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鷲 爪 伝


第四十五話 海の男(二)


 夕闇に包まれた紀ノ屋の離れに灯明の火が灯った。
 襖を取りはらって二部屋を繋げた二十畳ほどの空間で、二十人近い男女が談笑している。
 上座には毛利家の主君である幸松丸が座り、向かってその左側に元綱が、右隣 に傅人子めのとごの福原弥五郎 が座を占めている。棚守の野 坂房顕ほうけん、重蔵や元綱の 近侍たちが左右に居並び、もっとも下座には房顕の従者や幸松丸の影武者役を務めた子供 の姿まである。それぞれの座の前には豪勢な膳が置かれ、男たちの間には紀ノ屋の女中や 卑女などが侍り、愛想を振りまきながら男たちに酒を勧めていた。

「お楽しみのところ失礼をば致します」

 廊下に面した襖が開き、紀ノ屋の主人が顔を見せ、頭を下げた。

相合あいおうさまのご所望 に、うってつけのお方をお連れしました。ご相伴させて頂いてもよろしゅうございましょ うか」

「おぉ、紀ノ屋殿、手数をお掛けした。ぜひ入ってもらってくだされ」

 元綱は笑顔で手招いた。
 紀ノ屋は名を嘉兵衛かへえと いう。生まれは瀬戸内 の弓削ゆげ島という島だそうで、 若い頃は因島村上氏の船に乗っていたといい、当然ながら瀬戸内の海には詳しいのだ が、外海そとうみを渡った経験 はないらしく、異国のことについては伝聞以上のことは話せないと語っていた。元綱の希 望を容れて、海外渡航の経験を持つ船乗りを探してくれたのであろう。
 襖が大きく開き、嘉兵衛に続いて六尺を超す見事な体格の大男が部屋に入ってきた。
 年は三十くらいであろう。ボサボサ の蓬髪ほうはつを後で無造作に束 ね、びんのあたりは毛がそそ け立っている。服装は浪人風だが、いかにも海の男といった精悍な顔つきで、皮革を煮し めたような肌の色をしている。

「新九郎殿ではないか――!」

 野坂房顕の驚いたような声に、男は笑顔で会釈を返した。
 二人は部屋の中ほどまで進んで腰を下ろした。
 嘉兵衛は幸松丸に向けて一度平伏してから顔をあげたが、大男の方の礼にはそこまでの 篤さはない。

「厳島の新九郎でござる」

 潮錆びた声で名乗り、それでも丁重に頭を下げた。
 ――骨がありそうな男だな。
 と元綱は人物をはかった。 雄偉な体躯のためか声量も豊かで、その威風だけで立派 に物頭ものがしらが務まりそ うである。

「こちらの新九郎殿は、瀬戸内では知らぬ者とてない村上海賊衆にゆかりのあるご仁 でございましてな。私とは、まだほんの子供の頃からの古馴染みでございますし、そちら の野坂房顕殿とは竹馬の友といったところで、決して素性の怪しい者ではございません」

 と嘉兵衛が紹介した。

「この三年ほど、当家の荷船 の船頭ふながしらを務めて頂い たり、色々と商売の手伝いをして頂いたりしております。所用で出ておりましたが、折よ くさきほど戻って参りましたので、こちらにご案内した次第で――」

「瀬戸内に威を張る村上海賊衆の噂は耳にしたことがある。源平の昔、『一ノ谷 の合戦』で大いに働かれた村上二 郎基国もとくに殿 の後裔こうえいであろう」

 元綱の言葉に、大男――新九郎は苦笑した。

「さて、先祖のことはようわかりません。清和源 氏・頼信よりのぶ流ということ になっておりますが、北 畠親房ちかふさ公の孫 の顕成あきなり公から始まる という者もおります。いずれ遠い昔のことでござるゆえ、ハキとはしませんな」

 先祖という以上、村上氏と血縁関係があるらしい。しかし、この男は「村上新九郎」と は名乗らず、「厳島の新九郎」と名乗った。名字を名乗らないのは、武家ではなく庶民で あると宣言したようなもので、そのあたりに何かしら事情があるのだろうが、他人の過去 を穿鑿せんさくするような趣 味は元綱にはないから、話の方向を元に戻した。

「いや、これは俺が悪かった。異国の話に新九郎殿の出自は関わりがなかったな」

 元綱は、未だ名乗っていなかった無礼を詫び、主君である幸松丸と主立つ近侍を新九郎 に紹介した。

「それで新九郎殿は、実際に異国へ渡ったことがおありか」

 新九郎は人懐っこい笑みを浮かべてうなずいた。

「明国に三度、朝鮮には二 度、琉球りゅうきゅうへも何度 か渡りました」

「それはそれは――」

 重蔵をはじめ、近侍の若者たちも目を見張った。
 この時代、おかで暮らす武 士からすれば、外海を渡って異国へゆくなどということはおよそ日常感覚になかったであろ う。瀬戸内の港町や北九州地方に暮らす者ならともかく、安芸の山奥に根を張る毛利家の 人間にとってみれば、実際に外海を渡った人間と口を利く機会さえまずない。
 女たちが嘉兵衛と新九郎のために酒肴を乗せた膳を運んで来た。
 新九郎が自分の方に来た女の尻を撫でたようで、女は小さく嬌声をあげ、苦笑しながら 新九郎の手を軽く叩いた。新九郎は実に嬉しそうな顔で笑っている。
 女と似たような苦笑を浮かべた嘉兵衛は、

