口頭無形分化剤 その46“男”の勝負
なかでも僕が好きなのが、「大相撲」です。 これを書いている7月というのは名古屋場所の真っ最中でございまして、連日力士たちが日々 の努力と精進の成果を見せてくれております。
僕の相撲好きは小学生のころからですから、相撲ウォッチャーとしては20年のキャリアがあるわけで
すが、10年ほど前の若貴ブームを頂点として、相撲人気というのは下降の一途を辿っているようですね
ぇ。僕はこれが残念でならないのですが、若乃花、曙、貴乃花、武蔵丸と引退して看板力士と呼べる横
綱が一気にいなくなったのも事実でして、それにともなって相撲の質の低下も随分言われるようになった
ように思います。
皆さんもご存知かとは思いますが、相撲の始まりってのは非常に古くって、神代の時代まで遡るこ
とができます。 『日本書紀』によると、第11代 垂仁天皇の御世に、野見宿祢(ノミノスクネ)と当麻蹶速(タイマノケハ ヤ)が天覧相撲を取ったことが記されています。「相撲」という呼称が初めて出てくるところから、この 勝負に勝った野見宿祢は日本相撲の始祖として(というか、相撲の神様として)祀られるようになったよ うです。また、第35代 皇極天皇の御世に、朝鮮南部の百済という国から来た使者を接待するために、 全国から健児を集め、相撲を取らせたという記述もあるそうで、つまり相撲はすでに全国的に普及して いたことが解ります。 降って戦国時代になると、かの織田信長が大の相撲好きとして知られてまして、尾張時代はもちろん、 日本の中央部を押さえてからは五畿内の力自慢を集めて何度も相撲大会を開いたりしています。相撲は 武士の表芸ではないものの、身体を鍛錬するにはうってつけですし、格闘術の一環としても壮んに行わ れていたようですね。 相撲ってのはそもそも何なのか、ってのは断定しにくいのですが、五穀豊穣の神に祈るための神事か らきていることはどうやら間違いがなくて、たとえば力士が踏む四股(しこ)はもともと「醜足(しこあ し)」という言葉からきていて、これは邪気払いの儀式とされています。また塩をまく動作は、地中の 邪気を払い土俵を清める意味と、力士が怪我をしないことを神に祈るための行為と考えられています。
日本という国の土俗的な信仰からいえば、「相撲」が神事である以上、「女」はこれに関わることが
できませんでした。これは神道的な穢れの思想からきていることだと思うのですが、初潮を迎え
た「女」は穢れたものだとする考え方があったのでしょうねぇ。相撲は徹頭徹尾「男」の世界とされ、
明治時代に入るまで「女」は大相撲を観戦することさえ禁じられていたそうです。 「女」が「女」であるから「穢れている」と言われたんじゃ堪らないってのはよく理解できますし、 財団法人 日本相撲協会がその点だけを拠り所に「女」を土俵に上げることに難色を示してるってんな ら、千年の伝統なんてクソ食らえだって思ってしまいますからね。「女」だろーと「オカマ」だろーと、 土俵に上げてやるべきでしょう。まぁ、それは良い。
相撲は勝敗がわかり易いし、世界的なスポーツになる可能性がある。 なるほど相撲は道具を使わないという意味では誰でも(貧困な地域にいる人々にとっても)気軽にでき る競技です。野球というスポーツが環太平洋地域以外の国々にまったく広まっていなかい理由が、ルー ルが非常に複雑で覚えるのが大変であることと必要な道具が多すぎてお金が掛かるからである、という 点を考えれば、相撲は最初からその2点をクリアしちゃってるわけで、国際競技になってゆく資質は 十分に備えているのでしょう。柔道がオリンピック競技になり、世界で何百万人も競技者が出てきてい る昨今ですし、相撲をオリンピック競技にしようという動きもあるとかないとか聞きますしね。
それは良い。相撲は確かにスポーツでしょう。 しかし、僕は思うのですが、「大相撲」ってのは、スポーツじゃないですよねぇ。 「大相撲」は伝統であり文化です、なんてカビの生えたような題目を唱えるつもりもないんですけ どね。どーも、「大相撲」の国際化にともなって、ここらへんを勘違いしてる人が多いような気がす るわけです。 このあたりから、今日の本題に入っていくわけですが。。。
「相撲に勝って勝負に負ける」って言葉があります。 相撲以外のスポーツで、普通このような言い方は成り立ちません。
たとえばボクシングで、終始相手を圧倒しながら、最終ラウンドの1発のラッキーパンチによって大
逆転負けするような試合があったとして、「ボクシングでは勝っていたが、勝負に負けた」という風には
普通は言いません。ボクシングという競技にとっては「勝敗」という結果こそがすべてであり、それ以
外を評価することにあまり意味がないからです。だからこそボクシングでは、たとえば相手が何らかの
理由で眼の上を切って出血したとすると、その血の出ている弱点を攻めるのがプロとしては当たり前で、
