歴史のかけら
92「上月から兵を引き、別所討伐に向かうことになった。これは上様直々のお下知じゃ」
そう宣言した藤吉朗の顔はいかにも渋い。 (没義道(もぎどう)なことを命じなさるもんや・・・・)
小一郎の脳裏を山中鹿之介の翳(かげ)のない顔がよぎった。 「それは・・・・何とかお考え直しを願うわけには参りませぬか・・・・!」 たまらず声を立てたのは小寺官兵衛だった。 「たとえ城を保つことができぬとしても、せめて尼子の者たちが自ら降るまでは救う努力をし続 けるのが、後詰めに来た我らの責務(つとめ)でござりましょう。それさえせずにかの者らを捨 て殺しにすれば、播州者の心が御当家から離れてしまわぬとも限りませぬ」
官兵衛の言い分はもっともであり、心情的には小一郎もこれに近い。 「いましばらくだけ滞陣を続けてみてはどうですやろか・・・・」 思わず出た小一郎の言葉に、蜂須賀小六や浅野弥兵衛らも頷いた。 「いましばらくじゃと――?」 それを聞いた藤吉朗は、憤然と小一郎を睨みつけた。 「しばらくとはいつまでや。上様は『速やかに上月から兵を引け』と仰せられたんやぞ。われ はわしに上様のお下知に背けっちゅうんか!」 小一郎ただ一人に向け、藤吉朗は叫ぶように続けた。 「わしゃ言葉を尽くして上様に出馬をお願いした。上月から兵を引き上げることにも、お手討ちに あうのも覚悟で何度も何度もお諌めしたんじゃ。それでも上様のお気持ちは変わらなんだんやぞ。 どもならんやろが。ちぃとは考えて物を言え、たぁけぇ!」
小一郎は唇を噛んだ。 「そんでも気に入らんっちゅうなら、われが今すぐ京へ上れ。われから上様に異見を申し上げ、そ のお気持ちを変えさせてみい!」 自分はでき得る限りの努力をしたが、宮仕えの身では主命には逆らえない。信長がその決意を変 えない以上、この問題は諦めるより仕方がないではないか――ということを、藤吉朗は逆ギレしつ つ主張している。この激昂が演技であったとすれば、尼子党を見殺しにするという人でなしの所業 に対して、その責任を信長に押し付けて自分は逃げたと言えぬでもない。 (皆に聞かせるために、兄者はわしを怒鳴り付けておるわけか・・・・)
損な役回りだ――と、小一郎は思う。 一人が怒気を発すれば、周りはかえって冷静にならざるを得ない。藤吉朗が意図したものかどう か――ともかくも場は静まり返り、幕僚たちは口を噤んだ。 黙って話を聞いていた半兵衛が、ここでにわかに発言した。 「上様のご裁断が下った以上、上月城を捨てるは是非なきこと。尼子党すべてを救うことはもはや 不可能でしょうが――それでも、尼子勝久、山中鹿之介ら、主立つ者だけならば、何とか救う手立 てもあるのではないでしょうか」
織田軍が上月から安全に撤退するには、敵の追撃を防ぐために殿軍(しんがり)を置かねばなら
ない。播磨の大将である藤吉朗は、その責任上、この危険な役を引き受けるのが当然であり、援軍
の諸将から先に退いてもらうというのが筋であろう。この時、味方の退却を助けるために羽柴軍が
毛利軍に攻撃を掛けたり、上月に一日や二日留まったとしても、これは不自然ではない。 「毛利が陣取る山々は何度も諜者を入れて探らせています。敵陣の背後を大きく迂回し、西から間 道伝いに城に到る道もおおよそ目処がついている。我らが敵の目を東に引き付ければ、大勢は無理 でも、数人なら何とか落ち延びることができるやもしれません」 半兵衛の策を聞き、藤吉朗は腕を組んで考え込んだ。
五万の毛利軍に対し、羽柴軍は単独ではわずか八千余。無理に戦を仕掛ければ、七百余の尼子党
を救うためにそれ以上の死傷者を出すということにもなりかねない。しかも、城の搦め手から脱出
する者たちも毛利軍の重厚な包囲を抜けられるという保証はまったくないわけで、博打にしてもあ
まりに分が悪いと言わざるを得ないであろう。 「・・・・仕掛けるなら夜討ちしかないな。城の者たちとも腹を合わせねばならん」
