口頭無形分化剤 その48


「魔法」談義



 僕が「言葉」というものにこだわり始めたのは、おそらく高校生の頃であったと思います。

 当時の僕は水泳部と掛け持ちで生徒会と文芸部に所属してまして、授業中はひたすら小説を読み、放 課後はプールで身体を苛め、家に帰ってからはほとんどの時間をワープロの前で文章を書いて過ごして いました。
 大学時代は漫画家になったのでいったん「文章」からは離れたのですが、フリーターになってから読 書熱が再発しまして、それにともなって文章も再び書くようになり、ネットの世界に己の書いた文章の 発表の場を求めるようになりました。

 「無明堂」を始めて、この春で5年になります。

 当然ですが、多くのネットの友人ができました。
 そのうちの何人かは、僕のメル友になってくれました。


 メールというのは、非常に便利なものですね。
 己の思考なり気持ちなりを、これほど端的に伝えられる手段は他にないのではないかとさえ思え ます。

 直接逢い、顔を見ながら話すのも良い。
 電話をして、声を聞きながら話すのも良い。

 けれど、相手とリアルタイムで話をするときってのは、知らず知らずのうちに――あるいは解って いるのに――己の思考が相手に引きずられてしまうもですよね。相手の顔色をうかがうあまりつい言い たいことが言えなかったり、面と向かって本音をぶつけられなかったりするというのは、誰にも経験が あることでしょう。

 メールを書くという行為は、己と向き合う行為でもあると思うのですね。
 想いを文章にすることで己の思考を確認したり纏めたりすることができ、落ち着いた精神状態で冷静 に己を見つめることができる。
 対話の相手に急かされることもなければ、他人に思考の邪魔をされることもない。ゆっくりと自分の ペースで、思考をじっくりと咀嚼できるわけです。

 そして、何よりの利点は、送信する前のメールを読み返すことで、そのメールを読む相手の気持ちま でを、冷静におもんばかることができることでしょう。

 リアルタイムの会話では、「売り言葉に買い言葉」ということがありますよね。
 相手の発言の真意に思い至る前に、発言した単語そのものに過剰反応してしまい、頭に血が上った状 態でつい言い返してしまうというのは、よくあることです。

 あるいは、本当に言いたいことに辿りつく前に相手に話の腰を折られてしまい、伝えたかったことが うやむやになる、なんてことも、日常会話では実によくありますよね。

 結局、話が本題からどんどんと横滑りしてゆき、もやもやした想いを抱え込んで消化しきれない、な んてことも多いのではないでしょうか。


 相手の体温を感じながら話をすることの良さは、もちろん良く知っています。
 直接に声を聞いて話ができる電話の良さも、もちろん知っています。
 それらも、僕は大好きです。

 けれど、本当に本音を冷静に伝えたいときや相手に気持ちを解ってもらいたいとき、僕はできるだけ メールを使うようにしています。

 これは、自分の気持ちを――微妙な気分や微かなニュアンスといったものまでも含めて――かなり正 確に文章にする自信が、僕にあるからです。
 同時に、「それを読んだ相手がどう感じるか」という部分――相手の受け取り方や感じ方といった部 分――を、かなり意識的に操る自信が、僕にはある。


 僕は、この「相手の受け取り方を意識的に操る」という行為から起こる現象を、「魔法」と呼んで います。


 もっとも、僕は「魔法使い」としてはまだ未熟でして、メールやテキストの中ならともかく、リアル タイムではなかなか「魔法」を使いこなせません。
 こういうことを、リアルタイムで行える人は、凄いと思いますね。

 たとえば、噺家さんや役者さんなんかは、話を聞いてくれる人の感情を、自在に操作することができ るって意味では「魔法」を使ってると言えなくもないですが、アドリブの場合を除けばあらかじめシナ リオが用意されているわけで、まして双方向の意見交換をしているわけではないですから、ちょっと僕 が指しているものとは違います。

 解りやすい喩えで言えば、恋愛の達人って人たちは、リアルタイムでこれをやってるのじゃないでし ょうかねぇ。。。

 相手の気持ちをこちらに向ける、とか。
 えっちな気分にさせる、とかとか。。。

 貢がせ、尽くさせ、同時に感謝させるってのは、ホストか結婚詐欺師か、あるいは新興宗教の教祖 様ですよね。

 そういう人種は、間違いなく「魔法使い」です。
 使っているのは、さしずめ「魅惑」の魔法ってことになるんでしょう。

 ただし、一過性の「魔法」ってのは、タチが悪いですよね。

 魔法ってのは、すなわち「呪い」です。
 相手の思考を縛り、感情を操作し、思いのままに動かすことです。

 しかし、「人を呪わば穴二つ」――
 「呪い」は、必ず術者に返ってくることになってます。

 「魔法」の呪縛が解けたとき、ホストや結婚詐欺師や宗教家には、必ず怨嗟の声が浴びせかけられま すわね。

「よくも騙したな〜!(怒」と。

 まぁ、当然なんですが。
 そこまで極端でなくとも、たとえば、付き合っていた頃は理想的だと思っていた相方に、結婚してから 幻滅させられたってのも、「魔法」に掛かっていた、ということになるでしょう。
 簡単に解けちゃうような「魔法」を掛けるヤツ、自分自身の欲得のために「魔法」を使うヤツっての は、ようするに二流なんです。

 一流の術者によって掛けられた「魔法」になると、これはなかなか解けません。
 もし「魔法」が解けてしまったときでも、掛けてくれた術者に感謝しちゃったりする。
 生涯幸せな結婚生活が送れたわ、なんてのが、これに当たりますかね。
 そういう旦那を捕まえた女性は、きっと幸せです。

 で、超一流。
 このクラスになると、やることに手が込んでいる。
 たとえば、術者が死んでも「魔法」が解けない。
 「魔法」自体が、繰り返し再生産されて生き続ける。
 「魔法」に掛かった人間は、己の命さえ犠牲にできるほどの「信心」を持っちゃう。
 こういうのは、もう最高ランクの「魔法」ではないかしらん。

 何千年も生き続けてる世界宗教の教祖様ってのは、僕から言わせれば「古(いにしえ)の大魔法使 い」ってことになりますね。
 仏陀とか、キリストとか、マホメッドとか。


 僕は正直、超一流の術者になれるともなりたいとも思ってないのですが、物書きである以上、少なく ともテキストの上では、一流の「魔法使い」でありたいなと思います。

 「言葉の魔法使い」ってあたりが、僕の目標です。

2005/12/29


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