歴史のかけら
51信長のこのデモンストレーションは、諸国の反織田勢力はもちろん、中立を守って日和見している 勢力をも仰天させ、一切の妥協を許さない信長という男の怖ろしさと織田家に歯向かうことの危険さ を決定的に印象付けることになった。織田の分国である伊勢や南近江では豪族や地侍、大寺社などが 信長にあらためて忠節を誓い、伊勢 長島を唯一の例外として一揆はひとまず鳴りを潜めた。 が、同時にこのことは、世間に瀰漫(びまん)する信長への悪感情を極度に肥大化させることにも なる。 (まさに天魔の所業・・・・!) 常識ある者ならば、反吐を吐くような気分でそう思わざるを得なかったであろう。
たとえば武田信玄は、叡山の滅亡を聞いて信長の成し様に激怒した。 また、このとき信長と友好関係にあった上杉謙信は、叡山滅亡の報を聞いて嘆息し、 「信長の悪逆無道は前代未聞である」
と非難したと『春日山日記』にある。 この両雄の言動をもって、この時代に生きていた人々の「比叡山 焼き討ち」に対する一般的な反 応と言い切るのは牽強付会だが、多くの人々にとって、神仏を露ほども怖れず至尊の霊場を焼き、僧 俗を問わず非戦闘員まで皆殺しにした信長の所業は、悪行すら越えた野蛮な暴挙としか思えなかった に違いない。 「仏法と王法は車の両輪。仏法破滅すれば、王法も当然滅ぶ。織田さまの御世もそう長くはあるま い」 などと訳知り顔で囁く公家や僧などは京あたりには多かったし、たとえば反織田の姿勢を貫い ている一向宗の門徒たちは、 「信長が神仏の敵であることは、もはや疑いなし!」 と口々に叫び、織田家に対する憎悪をさらに燃え立たせた。
もっとも、当の信長はといえば、周囲のそのような声には聞く耳さえ持たない。 が、信長の抜け目なさは、「比叡山 焼き討ち」の悪評を、別の方法で挽回しようとしたことであ ろう。
元亀二年十月、信長は京に莫大な米を集め、それを京の町衆に無償で貸付け、その利息を朝廷に支
払うよう命じることで朝廷の安定した収入源を作ってやっているのである。
いずれにしても、元亀二年という年は、こうして暮れてゆく。
「新年の祝いのみならず、若君が三人までも加冠(かかん)なされるとなりゃ、これほどめでたいこ とはないわ。祝賀に行かねばならんで、また三日ほど城を空けるぞ」 藤吉朗は当然のように言い、横山城は小一郎と半兵衛に任せ、寄騎の諸将を引き連れて岐阜に戻 ることにした。 これまで何度か述べてきた通り、寄騎の諸将というのは、藤吉朗の指揮下にはいるが織田家の臣とい うことでは藤吉朗と同格の人々であり、「木下家の家来」であるわけではない。藤吉朗とすれば彼ら には常に相応の敬意を払わねばならず、ことさら岐阜に同道したのも、彼らを織田家の祝賀に参加さ せ、さらには新年の屠蘇を家族の元で飲ませてやろうという気遣いであったろう。
無論、それだけ危険ではあった。 が、藤吉朗は頓着せず、新年の祝賀に合わせて岐阜へ帰った。 (なぁに、ほんの数日だけのことじゃで、まずまず大丈夫じゃろう) という楽観が、藤吉朗にある。
年頭に被官(家来)の者が主城に集まり、主君に年始の挨拶をし、祝宴を張って新年を祝うという
のは何も織田家に限ったことではない。当然、浅井家でも小谷城でそれが行われるはずであり、まし
て雪深い北近江では真冬の軍事行動が難しいから、半年以上も静かにしていた浅井がわざわざこの時
期を選んで動くことはないであろうと藤吉朗は油断していたのである。
長政は、この瞬間を狙っていた。 (奇襲で一気に事をし遂げるよりない・・・・) と考えるのはむしろ当然であり、それにはこの正月は絶好の機であった。 元旦の祝賀となれば小谷城に家臣たちが集まる。これを不審に思われることはないし、何より正 月の祝宴中である以上、織田方にも多少の油断があるであろう。あるいは横山守将の木下秀吉をはじ め有力武将の何人かは岐阜に帰っているかもしれず、雪に閉ざされた美濃と近江の国境を越えて救援 の急使を走らせるにも後詰めの織田軍が岐阜から駆けつけるにも平時よりは時間がかかるに違いなく、 いずれにしてもこれほどの好機はまたとない。
