口頭無形分化剤 その41


「商人」あるいは「商魂」


 雪印グループに続いて日本ハムも「悪」が明るみに出ましたね(苦笑
 企業規模から見れば僅かといっていい利鞘を稼ぐために、無駄に 大きなリスクを背負ったもんですが、ま、バレちゃったもんはしょう がないですからね。相応のダメージを負ってもらうことにしましょう。
 てか、「やって良いよ〜」って言った人ってのは、その指示が どれだけ多くの人をリスクに巻き込むかってことを、考えてみたうえ で許可出したんですかねぇ。消費者の迷惑とか税金の無駄使いとか、 商人としての倫理とか社会人としてのモラルとかいった問題を脇に置 いたとしても、常識的なリスクマネジメントができてないように思うの は僕だけでしょうかね。これは喩えて言えば、「強盗傷害の罪を犯 して5千円儲ける」みたいなもんでしょう。そりゃぁ、運良く捕まら なければ5千円丸儲けなんでしょうが、5千円でそれをやるのは、 どー考えても割に合わない(苦笑
 一度失った信用ってのは、そう簡単には取り戻せませんからねぇ。

 っと、くだらない枕でしたね(苦笑
 今日はちょと社会派を気取って(?)「商人」あるいは「商魂」 みたいなモノについて考えてみようかと思っています。


 日本に「士農工商」の身分制が制度として確立するのは江戸時代 からなんですが、別に商人の地位ってのはこの時から低くなったわ けではなくて、日本では、商人というのは発生したあたりからすで に身分として卑しめられていたんですね。
 武士ってのは、その発生からして有力在地領主が実力を高めて 武力を持ったという存在ですから、もともとが百姓の大なるもので あって、その意味で、自分の土地を持った自作農と武士の境とい うのは大変曖昧です。つまり、土地を持たないような小作農や名子 (なご)などと呼ばれる農奴階級をちょっと脇に置いておくと、 「士」と「農」の間にはほとんど差がなくて、区別はあっても差別 と呼ぶほどの身分的確執はもともとないんです。
 次に「工」ですが、彼らは「自分の土地を持たない」、「自分 の食う米を作れない」という意味で自作農からは一等低く見られて いました。これは遺産相続権の移り変わりとも絡むんですが、もと もと職人ってのは、大陸渡来の特殊技能(製鉄、鋳物など)の保 持者を除けば、土地の相続権を持たない農家の長男以外の男が、 食うために手に職を付けたというのがそのほとんどなんですね。昔 は農村等のコミュニティーがそのコミュニティーごとに自給自足して 充足していたわけですから、職人として生活必需品を生産する人っ てのは共同体としても必要なんです。だから彼らの存在もそう卑下 されるべきものではないし、職人は職人で「モノ創り」特有のプラ イドがありますから、この両者にも差別というほどの意識の開きは ない。
 日本の多くの農村は、こういう状態で何百年も過ごしていくわけ ですね。


 「商人」って人種が日本に現れたのはいつかってことになると、 「ここからです」という断定はなかなか難しいんですが、鎌倉幕府 の成立あたりには、もうそれらしいことをしていた人が居たことは間 違いないですね。もっともそのころは貨幣経済というようなものでは なく、もっぱら物々交換が主流であったでしょうし、奥州平泉の藤原 氏が砂金をお金のように商取引に使っているのをわずかな例外とす れば、当時の日本では貨幣経済が行われているとはとうてい言えま せん。
 てか、それが可能であるほどの豊富な貨幣と肝心の余剰生産物が、 日本にはなかったんですね。
 ところが時代も室町ごろまで下ると、だいぶ社会の様相も変わっ てきます。

 まず貨幣が増えたこと。
 日本はこれまで自国であまりお金を作ってないんですね。これは おそらく貨幣をつくるコストがその貨幣よりもはるかに高くついたか らだと思うんですが、ようするに日本でそれまで出回っていたのが、 いわゆる唐銭−−中国のお金なんです。
 この中国銭が貿易(遣隋使、遣唐使)の関係で日本に入ってき まして、それでだんだんと貨幣が市場に出回り始めたわけです。と くに室町幕府ってのは肝心の土地からの収穫物による財政基盤がど うしようもなく脆弱で、もっぱらこの中国貿易で台所を賄っていまし たから、「銭」−−永楽銭なんてのが特に有名ですが−−は日本 の主要輸入品目であったわけです。三代将軍足利義満などはもう 恥も外聞もなくて、「家来になるから貿易をさせてくれ〜」と明国 に泣きついています。もっとも、中国は「中華」ですから、外国は 韓国以外ぜんぶ野蛮な家来に過ぎないわけですが・・・(笑

