口頭無形分化剤 その35


「芸術」とはなんぞや


 今回はリクエストをお休みして、久しぶりに書きたいことを書かせて もらいましょう(笑

 先日、あざみさんとチャットでお話しさせていただいたときに出た 話題なんですけどね。
 「芸術」とはなんぞや、という話なんですよ。
 夜中に女性と二人きりでする話題にしては、色気もなにもあった もんじゃないですがね(苦笑


 お話の中で、あざみさんは、この「芸術」を「人が創りだした美 しいもの」と定義されました。
 僕も、そのこと自体には、さほど異存はないんですよ。
 実際「芸術」みたいな捕らえどころのないものを、言葉で表現し ようとすれば、そのあたりに落ち着かざるを得ないでしょうしね。

 でもね。
 じゃ、この「美しいもの」とはなんだ、ということになりますよね。
 「美」ってのはなんなんだ、っていう話です。
 そして、それは誰が決めるのか・・・。
 これは、難しいですよ。

 たとえばこの世に、誰もが「美しいもの」と認める基準があって、 その基準をクリアしたものを「美しい」と呼ぼう、と言うんなら話は 早いんです。
 でも、誰もが一様に「美しい」と認めるものなんて、ありっこな い。
 ここらあたりが問題でね。


 社会から見て、一般的に大多数と呼べるほどの人が、「美しい」 と認めた「もの」が、いま、ここにあるとしますよね。
 で、仮に「それ」を「芸術」と定義したとします。
 するとね。
 大多数の人に認められる「それ」を創れる者が、「芸術家」と いうことになる。

 でも、それっておかしいでしょう?
 人に迎合することと、「芸術」を創り出すこととは、まったく別で あるハズです。
 「芸術」は、人におもねて産み出せるものでは、断じてない。
 他人に気に入ってもらおうと思ってしまったら、それはすでに「芸 術」ではないんです。

 じゃぁ、たとえば、ある人が、自分が「美しい」と感じるモノを創 り出したとします。
 この人は、その「もの」を「芸術」と呼ぶかもしれませんね。
 でも、その「もの」が、社会の誰にも理解されず、認められなか ったとしたら、その「もの」はやはり、誰からも「芸術」とは呼ばれ ませんね。
 独りよがりであるうちは、それはまだ「芸術」ではないんです。

 難しいですね。


 誰かが創り上げた「作品」がまずあって、それが 「たまたま」多くの人の共感を呼び、心を打ち、感動を与えたとき、 はじめてその「作品」が「芸術」と呼ばれるに値するものになるわ けです。
 そして、その時はじめて、その人は「芸術家」と呼ばれる資格を 得るわけですね。
 この順序は、絶対に逆になってはいけないんです。


 「芸術家」が創ったから、「作品」が「芸術」になるのではな い。
 たとえ素人が創ったって、多くの人に「美しい」と認められれば、 それはやっぱり「芸術」なんです。
 同様に、心血を注いだから、「作品」が「芸術」に化けるわけ ではない。
 遊び半分で創ったって、みんながそれを「美しい」と感じれば、 それはやっぱり「芸術」なんです。

 ここは、1つポイントですね。
 つまり、「作者」と「作品」は、切り離して考えなければいけな いということなんです。


 じゃぁ、創った本人以外、誰1人「美しい」と思わない「作品」が あったとしますよね。
 それは、もちろん「芸術」ではないハズなんですけど・・・。
 本当に、「芸術でない」かといえば、それは必ずしも言い切れな かったりするんですよね。
 たとえば、属する社会を替えれば。
 たとえば、属する時代を替えれば。
 その「作品」は、なんの文句もなく「芸術」と呼ばれてしまうかも しれない。
 死後になってから「作品」が認められる「芸術家」ってのは、実 にたくさんいますからね。
 いま評価されないからといって、一概に「芸術でない」とは言い 切れないわけです。


 「それじゃぁ、『芸術』なんて決められないじゃないか!」

 そうなんです。
 「芸術」は、誰かが決められる概念ではないんです。


 「芸術」を「芸術」たらしめているのは「社会」です。


 「一般人」、「大多数の人」、「みんな」・・・。
 こういった表現を、僕たちはごく気軽に使います。
 けれど、「一般人」なんて「人」は、実はどこにも存在しません よね。
 これと、構造は似ています。


 「芸術」とは、いわば、実在しない「一般人」が、「美しい」 と感じるであろう「作品」のことです。


 「一般人」がそもそも実在しませんから、議論する社会が変われ ば、時代が変われば、当然その時の「一般人」の嗜好も変わるん ですね。
 それにより、「芸術」がなんたるかも変わってしまうわけです。

 だからね。
 「芸術」を創ろうとしてはダメなんです。


 作者が創るのは、どこまでも「作品」です。
 優れた創作者は、己の才能、努力、人生・・・そういった「人 間そのもの」を鷲掴みにして、ただ「作品」を創りあげます。
 それが、他人の評価を得て、はじめて「芸術」が誕生するのです。

 「芸術」は、だから人間1人きりでは生まれません。
 「作品」と、それを評価する社会があって、はじめて「芸術」たり 得るのですね。


 僕はね。
 これでも昔、絵を描いていた人間ですので、そういうことは、結構 マジメに考えてたのです。
 プロの漫画描きであった頃、僕は人に評価してもらえる絵を描こう と必死でした。

 なんとか恥ずかしくない絵を描きたい。
 読者から褒められたい。
 みんなに好かれたい。
 貶されたくない。

 恥も外聞もないですよ。
 そうなるためなら、他人の良いところは、何でも盗みました。

 でもね。
 ある時、思ったわけですよ。

 「結局、自分が納得するものを描くしかない」

 数千人の読者すべての評価を得ることは、不可能です。
 すべての読者に、嗜好があり、趣味があり、好みがあり・・・。
 それは、特定の誰かを標的にすることもできないものなんです。

 だから、自分が良いと思ったモノを描く。
 すくなくとも、その努力をする。
 そして、結果として、評価されれば、それで良いと。
 もちろん、評価されなければ、それはそれで仕方ないと。


 どこにいるかもしれない「一般人」に向かって、ものを投げかけ るのは滑稽です。
 媚びても、思っても、考えても、それはやっぱり無駄なんです。
 僕たちにできるのは、ただ、「創り出すこと」だけ。
 あとは、手を離れた「作品」が、勝手に評価を受けていきます。


 より良い「作品」をつくる為の終わりのない努力。
 結局、創作者にできるのは、それだけなんですね。

H.14 2/21



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