口頭無形分化剤 その36


「プラトニック」という悪徳


 今回は、詩音さんの6543キリ番リクエストにお応えしようと思います。
 テーマはズバリ、「プラトニック」。


 「プラトニック(Platonic)」−−「プラトンのような」という意味 ですね。
 もともとは、純粋に精神的な様を表す言葉であったハズなんですよ。
 誤解を恐れずに言えば、理想主義的観念論みたいな・・・。
 ところが、いつのまにやら、「えっちなしの恋愛」みたいな意味 で使われるようになってしまってる。

 これはね。
 プラトンが、精神的な愛を讃える恋愛論を展開したことからきてる んでしょうね。
 ま、もっとも僕は寡聞にして、「国家」も「パイドン」も「饗宴」 も「法律」も読んだことがないんですけどね(苦笑


 プラトンは、古代ギリシャの三哲人に数えられる大哲学者です。
 ソクラテスの弟子。
 かのアリストテレスの師にあたる人ですね。
 ちなみにキリストが生まれる400年も前の話です。

 プラトンが生まれた古代ギリシャってのは、神話の世界を見れば 解るように、我が国には及ばないにせよ、比較的肉欲なんてのに寛 容な土地柄だったんじゃないかと思いますね。
 だってギリシャの神様たちは、インドの神々にも負けないくらい、 やりたい放題ですよ。
 浮気はする、不倫はする、近親相姦はする、しまいには動物を犯 したりまでする。
 そういう土壌の世界に生まれたからこそ、プラトンは、逆に肉欲を 伴わない純粋な恋愛に重い価値を置きたかったんじゃないでしょう かね。


 さてさて。

 人間という種に限った話ではないですがね。
 一般に、脳の発達が進めば進むほど、生物は、肉体的な快楽が 大好きになっていくもんなんですね。
 本能だけで動いている昆虫だとか、脳という仕組みを持つ以前の 生き物たちに、肉欲なんてものがあるわけがない。
 脳の発達が十分な上位の哺乳類−−イルカや鯨は知りませんが、 サルやらゴリラなんて、えっち大好きですしね。

 もちろん動物は、種、あるいは個の遺伝子を保存する本能によ って交尾をするわけですが、サルくらいになると、その際の肉体的な 快楽に価値を見出せるほどになっている。
 つまり十分に進化した生物は、気持ち良くなる権利を、あらかじめ 持って生まれているわけです。

 でも、いつからか人間は、そういう生物としての欲求に、過度の 抑圧を加えるようになる・・・。

 別に僕はね。
 結婚していようが、いまいが、誰とでもいくらでも好きなだけえっち することが「正しい」なんて暴論は吐かないし、それが当たり前に許 されるような世界が素晴らしいとは、実は思いません。
 いや、ホントですって(苦笑

 「嫉妬」やら「独占欲」というのは、犬やネコでも持ってるような ごく自然な感情だし、それを失うことが「正しい」とは、僕は思わな い。
 でもね。
 だからといって、「プラトニックな愛」が、「肉欲を伴う愛」に勝 っているとは思わないし、プラトニックであることが「正しい」ことだ とも思わない。

 何事も、バランスだと思うのですよ。

 肉欲に溺れることが「歪んでいる」というのなら、プラトニックに 固執することも「歪んでいる」ということでしょう。
 同様に、えっちが無ければ成立しない愛もおかしいし、えっちの 快楽だけで繋がってる関係も愛とは呼ばない。

 肉欲への抑圧、大いに結構です。
 人は確かに、その点において、他の動物とは区別されるべきでしょ う。
 ただ、過度なのはいただけない。
 度ってのは、過ぎちゃうくらいなら、及ばないほうがなんぼ かマシなんです。


 僕は思うんですがね。
 人間が、それなりに幸福な状態を維持しながら、死ぬまでのあい だ生きていくために、もっとも必要な素養ってのがあるとしたら、 それは、結局「バランス感覚」なんじゃないですかね。

 そう、「中庸」というヤツです。

 固執することは視野を狭くすることです。
 執着というのは、結局我欲に執心した状態に過ぎませんからね。

 こだわれば囚われる。
 思いこめば縛られる。
 偏れば、それはやっぱり歪みますよ。

 社会人としてその法律の、人間としてその良心の、それぞれの 範囲の中で・・・。

 こだわることなく、しなやかに、そして強(したた)かに。
 囚われることなく、柔軟に、そして自由に。

 そうやって生きてる人が、格好良い気がしましてね。
 そういうのが、僕は好きですね。

H.14 3/23



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