「実は来春、大内のお屋形さまが遣明船を出されるという話がありましてな」

 と言いながら酒器を取り上げ、手ずから新九郎に酌をした。

「我ら厳島の商人あきんど衆も、 その尻馬に乗って明国へ船を出すつもりでおります。こちらの新九郎殿に、その貿易船の 船大将になっていただくつもりでおりますので、四度目の明国ということになりますか」

「ほう、来春に、大内のお屋形さまが――。その話は初めて聞く」

 元綱は興味津津という顔である。

「異国との交易というのは、俺には想像もつかぬが、ずいぶんと大きな富を生むそうです な。それはつまり、日本こちらの 物が明国あちらでは高く売れ、 あちらから持ち帰った物がこちらでさらに高く売れる――と、そういうことですか?」

「はいはい。おっしゃる通りでございます」

 嘉兵衛は温厚な笑みを見せた。

「本式の勘合貿易ならば、一のものが十になって返ってくると聞いております。我らは『勘 合の符』を持ってはおりませんので、明国の役所を通した交易はできませんが、それでも元 手が五倍にも六倍にもなるそうでございましてな」

「そういうものか・・・・」

 明国の役所を通さぬ交易、などということになると、もう元綱にさえ事情がさっぱりわ からない。
 ここは少しばかり説明が必要であろう。
 勘合貿易は、その実質はともかく、名目上 は「朝貢ちょうこう貿易」であ るという形式が取られている。
 「中華」は世界の中心であり、中国大陸を制した王朝は常 に周辺諸国の盟主である、というのが伝統的な中華思想である。中国人は中国の朝廷に帰 順しない異民族には文化価値を認めないから、当然ながら他の王朝との対等な外交関係とい うものは成り立たない。異国が中国との接触を望むなら、中国の朝廷に帰順してその属国 になるしかないのである。
 中国の王朝に「臣下の礼」を取った周辺諸国は、朝廷 に聘問へいもんし て貢物こうぶつを献上せねば ならない。それに対して中国皇帝は、盟主として属国の使者に宝物を下賜する。こ の「貢献こうけん」に対し て「賜物しぶつ」を下げ与える、 という形態が、朝貢貿易であると考えていい。
 盟主国である中国側は、そ の面子メンツもあって、わずか な貢献に対してもそれに数倍する価値の賜物を返礼せねばならない。しかも「貢物」や「賜 物」の交換は商売とは看做されないから、関税のようなものも一切掛からない。臣下の立 場を取る側は、労せずして莫大な利益を得ることができたのである。この貿易は当然なが ら中国側に経済的な負担が大きく、その利に目をつけた周辺国から朝貢が殺到するように なったため、歴代の中国政府は「朝貢は何年に一度」といった形で頻度を限って承認し、 異国の使者の入朝を制限せねばならぬほどであった。
 ちなみにこの大永二 年(1522)の中国は、明朝の十二代・嘉靖かせい帝の御代で、「日本国王」――この場合、室町幕府の最有力者を指す――か らの朝貢は十年に一度と限られている。大内義興の遣明船派遣が十二年間も行われなかっ たのは――様々な理由があるにせよ――そういった明国側の事情が大きかったであろう。
 そもそも唐物は日本では古くから珍重され、高値で取引されるから、中国との交易は利 幅が非常に大きいのだが、先に述べたような理由で、明朝政府を通じた正規の勘合貿易は うま味が桁違いであった。このときから百二十年ほど昔、南北朝の合一を果たした第三代 将軍・足利義満よしみつが、土 下座するような低姿勢で自分が「日本国王」であることを明朝政府に承認してもらい、貿 易許可書というべき「勘合符」の発行を懇請したのも、裏にこういった事情がある。
 ついでながら、中国沿岸部はかつ て倭寇わこう(前期倭 寇)の跳梁ちょうりょうに苦し められたこともあって、明朝政府は百年以上も前から海禁政策を取っており、明国の海民 や商人が異国人と接触することを禁じ、朝貢以外のいかなる貿易も認めず、違反者には厳 罰をもって臨むという強硬姿勢を取っていた。ところが、明朝政府は十年ほど前から沿岸 南部の広州を開港し、外国商船を受け入れ、商人の私貿易をも認めるようになった。交易 で富を築こうという貿易商人にとっては素晴らしい時代であったが、この大永二年、明朝 政府は再び全土で海禁令を発し、広州の港も対外的に閉鎖され、私貿易が禁止される状態 になっている。この最新事情は、よほど明国の政情に通じた者でもまだ知らなかったに違 いなく、厳島の商人あたりがそれを知らないのも当然であったかもしれない。
 ともあれ、難しい話をして幸松丸を退屈させても意味がない。

