無  題


     「インパクトの瞬間」における
          ジンクピリチオン効果について


 1991年に在野の研究家である清水義範氏が発表した「インパク トの瞬間」という論文が学会に与えた影響というのは、いまさらこ の場でくどくどと説明するまでもないことと思う。

 氏の明晰な理論と強力な論理は、それまでの論理学の常識を完全 に打ち破り、「論理力学」というまったく新しい新境地を切り拓いた だけでなく、ここにお集まり下さった皆さんをはじめ、世界中の論理 学研究者をその一気にその高みにまで導いてくれたということは、皆 さんもよくご存じの通りである。

 かくいう私も、あの「インパクトの瞬間」に衝撃を受け、その論理 の虜となり、「論理力学」を志した者の1人である。

 この度、私は幸運にも、この10年に渡る私の研究成果を発表する 機会と栄誉をここに得た。
 先達の名に恥じぬよう、全精力を傾け取り組んできた結果である。
 どうか諸賢、諸兄の忌憚のないご意見を賜り、今後の研究の糧に させていただきたいと勘考する次第である。




 清水氏の「インパクトの瞬間」における、そのもっとも重要な発見 が、「ジンクピリチオン効果(註1)」であるということは、いまさら 言うまでもないであろう。

 氏は「インパクトの瞬間」の中で言う。

「ジンクピリチオンが何であるのか、つまり、動物なのか、鉱物なの か、植物なのか。甘いのか酸っぱいのか、硬いのか柔らかいのか、 押し出しが強いのか人当たりが良いのか。そういうことを知ったとして もあなたに何の利益があるだろう。
 そのようなことを知っていることを、無駄な知識と言うのである。
 ジンクピリチオン配合。
 虚心に、この言葉だけに耳を傾けなければならない。そしてそう すれば、あなたは必ずこう思うはずなのである。

 なんだか、すごそうだ。

 その心の声こそが、この言葉を聞いた時の正しい反応なのである」

 氏は、「ジンクピリチオン」という単語が持つ、その爆発性言語と しての破壊的衝撃力に誰よりも早く着目し、そのような「単語そのも のが持つ人の精神活動への衝撃力」を「ジンクピリチオン効果」と命 名したのである。

 氏のこの命名によって、はからずもこの「ジンクピリチオン効果」 が、「風邪薬の効用」としてではなく「爆発性言語の衝撃力」を 表す単語として、広く世間に流布する結果となったことは、皆さん も良くご存じであろう。
 本年には「現代用語の基礎知識」に登 場することも、どうやら決まりそうなイキオイであり、もちろん、昨 年の流行語大賞にノミネートされたという事実は、まだ皆さんの記 憶にも新しいことと思う。

 氏は「インパクトの瞬間」の中で、この「ジンクピリチオン効果」を 顕著に持った言語として、「セラチオペプチターゼ配合」であるとか、 「塩化リゾチウム配合」、さらには「デュラムセモリナ100%」、 「遠赤外線焙煎」、「あらびきネルドリップ方式」などの例を挙げて いる。このことは、ここにお集まり下さった皆さんにとっては、もは や常識と言っても言い過ぎではない事項であろう。

 無論、氏が「インパクトの瞬間」を発表したのは10年前のことで あり、これらの爆発性言語がすでに我々の耳に慣れてしまったため、 その瞬間的な衝撃力が若干低下しているとはいえるが、そのことが 氏の名誉をいささかも傷つけるものではないということを、まず私は お断りしておきたい。
 いやむしろ、10年も前から、この現代でも十分に通用するだけの 爆発性言語をこうも的確に拾い上げた、氏の予言者のごとき先見性 にこそ、我々は注目すべきなのである。

 「ジンクピリチオン効果」の発見があって初めて、「ある言語が持 っている衝撃力を計測する」という「論理力学」の基本理念が確認 されることになったという事実を、我々は一時たりとも忘れてはいけ ないのである。




 清水氏の「インパクトの瞬間」は、皆さんも良くご存じの通り、 5章からなる論文である。

 第1章は導入である。
 氏はまず「インパクトの瞬間、ヘッドは回転する」という命題から、

「とにかくそのクラブを買わなきゃ話にならん」

 という我々常識人か ら見ればとてつもないとしか表現のしようがない結論を、奇術師のよ うな手法で見事に引き出した。
 氏はその証明過程を我々に明示することによって、「論理力学」 という学問の必要性を我々に直感させてくれる。

