鷲 爪 伝
このあたりで、毛利家に大きな影響力を持つ石見・高橋氏について詳しく触れておくべ
きであろう。
高橋氏が安芸北部と石見東南部に勢力を張る大豪族である、ということはすでに述べた。 高橋氏はその根を辿れば皇族にまで繋がるという相当に起源が古い族で、遠祖であ る 高橋氏の本貫は石見 国 中国山地の山々が連なる高橋氏の領内には良質の鉱床が多く、この地域は古くから製鉄が 盛んであった。また高橋氏は江の川中流域の水運を牛耳っており、それが富強の源となって いた。江の川は安芸の北部と日本海とを結ぶ交易の大動脈で、つまり高橋氏に睨まれると江 の川の往来が不可能になり、交易で富を得ることが非常に難しくなる。毛利氏が古くから高 橋氏との繋がりを深めていたのも、江の川筋に生きる豪族としては当然の選択であったかも しれない。 繰り返しになるが、高橋氏は先代の元光が三年前に戦死し、この時代の当主 は 高橋久光は高橋氏の全盛期を築いた傑物で、このとき五十九。武将としての器量にも優れ ているが、この乱世を知恵と勇気でわたってきた男だけに、外交にも独特の政治感覚を持っ ていた。 近年、これまで富強をほしいままにしてき た ――そうやすやすと尼子経久に頭を下げられるか。 という想いが、久光にはある。久光と経久は同世代であり、言葉にせぬまでも内心では強 い対抗意識を持っていた。 人運にせよ家運にせよ、必ず盛衰がある。尼子の盛運と大内の衰運というこの状態が永遠 に続くわけがなく、尼子が衰え、大内が盛り返す局面は必ずやって来る。その潮目が変わる のは、おそらく大内義興が京から帰国し、大内・尼子の激突が本格化するときであろう。 その時こそ、 ――強大な大内の武力を背景に、安芸の豪族たちを糾合して、尼子に対抗する。 というのが、久光が脳裏に描いている戦略であった。大内側の豪族たちをまとめて高橋が その旗頭になり、安芸・備後・石見の内陸部に大いに勢力を張る。大内氏から も ―― と久光は密かに自負している。 毛利興元が病死したことに続き、先年の「有田の合戦」で武田元繁が敗死し、それに巻き 込まれて熊谷元直、己斐宗端、香川行景などの有力武将が次々と死んだ。安芸で名のある武将 と言えば、宍戸 ――その『鬼吉川』にしても、まさか百までは生きられまい。 吉川経基はすでに九十を超えた老体であり、まだ元気であるとは言っても、いずれ先は長 くない。吉川国経・元経親子は武将として有能だが、人物、器量、名声、徳望ともに『鬼吉 川』には遠く及ばない。『鬼吉川』さえ死ねば、吉川氏の威勢は必ず衰える。 逆に高橋氏は、三年前に当主の元光が討ち死にし、現当主である興光の新体制がスタート したばかりである。元光の戦死はまさに痛恨事であったし、家中は大いに揺らいだが、久光 自身がまだ現役であるから、悪影響は最小限に止められたとも言える。興光は若いだけに武 勇にさしたる実績がなく、その徳量も政治力もまだまだ未熟ではあるが、この若者は覇気も 勇気もあり、久光の目から見てなかなか見所がある。数年後には人物に重みも増し、立派な 当主へと成長するであろう。その時まで、久光はこの孫を後見してゆくつもりでいる。 毛利氏の当主である幸松丸は久光の孫であり、久光が幸松丸の後見役になっている以上、 すでに毛利氏は高橋の傘下と考えていい。 ――あとは吉川さえ服属させれば、高橋の武威は往年の武田をも凌ぐ。 吉川氏を傘下に収めることさえできれば、高橋氏は近隣では飛び抜けた大勢力となり、安 芸の盟主に相応しい武威を備えることになろう。 厄介なのは、吉川氏が尼子氏と強い同盟関係にあることである。