口頭無形分化剤 その8


「学ぶ」ということ


 僕はその昔(というほど昔でもないけど・・・)エロ漫画を描いて メシを食ってた時期があります。

 何の実力もない男が何故かお金を貰って漫画描いてたのだから、 いまから思えばまったく赤面の至りですが、それでも当時は必死で して、なんとか恥ずかしくないエロ漫画を(なんじゃそりゃ)と思 って日々精進しておりました。

 そもそも僕が初めてペンを握ったのは、高校2年の夏、初めて自 分で描いた小説(ガンダムばりのロボット戦争ものでした・・・) に挿し絵を入れたいと思ったのがキッカケでして、 それまで美術の成績はそれなりに良かったもののイラストなぞを描 いたこともない僕は、とにかく好きな漫画家さんの絵を真似て、下 手は下手なりにそこそこ満足しておったわけです。

 イラストを描くというおもしろさに目覚めたのは、だから高校生活 も半分終わった頃なのですね。
 その後冗談で雑誌にイラスト投稿なぞをしてみたこともありました が、高3の終わり頃、初めて漫画というモノを描きました。
 僕が当時読んでいたエロ漫画雑誌というのは、あんまりレベルが 高い雑誌ではなくて、当時の僕の目から見ても、「これくらいなら 俺でも描けんじゃねーの?」と疑いたくなるような有様でした。すで に大学入学が決定していた僕は、暇だったことも手伝って、一度漫 画を描いてやろう、ってなコトをたくらみます。
 コマを割ったこともなく、原稿のサイズすら知らない小僧が、勢い で描いた漫画が、何を間違ったか編集者の目に留まり、呆れたこと に、高校の最後の時期にはプロとしてデビューすることが決まって しまったのです(すげぇいい加減なもんだ)。

 最初信じられずあまり深く考えなかった僕でしたが、いざやってみ ると、これはまさに地獄でした。

 描けば描くほど、自分の下手さ加減に自分が打ちのめされるので す。頭からバカにしていたエロ漫画にさえ、僕ではまったく届かなか った。僕の成長にこそ期待をしていたであろう編集者さまにもついに 見限られ、だいたい半年くらいで首を切られました。
 今から思えば、まぁ当然ですね。

その後、無事(?)大学を卒業し、就職をせねばならなくなるので すが、ここで僕はもう一度、漫画家をやる決心をします。

 今度は言い訳はききません。
 エロ漫画ならすぐにデビューさせてもらえる自信はありました。
 そして実際、即日プロになりました(ホントにいい加減な世界です)。

 その日から、また地獄の日々が始まりました。

 収入が少ないのは仕方ありません。  食と住さえ押さえておけば、まぁ生きてはいけますし、そんなこと は苦になりません。
 けれど、自分が描けば描くほど、やはり自分の下手さ加減に押し つぶされそうになるのです。
 描けば描くほどアラが目立って、考えれば考えるほど線が変わって、 締め切りに追われてネームを考えるのは気が狂いそうで、 読者の声は容赦なく自分が覆い隠したい部分をえぐりました。

 そういう地獄は、けれど僕の側の家庭の事情で、1年ほどであっけ なく終わりを告げます。
 ちょうど限界にも来ていたのでしょう。
 僕は逃げるようにその世界から離れました。


 あまり胸を張る経験でもないですが、このとき僕が考えたのが、 「学ぶ」ということについてです。

 もともと「学ぶ」という言葉は、「真似ぶ」つまり上手な人の 真似をすることからきています。
 先人の事績を真似ることで、自分を手っ取り早く高めること。そ れが「学ぶ」ということの、どうやら神髄であるようです。
 僕は人を真似て真似て、はじめて自分がいかに下手であるのか ということが判断できる高みに立つことが出来ました。多くのことを 真似る過程で、自分なりの取捨と選択を行い、そこから脂肪が 取り去られると、「自分らしい」ということがいかなることか、 というところに気が付くところまでは、どうにか辿り着くことができま した。

 結局僕の絵は完成するところまではいきませんでしたけれど。
 けれど、そのとば口あたりにまでは、確かに僕は行き着けたよう に思っています。

 無論そのとば口の先に、無限に広がっていく世界があって、僕が 立った処というのは、山に例えればほんの裾野に過ぎません。けれ ど精進のお陰か努力の成果か、僕の前にわだかまっていた重い霧は 晴れ、山頂までの険しい道のりそのものを視認できるところまでは、 どうかに行き着いた。

 ここまでが「学ぶ」ということでしょう。
 ここから先が、はじめて「才能」の領域であり、「研鑽」の世界 なのです。

 だから僕は、己の「才能」を世に問うところまでは、まだ行ってい ません。
 その向こう−−「才能」と「研鑽」の世界にこそ、いま僕は強い 憧れを抱いています。同量の「恐怖」をも抱えながら。

 僕が己の「才能」を世に問うときが、いつかくるのでしょうか?

「男は己の志を世に問うために生きるモノだ」

 と言ったのが誰であったか、忘れてしまいました。
 確か、幕末モノを読んでるときに、見かけた言葉であったけれど。

 けれど、僕は怖いのです。
 自分の「才能」がないということに気づかされてしまうこと、が。

 

H.13 7/1



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