それでもその気になるあたりが、藤吉朗の甘さと言うべきであろう。 「じゃが、これまでも城へやった密使は誰も戻っては来なんだ。城と繋ぎが取れねば、これは絵に 描いた餅やぞ」 「はい。そこは賭けですね」 半兵衛は再び厳しい表情に戻り、頷いた。 「もとより時間もない。決死の使者を募りましょう」 使者は、亀井 新十朗 茲矩(これのり)という男が選ばれた。
新十郎はこのとき二十一歳。元は尼子氏の遺臣である。尼子氏が滅亡したときはまだほんの
少年であったが、山中鹿之介らと行動を共にして十年、数多の実戦を経験し、“槍の新十朗”の異
名を取るほどの若武者へと成長していた。履歴と筋目からすれば尼子党の主力として上月城に篭る
のが当然であったのだが、尼子党が羽柴軍の傘下に入った時、藤吉朗がとくに鹿之介に頼んでこの若
者を家来としてもらい受けた。新十郎の人物を見込んだということもあったにせよ、むしろ人質的
な意味合いが濃かったのであろう。いずれにしても、新十朗は半年ほど前から尼子党を離れ、藤吉
朗の馬廻り(親衛隊)となって働いていた。 話を聞いた新十郎は上月撤退の断を下した信長に憤慨したが、尼子党の者たちを一人でも救いた いという藤吉朗の真意を知ると二つ返事でこの危険な任務を引き受けた。 「命懸けの仕事じゃ。やれるか?」 「やります! 必ずやり遂げてみせます!」 頼った信長に裏切られて捨てられ、このまま上月城で果てたのでは、尼子党の者たちはまったく 犬死である。尼子家滅亡の悲劇から十年、飢えや貧困、世間の嘲笑や蔑視に耐え、圧倒的な毛利の 大軍を相手に何度も死戦をくぐり抜け、そのたびに多くの仲間の血を流し、主家再興の夢のために すべてを捧げ尽くして来た結果がこの有様では、情けなさに涙も出ない。 (殿様や舅殿をこんなところで死なせてたまるか・・・・!) と、若者らしい血の熱さで新十郎は思った。 「二日じゃ。それ以上は待てん。明後日の夜まで待ってお前が戻らなんだら、死んだものと思うて こちらは退き陣を始める。良いな?」
藤吉朗がそう念を押すと、新十郎は力強く頷いた。
高倉山と上月城の距離は、直線にしてわずか半里(二キロ)に過ぎない。しかし、上月城の周辺
の高地はことごとく毛利軍の陣城が置かれ、熊見川の土手には柵が植えられ、わずかな平地にはい
たるところに空堀が掘られ、土塁が築かれ、高櫓や兵舎を置いて兵を篭めた野戦陣地になっている
から、とても通れるような状態ではない。
荒神山は、高倉山から眺めれば独立峰のように見えるが、実際は西に向けて短い尾根が伸びて
いる。北東に大手道があり、佐用川が外堀のようにその北側を流れ、この対岸に毛利軍の攻城部隊
の主力が野陣を敷いている。西側尾根は搦め手に当たり、こちらも敵軍に包囲されているが、毛利
軍の全体の布陣で言えば東方の織田軍を警戒する形で展開しているから、織田軍から遠い西側がも
っとも手薄だったのである。 尼子一党に新十郎の顔を知らぬ者はない。これを発見した雑兵たちは狂喜し、疲労困憊の新十郎 を担ぐように城へと運び、すぐさま本丸の鹿之介らに事態を報告した。 「新十郎!」 話を聞き、山中鹿之介、立原源太兵衛らがすぐに駆けつけて来た。 「よくぞここまで辿り着けたものじゃ」 「無事で何よりであった」 再会を喜ぶ気持ちはもちろん新十郎にもあるが、今はそれどころではない。 「私は筑前守様の密使として参りました。使者の用向きを伝えねばなりませず、すぐにも殿様 にお目通り願いたいのです」 鹿之介は、新十郎の表情や言葉の端々から何事か察したらしい。 「叔父上、この場では憚(はばか)ることもござろう。まずは新十郎を奥へ――」
鹿之介は自ら肩を貸し、新十郎を本丸の広間へと連れて行った。 「時が惜しいゆえ単刀直入に申します。右府様(右大臣=信長)は、筑前守様に上月からの 撤退をお命じになりました」 「なに――!?」 「それはまことか・・・・!」
