」

 煙に巻かれた大久保隊も狼狽したが、その白煙の中から不意に軍勢が現れ、

「大久保殿、今のうちじゃ! 早う逃げなされ!」

 鹿角の兜を被った漆黒の武者が、大声で怒鳴り上げたのである。

「おぉ! 平八郎、戻ったか!」

 忠世は生き返ったような気分になった。状況はなにも好転してはいないのだが、平八郎と いう若者には、何か人に希望を与えてしまうようなところがあるらしい。

「殿さまは、はや浜松にお帰りなされたぞ! もはや長居は無用! 大久保殿、殿(しんが り)はそれがしにお任せくだされよ!」

 それだけ言うと、平八郎は風のように駆け去った。

 驚いたのは、馬場信春とその家来たちであった。
 前方から白煙が流れてき、見る間に視界を覆ってしまい、躊躇したところへ、不意に煙の 中から奔馬のような軍勢が現れ、猛烈な体当たりを仕掛けてきたのである。

「敵は小勢ぞ! 慌てるな!」

 訓練し尽くされた甲州兵はさすがに混乱することもなく、すぐさま反撃に移ろうとした。 しかし平八郎隊は、鳥が水面に向かって急降下するように馬場隊に一当て入れると、そのま ま白煙に向かって疾風のように駆け去ってしまった。

「小癪な真似をしくさる! 追うぞ! 逃がすな!」

 呆然としたのもつかの間、馬場隊は我に返ったように敵を追撃しようとした。
 その出鼻を挫くように、再び平八郎隊が駆け去ったとは逆の方向から現れ、馬場隊に突撃し、 風のようにまた煙の中に駆け去った。

「小僧、我らを弄(なぶ)るか!」

 叫んだものの、馬場信春も歴戦の猛者である。逆上してしまうような若さはない。三度目の 敵の突撃があるものと身構え、全軍の足を止めた。
 それこそが、平八郎の狙いであった。平八郎隊は、馬場隊の鼻先で円を描くように運動し、 2度だけ突撃し、そのまま後方に向かって離脱していたのである。

「おのれ! 追え! 皆殺しにせよ!」

 白煙が徐々に晴れ、事態に気付いた馬場信春は、勢いも凄まじく三河勢を追撃し始めた。

 平八郎は、逃げてくる味方を見、とっさにこの煙幕を思いついた。
 人数を使って、あたりの民家からありったけの戸板や筵、畳や藁束などを集めさせ、それ を路上のあちこちに山のように積み上げ、火を放って湿気をたっぷりと含んだ煙を噴き上げ させたのである。逃げる三河者の姿を敵からくらますだけでなく、視界を遮れば地理に疎い 敵の方向感覚さえも狂わせることができるだろう。
 天の配剤か、風向きまでが平八郎に味方した。

「三河者は、なかなか面白き戦をする・・・」

 この様子を遠望していた信玄は、敵がやったこととはいえ、その鮮やかな手並みに感心する だけの余裕があった。

「しかし、あのような小細工で、美濃(馬場信春)の軍勢から逃れることはできぬ」

 信玄は、念のために後詰めの1隊を派遣して馬場隊を追わせると、全軍を準戦闘態勢で展 開し、馬場信春の帰還を待つことにした。

 武田軍団の優秀さは、この西上作戦にあたって信玄が作らせた三河、遠江の絵図を、すべて の物主(小隊長)と物頭(部隊長)に覚えこませていた点であろう。彼らは初めての敵地に飛び 込んだにも関わらず、道に迷うことも方向を見失うこともなく、また悪所に迷い込むことも なく、錯綜した地形の中で住み慣れた土地のようにすらすらと行動することができた。
 しかし、平八郎も三河の武士たちもそんなことまでは知らない。
 追ってくる敵を巻くために、右に左に進路を変えながら進んだため、直線的に追いかけて くる武田勢にかえって追いつかれ、一言坂(磐田郡豊田町)あたりでついに補足されてしま った。

「ここらで踏みとどまって、お味方が天竜川を渡る時間を稼がねばならんな」

 平八郎は決意し、坂の上に手勢を集結させた。
 追撃してきた馬場隊は3千。平八郎が率いるのは3百の手勢のみである。

「ものども、武田勢とて鬼神ではない! わしに従って戦えば、恐るるに足らんぞ!」

 “蜻蛉切”を構え、馬上で叫ぶ平八郎の眼下で、猛将 馬場信春の“花菱”の銀の馬標 (うまじるし)が、夕日の残光を受けて黄金色に輝いていた。




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