吉川氏が素直に大内氏に 臣従し続けるとは思えず、安芸の豪族たちを尼子側に引っ張ろうとするに違いないが、国人 一揆の盟友であるだけにいきなり武をもって攻めるというわけにもいかない。いっそ尼子氏 に通じていることを理由に吉川氏を国人一揆から締め出し、敵として討ちたいところだが、 高橋が吉川氏と戦を始めれば、これを援けるために尼子軍が石見に乗り込んで来るようなこ とにもなりかねない。大内義興の帰国の前にそんな事態になれば、それこそ藪蛇である。 大内義興が京から領国に戻って来るのは、遠い先の話ではない。年内にも帰国するという 風聞さえあるくらいで、どんなに遅くとも一、二年のうちには必ず実現するであろう。帰国 しさえすれば、義興は失地回復を目指してすぐさま尼子と戦い始めるに違いない。 ――それまでは軽々に動かず、静かに地力を蓄えておくことよ。 だからこそ久光は、尼子氏からの臣従の誘いを歯牙にも掛けず峻拒した。大内義興が帰国 するまで、尼子氏の勢力がこれ以上安芸へ及んで来ないよう、防波堤になるつもりでいたの である。 そんな折り、久光にとって面白くない報告が届けられた。 話を持って来たのは、毛利氏の執権であ る
「多治比の 自分に何の報告もないまま、それほど重要な決定が毛利家中で行われたことに、久光はま ず驚いた。 「それはそれは――寝耳に水じゃな」
「いやいや、お耳に入れるのが遅うなってしもうたことはお詫び申す。なんでも亡
き
広良は笑顔のままぬけぬけと言った。そんな約束が本当にあったのかどうか、久光には確
かめようがないから、外交的に毛利が高橋に嘘をついたことにはならない。 「悦叟院殿が伊豆殿(吉川国経)と、な・・・・」
久光は呟くように繰り返した。 「いや、いずれにしても、めでたい話よな。毛利と吉川の縁が深まることは、国人一揆の紐 帯をさらに強めることにもなろう」 そう言ってこの縁談を祝ったが、釘を刺しておくことも忘れなかった。
「多治比殿が妻を持つとなれば、いずれ子も生まれような。気の早い話ではあるが、もし女
子が生まれたときは、その姫をわしの曾孫
と 元就の娘を人質として高橋が押さえようと言うのである。 「これは――願ってもなきこと。多治比殿にはしかとお伝えしておきまする」
老練な外交家である志道広良は、久光の思惑を底の底まで見抜いていたが、あえて満面の
笑みを作って頭を下げた。毛利が吉川との繋がりをさらに深めることに、高橋久光が不快感
を持つのは当然なのである。強大な高橋氏と事を構えるようなつもりは広良には毛ほどもな
いから、ここで久光の機嫌を損じても益はない。 「多治比の元就のところに、吉川の小娘が嫁ぐらしい。耳に入っておったか?」 「いや、恥ずかしながら初耳でござる」
わずかに低頭した世鬼政時は四十代半ばの壮年で、武技で鍛え抜かれた両肩の肉が厚い。
「そういえば、過日、大朝に潜ませておる者から、尼子の亀井能登守が小倉山城を訪れたと
の報せがござった。あるいはその婚姻、尼子経久
の
「経久め、
「つい先日も尼子の諜者と思しき者を一人斬ったところでござるが――。このところ、ご
領内を往来する そのうちの何割かが他国の諜者であろう。尼子の忍兵も多く混じっているに違いない。 「大内義興の帰国が近いという風聞もござる。尼子にすれば、義興が領国に戻って来る前に、 少しでも味方を増やしておこうという腹づもりなのでござろう」
尼子の威圧に屈して尻尾を振る連中が、久光には笑止でならない。 「安芸の豪族どもは震えあがっておるようだが、経久めにとって安芸は二の次よ。まずは石 見に兵を向けおるに違いないわ」
