歴史のかけら
19善左衛門は重そうな目蓋をわずかに開き、薄く開かれたにじり口を見た。 「へぇ・・・是非にも旦那様にお会いしたいとのことでございまして・・・」 扉の向こうで、手代が実に申しわけなさそうにそう言った。
明り取りの窓から薄明かりが斜めに差し込む4畳半の狭い部屋である。書院風の小座敷で、部屋
の中央には炉が切られ、天井から伸びている自在鈎に釜が掛かっているから、一見して茶室と解る。
湯の沸きたつ音が、しゅんしゅんと静かに空気を震わせていた。 「ここにおる間は、どなたが参られても取り次いではならぬと固く申しつけておりますんです が・・・お恥ずかしい・・・どうにも躾が行き届きませぬようで・・・」
亭主の座にいる善左衛門は、二人の客に詫びた。 「・・・して、どなたや?」 善左衛門は手代に尋ねた。従順な番頭が言いつけを破ってまで手代をここに寄越したところを見ると、 あるいは特別な訪問客であるのかもしれない。 「お武家さまでございます。織田さまのご家中で木下藤吉朗さまのご家来、木下小一郎さまと竹中重治 さまとお名乗りにならはりました」 「木下はんに竹中はん・・・・はて、覚えまへんなぁ・・・・」 善左衛門は首を捻った。 「織田家の木下藤吉朗はんといえば・・・先ごろこの京洛のお奉行さんにならはったお人でし たな」 正客の男が口を開いた。上方の人間特有のゆったりとした口調で、錆びた低い声である。 「へぇ。確かそのようなお人どすなぁ・・・」 「足軽奉公から、わずか数年で今のご身分にまで出世をなされたお方とか・・・」 「さすがに魚屋(ととや)はんや。なんでもようご存知で・・・」 善左衛門は務めて表情を柔和にして言った。 「物知りのついでに、お教え願いたいんどすけど、木下小一郎はんと竹中重治はんいうのは、どない なご仁ですやろか?」 上目遣いで善左衛門を見た正客の男は、口元に笑みを浮かべ、摂津屋はんなら先刻ご承知のことと 思いますけどなぁ、と、ゆったり前置きして続けた。 「小一郎はんいうたら、木下藤吉朗はんの実の弟はんですな。で、織田家で竹中重治はんといえ ば・・・ほれ、何年か前の、あの『稲葉山城 乗っ取り』の――」 「おぉ、あの高名な、美濃の竹中半兵衛・・・! 『むかし楠、いま半兵衛』の、あの竹中はんどす か。あぁ・・・これはえらいことや・・・」 本邦の知略の士といえば、『太平記』の英雄――南北朝時代の南朝方の忠臣にして伝説的な戦術 家である――楠正成(くすのき まさしげ)が上方ではなんといっても人気があるのだが、難攻不落と謳 われた稲葉山城を鮮やかに奪い取った半兵衛の知略は、かの大楠公にも匹敵するということで、京の あたりではそのように喧伝されていたらしい。竹中半兵衛の雷名は、京の路地裏で遊ぶ子供にさえも 届いていたのである。 「ご用件は、まぁ、商いのことでしょうなぁ・・・」 善左衛門は、この京でも指折りの米問屋 摂津屋の主である。武士が米屋に足を運ぶ以上、米を買う とか、売るとかいった用件であろう。 「浮世を忘れたこのお茶室で、商いの話をせなならんのも、物憂いことでございますけど・・・」 と言ったのは、もちろん客への手前であって、善左衛門の本音ではない。 「しかしながら、せっかく訊ねて来なさったもんを、無下に追い返しては角が立ちますやろ」
正客の男が言った。 「どうでしょう摂津屋はん、この際ですから、そのお客はんを、このお茶席にお招きしては・・・。 昨日今日上方に参られたような茶数寄をよう知らんお人から見れば、お武家さまをお待たせしてまで 茶を喫しておったというのでは、先方は面白う思われんでしょうし、そうでのうてもお武家さまに は気ぃの短いお方が多うございますやろ。お怒りにならはっては、肝心のご商売の差し障りにならんと も限りまへんよってに・・・」 「はぁ・・・正客の魚屋はんにそう言うていただけるのどしたら、こちらに否やはあらしまへんが、そ れでよろしおすか? なんや申しわけないことどすなぁ」 「商人(あきんど)は商いが第一・・・なんの遠慮もいらしまへん。それに、これも何かの縁や。私もそ のお二方とは、ぜひともお会いしてみたい」 男はその鋭すぎる眼光を隠すように目を細め、薄く笑ってみせた。 「ほな、ここからは、私(わて)が茶頭(さどう/茶を点てる役)をやらせてもらいます。宗二はん、あん たはすまんけど、席を外して半東(はんとう/亭主の補佐役)をやってもらえますか。この四畳半に5人 では、ちいと狭いよってになぁ。ご亭主のお手伝いと、お客はんの介添えをお願いします。お客はんは 茶のことはなんにもご存知ないかもしれまへんよってに、万事よろしゅうに。私はその間に釜の水を足 して、炭を直しておきますわ」
