歴史のかけら
34頭上を仰げば、落ちてきそうなほどの満天の星。 けれど、月はどこを探しても見あたらない。 (夜明けの頃になれば、あの手筒山の上に有明月が顔を出すじゃろう)
楠の大樹の根元にもたれかかり、眠れぬままに夜空を見上げていた小一郎は、そんなことを考
えながら、つかの間の安息の時を過ごしていた。 (死んでしもうたら、あの煙のように空に消えてゆくのじゃろうか・・・)
小一郎は、多少感傷的な気分になっている。ほんの数時間前、荷車に山積みにされて京へと運ばれ
てゆく数多の生首を見たせいでもあったろうか。 (修羅道というヤツじゃなぁ・・・) 仏教では、「世に6つの世界がある」と僧は説く。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間 道、天道というのがそれで、総じて「六道(りくどう)」というらしい。中でも修羅道とは、「戦い の業」にとりつかれた者がゆく場所で、衆人は常に諍(いさか)い、闘争が絶えることのない世界 であるという。 (首を賭けて他人と争い、首をいくつ取ったと朋輩と競い合う。侍っちゅうもんは、どうにも救い ようがないわい・・・)
ごく素朴な念仏信者である小一郎でさえ、その程度の仏教知識は持っている。たとえば小一郎が
生まれ育った尾張中村には寺の共同墓地に「六道の衆生を救済する」と謂れのある苔むした六地蔵
があり、先祖の墓――墓といっても石を積んだだけの供養塔だが――に参るたびにその地蔵たちに
も手を合わせたものだ。 小一郎は、金ヶ崎城のある小高い丘のような山の麓――第一の木戸(大手門)がある外廓からす こし離れた林の中にいた。 金ヶ崎の城内に、4万を越す織田兵すべてを収容できる建物はない。屋根のある場所に寝床を確 保できたのは、おそらく千人にも満たないだろう。木下勢を含め、多くの部隊が城の周 辺や山麓に陣屋を設け、野営をしていたのである。もっとも、今回の朝倉攻めは季節に恵まれてい るから、雨さえ降らねば外で寝起きするのに何の不自由もない。
敦賀の主城である金ヶ崎城の立地は、3方を海に囲まれた天然の要害である。
この城の起源は古い。 「三方は海に依って岸高く岩滑(なめらか)なり。巽(東南)の方に当れる山(天筒山)一つ。城よ り少し高くして 、寄手城中を目の下に直下すといえども、岸絶へ、地けわしく崖にして、近付け寄れ ぬれば」 といった有様だから、正面攻撃しかできないという意味で非常に攻めにくい城であると思っても らえば、まず間違いない。 金ヶ崎城には朝倉一門の朝倉景恒が敦賀の代官として在城していたのだが、頭上の手筒山城が落ち、 半島の根元を埋め尽くすような織田の大軍を目の当たりにして戦意を喪失したらしい。城兵の命の無 事を条件に開城し、兵を率いて去った。
信長はすぐさまここに本陣を移し、さらに越前へと攻め込むべく態勢を整えた。 (明日はいよいよ越前か・・・・)
そう思うと、小一郎にも多少の感慨がある。
考えてみれば、それもこれもすべて、信長というたった一人の男に起因している。信長が尾張半
国の主になってから、わずか二十年ほどで、尾張を――日本を――ここまで変えてしまった。 (とにかく、これは凄いことや・・・) と、そんなところで信長の偉さを実感したりした。
深更というほどの真夜中でもないが、あたりは静寂に包まれている。 (この空の様子ならば、明日も天気は良さそうじゃな・・・) 小一郎は木の根に寄りかかったまま、いつしか眠りに落ちていた。
小一郎は未明に目を覚ました。 「殿はまだ戻られんのか?」
寝ず番の兵に確認したが、藤吉朗はまだ城から戻っていないらしい。
朝は、小一郎がもっとも忙しい時間帯である。