尼子経久は、そのための名分もすでに得ている。 「経久めの狙いは、つまるところは大森銀山よ」 と久光は断じた。 「大内が銀山を失うのは構わんが、尼子にこれ以上肥られるのはかなわんな・・・・」 大森銀山(石見銀山)は世界でも有数の産出量を誇っていたが、この数年前、中国か ら「灰吹き法」という製錬技術が渡来したために、その産出量がさらに飛躍的に増えた。莫 大な軍資金を捻出し続ける大内氏の富強の種は、勘合貿易とこの銀山経営が二本の大きな柱 と言ってよく、その意味で、大森銀山を押さえる者が中国地方の覇権を握るとまで言っても 決して大袈裟ではないのである。尼子氏はこの銀山をどうにか奪おうとし、大内氏はそれを なんとか守ろうとする。石見が両者の激突の場になるのはまず間違いなく、石見に大勢力を 持つ高橋氏の重要性はますます高まるであろう。 「それにしても経久め、多治比の元就とはよいところに目を付けたものよ。あれはもう二十 二であろう。まだ嫁がなかったというのは盲点だったな」 「毛利では三男坊も未だ独り身にて、嫁を持ってはおりませんぞ」 「あぁ、そうであったな。婿殿(毛利興元)が死んで後、そのあたりのことがほったらかし になっておるのやもしれん。毛利の老臣どもも間の抜けたことよ・・・・」
次男の多治比元就を吉川氏に握られた以上、せめて三男の相合元綱は高橋側に引き寄せて
おきたい。いけ好かぬ小僧ではあるが、あれはあれで使い道もあろう。久光は腕を組み、一
族の子弟に妙齢の姫がなかったかを考えた。が、一族の末端ならともかく、宗家から近い筋
には思い当たる娘がいない。
「 「日下津城と申さば、坂広時の城でござるな」 坂広時は、毛利氏の老臣である坂広秀の父で、志道広良が毛利家の執権に就く以前、その 職の座にあった老人である。すでに隠居しているが、坂氏は毛利の庶家にして代々執権を務 める屈指の名門であり、広時の毛利家中への影響力は長老・福原広俊にも伍するであろう。 久光は広時とは歳が近いこともあり、古くからの昵懇であった。 「あの男とは、高橋と毛利が大内へ臣従することを決める時、膝を突き合わせて何度も語り 合うた。大内がいかに強大な力を持っておるか、あれほどよう知る者も他にあるまい。毛利 をこのまま尼子寄りにするようなことがあってはならん」 「承ってござる」 低頭した世鬼政時は、足音ひとつ立てず部屋を出て行った。
と、元綱が素っ気なく言った。 「なにゆえでござるか。我が娘では不足と申されまするのか」 元綱の前に座った坂広秀は、禿げあがった頭に青筋を立てている。押し問答を続けている うちに、だんだんと腹が立ってきたらしい。 「そうは言うておらん。俺に妻帯など早すぎるというだけのことだ」 元綱は顔を歪め、面倒そうに答えた。 「四朗殿はすでに二十一ではござらんか。早すぎるなどということがあろうか。多治比の次 郎殿も来月には妻を迎えられる。次は当然、四朗殿の番でござろう」 「それとこれとは話が別だ。兄者の婚儀と俺の妻帯に何の関係がある」 「早う嫁を持ち、子を成すのは、武門に生まれた男の務めでござるぞ。身を固められれば、 相合のお方さまも安堵なされ、肩の荷を降ろせましょう。それが孝道と申すものでござる」
「嫁を持たねば孝の道
に 「孫の顔を見せることに優る親孝行が他にござろうか。相合のお方さまの御子は、四朗殿 をのぞけばいずれも女子――嫁いでしまえば逢うことさえままならぬ。四朗殿が妻を持た ねば、お方さまはいつまで経っても孫を抱く喜びを知ることが叶いませぬぞ」 「む・・・・」