「まぁ、交易のこともそうだが――」

 元綱は主題を元に戻した。

「我らは海の向こうのことなどは、まったくの無知でしてな。どこにどのような国があり、 どのような人が住み、どのように暮らしておるか、などといったことを、こちらの幸松殿 にもわかるように、話してくださらんか」

「されば、少々ご無礼を――」

 持参した絵図を取りだした新九郎は、立ちあがって上座の近くまで膝を進め、幸松丸の 前にそれを広げて見せた。

「これは、朝鮮や明国で手に入れた地図を比べ合わせ、わしが知る瀬戸内や北九州あたり の陸の様子を合わせて、描いてみたものでござる」

 彩色は色褪せ、端などは擦り切れてボロボロになった地図である。ごく大ざっぱな筆で、 本州の中国地方から四国、九州などの輪郭が描かれ、海は青の波線によって表現されてい る。海には島らしい丸がいくつもあり、陸地の部分にはそれぞれに国名が書き込まれてい る。現代の地図に比べれば縮尺は滅茶苦茶で、海岸線、国境線などの様子もまったくいい 加減なものだが、それでも陸と海の関係をイメージしやすくはなるであろう。
 海賊衆に限らず、武士にも商人にも庶民にも、異国の話を聞きたがる者は多いから、新 九郎はこういう座談をすることには慣れている。

「安芸はここですな。この小さい点が厳島でござる。この隣が周防、その先が長門。こち らが九州の筑前でして、この隙間を関門の瀬戸(関門海峡)と申します」

「これが安芸? こんな小さいのか・・・・」

 幸松丸が思わず漏らした感想は、元綱の気持ちと何ら変わらない。
 ――空高くから日の本を眺めおろせば、安芸はこのように見えるものか。
 と思えば、何やら不思議な感じがした。
 新九郎は広げた絵図に指を置きながら説明を続ける。

「関門の瀬戸を抜け、九州 をおか伝いに進みますと、こ のあたりが大きく陸に入りこんだ入り江になっており、ここに古来よ り大宰府だざいふが置かれ てござる。博多の津もここにござる。このあたりの海 を玄界灘げんかいなだと申し て、この先に浮かんでおる丸い島 が壱岐いきでござるな。さら に先にあるこの長細い島 が対馬つしま、そのすぐ先にあ るこれが、朝鮮でござる」

 地図の上端から海に向かって突き出すように馬の足に似た形の線が引かれており、地名 と思われる漢字が書き込まれていた。

塩浦しおうら富山 浦とやまうら?」

 地図を覗きこんだ幸松丸が字をそのまま読んだ。

「それは塩浦ヨンポ富山浦プサンポみます。朝鮮で交易ができる湊の名と思し召せ。朝鮮人も我ら と同じように漢字を使いますが、訓み方 は大和やまと言葉とは違いま してな」

 新九郎が微笑しながら注意した。

「こちらの小さな島々が琉球。こちらの大きな陸地が明国でござる」

 絵図の左端には中国大陸を表す線が引かれ、台湾の手前あたりで紙が尽きる。

「明国は途方もなき大きさにて、西へは果てしなく陸が続き、さ らに多くの国があると聞きました。異国人にも色々と違いがありましてな。朝鮮や明国の 者は我らと姿があまり変わりませんが、たとえば明国で見 た色目人しきもくじんは、目が 青く、肌が白く、赤みがかった髪をしておりました。肌の色が墨を塗ったように黒い者も おりましたな」

 色目人というのは、トルコ系、イラン系の人種を指す。
 外見からして倭人とまったく違う人種がいる、と聞かされても、想像のしようがなく、 どうにも実感がわかない。
 幸松丸は絵図を指差した。

「その大きな海を船にて渡り、明国までゆくには、どれほど時が掛かるのだ?」

 その質問で、新九郎の表情が真面目なものに変わった。

「どのような風が吹くか、それ次第でござるな。この辺りの海では、季節によって吹く風 の向きが決まっておるのです。たとえば――、梅雨ごろから秋までの間は、この辺りでは 必ず南東風はえごちが吹きます」

 指でその風の向きを示しながら続ける。

「この風が毎日、弱すぎず強すぎず吹き続けたとすれば、半月ほど でおかを見ることができまし ょう」

「半月も海の上におらねばならぬのか・・・・」

 幸松丸が気弱げに呟くと、新九郎はやや意地悪な笑みを見せた。

「じゃが、風とは難儀なものでしてな。弱すぎれば船は思うように進めず、また風が強す ぎれば海が荒れ、船は帆を張れぬゆえ、潮の流れに流されるままになる。ひとたび大風と なれば、海は猛獣のように暴れ、波は山のような高さとなり、どのような大船でもひっく り返り、船より振り落とされた者はすべて溺れ死にまする。また、たとえば大風で帆柱が 折れ、大波で舵が壊れようものなら、船は桶同然となり、大海の上をふわふわ と彷徨さまよった挙句、運良く 陸に流れ着くことができねば、やがて糧食も水も尽き、すべての船乗りが飢え死ぬことに なる」