魚屋と呼ばれたこの男は、泉州 堺の魚問屋の主人であり、納屋貸し業(倉庫業)をも営むなかなか
の富商で、同時に善左衛門の茶の道の師匠でもあった。 「では、お師さんの言われた通りに・・・」 宗二と呼ばれた青年は深く一礼すると、わずかな衣擦れの音だけを残してにじり口を抜けていった。
「はぁ〜、なにやら異界に迷いこんだような気分ですなぁ」
と小一郎が思わずこぼしたのは、大路に面した立派な大店(おおだな)のすぐ裏手で――下京の市
街地のど真ん中で――野趣溢れる樹木が深々と生い茂っていたからである。 「木下さまと竹中さまは、あちらの腰掛にてしばしお待ちくださりませ。すぐに案内の者が参ると思い ます。お供の方々は、こちらの別室にてご休息くださいますように」
連れていた4人の供侍たちは、手代に案内されて左手の母屋の方へと消えた。 「市中の山居――と、言うらしいですよ」 庭を眺めて佇んでいた半兵衛が言った。 「市中の、山居・・・?」 「有徳人(裕福な者)が、都会に居ながらにして、田舎の侘び住まいをする――もちろん見立てなの ですが――京や堺あたりでは、茶数寄の流行と共にこのようなものが大層もてはやされているのだ そうです」 「分限者(金持ち)が、わざわざ貧乏人の暮らしを真似るのでござりまするか?」 「まぁ、そうです。・・・・おかしな話ですね」 半兵衛は笑った。 「しかし、それでも気は静まり、心は落ち着く・・・」 「確かに・・・同じ京の中におりますのに、ここの空気は澄んでおって、表を歩いておった先ほどまで とはまるで違うように感じてしまいます。たとえば――寺社の境内などに踏み込んだときのような――な にやら清浄な心持ちにさせられるのですから、不思議なものでございますなぁ」 「そのような心持ちに、いつでも浸れるようにしようというのが、この舞台のしつらえのキモのなの でしょう」 半兵衛は瞑目し、
「『古今集』の昔から、世の憂きことどもから逃れるためには、人里離れた山奥に閑居するものと相場 が決まっております。しかしながら、かの西行法師が『世の中を 捨てて捨てえぬ心地して 都離れぬ 我 が身なりけり』と嘆いております通り、都人がなかなか都を捨てられぬのも事実。何不自由なく暮らし ておる有徳人ともなれば、それはなおさらのことでしょう。だからこそ、山里に自らが行くのではなく、 山里の方を都の中にもってくるという逆の考えが生まれたのかもしれませんね」 「はぁ・・・・なるほど・・・」
小一郎は眉根を寄せた。 小一郎が舌足らずな言葉でそのように言うと、 「小一郎殿は、真面目なご気性ですね」 と言って、半兵衛は微笑した。 「たしかに、気分だけを真似、そこで満足しておるならば、ただの愚物。論ずるに値しないと思い ます。ですが例えば――」 半兵衛は足元の小石を2つ取り上げ、腰掛の自分と小一郎の間に置いた。 「ここに二人の禅僧が、背を向けて座禅しておるとしましょう。一方は徳の高い禅匠、一方は昨日出家 したばかりのにわか坊主です。さて小一郎殿、どちらが徳の高い禅匠かお解りになりますか?」 「は? ・・・座っておる後姿だけで比べるのですか? それでは・・・私にはとても見分けがつかん です」 「そうでしょうね。どちらの坊主も、同じ姿、同じ格好で、同じように座っている。禅僧の修行とは、 そういうものです。大衆一如――みなが同じ清規(決まり)に従い、同じ時間に寝起きし、同じように 作務(お勤め)をし、心をひとつにして暮らす。けれど、そこには修行の成る僧がおり、成らぬ僧もお る――」 「・・・・解りません」 「道元禅師(曹洞宗の開祖 永平道元)の言葉を借りれば、それらしくすることは大切だ、ということで すよ。それらしく真似、それらしく振舞い、その中で、それぞれが己の内面を弛まず磨き続けておれば、 やがてより高い境地に到ることもある。むろん到らぬ者もありましょうが、そうなるように精進を重ね ることが、修行というものです」 「市中の山居が、修行ですか」 金持ちの道楽のように感じていた小一郎は、多少驚いた。 「茶は、そもそもが禅宗から生まれたものです。禅とは切っても切れないほどに繋がりが深い。茶の心 というのは、言わずとも禅の心と通ずるものだと私は思っています。だから茶とは、突き詰めれば、人 の心を磨く道のようなものでなければならぬと私は解釈しているのですね。