歴史のかけら
87「播磨の衆はみな帰ってしもうたぞ」
小柄な兄は無言で睨むように小一郎を見上げた。 「いったい・・・・どうするつもりなんや?」 「どうもこうもあるか・・・・。西国出陣は、予定通り吉日の三月三日に行う。そのように国衆ど もに陣触れするよう官兵衛に申し伝えておけ」 怒ったような困ったような複雑な表情である。 「別所が――素直に応じてくれりゃぁええがな・・・・」 小一郎の危惧は、当然、藤吉朗も持っているであろう。 「小一郎、わしは何じゃ。言うてみい」 「は? ・・・・兄者は――」 どう答えるべきかとっさには解らず、小一郎は言葉に詰まった。 「織田家の中国管領じゃ。信長さまの――天下さまの代官としてわしはこの播磨におる。ちゃう か?」 「それは、その通りやが・・・・」 「それをあの田舎者めが・・・・わしを何と心得ておるか・・・・!」 怒りを噛み殺すように低く呟いた。
藤吉朗にすれば、辛いところであったろう。 「別所のことは、孫右衛門殿(別所重棟)に何とか骨を折ってもらうほかあるまい。あの山城とい う男では話にならん」
藤吉朗が吐き捨てるように言った。 (刃の上を渡るような危うさじゃな・・・・) 小一郎でさえそう思わざるを得ない。 この時、 (別所はむしろ滅ぼしてしまう方が良いのではないか・・・・)
という思案が、藤吉朗の頭をかすめなかったと言えば嘘であろう。 (毛利攻めには遠回りになってまうが、別所を先に討って播磨の足場をしっかりと固め、それか ら西国へ出てゆく方が安心じゃ)
と考えるのは、むしろ自然であろう。 しかし―― (別所もむざとは討たれまい。三木城に篭って徹底抗戦を構えられては、これを滅ぼすに半年や一 年は掛かってしまうやもしれん・・・・)
という現実計算が、藤吉朗の足かせになっている。 (叛きたければ勝手に叛け。そのときは、骨も残さず滅ぼしてやる) という捨て鉢な気持ちもないではないが、 (やはり別所には、何としても味方であってもらわねば困る・・・・) というのも、藤吉朗の偽らざる本音であった。
波風立てずに何とか事を収め、別所と硬い信頼関係を築いた上で、これを先陣に立てて毛利攻め
を行うというのが最上であることは論を俟たない。が、極めてみれば、別所が織田につくのか毛利
につくのか――この別所自身の選択の問題に帰するであろう。別所が毛利につくと決断すれば、藤
吉朗が泣こうが喚こうが怒鳴ろうが、どうなるものでもないのである。 自らの失言によって、藤吉朗は文字通りの自縄自縛に陥っていた。別所の離反を怖れつつも、別 所自身の選択にすべてを委ねるほか術(すべ)がなくなったのである。
別所長治の前に、再び重臣たちが集められた。今度は親族ばかりでなく、吉親と共に「加古川評
定」に参加した櫛橋氏、三枝氏、高橋氏、後藤氏、山許氏、粟生氏といった小豪族の当主
も同席していたらしい。これらの豪族は当主も領民も多くが本願寺の門徒であり、解りやすく言え
ば別所吉親に組する織田嫌いの者たちである。 「皆も知っての通り、わしは殿の名代として加古川に参ったが――」
吉親は、「加古川評定」の経緯と藤吉朗の言動をあらためて皆に語って聞かせた。 「中国征伐の先陣を任されたる我らに向かい、あの下郎あがりが何を狂ったか、軍略に口出しする なと申しおったのだぞ。我ら播磨の武士は、尾張の百姓風情にも劣るということであるらしいわ。 わしは播州人として、他国者からこれほどの侮(あなど)りを受けたことがない」