「・・・・・」

 少年の想像力を超えた話であろう。幸松丸は息をするのも忘れたような表情で聞き入っ ている。

「それとは逆に、ちょうど今ごろの時期から来年の春が終わる頃までの間は、必 ず北西風あなじが吹きます。 これは明国から日の本へ帰って来るに良い風ですが、秋は台風が多く、また冬の間は、 風が凄まじく吹き荒れ、海が荒れますゆえ、海を渡るには適しません。明国から日の本 へと帰ってくるには初春がもっとも良く、夏の間は渡れぬこともないですが、それ以外 の時期は命懸けということになります」

 大きくひとつため息をついた幸松丸に、新九郎は再び笑顔を向けた。

「明国の南も陸が延々と続いております。わしが行ったのは、勘合貿易のための港であ るこの寧波ニンポーと、絵図 では切れておりますが、ここからさらに陸伝いに南方にいったところにある広州、その 近くの海にある台湾という大きな島の辺りまででござるが――。聞いた話では、南海に は安南アンナン暹羅シャム、ビル マ、呂宋ルソン、マラッカとい った国々があり、他にも小さな島国が数え切れぬほどあるということでござる。さらに陸 伝いに西にゆきますと、ついに は天竺てんじく(インド)へ と到ります」

「天竺か・・・・」

 元綱は思わず呟いた。仏教説話のなかにしかなかった仏国土が、自分たちが生きるこの 世界に確かに存在する、という証拠をつきつけられたような想いである。

「新九郎殿は朝鮮や明国の言葉を話せるのか?」

 元綱の問いに新九郎は首を振った。

「ごく簡単な言葉は耳で覚えましたが、難しい言葉はわかりませんし、話せもしません」

「では、異国ではどのようにその国の者と談合をするのか」

「筑前や肥前ひぜんの海辺に暮 らす者や、五島、壱岐などの海賊衆のなかに は、偽倭ぎわが多くおりまし てな」

「ぎわ?」

「倭人のように月代さかやきを 剃り、まげをつけ、 倭人と同じ着物を着て、日の本に暮らしておる明国人や朝鮮人のことでござる。それら は大和やまと言葉を解するゆ え、通詞つうじとして雇い入 れ、連れてゆくのです」

「なるほど・・・・」

 問われるがままに続く新九郎の話は一刻を経ても果てない。
 やがて眠気を催した子供たちが隣室に消えると、そこからは大人たちだけのさらに砕け た酒宴となった。
 元綱の身体は酔いに染まりつつあるが、意識は充分に醒めており、
 ――世の中にはこういう男もいるのか。
 と密かに瞠目していた。
 安芸の山奥に生まれ、伝統ある地頭の家に育った元綱にとってみれば、武士だか船乗り だか商人だか判然としないこの新九郎のような男は、これまでまったく出会ったことがな い人種であり、嗅いだ事のな いかおりを持っていた。
 空と雲と水平線しか存在しないような、果てもなく続く大海原に浮かぶ一艘の船を想像 してみればよい。その船に乗った人間は、大自然のちょっとした気まぐれによって避けよ うのない理不尽な死を強制されるのである。あわれなほどの人為の無力さ、その限界を実 感した者が抱くある種の刹那主義と、その海に生きる己の無限の可能性を信じて疑わない 楽天主義が、この新九郎という男の陽気で闊達な個性のなかで、どっしりと同居してい る。おかの武士とは覚悟の置 き処が違うが、よほど肚の据わった男だということは、ありありとわかった。
 今回の厳島参詣は、幸松丸の「世界」を広げるための旅であったはずである。ところが、 ごく狭い世界で暮らしているという意味では、いい大人である自分が、わずか八歳の甥子 と少しも変わらない、と元綱は認めざるを得ない。毛利の領国からほとんど出ることもな い元綱の行動範囲と比べれば、新九郎が生きる世界は千倍も万倍も広いであろう。
 その広大な世界を、この海の男は、己の器量ひとつで自由気ままに生きている。
 ――うらやましい生き様よ。
 妬心としんと敗北感が混じっ たような気分がないでもない。が、それ以上に、なにやら無性 にたのしくなった。
 男たちは心ゆくまで語り、用意された酒が尽きるまで飲んだ。
 酒座が果て、新九郎らが母屋へ引きあげた後、元綱は中庭に出て、胸いっぱいに冷えた 夜気を吸い込んだ。
 と、その背後に重蔵が寄ってきた。

「実に面白き酒肴しゅこうでご ざいましたな」

 重蔵は酒以外のものにも酔ったという顔つきである。
 元綱は振り向かず、満天の星空を仰いだ。いつの間にか雨はあがっており、弓のような 月から降る蒼い光がやわらかく顔を照らした。

