口頭無形分化剤 その3
「時代小説」について
僕が時代小説というモノにはまり始めたのは、
そんなに昔のことではありません。
電車の中で読む本が欲しくて、たまたま古本屋で手に取ったのが、
誰のものだったのかは忘れましたがいわゆる「戦国モノ」で、読む
ともなく読んでいたわけです、時間つぶしに。
すると、なんというかね、日本人として知っててあたりまえだった
りするコト、一昔前の人ならば当然知っているだろうコトを、あまり
にも知らない自分に、正直愕然としてしまいましてね。
いや、変な雑学だけはある。
誰が、誰と、いつ頃、何処で戦って、結果どっちが勝ったかと
いうような、参考書に出てくるような漠然とした知識はある。
けれど、それだけだったんですね。
例えば400年前、この日本に確かに生きていた人たちがいて、
その人たちが、何を考え、どう生きて、どのように死んでいったの
か。その人たちを包んでいた時代の気分とか、その人たちが持っ
ていたイデオロギーであったりとか、そういったことを、あらため
て考えてみたことがなかった。その必要もなかった。
それが、時代小説を読むに至って、開眼させられまして。
面白いんですよ。
そういう作業が、ひどく。
生物学的見地から見て、現代人たる僕と、例えば戦国人である信
長とは、食生活の違いからくる体格的な個体差はあるにせよ、さほ
どに隔たった存在ではないわけです。
けれども信長は、僕ならばとても出来ないであろうコトをやっての
けた。
それは延暦寺の焼き討ちや、一向宗徒の大虐殺といった彼の残虐
性を示す証拠といわれる種々の事例のことをいっているのではなく、
例えば、既成秩序の破壊であったり、過去のイデオロギーの否定で
あったり、異世界の文物への異常な興味であったりする、思想的、
つまり観念的なことですね。
このような人間は、ま、確かにいつの時代にもいるわけですが、
ことに乱世に多い。
僕が戦国に興味を持ったのはそれからです。
ほどなく司馬遼太郎に出会う。
この出会いは幸福でした。書名は、「覇王の家」でしたか。
僕は、言葉遣いであるとか、表現手法であるとか、台詞回しで
あったりするところの、作品を構成するいわゆる「雰囲気」が肌に
合わない作家は、そもそもダメなのです。基本的に乱読家ではない
ので、気に入った作家の作品しか読まない。
司馬遼太郎ははまりました。
わかりやすく、かつ格調のある文体。
当時の雰囲気をあますことなく伝える、台詞の切れ。
そして何より、千里眼でもって俯瞰したようなその時勢眼。
「こいつは何者だ?」と思いました。
それまで読んでいた歴史作家とあまりにも違う、圧倒的な歴史の
知識!
その知識に裏打ちされた時代考証と、人物に対する深い考察。
司馬史観と言われるその世界観。
どれをとっても衝撃的でした。
刺激的でした。
幕末・維新史から明治、太平洋戦争と興味を持っていったの
も、司馬作品のラインナップを見れば、自然の流れといえるでしょう。
さて。
歴史を扱う作家さんはたくさんいますが、面白い作品を書く歴史
作家さんは、それほど多くないというのが、僕の印象としてありま
す。
ベストセラー作家と呼ばれる人たちは、まぁ読める。
池波正太郎、柴田練三郎、山田風太郎・・・・。
個人的に荒唐無稽なハナシはさほど食指は動きませんが、それで
もやはり読んでて面白い。
それに比べて酷いのが、いわゆる歴史研究家・学者と呼ばれる
連中の手になる作品です。
例外もあるでしょうが、これは本当に酷い。
歴史的事実の羅列−−自分が調べたコトを細かく発表する事が、
歴史を描くことだと勘違いしている。こういう手合いの本を手に取
ると、本当に損をした気分になります。
僕が面白い時代小説を書くために必要と考えるのは次の2点です。
・しっかりとした歴史考証。
・人間を描こうとする態度。
歴史的考証は、必須です。
これがいい加減では、時代小説が妄想小説になります。
その時代に生きる人間を描くためには、その時代を形作る分子の
一つ一つにまで綿密な調査が必要です。時代の気分、過去の時代
からの歴史の流れを掴んでこそ、その時代に生きる人々の生き様、
思想、常識などがはじめて理解できるようになるのです。
いうまでもないけど、過去の人々を現代人のフィルターを通して
眺めるのは、あまりにも滑稽です。
また、歴史を描くのでなく、人物を描こうとする態度が重要では
ないか。
歴史を面白く描くことは至難です。
なぜなら、僕たちが読みたいのは研究書ではないからです。歴
史的事実を羅列した年表を眺めたところで、それが面白いわけが
ありません。
伝記作家がするように、まず登場する人物に対する深い考察と理
解が必要です。そしてその人物の生き様、死に様を考え、描くこと
によって、結果として時代を描くことになり、歴史の一部を描くこと
になる。
この順序を理解していないと、けして面白い時代小説は書けませ
ん。
ぼくは、いつからか時代小説を書きたいと思うようになりました。
「戦雲の夢」なんて、ようは僕の練習です。
けれど、これは容易なコトじゃない。
やってみて、初めてわかることというのは多いモノです。
H.13 6/10
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