これを初めて聞く者たちにすれば、驚愕と怒りで顔色を変えざるを得ない。 「羽柴が、我らに対して遠慮なく我意を振るい、我らを己が家来の如くに扱い、播州の者どもに頭 を揚げさせじとするは、心得違いもこれに過ぎたるはない。羽柴を播磨に遣わしたる信長の心底、こ れで見えたりとわしは思うた。察するに、これは権謀なのじゃ。中国征伐の先陣を頼みながら、中 国を平らげし後はあらためてこの別所を滅ぼし、播州一国を我が手に入れようとする企みに相違な い。敵の表裏を知りながら、このまま黙ってその謀(はかりごと)に陥らんよりは、我らの方から 織田に敵対の色を立てるべきではないか。おのおの方、この事、どう思われる」 吉親がそう問いかけると、一座の者たちは次々と賛意を口にした。
割りあい中立な立場を取っていた淡河定範(おうご さだのり)も、もはや吉親の言葉に逆らわ
なかった。定範は「加古川評定」に参加し、藤吉朗の言葉を直に聞いてもいたが、織田の大将が
あのように傲慢な男では、たとえこれに味方したところで感謝されるはずもなく、それどころか利
用価値がなくなればいずれ滅ぼされる、という観測にも現実味があると言わざるを得ない。それな
らば、最初から毛利に加担する方がまだしも賢明であろう。何をやらかしても不思議でない織田と
違い、毛利の家風は信義に厚く義理堅いことで知られているから、後になって裏切られるようなこ
とはないに違いない。 (我らは欺かれておったということか・・・・) これまで個人的な情誼をもって信長に好意的であった別所長治さえ、こうなっては失望感に打ち ひしがれざるを得ない。長治も播州人である以上、織田の大将にそこまでの暴言を吐かれたとなれ ば、播州武者の弓矢の名誉を守るという意味でも、膝を屈して織田に属し続けるわけにはいかない のである。 (それが、信長公のやり方か・・・・)
長治の不幸は、織田嫌いの叔父がもたらす情報を鵜呑みにし、それを基礎にして藤吉朗の人物を
推し量ったことであろう。たとえば長治自身が藤吉朗と直に逢い、膝をつき合わせて談合するとい
うような事が一度でもあれば別所の運命はよほど違ったものになったであろうが、長治がそれ
をしようと思ったとしても、長治の若年と未熟とを理由に周囲がそれを許してこなかったのである。
信長が一声掛ければ、たちどころに十万を越える軍勢が京に集結するのである。長治は織田家の
動員力の凄まじさを我が目で見て知っており、合戦で一度や二度敵を破ったところでその雲霞のよ
うな大軍がどうなるわけでもないことは十分に承知していた。この場に居ない別所重棟や、長治と
共に先の紀州征伐に参加した将士なら、そのことはよく解っていたであろう。 その長治が、対織田戦争という極めて勝算の薄い大博打に向けて覚悟を固めた心境というのは、 もはや悲壮と言うほかない。 (勝敗は、もとより問うところではない・・・・・)
と、この若者は持ち前の潔さをもって見極め切っていたに違いない。 そんな長治の心中を露ほども知らず、 「もはや詮議は不要と存ずる」 と高い声を立てたのは、長治の弟・友之であった。 「この上は先の約を変じ、信長の草履取り・藤吉朗と戦すべし!」 これに応じるように、末弟の治定も声を重ねた。 「戦の要諦は、いかに敵の不意を討つかにあると聞く。長々と評定を重ねておるうちに敵に我らの 変心を悟られ、逆に先手を取られて攻め込まれては、後悔してもし切れぬこととなろう。――兄 上!」 兄の長治を振り仰ぎ、 「今宵にても良い、わしに人数の四、五百もお預けくだされ。夜討ちにて加古川に押し寄せ、糟屋 が屋形に風上より火をかけ、同時に風下より敵陣に斬り込み、一息に猿冠者めの首を挙げてご覧に 入れる」
と鼻息荒くまくし立てた。 (思い上がった羽柴めに、播州武士の弓矢の意地を思い知らすべし!)
