巨人の公式戦が終了し、セリーグのハーラーダービーが事実上決着しました。
中日の吉見、巨人の内海が、共に18勝。
堂々たる数字です。二人ともほぼローテを守って防御率が1点台。まったく素晴らしい。
僕は素直に二人を讃えたいと思います。
しかし――
吉見の最多勝が、川井の1勝を盗んだ結果のインチキだのなんだのと、ネットで騒がれている
らしいですね。
そのことを知って、驚いた、というか、むしろ呆れました。
ペナントレースの優勝や順位が決まり、消化試合を残すのみとなったとき、試合に出た選手が
タイトル争いや個人成績を優先してプレーするのは、プレーや成績に己の生活が掛ってる以上、
ごくごく当たり前のことです。
今回はタイトル争いが論争になっているわけですが、吉見の18勝目が、勝利投手の権利が得
られる状態で2イニングだけ投げさせた落合監督の采配によるものであるという部分が、巨人
ファンの一部と潔癖な心の持ち主たちには許せない、ということらしいですね。
この手の批判は、まぁ、昔から常にあるのでしょうが、僕から言わせれば、不毛というに尽き
るし、そもそも選手を批判する感覚が不思議で仕方がないです。
吉見の18勝のうち、中継ぎ勝利は1度。
内海の18勝のうち、中継ぎ勝利は2度。
だから、吉見>内海であり、最多勝は吉見のものだ、とでも主張すれば、吉見を批判する一部
の巨人ファンは納得するのでしょうか。
そもそも論ですが、チームスポーツにおける個人記録において、「他の選手とまったく同じ
条件で数字を争う」ということはありえません。
野球について言えば、たとえば投手記録は、キャッチャーの能力、チームの守備力、打線の得
点力、救援投手陣の強弱、ホームグラウンドの広さなどの諸条件が、チームごとにすべて違う
ことを承知の上で、選手個人が残した記録の最終結果だけを比べて決定されるものです。
野球に限らずあらゆるチームスポーツにおいて、個人記録ってのはそもそもそういうものであ
り、その不公平の上に成り立っている記録に対して、チームからのサポートが卑怯だのインチ
キだのと難癖をつける感覚がまずわかりません。
ネット利用者ってのは、相対的に子供が多いし、にわかファンや批判したいだけのクレーマー
が多いからでしょうか。
記録というものがどれほど貴重なものか、利害関係がないからわからないのでしょうか。
たとえば、王貞治の年間55本塁打という神記録があります。この記録を守るために、記録
更新を目前にしたホームラン打者に対して、セ・パ関わらず投手がどれだけ故意の四球を投
げまくったか、知らないのでしょうか。
プロスポーツは結果がすべてである、とは言いません。
しかし、ことに記録に関しては、結果がすべてであると言う以外ない。
タイトルは勲章であり、それを得ることは、記録が永久に残るということを意味し、その報
償はタイトル料が得られるだけに留まらず、選手個人に対するハクになり、もしかしたら現
役引退後の再就職先にまで、つまり人生にさえ影響を与えかねない。それだけ貴重で極めて
重要なものなのです。
それほどの勲章であるからこそ、消化試合では、チームが、首脳陣が、選手のタイトル獲得
のために、多大な配慮をしてくれるのです。
吉見と内海は、シーズン最終盤までに抜群の活躍をして17勝を挙げました。
これは、この二人が、「タイトル争いに参加する資格を得た」ということを意味しています。
タイトル争いというのは、望めば誰でも参加できるようなものではありません。1年間、抜
群の成績を収め、その中で運良く最高の結果を残すことができた、たった2、3人だけが、
長いシーズンの最終盤になって初めて参加資格を得られる、という極めて特殊なレースです。
この有資格者に対して、チームや首脳陣がルール上出来得る限りのサポートをするのは、当
然という以外ない。ごくごく当たり前のことだと思うのです。
もちろん、日ハムのダルビッシュや楽天の田中のように、「特別な配慮やサポートなどいら
ん」と突っぱねるのは個人の勝手ではありますが、だからダルビッシュや田中が偉くて、吉
見や内海が卑劣だ、ということにはならないでしょう。
吉見がチームメートのサポートを得て18勝目を挙げた。
内海がチームのミラクル逆転勝利によって18勝目を挙げた。
どちらも素晴らしいのであり、そこに尊卑を見る方がおかしいと思うのですよ。
他人を素直に祝うことができない者は、人から祝ってももらえないものです。
吉見の最多勝を卑怯だと批判する人たちは、こういうことがわからないのでしょうかね。
2011/10/23