 「ジンクピリチオンが配合されている場合がある」
 という、およそ研究論文の範疇から見れば信じられない書き出し から始まるその第2章は、全章に渡って「ジンクピリチオン効果」の 驚くべき構造の解説と、その例示によって占められている。この氏の 蛮勇ともいえる冒険によって、我々は「論理力学」の基礎理念を脳 髄の隅にまで叩き込まれるのである。

 第3章は、第2章の補強である。
 2章で提起された「ジンクピリチオン効果」の効能は、3章の展 開によって、この時点ですでに完成されたと言って間違いない。
 ここでも我々は、氏の、その悪魔のごとき論理展開の精妙さに、  背筋をゾクゾクさせずにはいられないのである。

 第4章で氏は、驚くべき事に、「ジンクピリチオン効果」の文法へ の発展を提起する。

 例えば、「コクがあるのにキレがある」
 また、「ただドライなだけのドライではない」

 「コクがあるのにキレがある」を「メインディッシュのフィレステ ーキなのに送りバントをした」と論破してのけた氏の天才に、我々 はただ恐怖する以外、どんなリアクションを許されると言うのだろう。
 氏の論理は、10年前の時点ではいささか新しすぎ、学会をはじめ とする研究機関からさまざまな攻撃、迫害、嫌がらせ、いじめ、嫉み、 妬み、嫉妬、仲間外れ、つるし上げ、袋叩き等の行為を受けたこと は、すでに我々の良く知るところであるが、氏の論理がまったく正し かったということは、時が証明してくれている通り、我々にとってはす でに常識となっている。
 我々研究者は、二度とこのような過ちを繰り返すことがないよう、 新しい学説、珍奇な論説にも、真摯な態度で耳を傾ける必要があ るということを、心の隅に常に留めておかなければならない。

 最終章である第5章で、我々は氏の意図する恐るべき魔術に引 きずり込まれる。
 それは「ジンクピリチオン効果」がもたらす社会的恐怖とも言える 非常に重要かつ驚異的な現実である。
 氏の魔術の虜となってしまった我々にとっては、「歯磨き」という、 我々がごく日常的に接する常識的な情景でさえも、すでに平常心で 接することができなくなってしまうのだ。
 もしひとたび「歯の健康を保とう」と思ってしまえば、我々に選択 肢はない。
 虫歯予防の歯みがきで磨いた後、歯を白くする歯みがきでもう一度 磨き、ヤニ取り歯みがきと歯石を取る歯みがきを山切りカットの歯ブラ シで磨いたのち、さらに歯医者さんが考えた歯ブラシと弾力ある歯ブ ラシと奥歯が磨ける歯ブラシを使って歯磨きさせられてしまった以上、 我々のちっぽけな常識など、根底から突き崩されざるを得ないの である。
 当時まだ一般的でなかったから除外されたに違いないが、これに 「糸ようじ」と「電動歯ブラシ」が加わった日には、我々は歯の健康 のために自らの健康を失う以外に道はない。
 それも体の健康などではない。心の健康を、である。

 我々は、10年という遠い昔に、これほどまでに「論理力学」の精 妙な神髄に肉薄することができた1人の恐るべき天才に、心から恐怖 するべきである。
 真摯に呆れるべきである。
 そして、天才とは常に孤独なモノであるという真理を、虚心に受け 止めねばならない。

 氏の「インパクトの瞬間」から始まった「論理力学」の世界は、 後続の研究者たちの努力によって様々な発展を遂げた。
 特に近年、多くの社会的貢献をも世間に還元することができる ようになってきたことは、我々研究者が誇りとすべきことである。

 「論理力学」は、言語が持つ無限の可能性に一つの新たな方向 性を付与したと言える。
 我々研究者は、進化し続ける言語に片時も弛むことなく注目し、 深い洞察と慎重な考察とをもって、これに取り組み続けなければな らないの使命をもたされているのである。




 私はこれまで、いまでは「論理力学」の教典とまで言われる清水 氏の「インパクトの瞬間」にそって「論理力学」のなんたるかを述 べてきた。
 しかしここからは、21世紀を迎え新たな歩みを始めて行かねばな らない「論理力学」の現在と未来とを語っていきたいと思う。