「異国のことなどこれまで考えたこともなかったが――、京から安芸へ来るより、安芸か ら朝鮮へゆく方が、むしろ近いのかもしれんな」

「あの絵図を見た限りでは、どうもそのようです。もっとも、朝鮮へ歩いて渡るわけには 参りませんが」

「この世というのは――」

 詠嘆するような声で元綱は言った。

「どうやら俺が思っていたよりはるかに広く、大きいものらしい」

「まことに・・・・」

 興奮を肚の底に沈めるように、重蔵は深くうなずいた。


 翌日は朝から晴天であった。
 紀ノ屋が用意してくれた二艘の小舟に分乗し、元綱たちは広島湾へと漕ぎ出た。
 風はほとんどなく、海は静かなものである。ゆらゆらとゆれる海面が陽光を乱反射して 目に眩しい。紅葉に染まりつつある瀬戸内の島々が朝日を受けて輝く様は、見惚れてしま うほど美しかった。船べりに座った幸松丸は、手で掬った海水をわずかに舐めてみて、そ の塩辛さに仰天していた。
 ちなみに毛利家の一行は、幸松丸と福原弥五郎の子供二人と、元綱や重蔵など大人が八 人である。一行の人数を十人に見せるために、影武者役の子供と郎党の一人はあえて紀ノ 屋に残してある。無論、幸松丸を特定されないために、子供二人は同じ服装をつけ、編み 笠をかぶっている。刺客に対する用心は怠っていない。
 舟が厳島の北端を廻り込むと、大小の船が数十隻も停泊しているのが視界に入った。そ の多くが荷船のようだが、姿が違 う軍船いくさぶねらしき船も 浮かんでいる。大内家の家紋であ る「大内菱おおうちびし」や、 よく知らぬ紋様の旗を立てている船もわずかにあるが、ほとんどの船には「村上海賊衆」 を表す「○に上」の旗が立っていた。

「弥五郎、あれを見よ!」

 幸松丸が歓声をあげた。
 入り江の奥の海面に朱塗りの大鳥居が鎮座している。その奥の浜辺には、壮麗な社殿が 海に浮かんでいるような姿で建っていた。
 厳島神社の社殿は竜宮城をモチーフにして造られたのだという。寝殿造りの建物の屋根 はすべて桧皮葺ひわだぶきで、 柱や垂木たるきはすべて朱塗り である。背景は青く澄んだ空と緑の山、さらに朱塗りの五重塔がそびえている。周囲の自 然と調和しながら、格調高く均整の取れたこの建築美は、平清盛という傑人の美意識を表 現したものであろう。圧倒されるような想いで、一同はしばし息を呑んだ。
 海上からその景観を楽しんだ後、小舟で賑わう湊の桟橋から島に上陸した。

「あぁ、忘れるところだった」

 と独りごちた元綱は、前を歩く野 坂房顕ほうけんに言った。

「神域に生えておる青竹を一本、お譲り願いたいのですが、お許し頂けようか。それで軍 旗を作るので、必ず頂戴してくるよう、兄にきつく言われておるのですが――」

「お安い御用です。太くて立派な竹を用意させましょう」

 房顕は笑顔で応じた。
 厳島神社の神主職を巡って、神主家に仕える神領衆は東西に分かれて長く争っていたが、 彼らも担ぐべき神体や社殿を焼くわけにはいかないから、その兵火は厳島までは及ばない。 神社へと続く通りは門前町となっており、蔵を備えた古い屋敷が並び、様々な店舗が軒を 連ねている。大路から枝分かれする小路にまで、多くの参拝客や庶人や船乗りや商人がご ったがえしていた。
 房顕の案内で棚守の屋敷へと導かれた一行は、しばし休息した後、神社の境内へと向か った。
 厳島伽藍がらんの殿舎は、 平清盛がそれを創建した当時、本宮が三十七 棟、外宮げくうが十九棟あっ たという。本社本殿、客社祓殿、五重塔、多宝塔、能舞台など、様々な建物がある。
 冠をつけ、純白 の指貫さしぬきに着替えた 房顕と棚守の神職たちが、朱に塗り込められたような回廊を先導して一行を客社祓殿に導 いた。
 幸松丸を先頭に、一行は神前に額づいた。
 元綱は寄進の目録を奉納した。
 房顕が大麻おおぬさを振り、 祝詞を唱え、幸松丸の武運長久と毛利家の繁栄を祈念してくれた。
 お神酒みきを頂き、さらに 境内を見物した一行は、続いて大願寺と大聖院に参拝した。
 大願寺は比較的新しい真言宗の寺で、厳島神社に隣接するように建っている。木造の薬 師如来像、鍍金が美しい釈迦如来坐像、弘法大師の作といわれる秘仏厳島弁財天などを拝 見した。
 一方、大聖院は弘法大師が創建したという古刹で、真言 宗御室おむろ派の大本山であ り、厳島神社の別当寺にして厳島の総本坊でもある。本堂である大聖院は厳島神社から四 半時ほど歩いた山麓にあるが、背後にそびえ る弥山みせんの山頂から山腹に 多くの堂や坊があり、十一面観世音菩薩像をはじめ、各種の観音菩薩、不動明王、三鬼大 権現といった様々な仏が祀られている。これらをすべて拝観しようと思えば一日掛かりに なるから、弥山の登山までは考えていない。昼食を挟みながら、中腹 の摩尼殿まにでん、大師堂、観 音堂、勅願堂などを巡るうちに、日が傾いてきた。