 で、次に生産物が増えたこと。
 二毛作や品種改良や道具改善や農地造成などの諸条件で農業生 産がこの時期から著しく騰がるんですね。当然農村でも余裕が出来 ますから、余剰生産品を売りたくなるわけです。天秤棒を担いだ 「行商人」が現れるのが、この時期じゃないでしょうかね。自分が 作ったモノ、仕入れたモノを売り歩くスタイルです。
 余談ですが、都市部にいわゆる「金持ち層」が形成されるのも この時期だと思います。「造り酒屋」や「土蔵(回送業)」なん かが多かったわけですが、彼らは有り余る金を使って金貸し業もや りましたから、太る一方だったんですね。この当時の金貸し業って のは、借り倒れが多いために利率は年50パーセント以上が当たり 前でしたし、担保は土地だから絶対損をしないわけです。飢饉など で一時的にでも食えなくなった農民は根こそぎ土地を巻き上げられ、 ずいぶん泣かされたようですね。
 まぁ、この連中は今回扱う「商人」とはちょっと違いますから、 今回は触れません。

 さらに、「貿易」というものが認知されたこと。
 幕府そのものが、対中国貿易で莫大な利益を上げている様を、 人々はじかに見ているわけですね。貿易というのはつまり、「何を 作るわけでもなく、ただモノを移動させるだけで莫大な利益が生ま れる」ということですから、この摩訶不思議な作業が実際に機能し はじめると、人々は否応なくそういう新しい機能の存在を理解せざ るを得なくなるわけです。
 それを理解した者が、規模を小さくして自分もやろうと思うのは 人情ですからね。
 この時期、中国や東南アジアの国々との私貿易がずいぶん流行 りました。江戸期の鎖国まで続く日本人の大航海時代がこのころか ら始まるわけですね。


 さて、ここまで見ただけでは、最初に僕が言った「商人がもとも と差別されていた」という理由が見当たりませんね。
 この理由は、実は非常に難しくて、理由にもならない理由しか 見あたらないんですが、要するに、それまで自給自足で農村で暮ら していた日本人口の9割以上の人々にとって、なんとなく「商行為」 が「胡散臭いモノ」に見えていた、ということが大きいように思うん ですよね。
 一般的に言ってね。
 室町期の農村の百姓に意見調査を実施すれば、彼らは「商人」 というモノを、

「汗水垂らして土をいじるわけでもなく、身体を酷使して働くわけ でもないくせに、ただ人が創ったモノを右から左に動かして、魔法の ようにお金を産みだし、それで百姓よりもはるかに裕福で贅沢な連 中」

 と、こんな風に表現したと思うんですよ。
 これは、論理じゃないです。
 感情ですね。
 古いタイプの人たちが、新興の「商人」という連中を認める気が しなかった、という感情論が、まず先にあったと思うんです。

 もちろん他にも理由はいろいろあります。

 日本では、「金儲け」がどーも歓迎されない雰囲気があったよう なんですね。
 これはどうも神道的な「穢れ」の概念と、儒教的な気分と、閉鎖 社会での「富の偏り」に対する反発みたいなものがない交ぜになっ て造られた風潮のような気がしているんですが、僕も正確には説明 し切れません。

 それでもいくつか例を挙げると。
 例えば、商業的な「場」として、「市」というものが現れてきま すよね。この市が立つ場所は、古くは川の中州なんかが多かったそ うです。これは商行為自体が穢れているから、その穢れを生活空間 である村の中には持ち込まない。さらに、そこで発生した穢れを川 に流してしまう、という土俗信仰からきているようなんですね。

 また例えば、儒教では「閑日を過ごす」ことが美徳であるらしい のですが、せくせくと小さな利を稼ぐ行為というのは小人のすること で、立派な人間のやることではない、という風潮があったようなん ですね。だから、零落して諸国を流浪する浪人者が侍を諦めて商人 になるよりも、貧乏したまま本でも読んでいた方が、人間として 「良き人」という風に見るような雰囲気が、どうも当時はあったら しい。
 ちなみにその浪人が少しばかりの土地を得て百姓になれれば、 それは一般的には「身分の上昇」だったらしいですね。浪人より は、百姓の方がクラスが上なんです。武士と百姓の境界の曖昧さの 好例ですね。


 まぁ、そんなわけで、室町期を過ぎ戦国期に入っても、この「商 人蔑視」の風潮は基本的に変わりません。
 ところが、世が進むにつれ、この「商人」階級がどんどん力をつ けていくわけです。商人というだけで頭から差別されてはいるわけ ですが、その実どの階級の者よりも「金」という力を持ち、差別し ている連中を傲然と見返すような存在にまでなっていきます。
 貿易港として古くから殷賑を極めていた堺という街などは、その 顕著な例ですね。
 堺はすでに室町期から「完全自由都市」とでもいうべき存在にな っています。そこは金だけが力を持つ世界であり、身分による差別 がなく、力のある商人達が合議制で市政を運営しています。しかも その代表者たる世話役は、一定以上の税を納めた者が選挙で選んで いたというんですから、すでに一種の民主共和制です。堀を渡り堺 に一歩でも踏み込めば、そこは大名さえも武力を持つことが禁じら れ、平民と同じ目線で往来を歩かなければいけない世界になるわ けですから、なんとも凄いモンです。
 こういう自由闊達さと無階級意識というのが、後の「大阪人」を 形作る大きな1要素になっていると、僕は秘かに思ったりしています。


