黒猫夜話月 光
爽やかな風が緩やかに流れて花の香りを運んでくれる、そんな季節の
お話です。
恋する少女はその夜も、お部屋に置かれた魔法の水晶に向かって語りか
けます。
「ねぇ・・・今度はいつ会えるかなぁ・・・?」
魔法の水晶には、少女の大好きな少年の顔が魔法で映し出されていました。
「そうだなぁ・・・俺も会いたいけど、いま仕事が忙しいんだよなぁ・・・」
黒猫は、まだ子猫です。人間の年齢に直せば、ちょうど10歳くらいでしょ
うか。
「・・・この間の約束も、結局ダメになっちゃったんだよぉ・・・!」
「ちゃんとわかってるよ。・・・わかってるけど、忙しいんだよぉ」
黒猫の大きな瞳は、クルクルと良く回ります。
「・・・ふーんだ。わかりましたよーだ」
「・・・・?」
「・・・構ってくれないのなら、他に構ってくれる人探しちゃうからね
ぇ・・・」
「・・・こらこら」
水晶の少年が苦く笑っています。
「意地悪言うなよ。ちゃぁんと埋め合わせは考えてるからさぁ」
「ほんとーかなぁ? 近くにいないぶん、いっぱい優しくしてくれないと、す
ごく寂しくなっちゃうんだからね・・・」
「わかってるって。愛してるよ、−−−」
「・・・もう。口ばっかなんだから・・・」
黒猫はご主人の膝に丸くなって、大きなあくびを一つしました。
「・・・じゃ、おやすみ。またな」
「うん。・・・またね」
魔法の水晶から光が消え、少年の笑った顔が消え、お部屋が暗くなりまし
た。
「さ、今日はもう寝ようかな。−−−ちゃん、一緒に寝ようねー」
ご主人に優しく頬ずりされ、黒猫はとっても素敵な気分になりました。少年
がいなくなって、やっとご主人に構ってもらえるのです。
(ご主人、ご主人、遊ぼうよー!)
黒猫は訴えますが、少女は聞いてくれません。
(ご主人、ご主人、ボクにも構ってよー!)
しばらくすると、少女の方からスヤスヤと可愛い寝息が立ち始めました。
(ご主人のばか ご主人のばか・・・!)
寝かけているところを起こされた黒猫は、かえって目が冴えてしまって眠れ
ません。
(ふーんだ。ご主人が構ってくれなくったて、ボクには友達だっていっぱいい
るんだい)
外の世界は静かな夜です。
『あ、鴉さん、こんばんは』
寺院のそばの石の垣根を歩いていると、顔見知りの鴉さんが隣の木の枝
に羽を休めていました。
『やぁ、黒猫くん、いい夜だね』
鴉は知的な瞳を黒猫に向け、言いました。
『鴉さん、聞いてよ。今日はご主人がぜんぜん構ってくれないんだ。ボク
が遊ぼって言っても、魔法の水晶に夢中だし、勝手に寝ちゃうし。ひどいと
思わない?』
『あはは。それはひどかったね。』
鴉さんは「カァ」と一声鳴きました。
『それで黒猫くんは、そんな不機嫌そうな顔をして歩いていたんだね。おか
しいと思ったよ』
『おかしいって?』
『だって、そうじゃないか。あのお月様を見てごらん。この風を嗅いでごら
ん。こんな素敵な夜に、そんな顔はするもんじゃないよ。そうだろ?』
鴉さんはいつも優しく諭してくれます。黒猫はそんな鴉さんが大好きなの
で、ついつい甘えてしまいます。
『だってぇ。ボクは怒ってるんだよ』
『そうだね。君は怒っていたかもしれないね』
『だってボク、寂しかったんだよ』
『そうだね。君は寂しかったかもしれないね』
『楽しそうな顔なんて、ボクはできないよ』
『・・・そうかい?』
鴉さんは、静かに首をかしげました。それは黒猫が大好きな仕草でした。
『考えてごらんよ。たとえ君がそんなつまらなそうな顔をしていても、今夜
が素敵な夜であることは、少しも変わりはないんだよ』
『・・・?』
鴉さんの言うことは、時々難しくて、黒猫にはよくわかりません。
『もったいないとは思わないかい? 君は今夜がどんなに素敵な夜である
か、まだ気がついていないみたいだねぇ・・・』
『そんなことないよ! 今日は素敵な夜だと思うよ。』
黒猫は慌てて言いました。
『だって、強い風も吹いてないし、冷たい雨も降ってないし・・・』
『・・・そうじゃないよ』
鴉さんは笑いました。
『あのお月様だよ』
『・・・?』
黒猫は空を見上げました。
『あんな素敵なお月様には、そうは会えないよ。見てごらん−−』
鴉さんも眩しそうにお月様を見上げました。
『照らされた雲が、輝くドレスのようだね。まん丸のお月様が明るく輝いて、
なんだか世界を優しくしてくれているような気がしないかい?』
『・・・・・・』
黒猫は気がつきました。
(今日は、なんて空気が優しいんだろう・・・)
『お月様はね、ああしていつも君を見守ってくれているんだよ。ああしてい
つも、君に微笑んでくれているんだよ』
『ボクに・・・?』
『そうさ』
鴉さんの言葉は、いつも自信たっぷりで、黒猫にはそれも心地がよいので
す。
『君がお月様のことを忘れていても、お月様はいつも、君のことを見ている
んだ』