「明日は早朝にたねばなり ません。暗くなる前に廿日市へ戻りましょう」

 元綱の言葉に、幸松丸は素直にうなずいた。
 紀ノ屋の厳島の屋敷に出向き、帰りの舟を出してもらうことにした。
 房顕の案内で棚守の屋敷に立ち寄ると、頼んでおいた青竹と共に、幸松丸と福原弥五郎 のために守り袋を贈ってくれた。それらを有難く受け取り、一行は桟橋から舟に乗った。

「厳島はいかがでござった」

 元綱が尋ねると、

「この島にはいたるところに神様と仏様がおられました。本当に、神仏が住まわれる島で すね」

 幸松丸は満面の笑みで答えた。
 子供たちは様々な想念が錯綜しているのか興奮気味で、舟の上でも終始しゃべり続けて いた。
 舟が廿日市の桟橋に着いた頃、陽が西の空に沈んだ。
 紀ノ屋に帰った元綱たちは、この夜、再び新九郎と夕餉を共にして歓談し、嘉兵衛には 世話になったことに対する謝辞を呈した。

「毛利さまは出雲のお屋形さまに臣下の礼を取られたと聞いております。西条の鏡山城を 再び奪還するために、来年にも尼子の軍勢が安芸にやって来ましょうか」

 嘉兵衛の質問に元綱はうなずいた。

「確かなところはわかりませんが、俺の予測ということで申せば、必ず来ます」

「すると再び、大内のお屋形さまも軍勢を催し、武田のお屋形さまと争うことになる」

「武田が大内のお屋形さまに従わぬ限りは、そうなるでしょう」

「この廿日市が戦場にならねば良いのですが・・・・」

 実際、商人にとっては難しい時勢であろう。厳島神主家の選択や向背によって、廿日市 は戦火に巻き込まれる可能性が多分にあり、この地に店を構える商家は、とばっちりで財 産を失わぬとも限らないのである。

「毛利さまの吉田は出雲に近うございますな。出雲のお屋形さまが出陣すると聞こえたら、 報せて頂くわけには参りませぬか」

「噂は風の速さで伝わるものらしいので、尼子軍の出陣の噂を俺が聞いた頃には、すでに 紀ノ屋殿の耳にも入っておるやもしれませんが――、それでも良ければお報せしましょう」

「ありがたい。よろしくお願い致します」

 嘉兵衛は丁重に頭を下げた。
 翌日、一行は早暁に紀ノ屋を辞した。
 房顕は廿日市の木戸を出るところまで見送ってくれた。
 肌寒い朝の海風を浴びながら海辺の道を歩いた一行は、五日市、井口を経て草津から舟 に乗った。
 太田川は可部かべのあたりま では急流はなく、水量豊かにゆったりと流れているため、川舟でも充分 に遡行そこうすることができる。
 一行は日の高いうちに可部の川湊に到り、可部街道を北東へ進み始めた。
 可部の城下町を過ぎると、毛利領まで二里ほどの道のりである。往路はほとんど下りで あったが、復路は当然ながら上りの道になる。
 秋色に色づいた山間の道を一刻も歩くと、人通りはほとんど絶え、森閑とした山道に入 った。
 その時である。
 左右の疎林から十人ほどの男が湧き出して、一行の進路をふさいだ。
 ――出たか。
 先頭を歩いていた重蔵は足を止め、編み笠のなかから男たちを睨みつけた。
 中央の奥に控える首領格の男は兵法の使い手であろう。剣気の格がひとりだけ違ってい る。その左右の四人ほども剣術の心得があると見た。その五人は浪人風の身なりで、深編 み笠をかぶっており、面貌は口元しか見えない。
 が、それ以外の男たちは、服装も獲物もまちまちである。槍や薙刀を握っている者もあ れば鉄棒を肩にかついでいる者もあり、山賊にしか見えないような粗末な身なりの者も混 じっていて、人品が明らかに下がる。銭で集めた無頼漢といったところであろう。
 背後からさらに数人の男が駆けてきて、一行を前後から包囲した。
 ――合わせて十と八人・・・・。
 そう目で数え、弓矢を持つ者がいないことに重蔵は内心で安堵した。

