深 淵
猟 犬 (2)
「始まりは、1月ほど前のことです。
その日・・・確か日曜日だったと思うんですが、論文の製作で
煮詰まってしまった僕は、ふらっと散歩に出たんです。別に、あて
があってのことじゃありません。僕は良く散歩をするので、いつも
通りという感じでした。
で、その日はどういうわけか、いつもと違う角を曲がったんです。
別に理由があったわけじゃありません。ただ、ちょっとした気分転
換のつもりで、いつもと違う道を、ダラダラと考え事をしながら歩い
てたんです。
どれくらい歩いたかはっきり覚えていませんが、旧い裏道に続く細
い枝道を見つけたんです。僕は・・・別に理由はないのですが・・
・何となくその裏道に入っていきました。
それで、その枝道の奥に、一軒のアンティークショップを見つけた
んです。
凄く古い店で、ちょっと独特の雰囲気がありました。そこは人通り
もろくに無いような処ですし、ちょっと不審にも思ったのですが、僕は
好奇心の方が大きかったので、そのままその店の扉を押しました。
店には白くて長い髭のご老人が1人いるだけでした。
小柄な背の丸まった人で、しゃがれた−−何と言っていいのか、
気持ちの悪い声で話すところが、どうも生理的に好きになれませんで
した。
店の中には大小さまざまながらくた品が並べられていて−−それは
それで見ているぶんには楽しかったんですけど−−とにかく、僕にと
ってはほとんど価値の感じられないモノばかりでした。
しばらくそのお爺さんと世間話をしながら店の中を見て回っている
と、ふと、埃がかぶった古そうなランプが目に付きました。
その店の照明は−−雰囲気を出すためでしょうが−−暗くて、その
時はよくわからなかったのですが、そのランプは金のメッキがされて
いるようで、表面には、僕がまだ見たことのない半分象形文字のよ
うな文字(?)と、不思議な模様が一面に刻まれていました。
さっきも言いましたけど、僕は骨董品の価値は判らないし、古物
収集の趣味もありません。
けど、そのランプだけは、不思議な存在感で・・・何というか、
僕の心に入り込んできました。
ちょっと運命的な・・・『今日の散歩は、このランプに出会うため
にあったんだ』みたいな・・・今から考えると恥ずかしいんですが、
そんなようなことを、そのときは感じてました。
それほど僕は、そのランプが気に入ったんです。
それで僕は、ごく自然に、お爺さんにそのランプの値段を尋ねまし
た。
その時持ち合わせはほとんどなかったのですが、僕はどうしてもそ
のランプが欲しかったのです。
けど・・・、お爺さんの答えは意外でした。
気に入ったのなら金はいらない、って言うんです。
お爺さんは、『ランプが僕を気に入った』って言いました。
僕は・・・、嬉しいっていうよりは、・・・なんか不審で・・・。
けど、そのランプはどうしても欲しかったし、断る理由もないし、
・・・僕は、お爺さんの好意に甘えて、ランプを貰っちゃうことに
したんです」
|