雑文工房


「乱紋」 / 永井路子


 戦国時代を女性の目から見る必要を感じたのは、僕が時代モノを 書きたいと思い始めた頃でしょう。
 僕は無知でした。
 かなり無知でした。

 永井路子を読んでみたのは、たまたま古本屋で見かけたからで、 それ以上の意味はなく、期待も、さほど持っていませんでした。
 が、
 面白いですな。
 彼女の小説は他にもいくつか読みましたが、要するに、歴史物 の背景を持つ心理小説なのです。
 その手法も、さすがに堂に入ったモノです。


 俗に「浅井3姉妹」と呼ばれる女たちがおりました。
 織田信長の妹・お市の方が、浅井長政との間に産み落とした3人 の娘たち−−

 類い希な美貌とプライドを持つ長女−−お茶々
 持ち前の華やかさで世を巧みに渡っていく次女−−お初
 そして、母にも姉にも似ず、凡庸な容姿の愚鈍な三女−−おごう

 数奇な運命に翻弄された3姉妹の運命を中心に、秀吉、家康など の豪華な助演に助けられながら、物語は綴られていきます。

 僕がこの本を読んで感心したのは、その表現手法です。
 この物語は、おごう付きの侍女・おちかの視線を中心に描かれて います。浅井3姉妹の末妹・おごうの人生を描いているのに、おごうの独 白的な要素は一度たりとも出てきません。
 作者が、おごうの気持ち、 考え、心理などを一言半句も言及しないため、僕を含めた読者は、 物語の登場人物たちと同様に、おごうという女がどういう人間である か、うまく知ることが出来ない構造になっています。
 物語の中のおごうは、何があっても微笑を絶やさず、はきとしても のを言わず、動作も鈍で、感情を面に現さず、なんというか、掴み 所のない女として設定されています。
 彼女の2人の姉が、人間臭い−−ドロドロとした女まるだしに描か れているのと好対照に、おごうは最後まで、彼女が本当に愚鈍なの か、あるいは深い知性を内に秘めているのか、見当が付きません。

 おごうは3度、秀吉によって夫を持たされます。
 一度目の夫とは政略上引き離され、2度目の夫は遠く朝鮮の地で 果てます。けれど、おごうは泣くでもなく、叫ぶでもなく、ただ諾々 とおのれの運命を受け入れ、そして3度目の夫、2代将軍徳川秀忠 のもとに嫁いでいきます。
 不幸、といえば不幸なのですが、夫が変わる度におごうの地位 は向上していき、ついに天下様の御台所に収まるわけです。
 その間、2人の姉たちの心情は複雑で、自分たちがバカにし、 見下していたおごうの出世が、彼女たちの生き方にも大きな影響を 与えていきます。

 秀吉の側室に収まり秀頼を産んだお茶々は、一時絶頂に登りま すが、秀吉の性の能力が尽きると、年下の夫を持ち次々と子宝に 恵まれるおごうを激しく憎みます。
 京極高次という、名門だけれど力のない男の元に嫁いでいた お初は、姉と妹の間を器用に立ち回り、どちらにも愛想を振りまき、 そしていよいよお茶々が追いつめられると、冷酷にこれを切り捨て ます。
 ただ1人、おごうだけが、常と変わらぬ微笑をもって、ある意味 強く、そしてしなやかに乱世を渡っていくのです。

 この物語には、ギミックとして、「ちくぜん」という狂言回しが 配されています。時代の裏側に配されるべきこの狂言回しこそ、 あるいは永井路子の真骨頂と言えるかもしれません。
 この「ちくぜん」のことは、最後の最後で読者に明かされます。
 彼が何者であるか、推理しながら読み進めていくのも楽しいで しょう。
 その正体だけが、僕の不満といえば不満なのですが。。。

[H.13 7/5]

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