というのが、この場に居る者たちに共通する想いなのである。 「いやいや、お待ちくだされ。若君らの仰せはいかにも勇ましく、また播州武士としてそうあるべ きとも存ずるが、いささか気が早すぎますな」 吉親の弟の甚大夫という男が口を挟んだ。 「敵が、わずかに一城を持つような者であれば不意討ち・焼き討ちもよろしかろうが、なんといっ ても信長公は日本の過半を征伐したような御仁でござる。羽柴のごとき者を一人二人失うたとして も物の数ともしますまい。それに、あの羽柴にしても、織田家の数多おる群臣の中で小者から立身 出世を果たしたほどの武功者でござる。まさか夜討ちの備えをせぬということもござるまい。軽々 に仕掛ければ、お味方大いに危うしと存ずる」 「甚大夫の申すこと、もっともなり」 吉親が重々しく頷いた。 「それよりも十分の支度をし、存分の合戦を致しましょうぞ」
甚大夫が披瀝したのは、三木城に篭る篭城論であった。 「一日京に旗を立てれば、一日ご当家が天下を取ったことになる。たとえ戦場に屍を晒すとも、 別所の名は後世まで残るでありましょう。これぞ武門の本懐と申すべきではござらんか!」
この言に、一座の者たちの多くが無邪気に感動し、こぞって賛成した。 「お説、まったくごもっともと存ずる。ご当家のご祖先・赤松円心公は、まさにその軍略をもって 摩耶山に篭り、敵を迎え撃って打ち勝ち、逃げる敵を追い討って京へと攻め上られ、ついに六波羅 を滅ぼし申した。我らもこの吉例に倣うべし!」 と気炎を上げた。 「いかにも理に適うておる」 吉親が膝を打って賛成し、これで衆議が一決する形となった。 「殿、お聞きの通りでござる。こうとなれば、殿にもお覚悟を定めていただかねばなりませぬぞ」 「覚悟?」 温厚なこの若者が、珍しく不快そうに吉親を睨み付けた。 「念にや及ぶ――いかに叔父御とはいえ、無礼な物言いをなさるな」 武士に向かって覚悟を問うのは、不覚悟を指摘するのと同じであり、侮辱されたことに匂いが 近い。長治は名門の武家貴族らしく気位が高く、過剰なほど武士の美にこだわるところがあるから、 それを知っている吉親は慌てて失言を詫びた。 長治はあらためて一座を見渡し、 「当家は毛利につき、織田と戦うこととする」
宣言するようにそう言い切った。
三大夫は、まず先日の別所吉親の非礼を詫び、別所はこれまで通り織田に忠節を尽くすつもりで
あることを、平身低頭しながらくどくどと述べた。 (もはや別所はいつ敵に回るかも解らぬ・・・・) と戦々恐々としていた藤吉朗とその幕僚たちをとりあえず安堵させた。この使者の言葉に嘘が なければ、最悪の事態だけはどうにか回避できたということになろう。 「さて、此度の使者の趣きでござるが――」 三大夫は見るも哀れなほどに大汗をかきつつ、実に申し訳なさそうに言った。 「中国征伐のご陣触れにつき、出陣にしばしのご猶予をお願い申したいのです」 「出陣を延引したいと?」
藤吉朗は片眉を吊り上げて不快な表情をした。 「・・・・何ゆえでござろうか?」 「いやいや、余の儀にては非ず、これも毛利と戦うためでござる。毛利は大敵でござれば、一朝 一夕に勝負は決せず、必ず気長の合戦となりましょう。お味方が勝つこともあれば、また負けるこ ともあり、たとえ西国へ討ち入るとも、いったんまた引き退くようなこともございましょう。敵 が播磨に攻め入って来るようなことになった時、城の要害を丈夫に構えてさえおけば、守るにせ よ攻めに転じるにせよ、その後の駆け引きが容易になりまする。このため、我らは三木の城普請 を急いでおりまするが、これが未だ終わっておらず、もうしばらくだけ時を頂きたいの で・・・・」
別所が篭城支度を始めていたことは、藤吉朗はすでに小一郎から聞いている。話の筋は通って
いるが、謀反のための時間稼ぎと取れぬこともない。 「どれほど待てと申されるのか?」 と、折れて出たあたりが藤吉朗の辛さであろう。いつ敵に回るかも知れぬ別所が相手では、 どうしても扱いが腫れ物を触るようにならざるを得ない。 「事はもう七分通り済んでおりまする。さほどには掛かりませぬ。まず十日ほどもお待ち頂け れば・・・・」 「・・・・あい解った。されば、十日後の三月八日をもって西国出陣の日と決め申そう。異存は ござるまいな?」 「ありがとうござりまする。主にもそのように申し伝えまする」 藤吉朗は身体を前に倒し、三大夫を睨(ね)めつけるようにして問うた。 「此度の出陣には、侍従殿(別所長治)自らが馬をお出しくだされような?」 「それは申すまでもなきこと。我が主自ら播磨の衆を率い、右大臣家の先陣を駆ける所存でござり まする」 三大夫はそう確約し、丁寧すぎるほど腰低く何度も礼を述べ、いそいそと三木へ帰っていった。
羽柴軍の西国出陣はそうしてしばし延期されたが、事態は刻々と動いている。 (いよいよ来たか・・・・!) この三月にも行われるという上杉謙信の上洛行動に合わせ、毛利が軍を動かすであろうことは予 測された展開であり、小一郎もすでに覚悟してはいたが、雲霞の如き大軍の襲来を現実に知らされ れば、水平線の向こうから津波が押し寄せてくような恐怖をあらためて感じざるを得ない。
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