長政は、「いつ織田が攻め寄せて来ぬとも限らぬゆえ、念のため、年始の登城には軍勢を引
きつれよ」とあらかじめ家中に命じておき、正月元日の夜、小谷城での祝宴の最中に突然座を立ち、
電撃的に出陣したのである。
不覚にも、小一郎はこの敵の動きを察知できなかった。お屠蘇気分に浸っていたわけでもないのだが、
藤吉朗の油断が己の気のゆるみに繋がっていることを、自覚していなかった。
浅井勢は暗夜に乗じて姉川まで進出し、夜明けと共に一気に冷たい河水を越え、雪を蹴立ててあた
りの織田方の番小屋や関所を打ち壊し、そのままの勢いで横山丘陵の麓まで怒涛のように攻め寄せ
て来た。 (なんちゅうことじゃ・・・・・!) 言いわけができないほどの大失態であった。 浅井は昨年の五月以来、半年以上も守りに徹して攻勢を掛けてこなかった。戦局に影響のない小競 り合いはしょっちゅう行われていたが、それにしても攻めるのはいつも織田方であり、横山城が戦 場になったこともついぞない。そのことに対する慣れが、常に慎重で用心深い小一郎の考えまでも甘 くしていたらしい。
小一郎を何よりうろたえさせたのは、こういう時にこそもっとも頼りになるはずの半兵衛が、風邪
をこじらせて臥せっていたことであったろう。 しかし、半鐘を聞いてもっとも早く本丸の広間に駆けつけたのは、他ならぬ半兵衛だった。 「半兵衛殿! まだ起きられては・・・・・」 「いやいや、もう大丈夫です」 すでに具足に身を固め、陣羽織代わりに浅葱色の裾長の胴服をはおった姿である。その顔色は幽鬼 のように青白く、頬はこけ、目の下にできた隈が痛々しいが、それでも口元には常のごとくゆったり とした微笑が浮かんでいる。 「かたじけない・・・・」
小一郎は苦しげに言い、頭を下げた。 (これで半ば救われた・・・・) と本気で思い、ほっとしてしまっている自分の心の動きが我ながら滑稽だった。
半兵衛は意外としっかりした足取りで小一郎の元に歩み寄り、小姓がすかさず床机を据えると、そ
こにゆらりと腰を下ろした。 「やられましたな・・・・さすがに浅井長政殿、戦上手であられる」 突然の敵の襲来にも、やはりこの軍略家には慌てるような素振りが微塵もない。 「わしの不覚です。こうなるまで敵の動きに気付かぬなぞ・・・・・」
小一郎は奥歯をかみ締めた。 「まぁ、そのことは――」 半兵衛は首を振った。 「小一郎殿の不覚は、同じく留守を任された私の不覚でもある。この恥は、戦場で雪(すす)ぐとし ましょう。すでに岐阜には早馬を走らせました。まずは敵の動きを見極め、相手の攻め手に合わせて矢 戦でもし、しばらく時を稼ごうと思いますが――よろしいですか?」
小一郎に否やがあろうはずもない。 (敵の本陣は、北の峰か・・・・・)
以前、信長がこの横山城を攻めたときに本陣を据えた竜ヶ鼻であろう。 「小一郎殿、この戦、私に任せてもらえますか?」 色を失いきった唇から、不意にその言葉が漏れた。 「もとより――」 小一郎は即座に応えた。 「半兵衛殿に死ねと言われりゃぁ、わしゃいつでも死ぬつもりでおります」 「私は――死ぬつもりなどはないのですけどね」 半兵衛は力なく笑った。 「あわよくば――この戦で浅井長政殿を討ちたいと思っています」
とまで言ったから、小一郎は仰天した。 「博打(ばくち)と言えば博打ですが――それほど分の悪い賭けではないと思いますよ」 「博打・・・・」 半兵衛は、およそ大言壮語をしない男である。その半兵衛がこうまで言う以上、何かしら秘策で もあるのかもしれない。