そのまま相手を出血TKOさせたとしても「卑怯」ではありません。
たとえば野球でも、投手の立場ならバッターの弱点をつくのは当たり前です。変化球が苦手、高めの
ボールが苦手なんていうデーターはあらかじめスカウトによって詳細なものが与えられていますから、
投手をリードするキャッチャーはそのデーターを元にして、いかに打者に力を発揮させずに封じるか、
ということに腐心するわけです。160キロの球を投げられても打たれたら意味がなく、ここでも
結局は結果だけが重要視されます。 モータースポーツにしてもトラック競技にしても、「真剣勝負」の場で求められるのは、100分の1秒 縮まったかどうか、10pの距離が余分に出たかどうかという「結果」のみであり、「内容」ではありま せん。これは言い換えれば、「勝つという結果のためなら、ルールの範囲内であればどんな手を使って も良い」のがプロの世界であるわけです。 ところが、大相撲だけは、少しばかり事情が違う。 大相撲の土俵の上というのは、そこが相撲の世界の最高峰の真剣勝負の場であるにも関わらず、勝負 の「結果」と共に「内容」が求められる場所なのですね。
たとえば本場所の土俵で、巨漢の力士が小兵力士相手に安易な引き技で勝ったとしても、お客さんは
喜びませんし相撲関係者や親方は眉をひそめるでしょう。少なくとも、その勝ちに対して褒めたりは決
してしません。同様に、大相撲の看板である横綱が立会いで変化なんぞしたとすれば、これは噴飯もの
です。
ところが、たとえば圧倒的に体格と体重とパワーで劣る小兵の力士――往年の舞の海のような力
士――は、引き技を使おうが立会いに変化しようが相手の足を掴もうが、誰もそれを非難しないし、
また力士本人もそれを恥とはおそらく思いません。知恵と技を駆使して戦うその姿にお客さんはむ
しろ大喜びするでしょう。 こういうことは、相撲に親しんでいる者からすればごく当たり前のことなのですが、相撲をスポーツ として考えた場合は非常に奇妙な話なんですよね。
プロスポーツに求められるのは、結果だけです。
僕は思うんですがね。 力士は勝負に勝つために土俵に上がるのではなく、己の“男”を見せるために土俵に上がっているの ではないか、少なくともそうあるべきではないのか、と僕は思うわけです。 先述のたとえで言えば、巨漢力士が圧倒的にパワーで劣る相手に引き技を使ったとして、それで その力士の“男”が立つのか、という問題になってくるわけですね。小兵の力士の場合は、その小さな 身体で巨漢の男たちと同じ土俵で戦うというそのことだけで、立派に“男”を見せていることになる。 だから小兵力士がどんな技を使おうがそれが「卑怯」にはならないわけで、“男”を下げることには当 たらないわけです。
横綱、大関といった力士たちには、立場によって見せるべき“男”に「格」が出てきます。
確かに他の競技のプロスポーツプレイヤーにも、それぞれに「プライド」があり、「誇り」があるで
しょう。しかし、「勝負」と「誇り」を天秤に掛ければ、議論の余地なく「勝負」が優先されるという
のが、普通のプロの世界です。
いったい、なぜ相撲ではこのような風潮になっているのか。 幕末の日本が世界に誇った「武士道」は、徳川幕府が厭武政策の一環として儒教的道徳を基礎に編 集し、「忠孝の道」として作り変えられたかなりいびつなモノでして、これとは少し趣きが違います。
“男”としていかに潔く振舞うか。 「卑怯」を恥じ、「臆病」を許さず、「名誉」を尊び、誇り高く美しく生きぬくことによって、死 後、己の「生」を煌びやかに飾る。
根源的な意味での「武士道」ってのは、極言すれば、これに尽きます。 もちろん、人間が命を張って戦場に臨むわけですから、そこには他に様々な理由があったでしょう。 恩賞という意味の損得勘定はもちろんですし、主従としての忠誠であったり、義理であったりしたかも しれません。しかし、己の“男”を見せるという行為は、それらの理由と矛盾なく並立するわけです。 どんな理由で戦場に臨んだにせよ、戦場は武士にとって「“男”を見せる場」であったのです。
力士にとって、戦場は土俵の上ということになります。
しかし、時代が下がり、「武士道」が死に絶えようとしている現代、こういう機微は失われつつある
ようですね。
大相撲をスポーツと捉える限り、この手の日本人的な気分は介在の余地がありません。先述した通り、
プロスポーツの目的は何より「勝敗」という結果が優先されるからです。
僕が大相撲を好んで見るのは、つまるところ、力士の“男”が見たいのです。
だからこそ、僕は、内容のない相撲には、勝敗に関わらず非常に落胆していまいます。
「“男”の勝負」の醍醐味は、大相撲という世界で、相撲という「スポーツ」とは一線を画して生
き続けて欲しいと、僕は心から思います。
2005/7/26 |