 まぁ、それはいいんですが・・・。

 紆余曲折あって江戸期になると、商人は今度は制度的に貶められ ることになります。「士農工商」ですね。でもやはり、商人はもっと も強い力をもった階層であったことに変わりはありません。
 江戸期300年ってのは極度に風通しの悪い安定社会なんですが、 安定体制であるだけに社会変化には極めて鈍感な体質でして、例え ば物価が高騰しても武士の給料は基本的にまったく変わらないわけ です。武士が貧乏して浪人が増えるのはこのためで、藩経済も回ら なくなりますから上は大名から下は平侍まで、みんな商人に金を借 ります。これが幕末ともなると、大名行列が大阪にさしかかると、 わざわざ大名が商人の屋敷の前で駕籠を降りて挨拶したって話です から、すでに商人を身分制で縛ることも限界になってますね(苦笑


 で、維新を経て近代へと流れていくわけですが・・・。


 僕はね。
 なんだかこのあたりからおかしくなってきたと思ってるんですよ。
 いえね、日本の商人のことです。

 商人ってのが、日本ではずっと貶められた存在であったというこ とは触れて来ました。そのころ商人達は、貶められ蔑視を受ける者 として、逆に自分たちを高い職業倫理で縛り、自らを強く律して生 きていたように思うんですね。

「なるほど俺たちは金儲けをしている。けれど俺たちは、人間として 間違ったことはしない」

 みたいな、ね。
 そういう気概が自分たちを守ることに繋がるわけで、そのまま商売 の道にも通じている。
 そういうところからできあがってきた、高潔な人格が醸す度量。
 自らも得をし、相手にも得をさせる、商人としての正義観。
 そして、そういった「商道」を守り通していく志こそが、「商魂」 であると思うんですよ。

 そりゃぁもちろん、そうでない人間も多かったんでしょうが。

 維新があって、日本は「商人」たちの国になりました。
 それまで力があっても社会的には抑えられ続けていた「商人」た ちが、急に天井を取っ払われたような格好で自由になったわけです。  競争が禁じられた日本の封建制が終わり、文字通りの自由競争 が始まります。
 なりふり構わず利益を上げることが、「正義」になったんですね。

 これはどうなんでしょう・・・。


 僕たちの国は、戦後の焼け跡から数十年で世界一の経済大国と 呼ばれるような異数の発展を遂げました。
 これは、きっと凄いことなんでしょう。
 ただ、近代社会の「国民」としてなんの教育も受けてない人々が、 維新から数十年で世界の先進諸国の人々と肩を並べるような「国民」 になれなかったように、あるいは僕たちは民主主義のなんたるかを 知らず、経済のなんたるかを知らず、法人が社会に果たすべき役割 を知らないのかもしれないなぁ、と素直に思ったりもするわけです。
 こういうことは、実際痛い目を見て、それによって啓蒙される必 要があったりするんですよね。僕たちは一足飛びで、ヨーロッパ社 会のような血みどろの闘争を経ずにいろいろなものを手に入れてし まってるわけで、その意味での国民性なり、民主主義の練度なり、 社会人格としての自覚なりといったものが、先天的に不足している ような気がするのですよ、僕も含めて。


 冒頭の枕で触れた食品会社にしてもね。
 そーゆーことをリスクマネジメントで語らなければいけないこと自 体が、おかしいんですよね。
 商売人が商売上のルールを守ることは、プロ野球の選手が野球 のルールを守ることと同じです。それはルールを破ったときのリスク を語ることさえ本来必要なことではなくて、守るのがいわば当たり 前で、守った上ではじめて「試合」が成立するわけです。ストライク 1つではアウトにはならないし、アウト2つでチェンジにすることはで きませんよ、やっぱり。
 「商人」は客の利益と自分の利益を両立させることが、いわば ルールです。そこを外すと「商人」とは呼べないし、「商人」と呼 べない人間はモノを売っちゃいけません。それは「詐欺」です。
 話が企業であるならば、その企業の「法人格」が「商人」であ る必要があります。その構成員はそのことを頭に入れた上で行動 しなけりゃいけないし、その法人格が持つであろう「商魂」を、胸 に刻んでおく必要があると僕は思います。

 「商い」は「飽きない」です。
 「商魂」というのは突き詰めれば、商売を延々と続けていく意思 です。
 だからこそ、そこには高い倫理性と自分自身に対する誇りに 裏打ちされた極めて紳士的で合理的な精神が必要なのであって、もし 「商魂」にその気高さがなければ、それは「守銭奴のがめつさ」と なんら変わりがないものになってしまいます。


 これは個人的な願望なんですがね。
 聖職者と公務員と商人には、ことさら高い職業倫理観を持ってい て欲しいですね。

H.14 8/21



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