無  題


あざなえる縄



 こういうモンだと、石田は思った。

 深夜の自動販売機である。
 デジタル音が響き、総てのボタンに光が点っている。
 清涼飲料水の缶を右手に、石田はその光を呆然と眺めていた。

 いつもこうなのだ。
 石田は思う。
 いつもいつも、どうでも良いところで、幸運を無駄遣いしている。


 読書に疲れた石田は、散歩がてら、飲み物を買いに出たのだった。
 晩夏の風は生ぬるくて、じっとりとシャツが背に張り付いていた。
 ワンルームの部屋から5分も歩くと、街灯の下に自販機がぽつんと 浮かび上がっている。
 いつもの散歩コース。
 ほんの数分の気分転換。

 コインを投入し、好みのボタンを押す。
 ガシャリと場違いに大きな音が響いて、350mlの容器が取り出し口 に放り出される。
 よく冷えたアルミ缶を取り出したとき、それは起こった。

 自販機の中程にあるゲーム機のようなランプが、デジタル音ととも に停止したかと思うと、景気のいい、そしてひどく安っぽい祝福のフ ァンファーレが響きわたったのだ。

 「アタリ」である。

 「アタリ」がでたらもう1本。
 あの、「アタリ」だった。

 まったく予期していなかった。
 まったく期待してもいなかった。
 だから石田は、ワケもなくちょっとだけ狼狽した。
 それから、なんだか損をした気分になった。

 何で、いまなんだよ−−

 ここに例えば友人でもいれば、それはちょっとしたラッキーとして 話の種にもなったろう。
 またそれが、仕事の合間のことであったなら、2本の缶を気分良 く頂いて、誰かにくれてやることも出来ただろう。
 あるいは自分の幸運を、すこし喜べたかもしれない。
 今日一日いいことがあるかもと、ご機嫌で過ごせたかもしれない。

 それが、よりにもよって−−

 結局石田は、さほど欲しくもない飲み物を選んで、もう一度ボタン を押した。同じものをもう一つ持って帰るのも芸がないし、他に必要 なものもない。
 夜中にしては大きすぎる音が空しく響いて、石田はもう一度取り出 し口の前に屈み込まねばならなかった。


 はたしてこれを、幸運と呼んでいいものだろうか−−

 取り出したアルミ缶を両手に持って、石田は考える。

 損は、していないだろう。
 経済的には、石田は何一つ失っていない。
 けれど、本当にそうなのか・・・?

 例えば、人の一生の幸運の量が、あらかじめ決まっているとした らどうだろう?
 神様みたいなのがいて、それが自分の幸運と不運を見守ってい るとしたらどうだろう?
 石田のこの「アタリ」は、神様のノートには、幸運の1つとして記録 されていることだろう。
 客観的にこの事象を見れば、それは幸運には違いないのだ。
 けれど−−−

 この気分はどうしたものだろう−−

 こんな気分の幸運があっていいはずがない。
 というか、こんな気分で幸運とカウントされてはたまらない。
 せっかく幸運を貰うなら、宝くじが当たるとか、好きな女に街で偶 然出会うとか、ちょっとしたヒーローになるとか−−−
 もっと身も心もウキウキしてくれないことにはやり切れない。
 そうでなければ納得できない。

 石田は思う。

 もともと人間なんて平等じゃない。
 生まれ落ちた時と処で、人生の大半は決まっているようなもので ある。
 金持ちの家に産まれる。
 偉大な才能を持った親の子として産まれる。
 巨大な影響力を持った親の子として生を受ける。
 こんなことは、もちろん自分の力でどうにかできる問題ではない。

 美男に産まれる。
 背が高くなる遺伝子を持って産まれる。
 卓越した才能を持ってこの世に生を受ける。
 こんなことは、望んだところでどうなるものでもない。

 だったらせめて−−

 石田は思うのだ。

 生まれ落ちた後、人生において被る幸、不幸の量くらい、万人が 平等だって良いじゃないか。
 不運な環境に産まれた者には、その分幸運が巡ってきてもいいじ ゃないか。
 人の全部の幸と不幸を換算したとき、総計が同じになってくれなく ちゃ不公平じゃないか。

