口頭無形分化剤 その47


「無明」 −From Darkside−



 この世界に「真理」というものがあるとして、その「真理」に遠く思い至らない人の状態を、仏教 用語で「無明」と言います。
 光明とも言うべき「仏の真理」を知ろうとせず、それに至ろうと努力もせず、ただ己の煩悩――欲望 や執着に振り回されて日々を生きている。そういう状態を、「『無明』の中にある」という言い方をしま す。

 そこから派生して、たとえば「無明世界」といえば「煩悩に囚われた迷いの世界」のことを指し、「無 明の眠り」といえば「眠りの中にあるように迷いから覚めないこと」を表します。

 そして、「無明の闇」。
 「暗闇の中にあるように進むべき悟りへの道が見い出せないこと」を喩える言葉です。


 人間にとって、希望が持てない状況というのは辛いものです。

 行く手に希望があり、光明があれば、人は我慢し、努力することができる。
 「あそこまで辿りつけば楽になれる」と思えるからこそ、人は苦しい歩みでも足を止めることなく進 むことができる。
 千里の道も必ず一歩から始まり、一歩進めば、ゴールまでの距離が必ず一歩縮まる。
 それが約束されていれば、どんな長い道のりにも希望はある。

 しかし、希望のない道を歩み続けることは、人には難しい。
 人は、希望もなく頑張り続けることはできないように設計されているのです。

 頑張り続け、我慢を重ねていれば、まず肉体が疲労し、疲労した肉体が精神を蝕み、やがては心が折 れる――

 あるいは。。。
 人の「誠実さ」とは無関係に、時間の経過にともなって人の心は移ろってゆきます。
 どれだけ硬く心に誓った事柄であっても、「心の移ろい」によって誓いに誠実だった己を維持するこ とが難しくなってゆく。どれほど誠実な人間でも、どれほど志操の堅固な人間でも、人間として生きて ゆく以上、この「心の移ろい」からは無縁ではいられません。
 そして、ひとたび心が移ろってしまえば、かつての誓いにしがみついていることはなお難しくなる。
 誓った事柄そのものに疑問を持ってしまう。
 自分の頑張りの正しさが信じられなくなってしまう。
 そこに意味が見出せなくなってしまう。

 努力に意味がないってことは、それが徒労であるってことです。
 己の努力がすべて徒労なのだとあらためて思い知らされる。
 徒労なんかのためにこんなにも苦しんでいる自分に我慢できなくなる。

 頑張っても何も得られないという不遇感。
 心が満たされないことに対する飢餓感。

 心のどこかで楽になりたいと渇望するようになる。
 投げ出してしまう自分を「しょうがない」と思えるようになる。
 そして、心が折れる――

 人間とは、本来的に、そういう生き物です。

 生きている人間に、「永遠」などということはあり得ない。
 永遠に変わらない人間というのは、時間の止まった人間だけなのです。


 僕は、かつて、白血病の女性を愛したことがあります。
 僕が人を殺してしまったとき、僕の心を支えてくれた女(ひと)でした。

 僕は彼女の死期が近いことを知った上で、それでも彼女の傍に居ようと決めました。
 彼女は、僕の説得に従ってかなり危険率の高い手術を受け、白血病そのものは克服することができま した。
 しかし、今度は彼女の肺から、癌が発見されました。

 色々な事情があって、彼女は実家とは縁を切らねばならなくなりました。
 僕は、彼女の日々の医療費と手術費用を捻出せねばならなくなり、漫画家を辞め、日当の高い肉体 労働でひたすら働きました。

 辛い毎日でした。
 肉体的にも、精神的にも。

 2年、3年とそんな生活を続け、大きな手術を繰り返すたびに僕の借金はどんどんと膨れてゆき、僕 の実家にも迷惑を掛けることになりました。
 彼女にとってもそれが苦痛で、僕の人生をめちゃくちゃにしてしまったことを常に気に病んでいまし た。

 僕が一言「死ね」と言えば、彼女は喜んで死んだでしょう。
 病気によってもたらされる苦痛に耐えられず、泣きながら「お願いだからもう死なせて」と頼まれた ことも何度かありました。
 しかし、僕は彼女の「死」の権利さえ奪った。