このとき、寄騎衆が不在の横山城の城兵は、二千ほどである。 「敵に、こちらの数を見誤らせたいのです」 半兵衛は説明した。 「岐阜から後詰め(援軍)がやって来るまで敵をこの城に釘付けにすれば、戦は我らの勝ちです。 しかし、長政殿も馬鹿ではない。そのことはよく解っておられるでしょう。後詰めが来る前に横山 城が落とせぬと見れば、無理せず兵を引き上げるはず。それでは――面白くない」 戦は勝敗つかずの引き分けに終わり、浅井の力を削ぐことにさえならない。 「しかし、こちらの城兵が少なしと見れば、一気に攻め潰せると意気込み、攻め手に熱が入りまし ょう。その頃を見計らい、大手門を捨てます」 「捨てると・・・・!?」 城の外郭を捨て、城内への侵入を許すというのか。 「二の丸まで退き下がり、そこで敵を防ぐ。そのときまで、城兵の半分は休ませておきます。手強 く防ぐのは、それからでよい」 外郭を破ったとなれば、あと一歩で城を落とせると敵はいよいよ気負い立つであろう。まして城の 守備兵を千人ほどと誤認していれば、一気に攻め潰せると見、退くことなど忘れて総力を挙げて無理 攻めを繰り返すに違いない。 「しかし、一歩間違えば・・・・・」 そのまま押し切られて落城してしまう可能性さえあるではないか―― 「はい。ですから、そこが賭けです」 半兵衛は事もなげに言った。 「私の目算では、遅くとも明日の日暮れには後詰めが来ます。敵がそのとき野に陣取っておれば退 却することもできましょうが、これを城内に引き入れてしまえば、もはや逃げ場はない。後詰めの 勢と我らとで前後から挟撃し、殲滅すればよい。そのとき長政殿が城内におれば、討ち取ることも 難しくはないでしょう」 小一郎は唖然とした。 (この窮地に、そこまで考えを巡らせておったのか・・・・) 肉を斬らせて――というが、まさに一気に浅井を滅ぼす策略ではないか。 (じゃが、万一そのまま城が落とされれば・・・・・)
という不安が、小一郎の脳裏をよぎった。 しかし―― 小一郎は半兵衛を見た。
この軍略家の言葉が、これまで外れたことがあったか―― 数瞬の逡巡の後、 「・・・・・解りました。万事、お任せします」
と、小一郎は言った。 「大手の指揮は、私が執りましょう」 先述した通り、このとき横山城の守備兵は雑兵ばかりで部隊指揮官になれる者が少ない。木下家の 下級将校と言えば、加藤光泰、山内一豊、中村一氏、堀尾吉晴、森吉成(後の毛利勝信)などといっ た連中がいるにはいたが、これらはいずれも自前の家来数人を率いるのみの一騎駆けの武者であって、 部隊指揮に習熟しているとは言えず、その点で心もとない。 「小一郎殿はこの場にあって、城の四方に目を配ってください。敵の攻め手を見、攻めの厚いとこ ろに手持ちの兵を回し、守りに徹してくださればよい」 「承知しました」
半兵衛は城兵に城から一歩も出ないよう厳命し、敵が横山丘陵を登って来るに任せ、城の外郭を
頼みに弓、鉄砲を使った射撃戦に専念するよう命じた。 半兵衛の姿が見えなくなると、小一郎はとたんに心細くなり、胸中に渦を巻いた不安で押しつぶさ れそうになった。 (これでよかったのじゃろうか・・・・・)
半兵衛の読みの通りに事態が進めばよい。 小一郎は、心中の動揺を左右の者たちに気付かれぬよう務めて表情を消し、床机に静まって腕を 組み、瞑目した。 (大将は、心静かに床机に座しておればよい)
大将が不安がれば、その不安は何層倍にもなって下の者たちに伝わり、それが全軍の動揺を生み、
軍兵たちの士気を削ぎ、戦に対する恐怖心を煽り立てることになってしまうことを小一郎は知ってい
る。
散発的な銃声を聞きながら、小一郎は自らを説き伏せるようにして床机に座り続けた。 (始まったか・・・・!) 浅井勢が、本格的な城攻めを開始したらしい。
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