 思えばいつも−−

 石田は夜空を振り仰ぐ。

 自分は不運ばかり大きく、幸運が小さく巡ってくる気がする。

 高校受験の時もそうだった。
 滑り止めの3流高校に辛うじて滑り込めたとき、石田の彼女が事 故で死んだ。
 大学受験の時もそうだった。
 最後の大学に補欠合格したとき、1流大学に決まった彼女にあっ さりと見限られた。
 就職するときでさえそうだった。
 地元の企業にコネを見つけて内定を貰って3ヶ月、その会社が不 渡りを出してあっさり潰れた。

 数え上げればいくらでも浮かんでくる。

 たとえば童貞を捨てたとき、家では婆ちゃんが死んでいた。
 福引きで2等が当たったとき、翌日バイクが盗まれた。
 レジでお釣りを余分に貰ったときは、電車で財布を摺られてた。
 部活でレギュラーを勝ち取って、最初の試合で足を折った。
 同窓会で昔好きだった女と再会して、偶然そういうコトになったは 良いが、旦那にばれて修羅場になった。

 こんな人生なのである。
 考えてみれば、ここで「アタリ」が出たことも、ひどく自分らしい と言えば、言える。
 幸運は小さく、不運は大きく。
 それが自分の人生であったのだ。


 神様ってのはいるのだろうか−−

 石田は歩き始めた。

 もし神様がいたとしても、60億からいる人間の総ての幸運と不運 を管理するのは、よほどに骨が折れるだろう。
 もしかしたら、神様にとっては、幸運の質なんてものは、もう問題 ではないのかもしれない。
 回数でカウントするのである。
 たとえば宝くじで1等が当たること。
 たとえば道に落ちてる100円玉を拾うこと。
 どんな大きな幸運でも、どんなに小さな幸運でも、幸運1回とカウ ントする。
 たとえば石に躓いて転ぶこと。
 たとえば父親が癌になること。
 どんな大きな不運も、どんな小さな不運も、不運1回とカウントする。
 そのあたりが、忙しすぎる神様にとっては、精一杯の平等なので はないか。

 そう思えばなんとなく納得できる。
 いや、納得などできはしないのだが−−

 石田はそして思い出す。

 幸運は小さく、不運は大きく。
 自分はそうして生きてきた。
 いつしか大きな幸運を諦め、小さな幸運を怖れ、平々凡々、波風 が立つことを極度に避けて、時間を過ごしてきたのではなかったか。

 ひどく、おかしくなってきた。

 幸運を怖れる人生なんて、何のために続けているのだろう。
 不運の帳尻すら合わない幸運など、それは幸運といえるのか。
 まったくくだらない人生だ。
 いつからこんな風に考えるようになったんだ!

 何事も、気の持ちようである。
 その程度のことは、石田も知っている。
 たとえば「アタリ」を引いたことだって、それはそれだけで完結し た幸運である。
 未来なんてどこにも存在しないのだし、先に起こるかもしれない 不運とそれを結びつけることになど、何の意味もない。
 不運だって、それだけで完結した事象なのである。
 先の幸運と後の不運には因果関係はないし、幸運の回数と不運の 回数が同じであるはずがない。
 産まれながら、強運の持ち主だっている。
 不運な星の元に産まれた人間だっている。

 いや、もっと言えば、そもそも幸運も不運もないのである。
 この世で起こる総てのことは、起こるべくして起こるのだし、幸運 だから、不運だから起こるというわけではない。それは起こってしま った事象に対して、人間が後に恣意的に意味づけをするというだけ のことなのだ。
 だから遡って幸運があったから不運があるというのもナンセンスだ し、あらゆる事象を幸運と読み替えることだってできる。
 足りてしまえば、そこには幸運しかないはずなのである。

 石田は苦く笑った。
 自分の思考のくだらなさに気付いたのである。

 さっさと本の続きを読もう−−

 早足になった石田に、不意に横合いからスポットライトが当たった。
 振り向いた石田が見たものは、まばゆい二つの光源だった。
 瞬間思考が止まる。
 アスファルトを軋ませて、ブレーキ音が闇を裂く−−

 石田はもう一度思い出した。

 小さな幸運の後に、大きな不運がある。
 それが、自分の人生であったのだと。

−了−

2001 9/16


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