 言語の世界には停滞がない。
 そこでは常に新しい言葉が産まれ、新しい表現が産まれ、新しい 使用法が産まれている。
 我々研究者は、片時も休むことなくそれらの新しい言語に注目し、 それを解析し、分析し、理解し、公共の福利のためにその結果を公 表していかねばならない。










13

 「(笑)」
 という表現がある。

 近年のインターネットの普及に伴いチャットなどを通じて一般化し た表現形式で、最近ではネット世界だけでなく、一般の雑誌や漫画 にまで取り上げられ、非常にメジャーな存在になったといえる。

 この「(笑)」。
 「ショウ」と読むのが正しいのか、「ワラ(い)」と読むのが正 しいのか、「カッコワライ」とでも読めばいいのか、それとももっと他の 読み方があるのか?
 誰もその真相を知らないと言う意味では、UFOや徳川埋蔵金と 同列に扱って良い存在である。

 そもそもこの「(笑)」が奇妙なところは、活字の世界にしか 存在していないという、これまた非常に限定した地域性である。
 驚くべき事に、一般の人間のリアルなコミュニケーションで、この 「(笑)」は使えないのである。

「いやいや違うよ、そうじゃないって、ショウ」
「なんでそんな風になるかなぁ、ワラ」

 などと、声に出して言おうモノなら、ごく軽い口論のつもりが 殴り合いになってしまう怖れすらある。

「君のこと、愛してるんだぜ、カッコワラ」

 では、愛のメッセージだかバカにしてるのだか、かなり微妙な ラインと言わざるを得ないし、

「死んじゃおっかなぁ、カッコショウ」

 などと言われてしまった日には、まともな精神生活をおくるごく 小市民な我々としても、「もういいや、死んじゃえよ」と答えざる を得ないわけである。

 この研究報告からも解るように、この「(笑)」は、くれぐれも 声に出して発音すべきモノではないのだということを、まだテキスト に不慣れな発育途上のお子さまをお持ちのお母様には、とくに心に 留めていただきたいものである。

 しかし、この「(笑)」は、文章テキストとしては極めて力学的に 興味深い反応を人の精神に与えるという事が各方面から報告されて いる。

 例えばアラバマに住むガリクソンさん(58)の証言のメールを例 にとって検証すると、

「あれはほんとに驚きました。
 オレンジの光が山裾に隠れたと思ったら、突然それが猛スピード で引き返してきて、ワシの真上に止まったんです。
 そこからビックリするほど明るい光が降りてきて、気がつい たらワシは、何処だか判らないところに放り出されていました」 (原文著者訳)

 この非常に緊迫した告白文に「(笑)」を付加してみると、

「あれはほんとに驚きました(笑)
 オレンジの光が山裾に隠れたと思ったら、突然それが猛スピード で引き返してきて、ワシの真上に止まったんです(笑)
 そこからビックリするほど明るい光が降りてきて、気がつい たらワシは、何処だか判らないところに放り出されていました(笑)」

 ただのホラ話である。
 そもそも、「あれはほんとに驚きました(笑)」では、子供に膝 カックンされたときほどにも驚いてないし、「何処だか判らないとこ ろに放り出されていました(笑)」では、もうただの酔っぱらいの タワゴトである。

 賢明な皆さんはもうお気づきであろうが、この「(笑)」は、 力学的に「マイナス」の印象を人間に付与することがはっきりと見 て取れる。

 無論、マイナスにはマイナスの利点があって、つまりもともとマイ ナスイメージの文章を、「(笑)」を付けることによってプラスイメ ージの文章に変換することが出来るのである。

「俺はもう駄目だ。本気で絶望したよ」

 という陰鬱な文章が、

「俺はもう駄目だ(笑) 本気で絶望したよ(笑)」

 ニヒルなバカのたわけた告白に化学変化してしまうのである。

 この原文の持つニュアンスを変えるという「()文字」の特性は、 すでに多くの亜種が発明され、多様な応用例が発見されている。
 残念ながらこの分野の研究は、むしろ現実に置いてけぼりにされ ているとさえ言えるのである。

