口頭無形分化剤 その54


日の丸・君が代



 橋下大阪府知事が、府立学校と府内の小中学校の教員に、君が代斉唱時に起立を義務付 ける条例を、制定しようとしているのだそうです。

「国旗・国歌を否定するなら、公務員を辞めればよい。自分の職場環境だけでしかバカな 主義主張を貫けない教員はとっとと辞めてもらう。辞めさせるルールを考える」

 というのが府知事の主張だそうですね。
 こりゃ正論だと僕は思ってます。
 橋下徹という人は、マスコミ利用と世論誘導のためにセンセーショナルな言葉づかいを するところがあって、その点は今の東京都知事とも通ずるところがあるのですが、僕は基 本的に評価しているんですよ。

 で、「日の丸・君が代」問題ですが。

 「思想・信条の自由」を盾にとって日の丸や君が代を否定したり拒否したりする人の心 情が、僕は正直理解できません。
 日の丸や君が代が、国旗や国歌として選定されたその過程や理由が納得がゆかないから、 新たな国旗や国歌を制定せよ、と主張するなら、まだ解る。
 そういう主張をする人を、僕は否定しません。その主張に沿って新たな国旗・国歌を作 ろうという国民運動でも起こせばいい。

 しかし、です。
 公務員が、「思想・信条の自由」を理由に、国旗に敬意を示さない、国歌を歌いたくな い、というのは、普通に考えれば通らないですよ。
 たとえば「日の丸」が日本国旗に相応しくない、という主張はあっても良い。「君が代」 が日本国歌に相応しくないという主張も良いでしょう。主張したければ好きなだけすれば 良いと思う。
 しかし、現行の法律に認められた国旗や国歌に対して敬意を示さないというのは、国家 に敬意を示さないという自己主張以外の何物でもないですよね。敬意さえ抱けないような 国家なら、公務員になって国家に寄生しようとか思うなよ、と思うわけです。思想・信条 の自由を貫きたければ、国家から給料を貰うのを止めて、市井の一個人になって、胸を張 って好きなだけ言いたいことを主張すればいい。

 普通の社会人なら、常識の範囲じゃないかと思うのですけどねぇ。
 たとえば就職したとして、どの会社にだってルールはあるでしょう。慣例や慣習がどう しても自分の思想・信条にそぐわなければ、社員全員の意識を改変してルール自体を変え るか、その会社を辞めるしかないわけです。
 ただ公務員だけが、思想・信条の自由を理由にして、我を通すことが許されるのか。

 百歩というか、一万歩くらい譲って、高校教師、大学講師というなら、まだ弁護のしよ うもあります。
 人には様々な思想・信条があり、様々な価値観があり、価値観の違いを認めた上で共存 の道を探るのが民主主義の真髄であるからです。そのことを主張する先生は、生徒に対す る「生きた教材」になりえる。
 しかし、小学校、中学校の教師に対しては、まったくもって弁護のしようがないです。

 子供たちに家庭のしつけをするのが親の役目なら、社会的なしつけをするのは教師の重 大な役目のひとつでしょう。
 「起立」と言われれば席を立ち、「着席」と言われれば椅子に座る。それは生徒が教室 で集団生活を送る上でのルールであって、それ以上の存在ではないですが、そのルールを 守るという規範意識を子供たちに身につけさせる場所こそが、義務教育の場なのではない でしょうか。
 先生が国旗に敬意を払わない。先生が国歌を歌わない。
 そういう先生を、生徒はどう理解すればいいのか。
 鼻の垂れた子供に、思想・信条の理由を言葉で説明するのでしょうか。国旗・国歌の成 立の由来とその疑問から語って聞かせるというのか。
 国旗・国歌に反対している先生たちは、本当の意味で己の信念を子供たちに語り尽くし た上で、自らの「思想・信条の自由」を主張しているんでしょうか?

 この問題を、十何年も裁判で争っているということ自体、税金の無駄遣いだと僕は思っ ています。
 司法に訴えるほど国旗に頭を下げるのがイヤなら、裁判を起こすほど国歌を歌いたくな いなら、とっとと職場を変えればいい。
 公務員の待遇は手放したくないが、「思想・信条の自由」という名の得手勝手は貫きた い、というような器量の小さい人間が、教師だの先生だの呼ばれて教育現場に居ること自 体が、子供にとっては不幸だと、僕は思いますね。

2011/5/20


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