黒猫は、なんだか嬉しくなってきました。
『じゃぁ、ボクはいつも1人じゃないね!』
『もちろんさ』
『じゃぁ、ボクはいつも寂しくないね』
『もちろんさ』
黒猫はいつしか笑顔になっていました。
『ありがとう、鴉さん。なんだか元気が出てきたよ』
『いやいや、お礼はお月様にするといい。彼女はいつも、皆に元気をくれる
よ』
『うん! そうだね!』
黒猫は鴉さんにお礼を言って、またてくてくと歩き始めました。
(あの岬の灯台まで、今日は行ってみよう)
黒猫の足にはちょっと遠いけど、今夜は灯台まで行ってみることにしました。
海の上で輝くお月様が見てみたかったのです。
『お、黒猫じゃねーか!』
不意に呼び止められて、黒猫はびっくりしました。
(嫌なヤツに会っちゃったな)
近くの森の奥に住んでいる乱暴者、銀色の髪の狼です。
『どこ行くんだよ?』
『こんばんは、狼さん。岬の灯台まで行こうと思って』
『灯台? あんなトコまで何しに行くんだよ?』
『・・・別に。ただ、海に浮かぶお月様を見たくてね』
『・・・・ふーん』
狼は少し考えていましたが、スタスタと先に立って歩き始めました。
『俺様も一緒に行ってやるよ』
『えっ・・・?』
『俺様も行くってんだよ。何か文句あるか?』
『・・・・文句なんてないケド』
黒猫は、ちょっと困ってしまいました。苛められたことはなかったのだけ
れど、黒猫は強そうな狼が苦手だったのです。
『あ、ちょっと待ってよ!』
一緒に行くという狼がズンズン先に歩いていくので、慌てて黒猫は後を追
いかけなければいけなくなりました。大きな狼と小さな黒猫では、歩く速さ
がぜんぜん違うのです。
『・・・着いたぜ』
『う、うん』
振り向いた狼がすごく優しい目をしていることに、黒猫は驚きました。
『わぁぁ。綺麗だぁ・・・』
黒猫は息を呑みました。
『お前、確か街の飼い猫だったな』
狼が聞きました。
『うん。−−−っていう人間がボクのご主人さ』
黒猫は答えました。さっきまで、そのご主人に腹を立てていたことなど忘れ
てしまったようです。
『わからないな。何で、飼い猫なんてやってるんだ?』
『え・・・?』
『俺は産まれたときから一度も飼い主を持ったことがない。お前は何が楽しく
て主人を持っているんだ? 餌がもらえるからか? 寝床の心配をしなくてい
いからか?』
『それは・・・』
あらためて聞かれて、黒猫は困ってしまいました。黒猫は物心ついたときか
ら少女に飼われていたので、そんなことを考えたこともなかったのです。
『・・・よくわからない』
『・・・・・・・』
『・・・よくわからないけど、ボクはご主人が大好きだよ。ご主人はいっぱ
いボクを可愛がってくれるし、いっぱい優しくしてくれるし、そりゃ、たまに
ほっておかれたりもするけど、ご主人が大好きだから、ご主人と一緒にいる
んだよ』
『・・・・・ふーん』
狼は急に興味がなくなったような顔をして再び海の方に首を向けました。
『・・・・おい、何か変な匂いがしないか?』
狼が鼻をヒクつかせて言いました。
『・・・え?』
黒猫も匂ってみましたが、潮の香りでよくわかりません。
『街の方だな、何かが焦げた匂いがする』
振り向いて黒猫は驚きました。
『か、火事だよ!』
黒猫は叫んでいました。
『おい、お前どうするんだよ!』
『わかんないけど、ご主人のトコに行かなくちゃ!』
『バカ! 危ないぞ、わかってんのか!?』
『そんなの関係ないよ!!』
黒猫は、夢中で駆けました。
『しょうがねぇな・・・』
あ、っという間の出来事です。
『あ!?』
『暴れるんじゃねーぞ』
狼は風のように坂を駆け登って行きます。
『ここはお前の家か?』
黒猫は改めて辺りを見回しました。
『違う。すぐ近くだけど、ボクの家じゃないよ』
『・・・そうか。良かったな。』
狼は息一つ切らしていません。
『じゃ、俺は消えるぜ。人間に見つかったら殺されちまうからな』
『あ・・・!』
狼はきびすを返すと、ひと飛びで夜の闇に消えました。
(・・・お礼を言いそびれちゃったな)
黒猫はちょっと後悔してしまいました。狼があんなに優しいとは思ってなか
ったのです。
(今度会ったら、ちゃんとお礼言わなくちゃ・・・)
黒猫は火事を眺めながら思いました。
(もう大丈夫。・・・ご主人も、大丈夫だね)
黒猫がゆるゆるとその場を離れると、
「あ、−−−ちゃん!」
ご主人が駆け寄って来て黒猫を抱き上げました。
「もう! どこ行ってたのよ! 心配しちゃったじゃない!」
半ベソをかいた少女を見て、黒猫はとても幸せな気分になりました。
(ご主人もボクのこと、心配してくれてたんだな・・・)
ご主人は優しく優しく黒猫を撫でてくれました。
窓から差し込む月の明かりは、今夜もきっと、優しさを運んでいます。
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