例えば、
 「(泣)」
 「(嬉)」
 「(怒)」
 「(哀)」
 「(悲)」
 「(爆)」
 などなど。

 基本は「感情」の漢字をもってニュアンスに何らかの変化を持た せることが、その主眼になっているようである。

 しかし、ここで注目して頂きたいのが、今回新たに発見された 「(爆)」という「()文字」である。

 「(爆)」

 「カッコバク」あるいは単に「バク」と読むこの「()文字」は、 いったいなんと理解すれば良いのだろうか。
 私は正直途方に暮れた。
 しかし、論理学者として、言語学者として、私には放り出すことは 許されないのだ。
 私はそれらが実際に使われる現場を1つ1つ丹念に点検し、ついに そこに1つの法則性を見つけだすことに成功したのである。

 次の例を見ていただこう。

「・・・って、そんなわけねーか(爆)」
「いやぁ、誘惑に弱いもんで・・・・(爆)」
「俺、腹がでてるじゃん(爆)」
「だって、ラッキョが転がるんですもの(爆)」

 これらは実際に私が目にした、ネットの中に転がるゴミのような 書き込みの一部である。
 人々はすでに、この言語学者が頭をかかえる「()文字」を巧 みに使いこなし、会話のアクセントにしているのである。

 これらの例文に共通する特性はなにか?
 結論から先に言おう。
 この「(爆)」はつまり、「自爆した音」を表す「()文字」 だったのである!

 驚くべき事である。
 つまり人々は、テキストの世界に、禁断の「音」を持ち込んで いたのである。
 しかもその音は「自爆」−−つまり「地雷を踏んだ音」あるいは 「爆死した音」なのである。

 私はこの「()文字」に、日本語のサイトでしかお目に掛かった ことがない。つまりもし私の推測が誤りでなければ、日本人は、 「音」を文字情報に付与することを発明しているということである。
 恐るべき日本人の想像力といわねばならない。




14

 最後に、いま私が最も頭を抱えている問題をここに提起し、この 長かった論講の最後の章にしたい。

 私は先日あるサイトで、驚異的な「()文字」を発見してしまっ たのである。

 広島に生まれ、原爆ドームを見て育った私には、とても考えられ ないようなこの「()文字」が、いまネットで平然と使われている。
 私は危惧するのである。
 この「()文字」という誠に奇形、誠に特殊な文字を駆使してい るのが、「漢字」を持つことを許され、かつ言葉の遊び感覚に非常 に優れた日本人のみであるという事実を、我々は見落としてはならな い。
 そして、そのネットの世界には、もともと国境が無いのである。

 私が怖れる現実は、その使用法を良く知らない外国人相手に、 この「()文字」を使ってしまう可能性である。
 これは一概にないとは言い切れない。

 とにかく、その「()文字」を発表しよう。

 それは、

 「(核爆)」

 である!

 「(核爆)」、つまり「核(原爆)の爆発音」である!

 これはどういうことであろう!
 唯一の被爆国の国民が、世界で唯一この文字を駆使しているとい うこの皮肉。
 北朝鮮に住む軍人に、

「ったく、お前らはバカだなぁ。・・・おれもだけど(核爆)」

 などという文章を誤って送信してしまった日には、翻訳ソフトで 日本語の単純な意味だけを拾ったその北朝鮮軍人は、下手すると 宣戦布告と勘違いする怖れだってあるのである!

 この驚異的な発見を、我々は看過してはならない。
 この、子供が核ミサイルのリモコンスイッチでキャッチボールしてい るような現状を、放置しておいて良いはずがない。
 良識ある日本国民は、ことにこの「(核爆)」という「()文字」 だけは決して使ってはならないのである。

 私は言論の自由に反対する者ではない。
 しかし、ことが世界平和に密接する問題であるならば話は別である。
 我々「論理力学」研究者は、その使命として、断固としてこの 「(核爆)」に反対せねばならない。
 「(核爆)」を日本のネット社会から追放せねばならない。
 清水氏が産んだ「論理力学」の研究者たる我々が、この力学を 解らないわけがないハズなのである!



 大変長々と語ってしまいました。
 皆さんのご静聴に感謝し、また今後の「論理力学」のさらなる発 展と、皆様の今後の研究への奮起にお祈りと期待を申し上げて、 私の研究発表を締めさせていただきます。
 どうもありがとうございました。




 っても、「論理力学」なんて、ホントは無いんだけどね(核爆)


−−幕−−

           

2001 8/7


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