歴史のかけら
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この当時の大阪城は、現存しているそれと比べても格段の広さを持っている。
家康がこの「冬ノ陣」を外交で済ませてしまおうとしている、ということは先にも触れた。
家康は、大阪城の堀を埋める陰謀を隠したまま豊臣家と和睦をしようとしている。
当然だが、忠朝には家康の高等政策などは解らない。他の東軍諸将と同様、忠朝はこの「冬ノ陣」
をもって豊臣家を滅ぼすものだと思っており、天下の堅城たる大阪城を攻め陥とすことがこの
合戦の目的であると信じていたし、そのためには身を犠牲にすることも厭わないほどの覚悟で戦
場に臨んでいた。
(こんなところに陣取っておっては、捗々しい戦などできようはずがない)
と、忠朝は思った。 (大御所様(家康)にお願いし、持ち場を換えていただこう) 忠朝は、古き良き「三河武士」の臭いをもっともよく残した男であり、このように考えたことも、 純粋に「徳川家のために身を粉にして働きたい」と思っているだけであって、それ以外のいかなる 存念もありはしなかった。父の忠勝がそうであったように、忠朝は個人的な功名心や射幸心といっ たものが非常に薄く、そのことは忠勝の遺産相続の話などを聞き知っている家康も、よく解ってく れているはずであった。
忠朝は家康の本陣へ出向き、持ち場を城の南側へ換えてもらうよう懇請した。 「差し出たことを申すな! 汝(われ)のような口端の黄色い者(若造)に、戦の何が解るか!」 と、思いもかけず怒鳴り声を上げた。まったく不自然としか言いようのない豹変ぶりで、それに 続いて出た言葉はさらに酷かった。 「柄(身体)がでかいだけで、亡父に似ず役立たずな奴め!」 諸将の面前で、忠朝を罵倒したのである。 忠朝は、平伏した形のままで雷にでも打たれたかのように硬直した。生まれてこのかた、これほど の屈辱を受けたことも辱めを受けたこともなかった。全身の血が逆流するような感覚が走り抜け、異 常に発汗し、怒りというよりも、恥ずかしさと情けなさとで赤面し、顔を上げることさえできなかっ た。 「・・・・・・・・・・・・・・・・!」
忠朝は、一言も発することができず、呼吸することさえ忘れ、ただ混乱した。忠朝に解ったことと
いえば、自分の言動が譜代重恩の主君を激怒させ、忠勝の名を辱めたのだということだけで、わけも
解らぬままに自分を責め、どこにもって行きようもない憤りと痛烈な後悔が脳髄を駆け巡り、思考
停止のような状態にまでなってしまっている。 家康は、 「いつまでそこにおるのか! 目障りじゃ、早う失せよ!」
と言って忠朝を退がらせた。 (忠朝を、追い詰めねばならぬ) ということであった。 家康は、忠朝を後の大戦の重要な局面で使うつもりでいた。 (必ず、使わねばならなくなる)
というのが百戦を経たこの男の直感であったが、しかし、今のままの忠朝を使うのでは意味がな
い。忠朝はたかが5万石の大名であるに過ぎず、その兵は1千5百しかおらず、諸将が信服するほど
の――たとえば忠勝のような百戦錬磨の戦歴があるわけでもないから大軍を預けるわけにもいかない
のである。その意味で、忠朝の戦術能力がいかに優れていたところで与えられる役割は限られてお
り、大した働きが期待できるわけでもない。 (忠朝を、死を覚悟するところまで追い詰めておく) 忠朝の働きに期待するのではなく、その死に期待するのである。
もともと、勝って当たり前の戦というのは難しい。 少壮の頃からの家康の戦歴というのは、少数の兵をもって大軍と戦ってきた歴史であり、たとえ寡 兵でも、全軍が決死となったときはいかに強いかということを家康は知り尽くしていた。その意味 で、大阪城の堀を埋めた後、負けることが解りきった上で、それでも最後まで豊臣家のために働こう とする連中がいかに恐るべきものかということを家康は直感しており、最後の最後まで豊臣家を侮る 気にはなれず、大阪城に篭った浪人たちを軽く見る気にもなれなかった。 (決死の兵にぶつかるには、こちらも決死の者をもってするしかない) というのが家康の考えであり、今、この軟弱な時代に死を決することができるほどの武将は「三 河者気質」をもっとも濃厚に受け継ぐ忠朝の他には家康は思い浮かばない。
さらに言えば、忠朝には将器がある。 (そのためにこそ、忠朝を殺さねばならぬ)
と、家康は思っている。 忠朝は、家康が「死ね」と命じれば、喜んで死ぬことができる若者であった。しかし、家康はそ れをしなかった。家康の人使いは常にこうであり、さらに加えるなら「忠死」のような清らかな精 神状態よりも、「憤死」というものが持つ怒りの感情のほうがより戦場向きであり、平時の何倍も の奮戦をさせてこそ、物の役に立つと思ったからでもあろう。 ようするに家康の魂胆と言うのは、忠朝に辛くあたり、不覚者扱いし、その武勇を辱めることで 精神的に追い込むことであった。そうしてさえおけば、来たるべき戦いのときに、忠朝は命じられる までもなく、汚名を晴らすために死に狂いに働くに違いない。
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