「我らは毛利家の者である。人違いをするな!」

 井上又二郎が大声で怒鳴った。

「毛利幸松丸の一行であろう」

 編み笠の一人が若い声を発した。

「我らは旧主の仇を討たんとする者じゃ。これ は狼藉ろうぜきではなく、仇 討ちの義挙と心得い」

「仇討ちか・・・・」

 重蔵は内心で呟いた。
 毛利家が関わった合戦で、敵の大将を討ち取るということがあったのは、二月ほど 前の壬生みぶ城合戦で死ん だ山県やまがた信春が記憶に 新しい。さらに遡れば五年前の「有田合戦」であろう。中井手と有田城の郊外で行われた 合戦と、翌日の有田城で行われた戦いで、武田元繁、熊谷元直、己斐宗端、香川元景とい った有力武将が討ち死にした。この者たちは、それらの家中にいたのであろうか。

「子供と思え ば不憫ふびんではある が、黄泉路よみじで寂しゅうな いように、ついでに多治比元就の舎弟の首も頂いて、旧主の墓前に並べてやろう」

「芝居(戦場)で討ち死にする は武士もののふのならいではな いか。それをいちいち仇討ちなどとは、片腹痛い!」

 わめいた井上又二郎を手で制し、重蔵は前へ出た。

「ここにおる二人の幼童は、幸松丸さまの影武者とそ の傅人子めのとごだ。気の毒だ が、幸松丸さまも相合の元綱さまも、この場にはおられぬ」

「なに・・・・!?」

「我らを皆殺しにしたとして、それでお前たちの旧主の無念は晴れるのか?」

 男は明らかに動揺したようで、判断を仰ぐように首領格の男へ顔を向けた。
 重蔵は何も虚言を弄したわけではない。事実、この一行には、元綱も幸松丸もいないの である。
 元綱の機智であった。
 元綱は、実際のところ幸松丸に凶刃が迫るとは十に一つも思っていなかった。
 が、それでも絶対に間違いがあってはならぬことであり、念には念を入れた。
 幸松丸を殺そうとする賊があるとすれば、その実行部隊の者たちは、この一行を必ず監 視していたであろう。元綱が往路に幸松丸の影武者を立てたことさえすでに看破されてい るかもしれない。本隊と幸松丸が別行動することを逆手に取られ、帰路に本物の幸松丸の 方を襲撃されるようなことになれば、目も当てられない。

「同じ手は二度は使わぬものだ」

 と笑った元綱は、昨夜のうちに新たな策を施したのである。
 廿日市から吉田への帰路を考えるとき、太田川をさかのぼって可部を経由し、可部街道 を使って直線的に吉田に戻る経路を本道とすれば、太田川へ合流する三篠川へと折れ、三 篠川沿いの街道をとっ て井原市いはらいちから毛利領 の向原へと到る迂路うろがある。
 陸路をゆく者が見つからずに舟を尾行することはまず不可能である。太田川の河口か ら可部まで――舟に乗っている間はおそらく安全であろう。人の耳目が多い場所も襲撃に はそぐわない。賊が出るとすれば、可部から毛利領までの山間部であると想定した元綱は、 可部の手前で舟を降りて迂路を取り、井原氏の協力を得た上で、幸松丸を毛利領へ運ぶこ とを考えた。
 ――小四朗殿であれば、間違いはあるまい。
 あの男気ある義弟であれば、元綱と共に毛利の幼君が井原領に入ると知れば、一族を挙 げて帰路を護衛してくれるであろう。
 元綱は、昨夜のうちに、一行を密かに警護している 桂元忠もとただに連絡を取り、 使者を井原荘へと走らせ、義弟の井 原元師もとかずへ手紙を届け させた。その上で、三篠川が太田川に合流する手前で、幸松丸と共に舟を降り、桂元忠が 率いる二十人ほどの家士に守られつつ、三篠川に沿って井原荘へと向かったのである。今 ごろはすでに井原氏の兵に護衛されて向原に向かっているか、あるいは井原の鍋谷城に立 ち寄って、井原氏の歓待を受けているであろう。
 いずれにしても、幸松丸がこの一行にいない以上、賊は目的を遂げることができない。

「無益なことはせぬものだ。お前たち、どうせ後ろの男に銭で雇われただけであろう。銭 より命が大事と思う者は、逃げよ」

 無頼漢たちに向けて重蔵は強く言った。

「問答無用!」

 叫んだ首領格の男が刀を抜き、周囲の男たちがそれにならって一斉に武器を構え、じり じりと距離を詰めてきた。
 二人の子供を除けば、重蔵らは八人である。賊側はその倍以上の人数があり、たいした 実力もない無頼漢たちまで気が大きくなっているのであろう。

阿呆あほうめ・・・・。退かぬなら、手加減はせんぞ」

 顎紐あごひもを解いた重蔵は、 ぬいだ編み笠を敵に向けて飛ばすと同時に、前列にいた男たちの間合いに飛び込んだ。鞘走 ったその刀が二 度きらめき、二人の男の武器 と手首と指がばらばらと地に落ちる。絶叫する男を蹴倒し、もう一人を薙ぎ倒した頃には、 近侍の若者たちも一斉に抜刀していた。

