深 淵
猟 犬 あとがき
えらく昔の遺物を引っぱり出したといえそうである。
あれから、もう10年の月日が流れてしまっている。
僕は高校の2年のとき、人間関係の楽しさから文芸部に片足を突
っ込んだ。突っ込んだ以上は何か書かねばならず、本編「猟犬」
はだから、初めて書いた短編小説であると言っていい。
文芸部の冊子「飛行船」に発表した、ちょうど10年前の若かかり
しあの日以来、2度と日の目を見ることは無いだろうと思っていたけ
れど、こうして形を変えて、第三者の目を汚すことが出来るシアワセ
を、この作品は持った。
やはり僕も、それなりに気に入っていたんだろうと思う。
けれど、改めて読み直すまでもなく、それはそのままの状態では
とても人様の前に出すことができるシロモノではなかった。
何と言っても作者が、あきらかに幼すぎたのである。
(1)、(2)と続けていくうち、どうにも我慢がならなくなり、
(3)あたりから、かなり手を入れ始めた自分がいた。
結局(6)ともなると、Vol.1の表現など、だからほとんど残っ
てない。かろうじて、ラストの新聞記事だけが、当時のままである
だけである。
それでも、話の骨子自体は、まったくイジッてない。
ようは、その表現の稚拙さである。
これは、けっこう恥ずかしい。
文体がまったくおかしい。
視線に統一感がなく、つねに不安定に揺れている。
心理小説にも恐怖小説にもなり切れておらず、両方の悪いところ
だけを模写したような格好で、どうにもこうにもしょうがない。
ただ、直接的なグロい表現というのは、その当時、意識的に避け
て書いたという記憶がある。
「何か気持ちが悪い」
「何かちょっと怖い」
当時はこのあたりを狙っていたのだが、果たして的を射抜くことが
出来ているかどうか−−?
クトゥルー小説というのは難しい。
この超宇宙的恐怖を扱った作品群というのは、本質的にバッドエ
ンドしか用意され得ない。
理由は、救われるようならば、ほとんどクトゥルー小説としての意
味を失ってしまうからである。そこに出てくる邪神、怪物、生物に比
すと、我々人間は、我々から見たアリよりも遙かに弱々しい存在であ
って、その圧倒的な距離感が、このクトゥルーものが持つ世界観の
重要な基部になっているのだ。
本編「猟犬」も、その意味では、クトゥルーものの極めてオーソ
ドックスな形を踏襲しているといえる。
「ティンダロスの猟犬」は、フランク・ベルナップ・ロングが描い
た同名作品中に登場する怪物である。
この怪物は原始の地球に生息し、匂いを嗅ぎつけた獲物をどこま
でも−−時間を跳躍してまでも−−追跡する恐るべき野獣として描か
れている。彼は絶えず飢え、絶えず渇き、そしてなによりも怖ろしい
ほど執念深い。
彼の気持ちは人間の理解の範疇には入らないのだろうけれど、
書いているとき、ふと彼に「無邪気さ」を感じたのはおかしな話
である。
あるいは彼はただ、無邪気に追いかけることを楽しんでいるの
かも知れない。結果として追いついたときに行われる惨劇は、彼に
とってはただの「ご褒美」に過ぎないのだろう。
そして彼は今も、どこかで何者かを追いかけているのかも知れない。
H.13 7/19
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