 お前が捨てるつもりの命なら、俺にくれ、と。

 死ぬまで「死ぬこと」を許さなかった。
 それは同時に、僕自身が「逃げる」という選択を捨てることでもありました。

 人の心は弱いものです。
 どんな人間も、時間の経過と共に、その心は必ず移ろってゆく。
 頑張り続ければ続けるほど、ぬぐい難い疲労感に苛まれてゆく。

 僕は、自分を縛る必要を感じました。
 僕の心の方が先に折れてしまいそうだったからです。
 初志を捨ててしまおうとしていたからです。
 彼女から「死」の権利を奪いながら、心のどこかで彼女が早く死んでくれることを望み、あるいは彼 女を放り出して楽になりたいと思っている自分が、そこに居たからです。

 僕は、普遍的であらねばならないと思いました。
 常に変わらぬ自分でありたいと願いました。

 しかし、人の心は移ろいます。
 人間に「永遠」などはあり得ない。

 だから僕は、「己の吐いた『言葉』を裏切らない」というルールを作りました。
 自分の心がどう移ろおうとも、己の行動は、己の吐いた「言葉」によって縛ると心に決めました。
 自分の「心」なんてものは、殺してしまえば良い。
 辛かろうが痛かろうが何も感じなければ良い。
 「その時その時の感情」に、行動や言動の自由を許さないと、僕は決めたのです。

 人の心は、常に「無明」の中にある。
 常に揺れ、常に迷い、限りない欲望と執着に塗れているのが人の心です。
 しかし、行動に普遍性を求めることはできる。
 言動に普遍性を求めることはできる。

 心がどれだけ揺れていようが、普遍の自分でいることはできる。

 心なんてものは、目には見えません。
 人に見えるのは、人の行動だけ。
 人に聞こえるのは、人の言動だけ。
 心は、見えないし、聞こえないし、触れられない。
 「心」の存在を他人に感じさせられるのは、仕草や表情などといったちょっとした機微までを含め た「行動」と「言動」だけなのです。

 僕の行動が普遍的である限り、彼女にとって僕の心は普遍であり、不変でしょう。
 僕の言動が普遍的である限り、彼女にとって僕の心は普遍であり、不変でしょう。

 そして、僕の心が普遍(不変)である限り、僕が彼女を裏切ることもせずに済むでしょう。

 僕は、僕の心が動かぬように、がんじがらめに己を縛りました。
 そして、「無明」の中でさえ微動だにしない自分を手に入れました。
 今から思えば、それは「己の時間を止める」ということにも近しい行為ですね。

 ただ、深い水の中にあるような、静謐――

 大学時代から、僕が己の中で育て続けていた闇――
 痛みを感じることのない心。
 正確に言えば、痛みに極度に鈍く、打たれ強く、揺れにくい心。
 しなやかに、したたかに、ブレることなく――己の欲望や執着に振り回されない心。

 外界からのどんな刺激にも、「揺るがぬ」ということ。
 どんな状況に置かれても、「変わらぬ」ということ。
 外界からの刺激に対して、一喜一憂しないということ。
 常に「最悪の事態」を想定し、それを見つめ続けるということ。

 だから、何が起きても、極度に落ち込むことはなく、無闇に舞い上がることもない。

 僕のこの試みは、ある程度は成功していたようです。

 殺人を犯した時でさえ、心の傷をさほど痛いと思わずに済んだのだから。
 彼女が世界から消えた時でさえ、さほど哀しいと思わずに済んだのだから。



 いま、ここに、あの頃作り上げた僕と少しも変わらぬ僕が居ます。
 時間が流れ、環境が変わり、状況が変わり、彼女が居なくなっても。
 世界から取り残されたように、時間が止まったままの僕が居ます。

 「無明」という光明が差し込まない場所で。
 迷いの中で迷わず、己の欲望や執着に揺れもせず。
 己の吐いた「言葉」を裏切らぬという誓いを守り続けて。
 煙草をふかし、酒を飲みながら。

 深い静寂の水底にある深海魚のように。
 少しも動かぬまま――

2005/12/18


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