小一郎は、卯の刻(午前6時)にはすべての手配りを済ませ、本陣をたたみ、荷造りを終え、街道
に軍勢と荷駄を整列させ、進発の軍令を待つのみ、という状態にまで仕立てた。 「出陣を一時見合わせる! 新たな下知あるまでそのままに待たれよ!」 と馬上から叫ぶや、大慌てて次の部隊を目指して駆け去って行った。 「何やらおかしいですね」
傍らの半兵衛が小声で言った。嫌な予感がする、と、顔に書いてある。 (我らの背後で、なんぞ起こったか・・・?) 考えられることは、いくらでもある。
たとえば、一揆。信長の支配を快く思わない寺社勢力や六角氏の残党などが、信長不在の畿内で
一揆を起こすということは十分にあり得る。噂では六角義賢(承貞)は伊賀に逃れ、南近江の奪回
を虎視眈々と狙っているというし、一向門徒を中心とする一向一揆も、なかなか侮れない軍事力が
ある。 (信長さまには、敵が多いからのぉ・・・) 本国の尾張、美濃あたりは同盟国に囲まれているから周辺が割りあい安全だが、近畿はまだ完全に 織田家に服属しているとは言いがたく、政情が不安定だった。どんな不測の事態が起きたとしても、 それほど不思議はないのである。 しかし―― (解らんもんは、考えても無駄じゃな)
と、小一郎は考えるのを止めた。 「ともかく、このまま兵を立たせておいて疲れさせてもつまりません。一度隊列を解き、兵を林に 入れて休ませておきましょう。荷駄はもう作れておりますから、出陣の軍令があっても、すぐに出 発できますから」
半兵衛の意見を容れ、小一郎は全軍に休息を与え、藤吉朗が戻ってくるのを待つことにした。
陽もだいぶ高くなった頃、2騎の武者が、砂煙を巻き上げるようにして駆けてきた。木下勢の前を
通り過ぎ、金ヶ崎城へと向けて駆けて去って行く。 (浅井の武者が、今頃、何用じゃ?) 小一郎は首を捻った。 浅井勢は、今回の北陸征伐にどういうわけか参加していない。大将の浅井長政は京から国へ帰 り、湖北の小谷城に居るはずである。 何か報せを持ってきたのであろうか――
などと思ううちに、四半刻(30分)もせぬうちにその男たちは来た道を戻って帰っていった。 (悪い報せじゃな・・・) と、なんとなく直感した。 それからさらに半刻――昼を過ぎる頃になって、ようやく藤吉朗が戻ってきた。 「いったいどうなっとるんじゃ。なんぞあったんか?」 小一郎が尋ねると、 「退き陣(撤退)じゃ。浅井が裏切った・・・!」 藤吉朗は、顔を異様に紅潮させながら吐き捨てるように言った。
前方の越前には、まだ無傷の朝倉本軍がいる。朝倉氏の国力を考えれば、3万近い軍兵が満ち満
ちていることだろう。 (・・・これは、いくらなんでもマズいのとちゃうか・・・)
小一郎でさえそう思ったくらいだから、この場にいた誰もが、瞬間的にこの危機的状況を理解し
ていた。 「それで、これからどうするんじゃ!?」 普段温厚な蜂須賀小六までが、血相が変わってしまっている。 「信長さまは、敵が殺到してくる前にこの場から撤退し、京まで戻って態勢を立て直すおつもり じゃ」 「一戦もせずに、せっかく取ったこの敦賀を捨てるちゅうんか?」 前野将右衛門が驚きの声を上げた。 「そうよ。まだ戦になっておらぬ以上、織田が朝倉に負けたことにはならぬでな――」
と、言いかけた藤吉朗の背後から、凄まじい馬蹄の響きが近づいて来た。 「さしあたって若狭。その後、近江の朽木谷を目指されるっちゅう話じゃ」 それを見送りながら、藤吉朗が言った。 「もうお退きになられたんか・・・!」
小一郎はその素早さに呆れるような思いだった。己の軍勢を置き去りにして、大将が真っ先に戦
場を離脱するなどという話は古来聞いたこともない。しかも、戦に負けて逃げるのではない。戦に
