歴史のかけら


合戦師

 伊勢の桑名は、水運の町である。
 古くから木曾三川を利用した木材の集積地であり、伊勢湾貿易の盛んな殷賑の港町であり、 東海道唯一の海路として江戸期以降には「七里の渡し」でも有名になっている。
 その桑名はいま、灰神楽が舞うような賑やかさの中にあった。後に「慶長の町割り」と呼 ばれることになる新しい町づくりのために、近隣から大工や左官や石工や人足などが集まって、 町中が活気に溢れているのである。

 その町づくりを統括している男たちが、川舟に揺られていた。
 花曇の天を写した川面は、鈍色(にびいろ)に輝きながらゆったりと船を運んでゆく。
 葦(あし)が、草むらのように川辺を埋めていた。
 遠くを眺めるような眼差しで船べりにもたれていた身なりの立派な初老の武士が、ふと思 い立ったように船頭が握っていた櫂(かい)を取り上げた。

「のう忠政、この櫂で、あの葦を薙いでみよ」

 隣に座っていた壮年の武士に櫂を手渡した。

「・・・? なんの座興でござりましょうや、親父殿?」

「良いから、まぁ、やってみよ」

 初老の武士は静かな笑みを浮かべながら、息子が握った櫂を見つめていた。

「・・・は。・・・では!」

 忠政と呼ばれた男は中腰になり、揺れる船を気にしながら櫂を振りかぶると、薙刀を横殴 りにする要領でそれを葦に叩き付けた。

 ブゥゥゥン!!

 空気を切り裂く音も凄まじく、うなりを上げて櫂が疾り、群れ茂る葦を見事に薙ぎ 倒した。

「・・・いかがでしょう?」

 師匠を仰ぐ工匠のような表情で、忠政は父親を振り返った。
 同じ船に乗り合わせていた他の男たちも、興味深そうに二人に視線を投げている。

「・・・・・ふむ」

 初老の男は、息子から櫂を取り戻すと、握りの部分を少し確かめるようにしながら、

「・・・まぁ、そんなところであろうな」

 と呟くように言った。
 と、次の瞬間、なんの予備動作もなしに、男は右腕一本で櫂を振っていた。

 シュン―――

 男のあまりの自然な動作に、一瞬男たちはあっけにとられたような表情になった。何かが 起こった――そう思った瞬間には、もうすべてが終わっていた。
 男が船頭に櫂を返したとき、鎌にでも刈られたように、切り口も鮮やかな葦が、船と共に 川をゆったりと流れはじめていた。

「・・・・・・・・・・・・・」

 絶句する息子と男たちを眺め、初老の武士は静かに笑った。

「・・・『関ヶ原』が済んだいま、もはやお前たちが自ら槍を振るわねばならぬこともある まい。このような芸ができたとて、太平の世では座興に過ぎぬ」

 忠政は、あらためて“家康に過ぎたるもの”と言われた父を仰ぎ見た。

 徳川四天王に名を連ね、名槍“蜻蛉切”を携えて合戦に合戦の日々を重ね、 57度の戦場で一度も傷を受けなかったという伝説を持つこの老いた男は、名を、 本多 平八郎 忠勝と言う。



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