雑文工房「歳月」 / 司馬遼太郎
世界の歴史を眺めてみると、およそ英雄豪傑というものは、乱世 によく現れるモノであるらしい。 振り返って本朝を鑑みるに、たとえば戦国。たとえば幕末。歴史 にその名を刻んだ漢たちは例外なく、その本人たちが意識をする、 しないにかかわらず、時の勢い−−奔流のように走り出した「時勢」 という巨大な、そして名状すべからざる力によって、押し上げられ、 飛翔し、ときに引きずり回された者たちでもある。 司馬遼太郎という人間は、そのような、氏の言葉を借りれば「歴 史が緊張して、緊張のあげくはじけそうになっている時期(「私の 小説作法」)」の漢の生き様、そして死に様を、千里眼のごとき観 察眼をもって見つめ続けてきた作家であるといえる。 「歳月」という作品で、この司馬遼太郎氏の筆を執らせた江藤新 平という漢も、その意味では一廉の英雄豪傑と言って差し支えない 存在であろう。 江藤新平−−稀代の法政家にして、おそらく有史以来の雄弁家。 明治政府の初代司法卿(法務大臣)であり、征韓論に破れて西郷 隆盛らと共に下野。後に佐賀の乱を起こすに至る人物である。
この江藤新平。 私もこの「歳月」を読むまで、実は名前しか知らなかった。
何故か−− 時の内務卿大久保利通はその日記の中で−−後世に自分の日記が 果たすであろう役割を自ら意識した上で−−こう述べている。 「江藤、醜態、笑止なり」
江藤はその死の宣告にのぞんで狼狽し、見苦しくうろたえたとされ
た。当時、封建のにおいが色濃く残る明治初期、武士にとって漢に
とって、生死に潔さがないことは致命的な悪印象であった。
江藤新平という漢の人生を、あえて短い言葉で表現しなければな
らないとするならば、「数奇」という言葉以外には、ないように思
われる。 「信じられないほどのことであるが、江藤の人生の異様さは維新 になって初めて広い世間に出てきたことである。それまでは家の中 で煙草の葉をきざんだり、火薬づくりの内職をしたりしているか、 それとも藩命によって蟄居させられているか、どちらかであった。 二十六七のころ一時藩小役人の職にありついたことがあったが、 ほどもなく京へ脱走し、帰藩し、蟄居暮らしに入った。世間を知 らないにひとしい。維新が成立し、かぞえて三十五になってから にわかに人臭い世の中におどり出、わずか五年目に司法卿にな った。稀代のことである」 江藤はたとえば、京での志士的奔走といういわば下積み経験は ない。また、藩政に参画できるだけのいわば門地もない。父が職 を失って以来家は貧しく、ときにその日喰うモノにも困るありさまで あり、ひたすら己の学問を研鑽しようにも、日々内職に追われると いう現実があった。 その江藤を、「時勢」が持ち上げた。
大政奉還がなり、鳥羽伏見に幕軍が破れると、日本一の近代的
軍事力を持ちながらそれまで徹底して時勢を傍観していた佐賀藩公
鍋島閑叟がその重すぎる腰をようやく上げ、にわかに官軍となった
薩長勢力に合力する腹を固め、その橋渡し役に江藤を抜擢したの
である。 「時勢」の魔術というほかない。 この異常というしか仕方のない出世の速度は、たとえばかの豊 太閤・豊臣秀吉と比べてもそれを遙かに上回り、彼が握った力と いうのは、60余州の警察組織を一手に掌握し、かつ最高裁判所 の長官と法律の製作する集団の頂点を兼務するという途方もない モノであり、新政府の有力者が軒並み外国視察に出ている非常時 内閣であったとはいえ、確実に「位人臣を極めた」といって差し 支えないほどであったろう。 それでも江藤は、悲しいほどに書生であった。
着るモノといえばすべて古着であり、正義・正論を愛し、貪官汚
吏、不正を憎むこと蛇蠍の如くであり、これほど明敏な頭脳を持ち
ながら、正義の信奉者であるがために、ついに政治という多分に
卑俗さが要求されるモノを理解することができなかった。 江藤はその後、先にも述べたように「うかつ」にも征韓論に与し、 下野し、佐賀の乱の首領に担ぎ上げられ、非業の死を遂げる。 彼の生き様、死に様が語りかけるのは、著者司馬遼太郎が愛する 男の悲哀さであり、ある意味滑稽なほどの哀愁である。
江藤新平は、たとえば現代に生まれておれば、世界を向こうに回
して戦えるほどの雄弁な弁護士になり得るし、誰よりも謹厳な裁判
官になり得るし、歴代最高の事務官僚になり得るだろう。
けれど時勢の風を受けて飛翔した人間というものは、その風向き
が変わると共に墜落せざるを得ない。 江藤新平は汚名を着せられ、不当に貶められ、葬られた。 最後に著者の表現を持って、この項を締めよう。 「執行場で、江藤は同じことばを三度叫んだ。弁論を封ぜられた まま死なざるをえぬかれとしては、自分のいうべきことをできるだ けみじかく象徴化して叫ぶしかすべがなかった」 「『ただ皇天后土のわが心を知るあるのみ』」 「天地だけが知っている。この日本語世界がうんだ最大の雄弁家 の最後のことばである」
[H.13.5/4 23:06] |