なる前に逃げ出したのである。 「浅井の離反の噂が広まれば、近江の豪族たちもどう動くか解らん。六角の残党どもがこれに結び つかんとも限らんしな。じゃが、幸いにして琵琶湖の西側にまでは浅井の目も届きにくい。朽木谷 まで辿りつければ、まずまず京へは帰り着けるじゃろう」 「ならば、わしらも急がねばならんな!」
小一郎は我に返ったように言った。 (兵には2、3日分の腰兵糧のみを持たせ、残りの兵糧荷駄は捨てて行くか――惜しいが、背に 腹は代えられん。命あっての物種じゃしな・・・)
差し当たり、京まで戻れれば後はなんとかなるだろう。 「その必要はないわい」
という藤吉朗の一言が遮った。 「わしらは全軍の殿払(しりばら)いじゃ」 「殿払いじゃと!? わしらが殿(しんがり)っちゅうことか!?」 藤吉朗のとんでもない一言が、その場に居る者たちの思考をほとんど停止させた。
殿(しんがり)――殿軍、殿払いなどとも呼ぶが、意味は変わらない。要するに、全軍が無事に
撤退を終えるまで、盾となって敵の追撃を防ぎ止める役割のことである。全滅さえ覚悟せねばなら
ない悲痛な仕事で、今回のように圧倒的大軍を前に撤退しようとする場合、捨石というよりは人柱
という方がむしろ実情に近い。 「なんでわしらにそんな役が回ってくるんじゃ!? わしらの前には、丹羽さまも柴田さまも佐久間さ まもおらっしゃるではないか!」
敵を防ぎとめつつ逃げねばならない殿は、戦場においてもっとも難しい役割とされている。その
軍の最強部隊をもってこれに当てるのが当然で、多くの場合、先鋒に配置された部隊が逆順になっ
てそのまま最後尾の殿を努める。 しかし、藤吉朗はこともなげに言った。 「わしがやると願い出た。信長さまは、それをお聞き入れくだされたのよ」 「な・・・!?」 小一郎は絶句した。 (己の功名のためなら、わしらを死処に放り込んでも平気か!) いきり立って怒鳴り返してやろうとした小一郎を、 「小一郎殿・・・」 半兵衛が静かに制した。その表情は、この場においてさえ、さざなみ1つ立たない水面のように 落ち着き払っている。 「木下殿は、織田家の危難を救うために、自らこの難役を買って出られたのです。もう何も申され ますな」 半兵衛のこの一言と、蜂須賀小六らの苦りきった表情を見たことで、小一郎は己の置かれた立場 というものにようやく気が付いた。
この場にいる主立つ武将たちの半数以上は、織田家から出向している寄騎(与力)であり、藤吉朗
の家来ではない人々であった。藤吉朗の身勝手で損なクジを引かされ、危険極まりないな役目を強
いられ、その理不尽を迷惑に思っているのはむしろ寄騎の諸将であり、彼らの方こそ藤吉朗に嫌味
の1つもあびせてやりたかったであろう。 (・・・わしは、なんと浅はかな・・・!)
小一郎は痛感していた。 (この場でわしが何を言うても、己の身可愛さに臆病風に吹かれ、見苦しくもうろたえておるわ と人に思われ、恥をかくだけなんじゃ・・・)
それどころか、藤吉朗の兄弟である小一郎がこの藤吉朗の身勝手に不満などを言えば、その身勝
手に付き合わされる寄騎の諸将などは藤吉朗のために奮戦してやろうという気を失くし切っ
てしまうであろう。 小一郎は、瞬時にそこに思い至った。そして、失言を吐いてしまいそうだった自分を止めてくれ た半兵衛に心から感謝した。 神妙さを取り戻した小一郎の表情を見て取ったのか、 「さぁ、金ヶ崎の城に入るぞ! あの城に篭り、敵を斬り防いで時を稼ぐんじゃ!」 藤吉朗は諸将に宣言するように言った。
|
この作品は、 「ネット小説ランキング」さんに登録させて頂いております。
投票していただけると励みになります。(月1回)