「ぬかるな!」

 井上又二郎が叫び、六人の男たちが気合いで応えた。
 襲撃されることを想定した配置と役割はあらかじめ定めてある。前に二人、後ろに二人 が出て隊列を守り、一人は半弓を取りだして素早く矢をつがえ、残る二人は福原弥五郎と 影武者の子供を庇う形で刀を構え、四方 を睥睨へいげいした。
 打ちかかってくる敵を、四人の近侍たちが楽々と撃退し、半弓を持った男が矢継ぎ早に 矢を放ってそれを援護した。
 もともと元綱の近侍たちは、喧嘩をすれば元綱以外には負けたことがないというような 暴れ者ばかりだが、さらに重蔵が手ずから剣術を叩き込んでいる。この場にいるのはその なかでもりすぐりの精鋭で、 その精強さ、強悍さは、毛利家中でも屈指と言っていい。飛び道具なしでこの七人を皆殺し にしようとすれば、完全武装した兵が二十人は必要であろう。無頼漢や山賊まがいの連中 を相手に引けを取るはずがない。
 それがわかっているからこそ、重蔵 は後顧こうこの憂いなく存分に 暴れることができる。
 手加減を一切考えず、周囲 を顧慮こりょすることもなく、 ただ敵を斬るという目的に専心したときの重蔵の疾さは、木刀をもって弟子を教導してい るときとは次元が違う。一太刀ごとに血が飛び、一呼吸する間にさらに三人の男が地 にたおれた。
 この剣客の凄みにようやく気付いたのか、賊側は明らか にひるんだ。
 いや、驚いたという意味では、味方である近侍たちにしても変わらない。稽古をつけて もらう過程で、重蔵のつよさ は百も承知しているつもりであったが、
 ――本気になった重蔵殿は、これほどのものか・・・・!
 と、近侍たちは内心で驚嘆し、同時に勇躍した。
 首領の男さえ討てば敵は散ると重蔵は思ってい る。雑魚ざこを蹴散らして踏 み込むと、最奥の男にまっすぐに剣を向けた。

うぬは、羽田重蔵・・・・!」

 首領の男が深編み笠の奥から声を発した。
 重蔵は男を睨みつけた。顔が見えなくともわかる。その声、背格好、何よりその醸す雰 囲気に、憶えがある。

「神埼弾正だんじょうか・・・・」

「まさかこのようなところで出会おうとはな」

 奇縁というしかない。五年前、熊谷元直が開いた御前試合で重蔵と戦った、あの兵法者 ではないか――。

「お前たちの手に負える男ではない。手出しをすな」

 神埼は左右の四人に厳しく言い、ずいと前に進み出た。

「断っておくが、我らはすでに熊谷家の家士ではない。昔の主家に迷惑を掛けたくはない ゆえ、このことは明言しておく。――が、武士として、旧主に対する報恩と報復は果たさ ねばらぬ」

民部少輔みんぶのしょうさま の仇討ちか・・・・」

 中井手の合戦で討ち死にした熊谷元直――。
 神埼弾正は、武士になるために剣を修め、武士になるために苦労を重ね、熊谷元直に見 出されて召抱えてもらい、ようやく夢を叶えることができた。主君に対する想いとこだわ りは、初めから武門の家に生まれた者よりはるかに強いであろう。幸松丸がわずかな供を 従えただけで熊谷領に入るということを知り、これが千載一遇の機だと思い定め、仇討ち を思い立ったのかもしれない。

「おのれは毛利家に仕えておったか」

「相合の元綱さまにお仕えしておるが、毛利家 のろくんでおるわけではない」

「おのれの言動と振舞い、この一行 のかしらのように見える。 この場に元綱がおらぬというのは、本当らしいな。ならば幸松丸もおらぬということ になる」

「幸松丸さまも元綱さまも、すでにお前たちが手出しの出来ぬところへ去ったわ」

「わしは裏を掻かれたというわけか・・・・」

 神埼は自嘲気味に笑った。

「わしの真の仇は多治比の元就じゃ。そ の類縁るいえんならともか く、それ以外の首に用はない」

 毛利本家の血を引く男なら殺し甲斐もあるが、元綱の家来ごときを殺したところで怨 みは晴れぬ、ということであろう。
 神崎が首の動きで合図すると、

「退けい!」

 編み笠の一人が大音声で叫び、それを聞いた手下の男たちが四方に向けて脱兎のごと く走り出した。
 無論、動けぬ者と死体は置き去りである。近侍たちは子供を守って戦っていることも あり、逃げる敵を追うような状況でもない。
 じりじりと後ろへ下がった神崎とその門弟たちは、充分な距離をとったと見るや、右 手の山林へと走り去った。
 それを見送った重蔵は、ひとつ重いため息をつくと、べっとり と血脂ちあぶらが付いた愛刀 を懐紙でぬぐい、静かに鞘 におさめた。



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