そういう志を持たない茶は、 それこそただの道楽――分限者が贅を誇るだけの悪趣味な遊びということになる」 むろん、遊びとして楽しんでおるだけの者も多いのでしょうが――と、半兵衛は続けた。 「まぁ、つまるところ、実際に山里に侘び暮らすのも、こうして山里の暮らしを都の中でするのも、人 の裡(うち)においては、その本質は同じということです。気分を真似ておるうちは遊びに過ぎませんが、 この二つを同じことだと思い至ることが一種の『悟り』であり、それができる者を禅宗では『覚者』と 呼び、茶数寄では『名人』と呼ぶのではないでしょうか。それはそうと――」 半兵衛は拾った小石を元に戻し、 「案内の者を待たせてしまっておるようですね」
と言った。 「声をお掛けすべきでしたが、大変おもしろいお話の途中でございましたので、つい聞き入って しまいました」 青年は深く辞儀をし、 「山上宗二(やまのうえ そうじ)と申します。本日、半東を――お二人の介添えを務めさせ ていただきます。竹中さまは、茶数寄に大変深い見識をお持ちのようでございますから、介添えなどは 不要かもしれませんが、よろしくお願いいたします」 と続けた。 「見識などと、とんでもない。私は茶碗の持ち方ひとつ知らぬ無作法者ですよ。ありがたくお世話にな ります」
半兵衛は泰然としたものである。 「上方で流行っておる茶は、なにやら難しい作法や決まりがあるちゅう話ですな。わしは百姓が野良で 飲むような湯茶しか知らぬ田舎者でござりまするゆえ、どうかよしなにお導きくだされ」 と頭を下げた。 「そのように畏まられることはございません。お気楽に、ご亭主のお振る舞いをお受けくださればよ ろしいのです。ご亭主におもてなしの心があり、お客さまに感謝の心があれば、それにて立派に『一座 の建立』と相成ります。茶は、茶を点てる者のみでは為し得ません。素晴らしき『座』とは、ご亭主とお 客さまが心をひとつにして共に創り出すものなのでございます」
宗二と名乗った青年は、二人の目の前まで歩み寄り、まずはそちらのつくばいにてお手とお口をお清
めになってくださりませ、と促した。 「先ほど竹中さまのお話、大変おもしろく拝聴させていただいておりましたのですが、ひとつだけ、 心に引っ掛かっておることがございます。お客さまに対してご無礼を承知で、言わせていただいて もよろしゅうございますでしょうか?」 と言葉を継いだ。 「どうぞ、お気兼ねなく・・・」 半兵衛はさして気にした様子もなく、懐紙で手を拭きながら話を促した。 「先ほど竹中さまは、ひとつだけ間違ったことをおっしゃいました」 「ほぉ。私は何を間違えましたか?」 「茶数寄の『名人』についてでございます。竹中さまは、『山里の侘び暮らし』と『市中の山居』を 同じことと喝破する者を茶数寄の『名人』と申されました」 「一言一句その通りではありませんが、確かにそのような意味のことは言いましたね」 「しかし、私どものような茶に携わる者のうちでは、『名人』と称されるほどの者は、4つの条件を 満たしておらねばなりません。その4つの条件とは、まず茶の湯の上手であること。さらに道具の目利 きであること。茶の道に深い覚悟を持つこと。そして、唐物の名物を所持しておることでございます。 この4つのいずれが欠けておっても、私どもはその者を『名人』とは呼びません。ですから、先ほど 竹中さまが言われたような者は、『名人』ではなく、『侘数寄(わびすき)』と申すべき者なのでござ います」 「あぁ・・・そうなのですか。それは、知らぬこととはいえ、ご無礼をしましたね。覚えておくこと にします」
半兵衛は、ごく素直に謝った。 「・・・・・あ、いえ、手前の方こそ、失礼を申し上げました。手前はまだ未熟者ではございますが、 茶の道を志し、いずれは名人と呼ばれるほどの者になりたいと念願しておる者でございますれば、 この道のことに対してだけは融通が利かず、つい要らざる差し出口を挟んでしまいました。どうかお 気を悪くされませぬよう」 半兵衛は、妙に弁解がましく謝る青年を好ましそうに微笑で眺め、 「御辺にとっては、茶こそが譲れぬ部分なのですから、譲らぬ覚悟で、そのままに進まれるがよろしか ろうと存じます」
と言った。 「ご教示、ありがたく肝に銘じましてございます・・・!」 再び深く深く頭を垂れた。
|
この作品は、 「ネット小説ランキング」さんに登録させて頂いております。
投票していただけると励みになります。(月1回)