新十郎がもたらした情報は、尼子党の者たちにとって死刑宣告にも等しい。 「我らにここで犬死せよと申すのか。筑前殿はその命を諒承したのか!?」 「あれほど救援を約しておきながら――!」 「いや、お待ちあれ!」 新十郎は広げた手を突き出し、叫ぶように言った。 「お怒りはごもっとも。私とて皆様方と気持ちは同じなのです。しかし、私の話にはまだ続きが ある――!」 新十郎は、藤吉朗が尼子党を救うために毛利軍に攻撃を仕掛けようとしていること。城方でも これに合わせて討って出、血路を開くべきであること。またその隙に、主君の尼子勝久はじめ主 立つ重臣だけでも搦め手より脱出するべきであることなどを掻い摘んで説明し、その手はずを打 ち合わせるために自分が城に潜入したのだと強調した。 「上月城を捨てることは右府様直々のご命令です。筑前守様としても、これはもうどうしようも ありません。しかし、城は捨てても、我ら尼子一党の命だけは救いたいというのが筑前守様のお 気持ちなのです。私がこの城に入ることができたように、目立たぬ人数であれば城を抜けること もかなわぬ話ではない。もちろん危険はありますが――殿様をさえお落とし申せば、また再挙を 計ることもできます」 「・・・・・・・・・」
重臣たちはまだ衝撃から立ち直れず、思考が止まったようになっている。 「尼子家再興のために、いや、これまで御家再興の夢に倒れていった者たちの意志を継ぐために も、殿様には何としてもこの城を落ちて頂かねばならぬと――私はその一念で命を賭してここま で参りました。明日の夜までに私が高倉山のご本陣に戻らねば、この話は流れ、織田軍の撤退 が始まってしまいます。皆様方には、今日の夕刻までにご決断を頂きたく――!」 「新十郎、話はよう解った」 上座の尼子勝久は、労わるような目で新十郎を見詰めていた。 「命懸けの使者、苦労であった。皆々の意見をまとめるにはしばし時間が要る。お前も疲れてお るであろう。後刻、また呼ぶゆえ、それまで下がって少し眠れ」 小姓に目配せし、新十郎を別室へと下がらせた。 場が落ち着くと、 「私の不明からこのような仕儀となり、面目次第もござりません」 鹿之介が這い蹲るように土下座した。 「新十郎が申しておった通り、殿様には何としても生きて頂かねばなりませぬ。筑前殿の策に乗 り、私が一党を率いて大手から討って出ますので、その隙に皆様方には殿様をお守りして城を抜 けて頂きたい」 「いや、その役ならば、年老いたわしがやろう」 と言ったのは、立原源太兵衛である。 「鹿之介――お前はわしより遥かに若い。お前には今後も長く殿を支えていってもらわねばなら ん。殿と共に脱出し、御家再興の戦いを続けてくれ」 「いや、それはできません。今日の苦境を招いたは、すべて私の至らなさゆえ。本来なら、腹切っ ても詫び足りぬところなのです。代わりに叔父上を死なせ、私が生き残るというわけには参りま せん」
この二人のやり取りを聞いていた重臣たちも、ようやく腹が据わったらしい。それぞれに様々
な意見を述べ始めた。 「殿――」 大方の意見が出尽くした頃合を見て、源太兵衛が勝久の気持ちを質した。 「皆々の気持ちはよう解った。なんとしても私を救おうとしてくれる皆の衷心、何よりも嬉しく 思う」 色白の青年はまずそう言い、黒目がちの大きな瞳で座を見渡した。 「が、私はこの城を抜けることはせぬ。この私のために身命を賭し、粉骨砕身、永らく篭城の辛 苦に堪えてきてくれた者たちを捨て、我が身の安泰のみを計るような真似は、私にはできない」 重臣たちは言葉を失った。 (さすがは尼子の若君――!) という感動が、潮のように彼らを満たしていた。 「信長は我らを捨てた。もはやこの上月の戦は織田と毛利のものではなく、尼子と毛利の戦で ある。我らには我らの――尼子の意地がある。家名を辱めぬためにも、私は最期まで意地を通し たい。城を出るなら、皆と共に出よう。それでなければ、私は城を出る気はない」 凛然と言い切る勝久の顔には、透き通るような微笑が浮いていた。 「殿!」 「よう申してくだされた!」 感極まった者たちがたまらず声を上げた。 「殿がそのお気持ちならば、是非もない。わしらは殿に殉ずるまでだな・・・・」 鹿之介を見た源太兵衛の目頭には光るものがあった。 「はい。最期の最期まで、尼子の意地を貫き通しましょう」 鹿之介の頬にも、涙が幾筋も流れていた。