珍しく元綱が言葉に詰まったようである。二人の問答を次室で聞いていた重蔵は、他の近
侍と顔を見合わせ、小さく苦笑した。 「わしも、なにも下戸に酒を強いておるつもりはござらん。四朗殿とて女子がお嫌いという わけではありますまい。いろいろと噂も小耳に挟んでおりますぞ」 そのぶしつけな言葉に、元綱は目つきを厳しくした。 「我が娘になんぞ到らぬところがあるのであれば、そう申してくだされ。あるいはどのよう な女子ならお気に召すのか――この広秀にお漏らしくだされば、家中はもとより近隣の家の 姫からそれに見合う女子を探してさしあげてもよろしゅうござる」
「いらぬ世話だ。坂広秀ともあろう者
が、
元綱はピシャリと言い、席を立った。まだ何か言おうとする広秀を残して足早に廊下をわ
たり、裏手の 「四朗さまは?」 低い土手を駆け下った重蔵は、荒い息を整えながら尋ねた。 「常楽寺です」
井上又二郎という青年が、光井山の南尾根にあたる小山を指差しながら答えた。鬱蒼と茂
る木々に遮られて見えないが、あの小山をしばらく登ると常楽寺の山門がある。 「こうしてただ待っておるというのも無聊だな・・・・」
陽光に煌めく川面を眺めながら、又二郎が言った。この若者は元綱の二歳年長で、近侍の
中でリーダー格である。毛利家中で最大の勢力を持つ井上党の出だが、一族の中では傍流の
次男坊で、家では厄介者(相続権のない部屋住みの子)であるらしい。や
や 「重蔵殿、『紗霧』をお願いします」
又二郎は『紗霧』の 「うひゃぁ、冷たいのぉ!」
若者たちははしゃぎながら大声で馬を励まし、巧みに手綱を操る。元綱には及ばぬものの、
三人とも馬術はなかなか達者である。満々と水をたたえる江の川は、広い所では一町ばかり
も川幅があり、瀬もあれば 「お早いお帰りでしたな」 「あぁ、茶を飲ませてもろうてきた」 重蔵の隣に並んだ元綱は、江の川を眩しげに眺めた。 「ほう、水馬か」 その顔がうずうずと笑っている。
「あの馬鹿どもめ、水を飼わせておけとは言うたが、俺を忘れて遊び惚けておると
はなんたる 元綱は『紗霧』の手綱を解き、それに跨るや一散に土手を駆け下り、川に馬を入れた 「おぉ、四朗さまじゃ!」 近侍たちが喜色を浮かべ、馬の向きを変える。 「又二郎、馬が水に沈み過ぎじゃ! 戦場では具足をつける分、身が重い! それでは馬が 溺れてしまうぞ!」
元綱は河水の浅深が水面の姿で解るらしく、浅瀬を選んであっという間に川の半ばまで進
み、さらに『紗霧』を声で励ましながら巧みに泳がせ、やがて向こう岸に跳ね上がった。『紗
霧』に息を入れさせ、その首を撫でて褒め、再びざぶりと水に飛び込ませる。 「あれが相合の元綱か・・・・」 対岸の雑木林から、ふたつの人影がそれを見つめていた。浪人風の身なりをした一人は世 鬼政時であり、いま一人は農夫のような格好をした若者である。 「今義経は武芸も達者らしいな。人馬一体――なかなか魅せる」 政時が言うと、若者が不平そうに反論した。 「御殿でぬくぬくと育てられた殿さまなぞに、真の武芸がござろうか。戦場で馬上槍を取っ て戦うならともかく、一人と一人とで斬り合うというなら、我ら忍び武者の半人前も働けま すまい」
「そうかな? 元綱は義経流の兵法にも通じておると聞く。たとえお前でも、兵法
の 若者は政時の子で、名を新太郎という。 「もっとも、夜に仕合うというなら、我らの敵ではなかろうがな」
政時はその言葉を残して林の奥へと歩き去った。
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