深  淵


猟  犬 (3)



「そのランプについて、その老人は何も言わなかったのかね?」

 それまで沈黙していた野垣が不意に口を挟んだので、一瞬澤は ビクリと顔を上げた。話の途中で質問されるとは思ってなかったの かも知れない。

「え・・・と、確か、そう、言ってました。・・・そのランプは気の 遠くなるほど昔に造られたもので、アラブ人の・・・なんとかアル バザードいう人の持ち物だったらしい、って。その後、何人もの人 の間を巡り巡って、こんな吹き溜まりの古道具屋に埋もれてるんだ って・・・。・・・確か、そんなこと言ってました」

 言いながら、今度は澤が野垣の表情を凝視していた。
 野垣の雰囲気から、話がどうやら重要な部分にさしかかっている ようだと、この疲れた男も気が付いたのであろう。
 果たして−−
 野垣の表情は、そのアラブ人のさわりにさしかかったとき、明ら かに変わっていた。その変化は、向かいで見ていた澤から見れば、 驚くほど大きなものであり、そのアラブ人の名前がいかに事件に大 きく関与しているのか、容易に想像することが出来るのだった。

「そ、そのアラブ人について、何か知ってらっしゃるんですか!?」

「いや・・・話を続けてくれんか・・・」

 自分の驚きの大きさが相手に伝わってしまったことを、野垣は少 々悔いていた。無用な不安を相手に与えることは、野垣には珍しい 失態といえた。

(私の仕事は相手の不安を取り除くことだ・・・)

 意識しつつも、野垣は思わざるを得ない。

(もしそれが、“狂えるアラブ人”アブドゥル・アルバザードに関す る話であったなら・・・)

 事態は急激に真実性と緊迫感が増す。
 それだけに、話の腰は折るべきでなかった。
 野垣は先を促した。

「えっと、・・・それから・・・ランプを手に入れてから、僕はさ っそく部屋に帰ってランプを磨いて、油を入れて火を付けてみました。
 えっと、・・・ここで、不思議なことが起こりました。
 後から考えると、僕はなんだか眠ってしまったらしいんですが、 どうにも・・・何というか、異常に生々しい夢を見たんです」

「夢かね・・・」

「えぇ。僕の視界一杯に、太古のジャングルと言ったらいちばん ピッタリくる光景が広がっていました。僕は植物について学んでい るのですが、あたりには被子植物と思われるようなモノは少しも無 くて、大半が巨大な裸子植物で・・・。
 辺りを見回すと、空には始祖鳥を思わせる巨大な鳥や、プテラノ ドン?・・・のような爬虫類や、ムカデとトンボを合わせたような昆 虫が飛んでいて・・・。
 僕はそこでいろんなモノを見ました。ほとんどが恐竜の図鑑に 載っているようなヤツでーーといっても、僕はジュラシック・パーク にでてくるようなメジャーなヤツくらいしか知りませんが−−その世 界はやはり、太古の地球であったのだと思います。
 そこでの僕は、自由に動き回ることができたので、そのままふら ふらと、道無き道を進んでいきました。
 それで、あるところで、何か・・・間抜けた口笛を吹くような音 と何かを叩いているようなガチガチいう音が聞こえてきました。
 それは−−近くにいるいるようでしたが、はっきりと聞き取ることは できませんでした。その音には少なくても3種類があるようで、不思 議なことに、まるで会話でもしているように響き合っていました。
 僕はその声?・・・に向かって歩きました。
 ・・・そして、巨大なシダを掻き分けて、
 ・・・僕は見たんです・・・!

 爬虫類ともほ乳類とも違う、いや、明らかに地球で進化したとは 思えないような、思いたくもないような「モノ」がそこで蠢いている のを・・・!

 それは・・・その・・・三角錐の肉の塊に・・・触手を乗っけ たうよな・・・ぶよぶよした気持ちの悪い生き物は・・・!」

 額に汗を浮かべた青年は、そこで不意に集中を解いた。
 自嘲気味な冷笑を浮かべ、再び言葉を継いだ。

「・・あぁ、すみません。・・・どうにも、混乱していますね・・・。 コイツの話は止めにしましょう。どうにも・・・僕は想像力が逞しい ようだな・・・。こんな埒のない夢を語ったところで、教授は夢判 断をしてくれるワケでもないでしょうし・・・。僕が今悩まされてい ることとは、直接関係もありませんしね・・・」

「埒もない夢、かね・・・? 確かに、そう考えるのがいちばん利 口なやり方かもしれんな・・・」

 野垣は重々しい口調でそう言うと、目を細め、沈みゆく夕日を眺 めた。光線の角度はさらに低くなり、山の峰で削られ始めた太陽が、 今まさに断末魔の輝きを放っていた。

「夢では・・・ないと?」

 青年は、好奇と不安を交えた複雑な表情で野垣を見つめた。
 もし野垣が、この青年の疑問を肯定するならば、青年はこれまで、 何も知らずに偽りで塗り固められた世界に住んでいたことになる。そして それは、これまで一笑に付していた様々な迷信、言い伝えが息を吹 き返し、恐怖に満ちた不気味な胎動を始めることになるのではない のか・・・。
 青年は、野垣の口元を見つめた。

「そうは言わんよ」

 再び視線を青年に戻し、野垣は言った。

「ただ、21世紀になった今日でも、科学で解明できないことは多い ・・・ということさ。真実を知る者は少ない。
 門は、その狭きがゆえに、くぐる者もまた少ない・・・と言うとこ ろかな」

「・・・?」

 青年は、明らかな当惑の表情を浮かべた。
 目の前の賢人の言う意味が判らないわけではない。けれど、そ れをどう解釈すべきか、この神経質そうな青年には判断できなかっ た。

「あぁ・・・すまない。歳を取ると、どうにも理屈っぽくなってし まってね」

 その訪問者の表情を見取って、野垣が気を利かせた。

「続きを聞かせてくれないか。話の本題は、ここからなんだろう?」

「あぁ・・・。えぇ、そうです」

 我に返って、青年は語り始めた。


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