新十郎は身体中に怪我をしていた。上月城からの帰路、毛利の哨戒兵に見つかって薄手を負い、 その場は何とか切り抜けたものの、敵兵の追捕を逃れるために夜の山中をがむしゃらに疾走して 崖から転がり落ち、その際に首を強打し、半日ほど意識を失っていたのだという。根性で何とか 高倉山まで帰り着いたが、復命する姿はいかにも辛そうで、痛々しかった。 「それでは・・・・・」 「はい。尼子の殿は、城兵を捨てて城を落ちる気は露ほどもないと――城兵たちと運命を共にさ れるお覚悟です」 「・・・・そうか。名門・尼子の名に恥じぬ立派な覚悟じゃ。已むを得んな・・・・」 藤吉朗は腕を組み、瞑目した。 「私はそのまま城に残るつもりでした。自分も尼子の人間であると強く申し立てましたが、尼子 の殿も我が舅殿も許してはくれませんでした・・・・」 新十郎は目を伏せ、寂しそうに言った。 「そこもとを死なせたくなかったのでしょう。その想いを汲んでやりなさい」 半兵衛が片膝をつき、新十郎の肩に手を置いた。 「亀井といえば尼子一門の名家。それにそこもとは鹿之介殿とも格別に縁が深い。たとえ上月 で尼子が絶えても、生き残ったそこもとが家名を興せば、彼らの恩に報いたことになりましょ う」 「・・・・はい」 新十郎は歯を食いしばって嗚咽を堪えているようであった。
藤吉朗は床几を立ち、城頭から西方を眺めた。 「山中鹿之介、立原源太兵衛ら――死なせるには惜しい男たちじゃが、主君の意に殉ずるとなれ ば致し方もない・・・・。我らはかの者らを捨てねばならん。西国の果てまで汚名を流すことに なろうな。詮方なきこととはいえ、口惜しいのぉ・・・・」 長い沈黙の後、 「――退き陣じゃ。日が沈んだら順次発つよう諸将に申し伝えよ」 藤吉朗は何かを振り払うように小一郎にそう命じた。 上月撤退の信長の下知はすでに全軍に通達されている。輜重隊、荷駄隊、黒鍬者など戦闘力の ない部隊は昨夜のうちに先発しているし、軍勢の退却の順序や経路、その後の行き先や兵糧・軍 需物資の補給などに関しても、この二日の間に諸将との打ち合わせは済んでいた。 『播州太平記』によると、実際に織田軍の撤退が始まったのが六月二十二日となっている。『信 長公記』では二十六日に全軍が書写山まで引き退いたとなっているから、そう間違ってはいない であろう。荷駄隊などの進発を二十二日とし、諸将の軍勢の撤退開始を二十三日の夜としておき たい。
退却は、変則的な繰り退きである。 毛利軍が上月城に抑えの軍兵のみを残し、全軍を挙げて追撃に掛かり、そのまま播磨平野に雪 崩れ込んで来る可能性もないわけではなかったが、 「おそらくそうはならないでしょう。もし毛利にそれほどの戦意があるなら、三月の時点で播磨 に攻め込んで来たはずです」 というのが半兵衛の意見で、藤吉朗はそれを信じることにした。
それでも、逃げる敵を追い討つ追撃は大戦果が期待できる絶好のチャンスであり、この機を逃
すほど毛利軍も甘くはなかった。
半兵衛が推察した通り、毛利軍はさほど深追いしようとはせず、夕刻には軍を返して再び上月
城を包囲した。 ボロボロになった羽柴軍が書写山に辿り着いたのは、この翌日の六月二十六日である。
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