口頭無形分化剤 その6
「我慢と報酬」について
またまた昔話をひとくさり。。。
僕は大学時代、山をやっていました。
といっても、ワンゲル連中から見ればホントにおままごとのような
モノで、家庭の事情もあって2年間、数回山に登ったというだけの
ものですが。。。
それでもその僅かの経験は、僕のチャチい人生においては貴重
すぎる体験で、おかげで僕は、山登りがどれだけしんどいことであ
るか、ということは、よく知っています。
「山がそこにあるからさ」
という有名で無意味な言葉は誰が言ったモノか忘れましたが、こ
れは山屋に「何で山なんかに登るんスか?」なんて、くだらない質
問をした人間をこそ責められるべきで、山が好きな人間なら、誰で
もこんなような答えを返してしまうものなのです。
山はそれほど魅力的です。
なんでそんなに山に焦がれるのでしょう。
いまは行くことができませんが、僕もときどき、たまらなくあの大
自然に抱かれたくなる瞬間があります。
奇妙なモノです。
ザックで背負うのは20sを越える荷物。
えんえんと続く先の見えない上り坂。
その坂を登っているとき、ホントにツライのです。
けれど、山を降りると、また登りたくなってしまう。。。
これは、やはり、登った者だけが知る悦楽なのでしょう。
それも3000メートル級の山なら格別です。
視界が霧に閉ざされ、どこまでも続く乳白色の世界。
湿気と汗に濡れてベタベタになり体力を削り取られた身体は、
けれど立ち止まると身体が冷えるため、休息することさえも満足にで
きません。
息があがり、ザックが肩に食い込み、意識はいつしか朦朧として、
それでも重くなった脚を機械的に動かして、数十センチづつ身体を前
進させてゆくというその作業。
それは例えば、賽の河原で、延々と続く石積みのような。。。
けれど、ある瞬間、視界は不意に開けます。
風に流された霧の間から覗くその世界!
雨雲を足下にしたそこは、一種言語を超越した世界です。
天空を覆う澄み切った青。
異常に眩しい陽光。
足下に広がる雲海。
遠くには、雲間から屹立する峻峰。
頂を征服したその瞬間の感動!
これまでの疲労と苦痛をすべて吹き飛ばす異常としか表現のしよ
うがない興奮!
魂から沸き上がってくる哄笑!
これは、ホントに一種の異常体験です。
人間は、というより生物は、例えば「アメと鞭」、あるいは「我慢
と報酬」といった言葉で表される状況が、おそらく本能的に好き
なのではないか・・・。
なんとなく、僕がそう思うようになったのは、この「山登り」体験
に由来しています。
ソ連のパブロフというおじさんは、犬の「報酬」の条件付けによ
って大脳生理学の基本法則を明らかにしました。
知識の浅薄な僕では、その大脳生理学のなんたるかは語ることが
れできませんが、やはり、この「我慢と報酬」が、生物にとって
「快」である、というのは、肯定してよい事項なのではないかと思っ
ています。
「プロは自分を慰める術を知っている」
とシティーハンターに言わせたのは漫画家の北条司センセイですが、
これは至言で、自分を慰めて常に自分をベストかそれに近い状態で維
持することができる者だけが、本物のプロであるのでしょう。
自分に厳しくプロとしての仕事を貫徹し、そして自分を慰める−−
プロとしての高いポテンシャルを維持するために、これもある種の
「我慢と報酬」といえそうです。
僕が一日の労働後、リットル単位でビールを呑んでしまうのも、
どうやらこの「我慢と報酬」ですね。
一日の「我慢」に対する、ほんのささやかな「報酬」なのです。
おかげで、このサイトの更新も滞りがちですが・・・。
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